魔眼のアザリア
アザリアは思いっきり迷子になっていた。
森は広すぎた。
「東に行く方が良い」
ハシーディムと名乗った剣士はそう言った。
東には大国テモテがあり、そこには賞金を払ってくれる仕組みがあると女剣士も言っていた。
だから、東に出るように歩いた。
歩いたつもりになっていた。
森の中は危険だった。
アルノンの山々とは比べ物にならないほど野獣が多い。
木の上で寝ていても安全ではなく、獣に何度も襲われた。
逃げ回るうちに方角が分からなくなった。
携帯していた食料も底をついた。
木の実や獣肉を焼いて食べた。
火打石をこれほど重宝したのは初めてだ。
森の中を流れる小川のお陰で水を汲むことができたが、水辺も危険だった。
すべての行動が命がけだった。
獣だけではなく森を横断する人間にも会う。
大半がお尋ね者で、気づかれた瞬間に攻撃してきた。
気を抜けない環境がアザリアの感覚を研ぎ澄ます。
こんなところ手間取っている場合じゃない。
黒竜を討つまでは死ねない。
1か月以上彷徨う事で、アザリアは剣の腕を上げていた。
ようやく森を抜けた頃にはマントはボロボロになり、捨てるしかなかった。
髪や瞳を隠す気もなくなっていた。
毎日が戦場だった。
涙枯の森。
その名がついた理由がわかる気がした。
「ここ、どこだよ」
ついぼやいてしまった。
目の前には廃墟のような町が広がっていた。
石造りの建物や壁はどこも崩れていて人の気配もない。
壁沿いに進むと、戦場の跡らしく、死んだ兵士がそのまま転がっていた。
遠くに煙も上がっている。
まだ、戦闘中かもしれない。
生存者が隠れているのか、石ころが転がってきた。
用心しながら近づくと
妙な歌声が聞こえてきた。
「戦場は呪いが溜まる。恨みが溢れる。死者は大歓迎。今日は宴にふさわしい」
狂っているのかリズムも妙だ。
アザリアは柄に手を掛けながら、歌声の主を探した。
それは、黒い鳥だった。
「死んでいるのは楽しいね。死んでいくのは嬉しいね。戦って恨んで死んでくれ」
鳥が人の言葉で歌っていた。
異様な光景にアザリアが驚いて声を上げると、鳥はアザリアを見た。
鳥は赤い目をしていた。
「同類。同類がいるよ。お前、北においでよ。宴があるよ」
鳥はアザリアに歌いかけてきた。
同類。
赤い目。
「魔物?」
「同類。北の宴に呼ばれているよ」
鳥はそれだけ言うと翼を広げて空へと飛び立っていった。
黒い鳥。
赤い目。
やはりこの眼は「魔」なのだろうか。
アザリアは総毛だっていた。
急に怖くなってアザリアは廃墟から逃げるように駆け出した。
途中で何度も敗走する兵士たちに遭遇し、戦う羽目になった。
アザリアの目を見て「魔眼」と叫ぶ兵士が何人もいた。
紅い目を嫌がられることはあったが、「魔眼」と呼ばれたのは初めてだった。
20人以上の敗戦兵に襲われることもあったが、森へ逃げ込むことで何とかかわすことができた。
アザリアがようやく東の大国テモテの最南領に入ったのは、テーマーンから旅立って1年が経っていた。
「ようやく…文明地」
もはや、道がアザリアを東に行かせないようにしたとしか思えない。
アザリアは、都に辿り着くと密かにガッツポーズをした。
お陰で記録石は二つとも記録オーバーな状態だった。
「嘘だろ」
テモテ最南領の賞金窓口の担当者は石をチェックして換金しながら、その数に驚嘆していた。
目の前には見かけない白髪で紅い瞳をした若い女が立っている。
「本当にこれ全部、君?」
「一つは途中で知り合った女剣士が持っていた」
「あー、引き継いだ系か」
よくあることらしい。
特に問題はないようだ。
「名前を聞いてもいいかな?腕のいい賞金稼ぎのことは皆知りたがる」
アザリアはお人好しではない。
トレスを失ってから今日まで信頼したのはハギオイだけだ。
他人の言葉を額面通りに受け取ってはいけないことを学んでいた。
「要するに、腕のいい賞金稼ぎにも賞金が掛かるってことだろ」
担当者は苦笑した。
「悪く思わないでくれ。俺たちが掛けるわけじゃなくて、悪党が掛けるのだ」
どっちでも一緒だ。
「私はアザリアだ」
「魔眼のアザリアか。いいねぇ」
勝手に【魔眼のアザリア】と命名された。
担当者はへらへらとどこか上機嫌だ。
「女性の賞金稼ぎは人気者になる。この国には結構多いよ」
「傭兵の情報をどこかで得られないか?」
アザリアは何かと詳しそうな彼に聞いてみた。
「傭兵?北の方で集めているらしいけど、傭兵に応募するならやめた方が良いね。最前線でこき使われて正規兵の盾にされる」
「傭兵業に興味はない。傭兵黒竜を探している」
一瞬、空気が張り詰めた。
「傭兵黒竜って、あの黒竜か」
「たぶん」
「見つけてどうする?」
「仇だ。殺す」
「無理だろう。黒竜は一騎当千って言われている」
「汚い手も使うから大丈夫だ」
「なるほど。それならまぁ……無理だな」
汚い手を使っても無理らしい。
「最近、噂一つ聞かないな。ただ、北に行く傭兵の中には知っている奴がいるかもしれない」
アザリアは礼を言って、新しい石と賞金を受け取ると宿屋を探しに出ていった。
かなりの額なので今日はゆっくりと安全な宿で休めそうだった。
北。
黒い鳥は“北の宴”と言っていた。
アザリアは、中の上くらいの宿屋の部屋に寝転がって考えていた。
北について、戦争があるようなことをテーマーンの魔法使いも言っていた。
大規模な戦争は1年や2年では終わらない。
傭兵ならそこに参戦するだろうか。
テモテの最南領は領都といえどもテーマーンの王都より大きかった。
石造りの建物が並び街道も整備されていて大国の貫録を示していた。
テーマーンには2階建て以上はあまりなかったが、ここには3階建てもあり、すべてが大きく感じられた。
治安もよく、剣をむやみに抜く者もなく、スリも見かけない。
おまけに、宿屋はアザリアの姿を見ても、一瞬驚いただけだった。
いろんな奴がいるのだろう。
金さえ払えば文句はないらしい。
領都で傭兵や北の戦争の情報を集めながら、テモテの王都の噂も耳にした。
最新の武器屋が揃っているということだった。
そんな場所ならもっと傭兵の噂を聞けるかもしれない。
アザリアは、王都に行くことを決めた。
「王都に行くなら馬を買いな。徒歩で行くなんて死に行くようなものだよ」
宿屋の女将にアドバイスされた。
大国内でも王都への道は、意外にも危ないということだ。
領都内が安全な分、悪い奴らは外にたむろする。
なるほど。
しかし、だ。
見方を変えれば、カモがネギを背負ってやってくる?
釣りでいうなら入れ喰い状態?
賞金稼ぎにとっては、いい狩場かもしれない。
馬には乗れるが世話が苦手だ。
忠告は有難いが、結局、歩くことにした。
女将さんの言う通り、
賞金の稼ぎ放題だった。
アザリアは「魔眼のアザリア」の名前を広めるように、敢えて名乗って賞金首を狙った。
魔眼。
良いじゃない。
黒竜に名前負けしない気がした。
王都へ行くには5つの領地を通らなくてはいけなかった。
テーマーンよりも国土の大きさを実感した。
稼ぐにはいい。
しかし、時間はかかった。
冬が来て夏が来た。
3つ目の領都に入るころには、ちょっとした有名人になっていた。
「魔眼のアザリアだろ?」
賞金を受け取る窓口の担当者はにこやかに名前を当てた。
石を渡すと、嬉しそうにチェックし始めた。
「有名人はいいね。満杯になっているから、チェックしがいがある」
北の担当者も陽気な人物だったが、ここでも担当者は軽口をたたく。
アザリアが反応しないのも気にせず担当者は喋り続けた。
「君にかかっている賞金がいくらか知っている?」
「いや」
「最近になって急上昇。君の首は金貨10枚だってさ」
喜んでいいのか微妙だった。
首を傾げていると、彼は眉をしかめた。
「もっと高いと思ったってこと?売り出してからこの短期間でこれだけ高値は凄いと思うけどな」
「相場を知らない」
「え、だって、賞金稼いでいるのに?この石の全額でも金貨10枚にはならないよ」
つまり、石1つ分より高い賞金が懸けられているから喜べということのようだ。
「無駄に狙われるだけだ」
「狙われるってことは、その分、賞金首が寄ってきてくれるってことじゃないか!」
納得。
弱い奴は避けるし、高額賞金首が寄ってきたら稼げる。
負けない限りいい仕事だ。
「私の狙っている獲物は、寄ってこないだろうから興味はない」
アザリアは石と賞金を受け取った。
本当に興味なさそうなアザリアに担当者はため息をついた。
「狙っている獲物ってどいつだよ。多少の情報は提供できるよ」
「傭兵黒竜」
ここでも一瞬、空気が張り詰めた。
「黒竜…大きく出たなぁ」
「何処にいるか知らない?」
「最近は全く聞かなくなったな。それこそ黒竜の首には悪党どもが賞金を懸けているよ」
「いくら?」
「金貨1000枚」
100倍の差だ。
それが実力差ということだ。
「黒竜は雇う側にしても、狙われる側にしても金貨を惜しまないだけの実力者だよ」
「会ったことのある人物に話が聞きたい。知らないか?」
「傭兵はこの国にはいないからなぁ。王都まで行けば、旅人の中に知っている奴がいるかもしれないね」
アザリアは礼を言って外に出た。
まだ、黒竜に届かない。
黒竜を倒す秘策を見つけないと100倍差は覆せない。
次の領都に行く道を地図で確認しながら秘策はないかと思案する。
アザリアが去った後の賞金窓口に甲冑に身を包んだ大柄な男がやってきた。
「おい、今の女が魔眼のアザリアとかいう奴か」
甲冑にある紋章がお尋ね者一覧の中にあった。敗戦国の紋章だ。賞金首ホフニ。
「あのさ。ここは賞金首を取った賞金稼ぎが、賞金を受け取る窓口だ。賞金首が来るところじゃないよ」
男は鼻を鳴らすと兜を外した。
頭を軽く振ると短い巻き毛の金髪がはねた。左目が潰れていた。戦いの傷跡が生々しかった。
「俺の首より高額な首を持つ賞金稼ぎっていうのは気に入らねぇ」
睨みつけられようとも窓口担当者は動じなかった。
「首に賞金が掛かっているならここには来ない方が安全だよ」
「俺の首はもっと値がついていいはずだ」
「値上げ交渉はここではできないって」
「あの女を殺れば、値上げ交渉成立ってことだろ?」
ホフニは目の前の台を両手で叩いた。
ギロリを動く右目の迫力に、担当者は生唾を飲んだ。
「魔眼のアザリアは王都に向かっている」
「ほう。いいねぇ。沼地を通るってわけか」
男は銀貨1枚を担当者に投げると出ていった。
担当者は銀貨を受け止めると苦笑した。
「どっちが勝つかな?地の利があるのはホフニだよなぁ。人気者の賞金稼ぎはいい宣伝になっているから死んでほしくないけど、困ったな」
全く困っていない担当者の独り言に、入口をノックする音が聞こえた。
扉は開いているから、ノックは気を引くためのようだ。
「その銀貨1枚で、賞金稼ぎの助っ人しようか?」
「あんた、誰だよ?」
「通りすがりの旅人その1」
にこやかに栗毛をかき上げる爽やか青年剣士に担当者は銀貨を投げた。
「ホフニは強いよ」
「俺はもっと強い」
どいつもこいつも自信家ばかりだ。
そんな状況になっていることを知らないアザリアは、一泊してから徒歩で次の領都へ向かっていた。
王都までの道のりは遠い。
まだ2つ領都を通らなくてはいけない。
大きすぎる国というのも問題だ。
適度な運動――賞金を稼いで、次の領都へ入った。
すぐに記録オーバーになるので、賞金窓口に寄るのを忘れない。
アザリアが、換金していると担当者は口笛を吹いた。
「大物を倒したね。凄いよ」
「知らない。最近は石が勝手に判断するから誰が賞金首かも意識していない」
そっけない口調のアザリアに担当者は苦笑するしかなかった。
狙われるから倒す。
そういうスタンスに代わっていた。
「傭兵黒竜の噂を知らない?」
「げっ」
担当者が固まった。
「黒竜は、賞金首じゃないよ。賞金を出す奴はいるけど」
「仇だから」
「金貨1000枚積んでも首を取れる奴がいないっていうことだけど?」
「でも、いつかは弱る」
「…執念だね」
そうなのだ。
アザリアより黒竜は明らかに年上だ。
トレスが討たれた時の年齢は噂から考えると40前後。
ということは、もう50歳を超えていていいはずだ。
平均寿命だ。
ただ、晩年も老ハギオイはめちゃ強かった。
毒でも盛らない限り倒せないかもしれない。
「卑怯と言われようと、どんな手も使う」
決意表明を聞いたような気分の担当者は肩をすくませた。
「では、アドバイスを一つ」
「何?」
「王都には馬で向かう方が良いよ。黒竜は騎馬戦も得意だから馬での戦いにも慣れた方がいい。隣の馬主は良い馬を揃えているよ」
一理ある。
しかし、善意はない。
「馬のバックマージンは幾ら?」
冷ややかなアザリアの視線に、担当者は冷や汗を流した。
賞金稼ぎが馬を買うとバックマージンで窓口担当者は潤うようだ。
アザリアは馬には見向きもせず、無駄な時間をかけずに次の領都へ向かった。
いや、本来、馬に乗る方が遥かに時短になるのだけど。
馬の世話は苦手だ。
旅慣れてくると無駄な荷物が減る。
剣一本で身は守れる自信もついた。
今までロスした時間を取り戻すためにものんびり観光はできない。
領都と領都の間にも宿場町はある。
アザリアは敢えて宿場町の外で野宿した。経験から宿場町では奴隷商人などが暗躍していることを知っていた。
次の日も夕暮れ時に宿場町を通り過ぎ、アザリアは先を急いだ。
すれ違う旅人の中に嫌な気配を感じていた。
殺意ほどではないが、見られている。そんな感じだ。
白髪と紅い目はそれだけで人目を引く。
敵意も感じる。
日が沈んだのを合図に、前から歩いてきた剣士が剣を抜いて切りかかってきた。
後ろの商人も振り返りざまに剣を浴びせてきた。
二つの刃を交わすと数本の矢が飛んできた。
とっさに剣を抜いて応戦するが、夕闇の中、街道の灯でアザリアの姿は丸見えだ。
街道を外れて木を盾に矢を交わしつつ側道へと逃げ込んだ。
最初の二人以外にも迫ってくる足音がする。
7人?
アザリアは剣を握りなおし、襲撃者の気配から距離を取るためさらに側道を奥へと進んで足を滑らせる。
転ぶことはなかったが、妙な泥濘があった。
雨など降っていないのに地面が水を含んでいる。
どうやら沼地に追い込まれたらしい。
「その首、貰った!」
10本以上の矢が飛んできた。
アザリアは必死に剣で矢を打ち落とし、泥濘に足を取られバランスを崩す。次の瞬間、甲冑の男が切り込んできた。
なんとか体制を立て直し、剣を受け止めるがパワーが違った。
アザリアは泥の中に転がった。
「死ね」
太い剣はアザリアの上に振り下ろされた。
間一髪で泥の中を転がってかわし剣を振るうが、金属の鎧を纏う男には全く効果がなかった。
鎧相手には技がいる。
気が付けば周囲を取り囲まれていた。
「魔眼も大したことないな」
げらげら笑うと男は泥の中に膝をつくアザリアに猛攻を仕掛けた。
アザリアは、泥を掴むと兜をつけていない奴にぶつけて、甲冑男を避けて他の剣士に切りかかった。
泥濘の存在を把握してしまえば、そのように動けばいい。
身軽さこそがアザリアの武器だ。
接近戦なら矢は飛んでこない。
あっという間にアザリアは包囲を崩し、5人を切り捨てていた。
残り2人。
いや、矢を放った奴らもいる。
アザリアは体勢を整えて剣を構えた。
苛立つ甲冑男の背後でうめき声がして何人かが倒れる音がした。
「邪魔する奴がいる」
「ホフニ、ずらかるか?」
形勢不利。
二人は頷くなり、逃げだそうとした。
それを許すアザリアではない。
甲冑男の足元に這う木の蔦を引っ張り男の足を捉え、ひっくり返すと残りの一人の首をはねた。
間髪を入れず、バランスを崩した甲冑男の鎧と兜の隙間に剣を刺す。
即死だろう。
アザリアは肩で息をしながら、自分を助けてくれた人物を探す。
助けてくれたのか、賞金稼ぎか。賞金首か。
「また会ったね。今日は穴を掘っていないけど泥まみれだね」
明るい口調には聞き覚えがあった。
涙枯の森で会ったハシーディムだ。
アザリアは歩み寄る剣士の清々しい姿と自分の姿を見比べてため息をついた。
「ありがとう。また助けられた」
前は墓を掘るのを助けてくれた。
「宿場町の井戸が近くにある。今日は宿に泊まった方が良いね」
「ああ」
宿場町の宿は質が良くない。
きっとまたトラブルだ。
「この辺りは沼地が多いから街道に沿って歩いたほうがいいよ」
土地勘のない人間は不利ということだ。
アザリアは、ハシーディムが宿屋と宿泊交渉をしている間に宿屋の井戸で泥を洗い流し、
ハシーディムが借りた一室の窓から室内へと入り込んだ。
女性が一人で泊まって安全な宿は宿場町にはない。
ハシーディムが部屋を借り、アザリアが泊まればいいとの提案だ。
ハシーディムは別の場所で寝るというが、それも悪い気がするし、宿代は払いたい。
「俺、金持ちだから宿代はいらない。俺は強いから狙われない」
意味が分からない。
しかし、そう言った後、少し考えて真顔で悩み始めた。
「まてよ。イイ男過ぎるから宿場町の女たちに狙われそうだな」
…確かに美形だ。
アザリアは呆れてため息をついた。
「私はあなたを襲わない。そっちも魔眼の女に興味ないだろ」
結局、その部屋を二人で使うことにした。
酒とつまみを宿屋の厨房からハシーディムが持ってくると、彼の人懐っこい雰囲気にアザリアの警戒心も少しだけ和らいだ。
雑談も盛り上がる。
「え?テモテの王都を目指して旅しているのに、まだここなの?」
ハシーディムと前回会ってから、アザリアは一か所に3日と留まっていない。
それなのに、まだ王都は遠い。
「俺、アララテ通って、アルノン山脈越えて、テーマーンの港町に知人を訪ねてから戻ってきたのだけど」
往復しているハシーディムに追いつかれるというのは無言だ。
「もしかして、物凄く方向音痴?」
返す言葉もなかった。
「賞金を稼いでいただけだ」
苦し紛れに言い訳してみた。
笑われた。
「でも、魔眼のアザリアとは恐れ入ったね。君を狙う奴も多くなる」
「黒竜を倒すための修行みたいなものだ」
黒竜の名前で殺気立つアザリアの魔眼はより濃い赤みを帯びていた。
黒竜の事になると冷静さがなくなる。だから、ハシーディムの次の言葉に違和感を感じ取れなかった。
誰にでも仇の黒竜について尋ねてきたこともあり、ハシーディムにも当然聞いていると思いこんでいた。
実際は、ハシーディムの前で黒竜の名を出したのは今日が初めてだった。
それなのにハシーディムが全く驚かずに話をつづけたことに気づかなかった。
ハシーディムは言うのだ。
「黒竜の噂で思い出したことがある」
「何?」
「その剣」
ハシーディムはアザリアの剣の柄を指した。
アザリアの剣はハギオイに貰ったものだ。赤い龍の文様が柄に入っている。
刃にはアザリアの名前も刻まれている。
「その剣の文様の龍についての噂」
「なにそれ?」
アザリアは全く何のことか見当もつかない様子だ。
「黒竜は俺の知る限り、最強の使い手だ」
ハシーディムは強い口調でそう言ってから、赤い龍に視線をむけて伝えた。
「昔、噂で聞いた。黒竜が唯一、剣を取り落とした相手が赤い龍の剣を持っていたって」
「それって」
「赤い龍の剣の持ち主は女剣士で、凄まじい使い手だったそうだ」
同じ文様の剣をハギオイは敢えてくれた。
「そう。これと同じ文様。…つまり、この剣なら勝てる。黒竜を討てる。そういうことだな」
アザリアは拳を突き上げた。
「何としても黒竜を見つけて倒す!」
アザリアは力強く宣言した。
やはりハギオイは応援してくれている!
誓いを新たにするアザリアに対し、ハシーディムは頭をかいた。
言ってよかったのかな?
取り落としたとは言ったけど、黒竜が負けたとは言っていないよ。俺。
しかも、その剣と同じ文様というだけだ。剣としては別物だ。
アザリアの気迫の前にハシーディムは、細かい訂正を入れることができなかった。