表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/14

旅立ち

毎日、毎日、毎日

アザリアは剣で木の蔦を切っていた。

蔦はすぐに伸びてくる。

ハギオイが暮らす丸太小屋は、杖を作る場所でもある。

蔦はその材料だ。

小屋の中も外も蔦だらけだ。


何故か、剣士のハギオイが魔法使いのための杖を作っている。


アザリアには魔法使いとか剣士の知識が無さ過ぎて初めは疑問にも思わなかった。

町でいろいろな人と話をするようになると知識も増えてハギオイのやっていることがかなり変わっていることに気が付いた。

ハギオイは剣術の弟子となったアザリアに普通の読み書きに加え魔法書の文字も教えた。

「どうして、剣士が魔法を学ぶんだよ?」

一般的な疑問だ。

普通、魔法使いと剣士は別物だ。

「読めて困るものでもあるまい?」

剣士であっても魔法書の文字も読めた方が良いという。

アザリアは眉間にしわを寄せた。

「魔法も使えないのに?そもそもどうして杖を作ろうと思ったんだよ」


ハギオイは喉を鳴らすように笑って蔦を編みながら杖を作り上げていく。

「簡単なことじゃ。長生きするといろいろやってみたくなる。」


確かにハギオイは老人だ。

聞けば、本当かどうか知らないが100歳を超えているらしい。

本人もわからないとか。

平均寿命が50年と言われているのに信じられない。


「でも、魔法って才能だろ?」

「素質じゃな」

「じゃ、なんで剣士が杖を作れる?」

やってみたい。作ってみたいで作れるものなのか?

杖ってそういうものなのだろうか?

何故に剣士が杖を作る?作れる?疑問が頭の中でクルクル回る。


「わしの作る杖は、余分なものがないから魔力をうまく媒介するようだ」

「余分なものがない?」

「欲がない。そういえば分かるか?」

確かにハギオイの生活は無駄がなく質素だ。


「仇討ちする私には作れないな」

「そうじゃな。まぁお前さんは杖作りの弟子じゃあない」

「蔦ばっかり切っているけどね」


毎日木こりのように蔦ばかり切る生活が続いた。

永遠に復讐など果たせないと思っていた時、港町で難癖をつけてきたならず者と争いになり剣で切った。

そいつがお尋ね者の賞金首だった。

賞金が手に入った。

それをハギオイに見せると、意外にもハギオイは褒めてくれた。

「人を切れなくては黒竜を倒せないからね。賞金稼ぎを許すとしようか」


それからアザリアは盗賊だったトレスよりも血なまぐさく生きる道を選んだ。


賞金稼ぎ。

何も手に職のないアザリアにとって剣の腕を磨けて収入にもなる賞金稼ぎは一石二鳥だ。


ただ、ハギオイは、時々、賞金を稼ぐアザリアを複雑そうに眺めることがあった。

それでも、止めはしなかった。

傭兵黒竜に剣を向けて生き残る可能性はゼロ。

せめて一回でも剣を打ち合えればいい方だ。


あと1年修行しろと言われてから半年が過ぎていた。

冬が来るとハギオイは一気に体力が無くなり、杖を売りに遠くへ行けなくなった。

アザリアが貯め込まれた杖を代わりに売りに行くことにした。

領都を巡りながら傭兵の噂に耳を澄ませたが、黒竜の名を聞くことはなかった。


ある時、帰宅するとハギオイがぐったりと寝込んでいた。

慌てて駆け寄って薬草を煎じて飲ませたが効果はなかった。

「魔法とかで治らないのか」

杖を売っている先の魔法使いたちなら何かできるかもしれない。

しかし、ハギオイは静かに首を横に振った。

「この病は何をしても無駄だよ。」

「なんでだよ」

「老衰だからね」

「死ぬなよ」

「人はいつか死んで、また生まれ変わって戻ってくる。しばしの別れだよ」

「嘘だ。死んだら終わりだ」

「アザリア。しっかりと生きなさい。教えられることはすべて教えた」

「まだまだ聞きたいことがある」

ハギオイは大切な家族だった。

また家族を失うのは辛すぎる。

「アザリア、お前さんは強くなった。油断しなければきっと黒竜に辿り着く。そろそろ旅に出るといい」

「旅って…どこへ?」

黒竜の居場所は全く見当もつかない。

「黒竜を探すのではなかったのか?この国に留まっていても見つけられないだろうよ」

そうだ。

この国の中で黒竜の噂は聞かない。他の国で探すしかない。


ハギオイは、黒竜の名前で昔のように殺気立つアザリアに微笑みかけた。

信念があるなら本当に黒竜に巡り合えるかもしれない。

「わしからの願いを一つ聞いてくれないかね?」

「なんだよ」

別れの言葉なんて聞きたくなかった。

「必ず勝てると信じ続けると約束しておくれ」

傭兵黒竜の強さをハギオイは知っていた。

勝てると信じる心が無ければ、会った瞬間に切られるだろう。


「もちろん。必ず勝つ」

アザリアは剣の柄を鳴らした。

迷いはなかった。

そんなアザリアを見てハギオイは優しく微笑んでみせた。

「わしの剣はわしの墓の上に突き立ててくれ」

猫の爪の変わった文様の剣。

アザリアは墓と言われ涙が込み上げてきた。

ハギオイの遺言ならその通りにする。


「あと、旅の途中に常連客に杖を1本ずつ配ってくれないか?」

「願いを一つって言ったくせに」

何個目の願いだよ。

「まぁまぁ。配る杖はいつもの長いものではなくて短い杖だから」

「いいよ。配るから」

ハギオイはアザリアの紅い瞳をジッと見つめた。魔を含む紅だ。

真紅。血の色が住み着いた瞳だった。


「杖置き場の横の戸棚にプレゼントがある。旅立つ前に持っていくといい」


翌日、ハギオイは息を引き取った。

アザリアはハギオイを山頂の景色の良い場所に埋めると猫爪の剣を突き立てた。

旅の支度をしてハギオイの言っていた戸棚の前に立つ。

棚の横には長い杖が売れることなく積まれたままだが、ハギオイは売れとは言わなかった。

杖もハギオイとともに静かにこの地で眠るのだろう。

アザリアは深呼吸した。

この戸棚を今まで一度も開けたことがなかった。

ハギオイの領域に入らないようにしていたからだ。


ゆっくりと棚の戸を開ける。

そこには短い杖が5本と一振の剣が並べてあった。

剣を手に取って鞘から抜いてみる。

剣の刃にはアザリアという文字が刻まれていた。

柄の模様は紅い龍だった。

必ず黒竜を討て。そういうことだと思った。

だから、すぐにその剣を帯びた。


アザリアの所持金は、十分とは言えないが、賞金稼ぎの仕事をこなせばなんとかなるだろう。

船に乗るほど金はない。それに船旅は女に不利だ。危険度が高い。

馬の世話は苦手だ。だから馬も買わない。

地図は広範囲の国々の情報が入ったものを購入した。

短い杖は5本とも背中に背負う荷物に入れた。

男のふりをするため衣類は地味な色の男物にして、フード付きのマントを羽織り、フードを深く被ることで瞳を隠した。


丸太小屋を出ると扉に手を掛けたまま暗い部屋の中を見つめハギオイとの生活を思い出す。

小柄で人の好い笑顔の老人。

ヨボヨボなのに剣を持つと信じられないくらい敏捷に動く。


アザリアは、意を決するとしっかりと扉を閉めた。

主人を失った小屋は半年経たずに蔦が覆い隠すだろう。


最後にハギオイの墓の前に花を手向けて山越えして北を目指した。

テーマーン国内は杖を売って回ったので土地勘がある。

常連客の魔法使いに1本1本杖を配る。

皆、ハギオイの死を悼んでくれた。

最後の魔法使いは、最初に出会った魔法使いだった。

「老ハギオイが逝ったか。これからどうするのか?」

「人を探している。傭兵黒竜。噂を知らないか?」

アザリアは他でも同じ質問をしたが、得られる情報はなかった。

「黒竜か。彼の事は知らないが、北の方角で大きな戦が始まるかもしれないな」

「戦?」

「傭兵なら戦場に現れるのではないかな?」

「ありがとうございます。」

北。

漠然とではあるが、目標ができた。

「それと、その瞳は、隠さない方が良いかもしれない」

「えっと。魔法使い以外には嫌われるけど」

「それこそが狙いだ。女の一人旅は、顔を隠しても隠さなくても危険なものだ。だったら武器にもなるその瞳を見せつけるほうがいい」

「武器に?」

「そうとも。その迫力は敵を威圧できるだろうからね」

妙な説得力があるが、半信半疑でアザリアは頷いた。

「そうそう、選別に持っていきなさい」

渡されたのは金貨5枚だった。

「遠慮はいらない。魔法使いは紅い瞳(あかいめ)が大好きだからね」

にこやかに笑う魔法使いに礼を言ってアザリアはテーマーンを後にした。


魔法使いは、アザリアの姿が見えなくなると北の空を見つめながらつぶやいた。

「暗雲が広がらねば良いが…。」


アザリアは魔法使いが魔法を使ったところなど見たことがない。

だが、金持ちそうなので、きっとすごいことができるのだろう。

金貨5枚は有難かった。

そんな魔法使いの言った言葉。

 瞳を隠さない方が良い…

そう言われても、すぐにフードを取る勇気はなかった。



アルノンの山を越える時、トレス達と過ごした思い出の渓谷に入り、死者に改めて復讐を誓って柄を鳴らした。

テーマーンの次の国をどこにするべきか、地図で北を見つめた。

北には大きな国がいくつもある。

そのどこかにきっと黒竜はいる。


渓谷から北山の麓に下り、小さな国の小さな宿場町に入った。

地図にはアララテという国名が記されていたが、テーマーンに比べて1/10の大きさだった

宿場町は小さいが賑やかだ。

とりあえず宿に泊まることにした。

宿の隣には酒場を兼ねる食堂があった。


酒場で食事をしているといろいろな税金の話を聞くことができた。

アララテの西側の国は入都税が高く避けた方がいいらしい。

フードを深く被りながら隅っこで食べるアザリアを気に掛ける人間はいなかった。

東の大国テモテでは賞金稼ぎ制度があることも耳にした。

いくつかの国が連携してその制度を使って犯罪者を取り締まっているらしい。

これは良いことを聞けた。


翌日、アララテの王都に入ってみた。

そびえる塀に囲まれた都だ。入るのは銀貨1枚で簡単に入れてくれた。

テーマーンと違ってアララテには領都がなかった。

小さいので土地を管理するものが少なくてすむようだ。

周囲の宿場町や農地はどうやって管理しているのか。

アザリアには関係のないことなので確かめる気もなかった。


都に入り、行きかう人々を観察していると、騎士を何人も見かけた。

鎧は同じようなデザインだが、よく見ていると騎士の紋章は3種類ある。

3種類。

鳥・花・星

どれも質が悪い騎士団らしく、紋章ごとに争っているふしがある。

すれ違う度に睨みあい罵りあっている。

テーマーンの騎士たちは毅然としていて、アザリアから見て恰好良かった。

ここの騎士はお尋ね者のような気配さえする。


「邪魔だ!」

突然、後ろから怒鳴られ、アザリアは慌てて飛びのいた。

振り返ると鳥の紋章を付けた大柄な騎士が睨んでいた。

その後ろには同じ紋章の騎士が二人興味なさげに立っている。

絡まれたかな。

アザリアは無視して横の店に入ろうとしたが、肩を掴まれた。

振り払うといきなり剣を突き付けてきた。

「旅人か。金を置いてさっさと国から出ていけ」

港町のゴロツキのようなことを言われ、アザリアはつい柄に手を掛けた。

「おい、こいつ、俺とやるつもりか?」

面白そうだと大柄な騎士は躊躇せず剣で切り付けてきた。

アザリアは剣を抜き切れず、それでも何とか刃を受け止めた。

そして、尻餅をついた。

当然、笑われた。

「間抜けめ!」

「おい、そいつ、化け物だぞ」

尻餅をついた時にフードが後ろに下がり、白髪と紅い瞳が露になり、他の騎士が叫び剣を抜いた。

アザリアは舌打ちしながら、素早く立ち上がってしっかりと剣を抜いた。


「ぶった切れ!」

3つの剣が切りかかってきた。

アザリアは賞金稼ぎをしてきた。だから大男にも負けない。そう思ってきたが、騎士だけあって基礎から訓練された強さがあった。

一撃はかわせたが、避けた場所が悪く、店の敷居につまずいた。

迫ってくる剣を前に覚悟した瞬間、誰かがアザリアを後ろに引っ張り、振り下ろされた剣を打ち返していた。

勢いよくアザリアはまた尻餅をついた。

目を瞬くと、店の中から飛び出した剣士が3人の騎士を翻弄し、地面に打ち付けていた。

「3流騎士が!さっさと出直せ。ごろつき野郎!」

怒鳴る声は女性だった。

「覚えてろ!」

悪党のような捨て台詞で騎士たちは去っていった。

アザリアは目の前の女剣士を茫然と見上げていた。

あんな騎士をあっさり倒した。

凄い。

「大丈夫?簡単に剣を抜いちゃだめよ。すぐ喧嘩になるから。勝てない喧嘩はしないこと」

振り返った女剣士はにっこりと笑った。

明るい栗毛色の髪と緑色の瞳の背の高い女性だ。

彼女は剣を鞘に納めると店内の席にアザリアを誘って料理を示した。

「ランチの途中なの。付き合わない?おごるわ」

「えっと。あの、ありがとうございます」

まずはお礼だ。

でも、この眼はいいのかな?

「怖くないのか?この眼だし」

「そんなの気にしないことよ。魔物はもっとヤバいって」

魔物。

そんなものにアザリアは会ったことがない。

この女剣士は会ったことがあるのか?

「魔物を見たことあるのか?」

「ないわよ。そもそも存在するとも思ってないわ」

あっけらかんと言ってのけた。

料理をアザリアに勧めながら、彼女は自分の職業を明かした。

「私は賞金稼ぎなの。追っている賞金首がこの国に入ったから姿を見せるのを待っているってわけ」

「賞金稼ぎ?」

「あら、興味あり?」

「僕も賞金稼ぎだ」

「あなた、女の子よね?」

「…です。」

何と答えたものか。

「まぁ何でもいいけど。女は不利だけど、女と油断する奴が多いから、どっちが賞金首を取りやすいかよく考えた方が良いわね。私なら女をアピールする」

現にアピールしている。

女剣士のスタイルはどう見ても見事なほど女性をアピールしていた。

痩せすぎているアザリアとは雲泥の差だ。

「危険だと思う」

「危険よ。命の駆け引きだから。殺るか殺られるか。そのスリルを楽しんでいるだけ」

少しアザリアは違うと思った。

アザリアはあくまでも仇討ちが目的だ。スリルじゃない。

黒竜に立ち向かうために、生きるために賞金稼ぎをしているだけだ。


その夜、何故か女剣士はアザリアを誘って宿屋が並ぶ街道とは別の裏道に入った。

「ちょっと、そこに立っていて」

そういうと彼女は身を隠した。

ただ立っているアザリアの方へ一人の男が近づいてきた。

「金を用意してくれたのはお前か?」

男はそう口にした瞬間、殺気を感じて振り返った。

一瞬の出来事だった。女剣士は、鮮やかに男を討ち取っていた。

「こいつが私の獲物。協力に感謝」

どうやらエサを巻いておびき寄せていたらしい。

血しぶきが掛からなくてよかった。

アザリアの感想はそれだけだ。


「首を切り取らないのか?」

アザリアは賞金首を窓口に運んで賞金をもらっていたが、女剣士は小さな丸い石を翳すだけで首を落とさなかった。

「今時、首?ないない」

笑って手を振ると石が少し光った気がした。

「この石は、記録石。こいつに賞金を懸けたのは大国テモテの東の領主。この記録石を持っていけば賞金をくれるわ。この石は100件迄記録可能。便利な魔法グッズよね」

知らなかった。

アザリアは、魔法を始めてみた。

魔法グッズ?そんなものは杖だけだと思っていた。

それもハギオイが蔦で編む杖しか知らない。

「ねぇどこの田舎から来たの?」

呆れた様子の女剣士に、アザリアはむっとした。

「テーマーン」

「そりゃ田舎だわ」

「田舎じゃない。ここよりよっぽどでっかい国だ」

「大きさはね。でも、アルノンの南はド田舎って決まっているから」

なんだよ、それ。

アルノンの山脈で文明は終わるという感覚があるとのことだった。

「まぁいいわ。これあげる」

別の石をアザリアに投げてきた。

石はアザリアの手の中で薄曇りの空のような色になり一瞬紅く煌めいた。

「使い方は簡単。賞金首に向けてから“記録”っていうだけ」

「さっきそんなこと言ってないよ?」

「あら、バレた?翳せば勝手に読み取ってくれるみたいよ」

割と適当なことを言う人のようだ。

アザリアはため息をついた。

それでも、こんな便利な石は大助かりだ。

「じゃ、あなたは私のライバルちゃんだからここでお別れね。頑張ってね」

女剣士は、結局名前も名乗らず、去っていった。



アザリアはハギオイから教えられた知識や港町で耳にした情報だけでは足りないことを自覚した。

世界は広い。

そして、強者が多い。

これでは黒竜に勝てない。

魔法グッズというものがあるなら、それを使って黒竜に勝つ方法もあるかもしれない。

手段は選ばない。

必ず黒竜を討つ。


アララテの都では傭兵の噂一つ聞かないうえに、騎士団がトラブルを巻いて歩くので落ち着かない。

アザリアは3日目には次の国を目指していた。


地図を見て北を目指す道を探すが、アララテの北は森だった。

涙枯の森。

巨大な森でアララテの国土の3倍はある。

何処の国にも属していない。

この森の名前は、知っている。

トレスがアザリアを拾った森だ。

そして、トレスが覇王門に出会った森。

「案外、近くにあったんだ」

もっと遥か遠いところにあると思っていた。


自分につながる何かがある森。

その森の入口の前に立っていた。

ここに来るまでにアララテの都から10日が過ぎていた。

アザリアは大きく深呼吸してから森へと入った。

木々が鬱蒼と生い茂る森は昼間なのに薄暗かった。

トレスは山頂に門が現れたと言っていた。

森のどこに山頂があるのか、アザリアの地図ではわからなかったし、興味もなかった。

探しているのは門ではなく、黒竜だけだ。


森を北へと進む中、血の匂いと獣の唸るような声が聞こえてきた。

獣が獲物を取り合うように威嚇しあっているのかもしれない。

アザリアは用心して剣を抜きながら気配を辿った。

襲われたらたまらない。

ふいに横から黒い獣がとびかかってきた。

冷静にアザリアはその獣を切り捨てた。

獣なら慣れている。

トレスも渓谷でよく倒していた。

黒い獣は猫の巨大版のような姿かたちをしていた。

別の気配がした。

目の前に2頭いた。

両方とも口が血まみれで、どうやらお食事中だったようだ。

その獣と距離を取りながら獣の周囲も視界に入れる。

獣の後ろの木の根元には人のものと思われる肉片が散っていた。

食われたのか。

この獣にとって人間は獲物ということだ。


アザリアは剣を構えなおし、修行の成果と言わんばかりに襲い掛かってくる2頭の獣を打ち取った。

鎧兜をつけている騎士より、アザリアにとっては楽な相手だ。

そのまま、立ち去ろうとして、別の木の根元にも人が死んでいるのが目に入った。

その死体は木に縛り付けられていた。

アザリアは息を飲み、よろめくように歩み寄った。

遺体は何も衣類を身に着けていない。

腹の臓腑は食いちぎられているが、それ以前に切り刻まれていたのだろう。

その顔は、あの女剣士だった。

賞金稼ぎの、記録石をくれた女剣士だ。

嘘。

あんなに強い女剣士が、木に縛られ、衣類をはぎ取られて死んでいる。

何があったのか、想像は簡単だ。

女は、一人旅に向かない。

アザリアはこぶしを握り締めた。

明日は自分が同じように死ぬかもしれない。


気が付くとアザリアは穴を掘り始めていた。

このままでは女剣士はまた獣たちに食われるだけだ。

これ以上、彼女が辱めを受けるのは我慢ならない。


「埋めたいのか?」

必死に穴を掘るアザリアの上から声がした。

掘ることに夢中で全く気付かなかった。

アザリアは驚いて頭を上げた。

目の前には旅装束の栗毛の剣士が立っていた。


「あ、邪魔するつもりはない。警戒も必要ない」

剣士はにこやかにそう言って髪をかき上げた。

妙に優しい茶色の目をしていて、涼しげにアザリアを見下ろしていた。

アザリアは、目の前の男が邪魔をしないという言葉を信じた。

信じるしかない。

決して大男ではないが、隙のない動きが強さを示していた。

アザリアでは勝てないことは見てすぐわかった。

「手伝ってやる」

「大丈夫」

「何人も埋めるのは大変だろう?」

「埋めるのは彼女だけだ」

「知り合いか?」

「命を助けてくれて、昼食をご馳走してくれた」

記録石ももらったけど。

剣士は頷くと、穴を掘るのを手伝い、木に縛られた女剣士の遺体を運び土の中に下してくれた。

土をかけて墓と分かるように落ちていた剣を突き立てるとアザリアは黙とうした。


「墓のそばの木に名前を刻むか?この剣士の名前は?」

「知らない。名乗らなかった」

「名も知らない奴のために墓を掘ったのか?」

旅を始めて、初めて一緒に昼食を食べた人が死んだ。

あんなに強かったのに。

自信にあふれていたのに。


黙って墓を見つめるアザリアに、剣士は肩をすくませた。

「仇討ちは考える必要ないと思うぞ」

「誰が殺ったか分からない」

「なるほど。だが、まぁご本人がかなり道連れにしている。無傷な奴はいないと思うね」

それが何の慰めになるのか、アザリアは首を振った。

「埋めてくれてありがとう」

それ以外に言葉も見つからない。


剣士は肩をすくませてから、木の根元にかがむと丸い石を拾いアザリアに差し出した。

女剣士の記録石だ。

「賞金稼ぎだったようだな。これは、墓の建設費用ということで貰っとけ」

「でも…。」

「死人には賞金は受け取れない。路銀は多い方が良い」

「あんたはいらないのか?」

「俺はこう見えても金持ちだ。」

微笑む剣士がかなりの美形だと気がついた。身なりもいい。

もしかして、貴族というやつだろうか。


「俺の名前はハシーディム。俺の死体を発見したら墓に名前を刻んでくれ」

「あんたは死なないと思う。私は…アザリアだ」

名乗るべきか迷いながらもアザリアはまぶしいくらいの笑顔の剣士に名前を告げた。

「アザリア。いい名前だ。じゃあな。旅をするなら東に行った方がいい。これより北に行くと紛争に巻き込まれる。小国が多いから治安が悪い。気を付けて!」

一気に喋るとハシーディムは手を振ってアララテの方角へと去っていった。


アザリアは手についた土を払いながら、ふと自分がフードを被っていなかったことに気が付いた。

「この眼を見ても驚かなかった??」

ハシーディムは、白髪にも紅い瞳にも無反応だった。

そんな人間もいるということは、どこかの国には同じような人間がいるのかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ