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テモテ ― リノスの憂鬱

満月の夜は、用心せよ。


宮廷魔導士長リノスの通達はテモテの各領地に伝わっていた。

魔物の噂もその対処法もここ何年かで兵士たちの中に浸透していた。

だから、油断はしていなかった。危険な何かが起こるだろうことは覚悟していた。

それでも、北の国境を護る者達は地鳴りとともに遠くバアル・ゼポンの空に天をも焦がす焔が拡がる様に震え上がった。


外壁の上に立つ国境兵は、生唾を飲んだ。

バアル・ゼポンとテモテの間にはいくつもの小国が存在している。隣接していないことを今日ほど安堵したことは無い。

北の空を切り裂く凄まじい稲光に遅れて、爆音も聞こえてくる

「奴ら、自国も滅ぼすつもりか?」

「世界が滅びても自分たちだけは生き残れると思っているのだろう」

「狂ってる」

「神が死ねと言えば死ぬ奴らだ。狂っているに決まっている」

「死ねとかいう神は、おかしいだろう。幸せになるために祈るんじゃないのか?」

「神に傅くための「命」らしいぞ」

「馬鹿馬鹿しい。神などいるものか」

何が起きているのか不安が拡がる中、一人が川面を指さして叫んだ。

「おい、ヤバいぞ。見ろ!」

北の国境近くを流れる小川の水面に赤い双の光がチラつき、水面が黒く盛り上がり始めていた。

「なんだよ、あれ…」

「魔物だ…」


バアル・ゼポン国内での淘汰の余波がテモテにも迫っていた。北の大国と東の大国。その間には馬で何日もかかる距離がある。だからこそ、今まで直接、戦争にならなかった。

北の小国がどれだけ戦争していようとも他人事だった。

それが今、川を遡って厄介な禍が迫ってきていた。

『対岸の火事』と笑っている余裕は全くなかった。


テモテ最北の領都では国境の砦外壁に張り巡らせた結界を最高レベルに強化しているからこの外壁を魔物がいきなり突き破ることは無い。

だからといって出現した魔物をほっておくことなどできない。

川は外壁の外を流れている。

どう対処すべきか。

「領主殿に報告!」

「対魔物魔法陣の発動許可を取れ!」


満月の夜

テモテの王城でリノスは溜息を吐いていた。


川への警戒を命じたが、不安は消えない。

遠見の鏡にダベルネ周辺の魔物の状況を映していたが、魔力を切ると、鏡に自分の姿が映った。年相応の老婆の顔だ。いつもより皺が深い。疲労の色も浮かんでいる。銀髪にも艶が無い。

この日が来ることは分かっていた。

ルキオは命を懸けて危機を伝えてくれた。それに対して自分は結界強化という手段しか取れなかった。

当初、なんとかしてバアル・ゼポンの王都へ潜り込み、魔王復活を止めるべく大神殿攻略の糸口を探せないかと考えたが、王都へ潜入しようと試みた者達は一人として還ってこない。

優れた魔導士達を死地に追いやってしまったのだ。

王都を諦め、バアル・ゼポンの幾つかの領都へ密偵を放っていたが、結局、今日という日が来てしまった。


それに、

リベルデンの訪問があった時から、リノスはどう国を守るかを考え、バアル・ゼポンで情報収集活動をしていた魔導士達に撤退を通達していた。

国防上、撤退という判断には反対意見が出ることが目に見えていた為、独断で行い、3名以外は無事に戻ってきた。

かつて、無理をさせたルキオは救えなかった。その時の後悔がリノスにこの決断をさせていた。


3名。まだ帰還していない。

ダーロームへ入った3人には通達が届かなかったのだ。

バアル・ゼポンの結界がダーロームでは早い段階で強化され、神殿周辺へ潜入した者たちへの通信手段がなくなったためだ。無理はするなと伝えているが、捕虜となった場合、救出手段が無いことも承知の上で任務に就いている者達だ。相当の覚悟をしているため、逆にそう簡単には撤退しないだろう。


リノスは何度目かの溜息を吐いた。


世界はどうなるのか。

予言は苦手だ。

大祭司アベンに、テモテの予言は通じない。アベンが一流の魔導士であるためか、神の力か、バアル・ゼポンの預言力は常にテモテの上を行く。



一通りの指示を出した後、リノスは王に呼び出され、玉座の間へ向かった。

テモテの王は、強国の王だけあって権力がある。王の周囲には賢者も多いが、王は絶対の存在だ。

宮廷魔導士長といえども、王に逆らうことは許されない。優秀な魔導士も権力争いに巻き込まれて命を落とすことがある。テモテは安定した大国であるが、権力闘争が無いわけではない。


リノスは玉座の間が嫌いだった。

一大事に王の周囲に集い対策会議をするのなら意味はある。

だが、玉座の間は会議には向いていない。権力の誇示だけだ。

そもそも、陛下は、攻撃は得意でも防衛は苦手な御方だ。口論にならないように気を付けなくてはいけない分、気疲れする。


玉座の間

王は、リノスが入ってくるなり怒鳴り声を浴びせた。

「密偵を呼び戻していたとはどういうことだ!」

リノスがバアル・ゼポンへ潜入させた魔導士を独断で国に戻したことが王にバレた。

案の定、王は反対だ。

リノスは無表情で玉座に歩み寄ると恭しく一礼した。

王は怒鳴られても動じないリノスに対し、さらに声を荒げた。

「情報は最大の武器だ。バアル・ゼポンへ潜っている者を有効に使う時ではないか!何故、勝手に戻したのだ」

リノスは感情を押し殺して、冷静さを保ちつつ、王を窘めるように回答した。

「リスクが高すぎます。優秀な者達ですよ。無駄死にはさせられません」

「馬鹿者!テモテの魔導士は優れている!バアル・ゼポンに後れを取ることなど無い!」


王は50歳を超えたが、まだまだ若さを残し豊かな金髪と鮮やかな碧眼を輝かせてリノスに向き合っていた。

まるで今の状況に喜んでいるようにも見える。戦好きなところがあるのは昔からだ。


テモテの王族も覇者の存在を知っている。

王の血筋には覇王の血が流れているという言い伝えもあるほどだ。真実かどうかなど関係ない。言い伝えがあることが重要なのだ。

「よいか、リノス。魔王の目覚めに、覇者たちは必ず活躍してくれるだろう。覇王が目覚めるかもしれぬ。そうなれば、バアル・ゼポンの敗北は分かり切っている。国力が衰えたバアル・ゼポンを一気に滅ぼすことが出来る千載一遇のチャンスなのだ。北に潜入した者達が、そのチャンスを確実なものにするだろう」

「陛下、覇者は国同士の争いには関与しません。魔王を倒すのみです。魔物のすべてを討伐してくれると考えるのは早計です」

冷ややかな宮廷魔導士長の声にも王はめげない。

逆に子どものようにはしゃいでいた。

「そなたは覇者に会ったのだろう?彼らは我らの味方だ。北の大地を叩く最大のチャンスだ!いいか?バアル・ゼポンさえ滅びれば、この大陸は我らテモテのものと言っても過言ではない。他の国々など属国となるであろう。魔王の復活は我らにとっても吉報なのだ」


陛下は権力というものに酔っている。先代の王は穏健派で賢明な方だったが、現王は権力闘争を勝ち抜いた急進派だ。おまけに政を簡単に考えすぎる傾向にある。

基本、力で解決という王だ。周囲が優秀だから何とかなっている。


目の前でリノスが溜息を吐いているというのに王は両手を広げて叫んだ。

「喜べ!リノス!我は王の中の王となるぞ!」

呆れてものが言えない。

リノスは王の側近たちを見た。彼らは無言で静かに首を横に振っていた。彼らも困っているのだ。

リノスは諦めるように王に一礼して自らの白い部屋へ戻ってきた。

まったく。

あの王は権力欲の塊だ。

バアル・ゼポンとの長年の確執で王族はバアル・ゼポンを倒した王こそが「賢王」と呼ばれると思っているのだ。

愚かしい。


リノスはうんざりしていた。

王族はかつて覇王の血を引いていた()()しれない。しかし、今の王たちにその片鱗はない。一滴たりとも流れていないに違いない。


覇王は前線を掛ける勇ましさを持っていた。

強さを求め、常に挑戦し続けるため研鑽も積んでいた。

そして、弱い者を守っていたという。

部下だけを危険な地に残すようなことはしなかったに違いない。

しかも、一番強い魔王を別の者に倒させるなど絶対にあり得ない。

テモテの王族にはそもそも覇王どころか覇者の血も流れていないだろう。


とはいえ、バアル・ゼポンを倒したいという王の気持ちも分かる。バアル・ゼポンは油断ならない国だ。滅びてくれるなら、皆、大喜びだ。


リノスが白い空間で苛立ちを鎮めていると、王の騎手のルシヤが入ってきた。

「リノス様、私を北の国境へ送ってくださいますか?」

王の騎手の中でフットワークのよいルシヤは、王よりも国に危機が迫っていることを分かっているようだ。

大量の魔物が湧くとなったら、異国に攻め込む余裕はない。守りに徹する以外ない状況だ。


「魔導士でもないのに国境へ?」

勇ましいが無謀な申し出に対しリノスが問い返すと、ルシヤは余裕があるのか笑みを浮かべた。

「結界の外に幾つかの村が点在しています。結界強化のために、逆に砦に逃げ込めない村人がいるでしょう。私が結界を超えられない者達を助けに行きます」

北の国境は砦の外壁に結界を多重に張っている。砦の外までは守れていない。

砦に入る唯一の門は、領都の裏門と呼ばれ森の中にある隠し門のみだ。そこが領民保護地点となっている。しかし、そこまで自力到達出来ない者も多いに違いない。

逃げ遅れた民を見捨てるわけにはいかない。

魔物の存在を初めて見る者は恐怖のあまり動けず逃げ遅れるだろう。

民どころか、魔物相手では兵士も危険だ。


「ルシヤ。裏門を開けるということは魔物の侵入も許してしまう可能性があるのですよ」

裏門を開けては結界の意味が無い。

魔物には多様な種類がいる。僅かな侵入が命取りになりかねない。

「それは分かります。ですが、一人でも多く助けることが私の使命です」

「陛下の許可は?」

「陛下は、魔物を恐れておりません。倒してこいとおっしゃいました。ついでにバアル・ゼポンへ軍隊を率いてはどうだとも。まぁそれについては、軍師殿に反対されてしょげていましたけど」

リノスは首を振って溜息を吐いた。

「…陛下は分かっていない。淘汰が起きてしまえば、バアル・ゼポンを攻めることなどできないというのに。魔王の復活により、魔物が溢れ、全地が疲弊する。覇者が何人いようと異国を攻めている余裕などないでしょう。自国を守ることで精一杯になるというのに」

珍しいリノス様の愚痴にルシヤはにこやかに言葉を返した。

「そもそも、バアル・ゼポンを陥落する手段などテモテにはないですよね。あの国は、神の国です。欲深な者は()()()()を買うそうです。欲深という点では我が国の商人は、きっとどの国より優れていますよ」

悪気もなく笑い声をあげるルシヤに対し、その場にいたリノス以外の者達は苦笑した。

テモテの国力を支えるのは、全地へ商魂たくましく旅する商人たちだ。扱う商品は無数にある。あらゆるものを儲けに繋げるのがテモテの商人だ。


神の怒り?リノスは眉を顰めた。

欲深な商人の話よりもリノスには「神の怒り」の方が耳に残った。

リノスはバアル・ゼポンの神を信じたことは一度もない。

「そなた、信徒のようなことを言うのですね」

冷ややかなリノスの反応にルシヤは怒られたのかと肩を竦めた。

「すみません。ルツおばさんは「バアル・ゼポンに神はいるかもしれない」っていうのが口癖だったんです。まぁ誰も本気で聞いてはいませんでしたけど」

「ルツが?」

ルツは、ルキオとは真逆の魔法を得意とする魔導士だった。宮廷魔導士のレベルにはいなかったが、回復魔法は良い腕だった。

「ルツはバアル・ゼポンについて、他に何か言っていましたか?」

ルシヤは問われると少し天井へ視線を向けて考えた。思考を巡らせると不思議に感じたルツの言葉を思い出した。

「昔、ルツおばさんに言われたことがあります。バアル・ゼポンの王都は普通の空間ではないかもしれないって」

聞いた時は、あまり気に留めず聞き流してしまったが、今思うと魔王の気配だったのかもしれない。

剣士の家系で育ったルツはおてんばで旅を好む少女だった。家族旅行は異国で武者修行という家系だから当然のようにバアル・ゼポンへも旅している。この一族が代々王の騎手を排出するほど優秀なのはそうした気質が受け継がれているからだろう。王族よりもよほど覇者らしい気質だ。その時の旅でルツは信徒ではないから王都には入ることはできなかったものの王都の壁に違和感があったという。

「兎に角、陛下の許可もいただいたので、私を北の国境へ送ってください!」


ルシヤが救援へ向かおうとしているところに、別の騎士が入ってきた。白髪の老騎士だ。

「お久しぶりですな、リノス様。わしを北の国境へ送ってくれんか?若い者より魔物には詳しいからな」

入ってくるなり老騎士は勢い込んでリノスにそう言ってから一礼した。その態度にリノスは呆れながら首を傾げた。

「シルワノ。そなた、引退したではないか」

「世界の一大事に引退は関係ないじゃろ」

ニヤリと笑う老騎士に、リノスも笑みをこぼした。シルワノの笑顔は老人らしく皺が深く刻まれていた。それと同時に歴戦の騎士の勇壮さが窺えた。元王の騎手で多くの功績を上げた人物だ。

彼の登場にルシヤは嬉しそうに剣の柄を鳴らした。

「大先輩と一緒に戦えるのは光栄です!」

「何だ。そなたも北に行くつもりか?」

「もちろんです。行動あってこその王の騎手ですよ」

「よく言った!気を抜くなよ!」

「はい」

二人とも出陣する気満々だ。


テモテには宮廷魔導士による転移魔法陣が設置されていた。国境領土の各地にあり、国境線を護るための措置として厳重に管理され、有事に発動が許可された。王族を逃がす手段でもあるため、存在を知る者も限られるが、王の騎手は当然、全員が知っていた。

リノスはこの二人なら敵を防ぎつつ民を守ることが出来るだろうと転移魔法陣の使用許可を出した。

戦いは始まっているのだ。

国を守るためにあらゆることをしよう。

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