王都の隠れ家で
「遅いなぁ。だいたい、リベルデンが淘汰に間に合うとは思えない。どうやって王都に入るんだ?」
酒を飲みながら呟くハシーディムにラハブは鼻を鳴らした。
「リベルデンがどうして<亡霊の狩人>と呼ばれるのか知らないのか?あいつに通り抜けられない壁はない」
そんな会話をしていると、扉とは思えない壁の一角がいきなり開いて、髪もマントも乱れたハーリールが飛び込んできた。血まみれ泥まみれで、ずぶ濡れ。ひどい状態だった。
ハーリールは息を切らしていた。
瞳を見開いて、室内をゆっくりと見回しながら、息を整えるように何度も肩を上下させた。そして、落ち着くように最後に大きく深呼吸して声量を貯め込むと一気に吐き出した。
「ちょっと!何であんたたち酒盛りしているのよ!こっちが大変な目に合ったって時に!」
室内は芳醇なワインの香りで満ちていた。ハーリールは目を疑った。
信じられない。
そこに居る覇者たちは酒杯を片手に寛いでいる。
隠れ家は、古い国には必ず準備されている。しかし、酒など置かれていなかったはずだ。
しかも、王都へ入るには淘汰をくぐり抜けなければならない。そして、決戦は迫っているはず。それが、それなのに、呑気に飲んだくれている!!
激怒するハーリールに対し、ラハブが小首を傾げた。
「大変?ただの淘汰だろう?」
ただの淘汰?
感覚おかしいんじゃないの?
ハーリールはラハブを睨みつけた。
「あんな凄まじい呪い、この世に存在するなんて聞いたこともないわよ!」
怒鳴り返すハーリールに対し、サーハラはポロンっと弦を鳴らして窓を見た。
「そんなに声張り上げると音が外に漏れるかもしれないよ」
「ご心配なく!防音強化しました!」
入った瞬間、ハーリールは危険を感じて結界を張っていた。それくらい、室内がダレ切っていた。逆にハーリールの方は淘汰から気を張り詰め通していた。
ご機嫌な斜めな彼女にハシーディムがニコニコとワインの入った杯を渡した。
「まぁ落ち着いて。こっちは呪いじゃなくて普通に魔物だったけど?」
「アベンが気を利かせて魔龍を出してくれたくらいだ」
ラハブが自慢げに語るとアクロンとバルクは顔を見合わせた。魔龍。伝説でしか知らないが魔物の中でも最強の部類だったのでは?それを、出してくれたと喜ぶラハブはやはり格が違いすぎる。
ムッとしながらもハーリールはワインを一口飲んで心を落ち着けた。ラハブに何を言っても無駄だ。
次に、ハーリールは静かに立っているカーファルを睨みつけた。
「罰当たりの傭兵黒竜!覇者が仇討ちするのは御法度のはずよ!どうして、トレスを討ったのよ!あなたを狙って呪いが動くわよ!」
カーファルは眉を顰めた。どうして自分が呪いの標的と断言されるのか。
「仇討ちをしたつもりはない。依頼を受けただけだ」
まぁ多少は私情が入ってトレスに復讐だと言ってしまったが。
「呪詛の対象はあんたよ!」
怒鳴られてもカーファルは全く動じることなく興味も示さなかった。この世で傭兵などをしていれば狙われることなど今更だ。
「わかった」
カーファルの感情のない声は毎度のことで、ハーリールは歯ぎしりしたい気分だった。動じていないのは呪いの質を分かっていないからだ。あんなものが相手では流石のカーファルでも命はない。
アクロンは二人の会話よりもハーリールが一人で入ってきたことが気になり問いかけた。
「アザリアは?彼女は無事なのでしょうか?」
魔眼のアザリア…。
ハーリールは舌打ちした。
「彼女、とんでもない爆弾を抱えていたわ」
「まさか、死…?」
「生きているわよ。彼女こそ最悪の多重呪詛を運ぶ器だったのよ!多分だけど、アベンに取り込まれた」
アクロンもハシーディムも絶句した。
「アザリアって誰だよ」
アザリアと面識のないラハブが話について行けずに首を捻っていた。カーファルにとっても知らない名前だ。
魔眼のアザリアはそれなりに賞金稼ぎとしては有名だったが、トレスの残党としてのアザリアを知る者は限られている。
「えっと、どこから説明すべき?」
「最初からお願いします」
サーハラはそう言って、ハーリールの酒杯に酒を注ぎ足した。つまみももちろん差し出した。是非とも落ち着いて説明してほしい。
ハーリールは皆の顔を見回した。
「アザリアと面識があるのは私とハシーディムとアクロン、それにいないけどリベルデンかしら?彼女は魔眼のアザリア。賞金稼ぎよ」
「いや、そこからじゃなくて、アザリアはトレスの娘で傭兵黒竜を仇として狙っているってとこからじゃないかな?」
ハシーディムが慌てて突っ込むと、アクロンも自分の持つ情報を口にした。
「あ、それと、アザリアはトレスの実の娘じゃなくて、トレスが<涙枯の森>で拾った赤子で魔眼を持っている」
「でも、白い髪で紅い眼で肌が小麦色って違和感だらけ。全部白なら種としてありだけど、白髪も魔眼も後付けだと思う。おまけに老ハギオイが彼女に剣を教えていたらしい。ハギオイの死後、魔眼のアザリアとして賞金稼ぎをしながらトレスの仇の黒竜を追っている」
知っている情報を皆が次々と口にするので纏まりは無いが、その説明を聞いて、ラハブとカーファルが目を見合わせた。
<涙枯の森>で拾った赤子?…赤子の泣き声。ラハブは前のめりになって呻いた。
「ちょっと待て、あの赤子か」
「あの時、赤子の声がして森から弾かれ、【血の洗礼】が消えた」
カーファルもエクレシアの【血の洗礼】から弾かれた時のことを思い出しながら呟いた。
「どういうこと?」
今度はハーリールが首を傾げた。
ラハブが【血の洗礼】が起きた時の森の様子を伝え、駆け付けた門番が赤子の声と同時に弾かれ、戻った時には呪いも洗礼の力も鎮まっていたことを伝えた。そして、赤子を連れてトレスが逃げ出したことも。そこに、アベンの手下らしき魔導士がいたことも。
「つまり、アザリアって賞金稼ぎが、エクレシアの標的なのか?」
バルクが戸惑いながら誰にともなく問いかけると、ハシーディムが首を横に振った。
「ハギオイが育てた剣士だからターゲットじゃないだろ」
「ハギオイはあの時の赤子と気づいていて育てたってことか?」
「あの渓谷で生き残りがいたとは思えない」
カーファルは不満を表明した。全滅を確認した。生き残りがいたなどあり得ない。
しかし、アクロンがアザリアから聞いた<血の渓谷>話をすると、ハーリールが苦笑した。
ハーリールも一人生き残ったことを聞いている。それにあのペンダント。
「聞いて。アザリアは血のペンダントを持っているの」
「何それ」
「多重呪詛の塊」
カーファルはその言葉に涙枯の森でハギオイが言った言葉を思い出した。
「核か」
老ハギオイが言っていた。呪詛の核があると。それだ。
「まぁ落ち着いて聞いて。アザリアのペンダントは多重呪詛を放ったけど、それを封じる呪いも重なっているっぽいのよ。カーファルがトレスの<血の渓谷>でアザリアを見逃したのは多分その封じる呪いが発動していたからよ」
「封じる呪い?」
「…おそらくエクレシアの【血の洗礼】が凝縮した塊」
いきなりラハブは大声で笑い始めた。
流石だ。エクレシア!やはり無駄死にはしていない。アベンは自らが放った多重呪詛を見失って焦っていたに違いない。だから、トレスが死ぬまで異様に大人しくしていたのだろう。そして、トレスの死で、少しずつ慎重姿勢から攻勢を強め始めた。
バルクがわざとらしく咳払いをした。
「順を追って、経緯と現状と今後について説明してもらいたい」
門番達は状況が分かっているようだが、こちらは分からない。今回の門番達の行動は回りくどいというか時間を掛け過ぎている。その理由も知りたい。
「バルクは魔眼のアザリアの噂くらい知っているか?」
「北の山岳地帯で会ったよ。傭兵で<血の渓谷>に参戦していた男に切り掛かったので止めた。トレスの娘だと言っていた」
「じゃあ、彼女に会ったことのないのは私だけ?門番は赤子のアザリアに会っているわけだし」
サーハラはどこかムッとしていた。バルクやアクロンに後れを取ったようで気に入らないらしい。
しかし、ラハブは肩を竦ませた。
「あれは会ったとは言わない。それにしても、そのアザリアとやら、今までカーファルに会わずによかったな。会っていたら、今、生きていないだろ。カーファルは自分を狙う人間に容赦しない」
だろうなぁ。
全員が納得するようにカーファルへ視線を走らせた。当の本人は、別の事を考えていたらしく、ハーリールに問いかけた。
「その多重呪詛は、人に取り憑いているのか?」
「彼女のペンダントに収まっていたんだけど、彼女が狙われた時、呪いの刃となり一気に力を放ったわ」
「魔眼のアザリアが呪いを放つなんて噂にも聞いたことがない」
ハシーディムは信じられないと首を振ったが、目撃したハーリールは呪いの刃だと断言した。
「呪いが活性化したのではないか?」
ラハブは魔導士嫌いだが知識はある。呪いを封印し、ある時点で解き放つ技はある。
「呪いが活性化したのなら、もっと広範囲になっていた。単純にアザリアへ向かったものだけが狩られた。あれは活性化とは言わない」
敵味方関係なく、アザリアに近づくものが切り刻まれた。一時的な反応だ。
「で、状況説明は誰もできないのか?」
できない。という言い方をして文句を言うのはバルクだ。順を追っての説明を求めても仕切る者がいない。しかし、それでは全容が把握できない。「してほしい」と言っても無駄だから「できない」という言い方をしてみた。
できないことの少ない園の住人の古株たちは、一様に不機嫌さを表した。
真っ先にラハブが獰猛な笑みをバルクに向けて酒杯を突きつけた。
「酒の席でよかったな。園だったらその首を飛ばしてやる」
バルクは半眼で見返した。怒るくらいなら分かるように説明しろよ。
「まぁまぁ。ラハブの話を聞きたいのはバルクだけじゃないから」
にこやかなサーハラに宥められたわけではないだろうが、ラハブは酒を一口飲むと改めて語り始めた。
まず、【血の洗礼】の事からだ。【血の洗礼】が発動すると門番はその場所に呼びつけられるということ。そして、標的である敵を討つ。そういう仕組みだった。
ところが今回、標的はトレスではなく、標的が明確ではなかった。呪いは存在したが、それを放った者は近くにいなかった。確かに森は【血の洗礼】による狂気で赤く染まっていた。だから、そこに標的はいるはずだった。標的について考えている時、突然の赤子の泣き声が響き森から弾き飛ばされた。戻った時には森を覆っていた【血の洗礼】による狂気が収まっていた。それでも門が閉じていることから標的はまだいると判断した。
呪いを放った一派と思われる魔導士が一人様子を見ていたので切り捨てたが、そいつも標的ではなく門は閉ざされたままだった。
トレスは正気に戻るなり赤子を抱いて森を逃げ出した。しかし、トレスはエクレシアの標的ではないため放置し標的を探すことになった。
老ハギオイは呪いの核を探す必要があると言った。
淡々とラハブは経緯を説明した後、酒を一口飲んだ。どう語ろうか思案する。いつも荒っぽいラハブだがこういう時は冷静に物事を考えている。伊達に覇王と共に生きてきたわけではない。
ラハブはカーファルを一瞬見てから再び語り始めた。
「初めからアベンを疑っていたが証拠がない。森にいた魔導士は明らかにバアル・ゼポンの祭司だったが、証拠もなしに覇者がこの世の国相手に戦争を仕掛けることはできない。園ではルール違反だからな。アベンが園を狙った証拠が欲しかった。だから門番は【血の洗礼】が標的としたものを探した。どれだけ探してもそれらしいものは見つけられなかったが<血の渓谷>でアベンが動き世界に何か変化が起き始めた。やはりトレスとアベンの間には何か繋がりがあったのだろう。そこで私は東の大国テモテを訪ねた。テモテで分かったことはアベンが魔王を復活させるため邪魔な覇者の園を封印したがっていたということだ」
やはり封印が狙いだったのか、その場にいた者達は納得した。そうなると【血の洗礼】が裏目に出たことになる。
ラハブは、皆の反応を見ながら続けた。
「テモテの宮廷魔導士長リノス曰く、大祭司アベンによってトレスは呪いを運ぶ者として覇王門へ挑むよう仕向けられた。第1の門番も第2の門番も呪いに気づけず倒された。第3の門番エクレシアは、トレスに呪いに気づき、呪いが園へ侵入するを防ぐために【血の洗礼】放った。しかし、アベンの狙いはそもそも園の封印。魔王によるこの世の支配を覇王に邪魔されないために門を閉ざしたかったんだ。だから、エクレシアのやったことはアベンの思うつぼ。と、私もさっきまで思っていた」
さっきまで。
そう今は違う。
ラハブはニヤリと笑った。
「赤子の話で、もっと違う側面が出てきた」
「違う側面?」
「エクレシアはおそらく標的の呪詛そのものを赤子に移し、自らの【血の洗礼】という呪いでそれをくるんだんだと思う。トレスは呪いから解放され森から逃げ出すときに、自分に襲い掛かった血の呪いを吸収した赤子を保護してお守りにしようとしたのだろう。赤子が死んで呪いがまた自分に向かってくることを恐れたとも言える。ハギオイ曰く多重呪詛の塊。そんなものが園に入ったら困る。しかし、それ以上に運んだトレス自身も呪いをまき散らす呪われた存在になる。この世が呪われる。つまり、エクレシアは門を閉ざすために【血の洗礼】を放ったのではなく、呪いの封印こそが目的だった」
目的が違った。エクレシアは狙った通りに今も戦っているようなものだ。
「それじゃあトレスはアザリアを拾って助けたわけじゃないのか」
アクロンは何とも言えない表情をした。アザリアはあんなに必死に仇討ちに人生を賭けているのにトレスは自分の保身のために保護しただけとは。
「助けたのは赤子、アザリアの方だ。アベンは自分の呪詛が消えたことに用心深くなり、なりを潜めたが、トレスが死に、呪詛が何処にもないこと、覇王門も閉じたままということに再び安どして動き始めた。魔物の出現もその頃から増えた」
「多分、老ハギオイはアザリアを見つけて呪詛に気づいたんだと思う。解呪するには幾つかのキーが必要で、その一つが黒竜だったんじゃないかな」
多重呪詛を更にエクレシアの呪いが包んでいるというなら、解呪に「黒竜」というのも頷ける。エクレシアの恋人で第7の門番なら何とかなるという読みだろう。
解呪して、呪いを浄化させるには相当な技量が必要だ。多重呪詛を読み解くには時間もかかる。だからハギオイは時間稼ぎをしていたとも考えられる。
「カーファルはハギオイと連絡を取っていなかったのか?というか、ハギオイはアザリアのことでカーファルを呼び出そうとしなかったのかな?」
ハシーディムがトレスを討ったカーファルに問いかけると、カーファルは答える代わりに目を閉じてしまった。
無視?
妙な沈黙の中、ラハブが大袈裟なほど大きなため息をついた。
「各自で核を探すことになっていたからな。確証が掴めるまで連絡を取る必要性も感じていなかっただろう。それに、カーファルは躊躇うということをしない。アザリアがトレスの残党なら切って捨てるだろうし、エクレシアの血の結晶を持っていたら尚更、容赦しないだろう」
カーファルはこの世の人間ではない。園で生まれ育ったために、誰よりもこの世の感覚からズレている。老ハギオイは時が来るまでアザリアを隠し守っていたのかもしれない。
「だけどさ、老ハギオイは傭兵黒竜を仇として追うことに反対していない。むしろ、龍の剣を持たせている。それはアザリアをカーファルに会わせるためだろう?」
ハシーディムの見解にはハーリールも頷いた。何しろアザリアの結晶ペンダントは危険な呪詛の塊だ。普通には解呪できない。
「龍の剣?」
カーファルが片眉を上げながら反応を示した。
「そうなんだ。アザリアの剣はハギオイに貰ったらしいんだけど、エクレシアと同じ赤い龍文様が彫られている」
エクレシアと同じ?
……。
「エクレシアはまだ魂を散らしていないかもしれない」
カーファルはそう呟くと再び目を閉じてしまった。何か思い当たることがあるのだろうか。
「老ハギオイの死の原因はやはり呪いですか?」
どうやらカーファル相手では話が進まない。だからアクロンは諦めて誰にともなく別の話題を振ってみた。
「ハギオイはもともと覇者として有名だからな。テモテやここバアル・ゼポンの祭司達は知識として知っている。だから、アベンに真っ先に狙われたとしてもおかしくない。ただ、ハギオイが躱せないとはね」
アクロンの問いにハシーディムは頭を掻いた。ハギオイの家には呪いの残滓があった。気づいた時点で逃げることもできたように思う。
「ハギオイは自分にアベンの意識を向けて、敢えて死ぬことで油断させたとか?」
「ハギオイはそんな簡単に死ぬような奴じゃない」
「多重呪詛は本当に最悪の呪詛だということじゃないかな」
ハギオイも対処することが出来なかった呪詛。
「アザリアが持つ血の結晶の影響では無さそうだったんだけどね」
ハシーディムは、アザリアからは呪いの残滓のような気配は感じなかった。それにはハーリールも賛同した。
「ペンダントからは呪いは漏れていなかった。多分、別口ね」
どちらにしろ、死者は生き返らない。
カーファルは西諸国を中心に呪いの核を探していた。しかしそこに目を引くほどの呪いはなかった。
「ハギオイは、多重呪詛の塊がある場所は呪われるからそれで見つけられるかもしれないと言っていたが、トレスの周囲にその影はなかった。トレスが組んでいた王の方が呪われていたといえるな」
カーファルが語るので、皆、目を瞬かせて注目してしまった。
バルクは北の山岳地帯で傭兵が口にした冷酷な作戦を思い出した。自国の商人を餌にして盗賊の塒を見つけて急襲。
「それって<血の渓谷>の依頼人か?酷い作戦だったようだな」
「欲に血迷った王だ。依頼してきた時、既に王には死相が出ていた。その後、王を討った革命軍も長くは持たなかった」
「どうして死相が出てる奴の依頼なんて受けたわけ?」
わりと傭兵黒竜は仕事を選び、人民の被害の少ない国に味方する。
ハーリールは目を細めてカーファルを見つめた。
「やっぱり、復讐」
カーファルは視線を宙に泳がせ知らん顔をした。ハーリールはそんなカーファルに呆れたが、園の住人たちは盗賊などに同情する気はない。
「まぁそれはそれ」
ハシーディムは苦笑するが、ラハブは鼻を鳴らすだけだった。
ラハブは、カーファルには復讐の権利があると思っていた。エクレシアもきっと喜ぶに違いない。
「要するに、トレスが拾った赤子は多重呪詛とエクレシアの【血の洗礼】による結晶を身に着けて育ち、トレスの死後、老ハギオイと出会って魔眼のアザリアという賞金稼ぎになり、仇の黒竜を追って、この王都に来た。ただし、アベンの手に落ちた可能性が高い。そういうことだな?」
すぐに話が脱線するので、バルクは早口で纏めてみせた。ラハブに視線を向けると、彼女も納得したように頷いて返した。
「アベンの手に落ちなければ、この王都で黒竜が魔眼のアザリアを切ることになった可能性もある。それってぇと…つまり、老ハギオイの狙いは解呪ではなくて、凄まじい呪いをこの地で解放するという毒を持って毒を制す系か?」
「いいえ、アベンは呪いを操れるだろうから、それは無いと思うけど」
ハーリールはバルクの意見を否定するものの自信はなかった。アザリアの持つ呪いは酷すぎるし、エクレシアの【血の洗礼】もその呪いに対抗するくらいに苛烈だ。
「エクレシアの考えもハギオイの考えも正直分からない。ただ、あの二人なら死んでいても標的を追い詰めるくらいやるだろう」
カーファルはそう言い、ラハブを見た。ラハブもニヤニヤと笑って同意した。あの二人は転んでもただでは起きない。
ラハブは門番が【血の洗礼】以後、沈黙していたために戸惑っていただろう若者たちに告げた。
「長い時間がかかったのは、さっきも話したが、覇王門を攻撃した証拠がないとこちらからはアベンを攻撃できないためだ。だから、いっそ魔王が復活してくれないかと思っていた」
「証拠がないと倒せないなんて、案外、不便ですね」
サーハラは園のルールを気にしたことなどなかったが、戦うとなるといろいろ制約があることに気づかされた。覇者なのだから、千年前同様、この世を制覇してしまえばいいのに。
「サーハラ、お前、今、征服主義に走っただろう」
アクロンの鋭い突っ込みにサーハラは肩を竦ませて微笑した。
「ちょっと、まどろっこしいって思っただけ」
「世界征服は面倒だぞ。管理能力のない奴は止めた方が良い」
「管理能力があればいいのか?魔王って管理能力あるのかな?」
「魔王が人間を家畜化して農場でも作る?いや、魔物たちは全てを喰らって別の世界に移動するだけじゃないか?」
「世界征服はつまらないと思うぞ。文化的発展が偏る」
「そうは言うけど、もともと覇王は世界の最強を目指してその地位についた。それは世界征服では?」
「魔王を倒し世界最強になった瞬間に、<覇者の園>を作って眠った。征圧はしたが、征服はしてないな」
「世界征服は門番を倒してから考えろ」
門番……バルクの言葉にサーハラは、つい、ラハブとカーファルを見る。この二人を倒すのかぁ。
サーハラの考えを窘めたつもりのアクロンだが、門番の性格も難ありなので溜息がでる。ラハブやサーハラは基本的に普通の思考はしていない。他者の存在価値を自分たちの都合でしか見ていない。カーファルに至っては人を人とも思っていない。いつか、門番が世界征服を企てたらどうするのだろうか。園の住人のワンマンは今に始まったことではないが他のメンバーもズレている。門番には、戦いではなく平和とか平穏を大切にする人格者を一人くらい選出してほしい。
「あ、門番で思い出した!」
いきなりハーリールが杖を振り回した。何事かと首を傾げる一同にハーリールは自分の役割を宣言した。
「門番が足りないと覇王門が開かないの。【血の洗礼】が解除できても、門が開かないと困るでしょ?ということで、笛吹ハーリールの本業、門番選出を行いまーす」
門番選出?
バルクとアクロンは首を傾げた。
ラハブが年長者らしく若者達に解説した。
「門番は誰でもなれるものではないんだ。希望者もいるが、門との相性もある」
「門との相性?」
それは初耳とサーハラも興味を示した。
「園の住人は鳥・猫・龍の文様で配属が分かれる。門にも文様がある。まぁ龍は応用が利くからどの門でも担当できるが、鳥と猫は固定。基本は第1から第3までが鳥文様。第4から第6までが猫文様。第7が時々入れ替わる。現在は龍だ」
「大まかにはそうだけど、門との相性は笛の音が判断する。今回はこの中から選ぶしかないんだよね。他に来そうにないし」
「他に覇者はいないのか?少なすぎる気がするが」
バルクとアクロンが戸惑うとサーハラが微笑してちらりとラハブを見てからその疑問に答えた。
「魔力系に不向きな覇者はラハブがセモール山脈に追いやったんだ。だから、多分、このメンバーから増えないかな。あとはリベルデンが来る予定?」
「まじか」
5万といるだろう魔物と魔王に対して、この人数。結構な持ち分になりそうだ。
バルクは思い出すように疑問を口にした。
「淘汰って、結局、何だったんだ?覇者を炙り出す目的とも思えなかったし、強者を選別したとも思えないんだが、」
何しろ北都は自分とカーファル以外は全滅だった。
「魔王への糧だよ。魔物の死も人間の死も、恐怖、怒り、あらゆる負の感情も全てが魔王への糧。生き残った人間がいて王都に入ってきたら魔王から力を得て魔人になるかもしれない。千年前はそういう奴もいた。我々が妨害もなく王都に入ることが出来たのは、魔王にとっては餌にもなるし魔人に作り替える材料にもなるからだ」
ラハブの言葉に皆、身を引き締めた。魔王にとって覇王以外の人間など全て餌ということだ。
「魔人にされるのは御免よね。園に喧嘩を売った奴は必ず倒す」
ハーリールがそう言って杖を笛に変えると、音を鳴らした。すると金や銀、蒼、茜なと様々な色が煌めいてバルクとアクロンとサーハラを取り巻いた。
光が収まると、右掌に門のような文様が浮かんでいた。
「第1の門番はバルク。第2の門番はアクロン。第4の門番はサーハラに決まったわ」
一瞬の出来事だった。
いきなり門番といわれても戸惑う…。
それでも、それぞれが門と共にあると感じていた。不思議な感覚だった。
「それで、第3の門番は?」
カーファルのどこか冷たい声にハーリールは苦笑した。
「この場に相応しい人がいないっていうより、まだエクレシアの支配下っぽい」
「死んだのに?」
やはり魂はまだこの世にあるということだ。
「【血の洗礼】がある。前例がないからこの状況は私でも分からない」
「それって門番が揃ったということになるのか?」
「強引になると思うしかない」
「門が開かないと、やっぱり困るのか?」
「覇王は7つの門を通ることで顕現するというルールを定めたっぽい。無駄に起こされたくなかったみたいね」
「?」
「つまり、7人の門番が強敵と認識した相手が出現したら起こせということだ」
確かに、何かと助けを求められたら覇王は安眠できないだろう。それにしても、7人が倒されたらどうするつもりだったのだろう?アクロンにしてみれば園の規制に不信感が積もるばかりだ。
不満が顔に出たのか、アクロンにハシーディムが声を掛けた。
「アクロン。覇王は絶対的な存在だが、園を守る守護者を忘れないでくれ。門が破壊されたら守護者が動く。あのセモール山脈を作った守護者を動かすほどの敵がいれば覇王も目覚める。それくらいの特例はあるさ」
そう言われると、そうなのだろう。
何しろアクロンはまだまだ園について知らないことが多い。この状態で門番に選出されてしまったが、良いのか?
「どうしてハシーディムが門番じゃないんです?」
「俺は一回断わっている。俺は柄じゃない」
アクロンにとって、初めて出会った第1の門番は噂の園のイメージそのものだった。神秘的な門と悠然とした大国の騎士を思わせる佇まい。それなのに親しみやすく声を掛けてきた。だから門を潜ったのだ。
実際の園の中は好戦的な脳まで筋肉が多くてうんざりしたが…。
ふと思う。
「第7の門番に今まで門で会ったことが無い。それはどうして?」
アクロンはカーファルに声を掛けた。黒竜が門番などとは思わなかった。確かに強いが、この世に黒竜の噂は馴染み過ぎていた。それに歴の浅い住人の大半が第7の門番が誰かを知らないに違いない。
「門番になったのはエクレシアに誘われたからだ。特に興味のある仕事ではない」
やる気のない返事にアクロン以外もあっけにとられた。
こんな主体性のない門番がいてもいいのだろうか。
その台詞にハシーディムはカーファルを睨みつけた。
「あのさぁ。俺の兄貴は第1の門番で今回殺されたんだ。そのやる気の無さはムカつくな」
「え?ケナズってハシーディムの兄?」
アクロンは素で驚いた。第1の門番は園の中では気さくで話しやすい人物だった。まさか、ハシーディムの兄だったとは。そう言われると貴族っぽさが共通しているし何となく似ているかもしれない。
「そっか。第1の門番ケナズはハシーディムの兄さんか。復讐は駄目だけど、弔い合戦ならあり?」
「いいねぇ。今回、第1から第4まで殺られている。こんなことは前代未聞だ。弔い合戦。大いに派手にやろう!」
第1の門番ケナズ、第2の門番アンデレ、第3の門番エクレシア、第4の門番ハギオイ
一つの敵で4人もの門番が命を落とすなどこの千年で一度もなかった。
大祭司アベンもなかなか強敵ということだ。
「ところで、血の結晶という形で呪詛を封印したのがエクレシアというなら、森に赤子がいたのは何故だと思う?偶然なのか、エクレシアが呼びつけたのか」
「エクレシアは魔導士ではない。赤子を呼べるわけがない。たまたまそこに居ただけだろう」
「赤子が一人で森に産声を上げるわけが無いだろう」
アベンの仕業なわけがない。トレスでもない。
「偶然。そうとしか言えないな」
「たまたまってことでいいんじゃないか?」
アクロンは納得できなかったが、他の者達にとって赤子の素性などどうでもいいようだ。個人としてアザリアを認識していないに違いない。これだから園の住人には腹が立つのだ。
「まぁまぁアクロン。そう怒るなよ。魔王を倒した後、アザリアが何故、森に捨てられたのか考えればいいだろう。今は打倒アベン。打倒魔王だ」
バルクにそう言われるとアクロンも頷くしかなかった。森に捨てられた?そう決めつけていいものだろうか。
そんな二人にラハブは大声で発破をかけた。
「お前達、よそ事を考えていたら魔力に惑わされるぞ。それに、魔物と戦うなら体力だ!しっかり食べろ!アベンの事だ、魔龍以上の大物も出してくれるだろう。それから、アベンは私が倒す。邪魔するなよ」
ラハブの邪魔など誰もできないだろう。それに普通に考えれば魔導士と剣士では相性が悪すぎる。
カーファルもアベンの事に興味はないらしく肩を竦ませ、ハーリールを見て冷ややかに問いかけた。
「それよりも、大神殿の結界は解けるのか?」
結界が解けないと少々厄介なことになる。魔物を生成しているのは明らかに大神殿内部。
魔王がこの国の神となる以上、大神殿は魔物の巣窟ということだ。
「私には無理よ。王都門だって自力で開けられないんだから」
「情けない魔術師だな」
ケラケラと笑うのはラハブだ。ハーリールはムッとして腕組みした。
「守護者と一緒にしないで」
「弟子だろう?」
「弟子であって師匠じゃないから」
ハーリールとラハブの睨み合いに、ハシーディムは苦笑し、カーファルは鼻を鳴らした。サーハラもバルクもアクロンも途方に暮れる。大神殿を叩けない?無計画にも程がある。
「リベルデンが来るのを待つしかないか」
「途中で足止めされるなんてこと、リベルデンに限ってないと思うけど」
「リベルデンは何かをしているのか?」
バルクはリベルデンの俊足を知っていた。だから、遅れるというのが不思議で仕方ない。その問いにハシーディムが酒を飲みながら答えて返した。
「あいつはテーマーンの老ハギオイの家に杖を取りに行ったんだ。ハギオイに杖なんてイメージ無かったな」
「老ハギオイの杖は、園の樹でできている。この世の杖よりも格段に魔力を操る。もしかすると大神殿の結界を破ることが出来るかもしれない」
カーファルはハギオイの杖を何度か見ている。その力はバアル・ゼポンの魔導士に匹敵するはずだ。ただ、使い手のハギオイがいないとなると威力は多少落ちるだろう。
「とりあえず、北の宴を待つとしよう」
ラハブはご機嫌に杯を掲げて乾杯した。




