淘汰-アーホール(西)
日が沈み、満月が天頂に登る少し前、アクロンとハシーディムは王都門近くの宿屋に身を潜めていた。正式な宿泊客ではない。帯剣する異国者に対して取り締まりが強化されたため、宿にも泊まれず、屋根裏にずっと潜んでいるのだ。屋根裏とはいえ梁がしっかりしていて空間も広く、立って運動もできる。食料などは魔装備のお陰で買いに行ける。ただ、人目につくところ優雅に食事などは出来なくなっていた。
「あの美味い料理がもう一度食いたかった」
屋根裏の柱の陰でハシーディムは溜息をつきながら乾燥したパンをかじった。その横で、板の隙間から王都門の様子を見張っていたアクロンはムッとしていた。食いたかった?過去形は止めてもらいたい。まぁこの国は戦場になるからあの店が無事に存続するかというと、難しいかもしれない。その点では過去形は正解だ。しかし、縁起でもない。
夕闇が王都門を隠し始めると門の横にある篝火が灯った。人が灯したところは見ていない。自動で点くとなると魔法に違いない。あの門をずっと見張っているが人が近づいたことが無い。近衛兵らしき存在もない。どういう仕掛けの門なのだろう。
「ここにいつまで隠れているつもりです?王都門をどんなに睨んでいてもずっと開かず、出入りもないですよ」
そんな不満をこぼしていると、急激に周囲の空気が重たくなり、何やら不穏な気配が漂い始めた。例の淘汰に関係しているに違いない。
「ああ、そろそろだな。隠れていても無駄だろう。この都、妖気に覆われたぞ」
ハシーディムはそういうと、パンを平らげて立ち上がった。今夜は魔物がお出ましになりそうだ。
満月が天頂で赤く輝き始めるとアーホールの大地が大きく揺れた。屋根が軋み始めたと思ったらいきなり砕け散って、鋭い刃となり二人に襲い掛かってきた。
「嘘だろ」
慌てて下の階へ飛び下り、窓から外へ飛び出した二人の前に赤眼の巨大な魔物が牙をむいた。ハシーディムが剣を抜くよりも早くアクロンは疾風の剣を振るい魔物を一刀両断していた。その凄まじい衝撃波は次々と押し寄せる魔物を弾き飛ばし、魔物数体を王都の壁に叩きつけた。
「流石、風のアクロン」
ハシーディムはゆっくりと剣を抜いて肩に担いだ。出る幕なしだ。
「次が来ます!」
アクロンがそう叫んだ瞬間、大地から湧き出るように黒い影が揺らめいたかと思うと襲い掛かってきた。
「任せろ!」
ハシーディムは余裕をもって影を切り裂き、一気に黒い物体を霧散させた。しかし、地面どころか建物の中にも魔物が発生し、瞬く間に領都を魔物が埋め尽くし、宿屋の建物から引きずり出された人間を八つ裂きにしていた。
「まじか」
血肉が飛び交う様にハシーディムは一瞬息を飲んだがすぐに魔物に切りかかった。多くの宿屋がこの地区にはある。その全てで叫び声と咆哮が上がっていた。この辺りの宿屋に泊まっているのは兵募集につられてきた者ばかりではない。研究者も多いはずだ。助けようとアクロンが宿屋に飛び込んだが、魔物が膨れ上がって建物自体を吹き飛ばした。そのためアクロン自身も外へと弾き飛ばされた。一緒に飛ばされてきた若い男は既に絶命していた。助ける余裕もないほど魔物が溢れている。アクロンはどうしようもなく腹が立ってきて、怒り任せに魔物の塊の中へと飛び込んだ。
満月が照らす街に悲鳴と剣や槍の金属音が響き渡るが、王都門は閉じたままだ。街からは一切の明かりが消えた。抵抗を試みているのは兵募集に登録した者達のようだが、完全に狩られている。どんなに隠れて逃げようとしても赤い眼の魔物が彼らを見つけ出す。おそらく、登録の際に填められた魔道具が魔物を呼び寄せているのだろう。
「おい。あれを見ろ」
ハシーディムがアクロンに大声で示した。その先では、満月に照らされた巨大な黒い鳥が神殿のベランダで見張りをしている正規兵に襲い掛かっていた。
「正規兵も淘汰の対象かよ」
そうなると、信徒だって無事では済まないかもしれない。これは、生き残るなんてできるのか?
「ハシーディム、伏せろ」
自国の信徒まで喰らうってどうなんだよ!アクロンは怒り任せに風の剣を放った。ハシーディムは慌てて身を伏せて躱したが、周囲の魔物は咆哮を上げアクロンの巻き起こした風に対抗しようとして建物にぶつかり風圧でそのまま押しつぶされ崩壊していった。
「大人しそうな顔してヤバい奴だな。嵐のアクロンに改名しろ」
思わずハシーディムはそう呟いてから、剣を握りなおすと、開いた空間の真ん中に立つアクロンに向かって急降下する巨大な黒い鳥目がけて走り出し、石段を蹴りあがると剣を振りぬいた。剣は鳥まで到達していなかったはずが、鳥の首が跳ね飛び血の雨が降り注いだ。
「斬撃旋風。これなら俺にもできる」
ハシーディムの剣術自慢にアクロンは鼻を鳴らした。
「恰好つけている暇なんてないですよ!何だってこんなに多いんだよ!」
「雑魚がか?まぁ前夜祭と思えばいいんじゃないか?」
次々と湧いて出る魔物にハシーディムが笑って、キリが無いと言いつつ一体一体倒していく。その横で、アクロンは何度も暴風を繰り出す荒っぽい剣を振るっていた。その姿にハシーディムは妙に感心した。
アクロンって本当に短気だよな。丁寧な仕事をしそうなのに、まとめて一掃タイプだもんな。こういう大量相手には一緒にいると楽出来ていいけど、容赦ないな。
容赦ない。
近くに生存者がいないとなるとアクロンは遠慮なく全力で戦った。そうなると、ハシーディムはアクロンの剣を躱さないと巻き込まれる。楽は出来るが油断はできない。近くにいるのがハシーディムだからアクロンは何も気にすることなく戦える。
いつまで続く?
どれだけ、走り剣を振るったのか。ついに黒い影が沸いてこなくなった。
アクロンが肩で息を切らす音だけが響いていた。ハシーディムは剣を肩に担ぎながら静寂を取り戻した街並みを見回した。どこもかしこも血まみれだ。しかも、相当数な肉片が散らばっていた。人間と魔物のものが混ざっている。地面の石畳が全く見えない。
この一夜でどれだけの魔物が出現し、どれだけの人命が失われたのだろう。
夜が明けたわけではないが、満月の位置から夜明けも近そうだ。
「どうやら、終わったらしい。王都への門が開くぞ」
「こんなの。普通。生き残れるわけないだろ」
「まぁな。でも、生き残ったし」
とはいえ、他の人間を助ける余裕はなかった。どの程度、無事なのかもわからない。二人は王都門へ駆け出した。王都門の周囲に人影はなく、ただ、巨大な門が開かれていた。
門の上には小型の黒い鳥がいた。品定めでもしているように赤い眼で二人を見下ろしている。
「北の宴に参加するか」
「俺達は戦士だ」
鳥に向かって、ハシーディムはそう伝えた。
「餌か戦士かは魔王が決める」
鳥はそう言って首を振って、二人に進めと促した。
二人は深呼吸すると王都へ堂々と入った。王都は静かだった。領都が血まみれになっていたというのに、王都は何処にも血の匂いがしなかった。魔物の気配もない。それどころか人気もない。
ハシーディムはハーリールが作った魔道具の一つを作動させ、集合場所へとアクロンと共に向かった。途中、追跡の魔法が迫ってきたが、二人の魔装備はそれを躱し、二人は音を立てないように走りながら迷路のような裏路地を抜け、一つの木戸の中に入った。そして、地下へと進み、幾つかの扉を抜け、上の階へ上る。地上2階の扉を開けると、サーハラの笑顔が二人を出迎えた。
「十分、楽しめたみたいだね」
アクロンはサーハラの笑顔にうんざりした。
「何で汚れてないんだよ」
アクロンは全身、魔物の血でドロドロだった。ハシーディムも同じような状態だ。それにもかかわらずサーハラは全く血を浴びていない。
「うん。私にはそういう血まみれは似合わないからね。それにあちらさんも汚れてない」
サーハラの視線の先にはカーファルがいた。
ハシーディムは、カーファルを見ると大きく息を吐いた。
「カーファル。門番は3人って聞いたぞ。どういう状況なんだ?」
「もうすぐハーリールとラハブが来る。揃ったら分かる」
外に視線を向けたままカーファルは冷たくそう言い、二人を見ようともしなかった。これにはアクロンがムッとした。本当に園の住人は、常識ってものが無い。大丈夫かの一言くらいあってもいいだろう!
「カーファルは第7の門番で傭兵黒竜だって知ってたか?」
床に座っていたバルクが片手をあげて挨拶代わりにそう告げた。
アクロンは、バルクに手を振り返そうとして、バルクの言葉を理解すると絶叫しそうになった。叫ばなかったのは隣のハシーディムが咄嗟に口を塞いだからだ。ここで絶叫は不味い。ある程度の防音はしてあるだろうが、叫ばないに越したことは無い。アクロンは黒竜が第7の門番ということはハシーディムから聞いて知っているが、黒竜の素顔を見たのは初めてだ。いつもは黒い布で顔を覆っている。こいつが黒竜!
傭兵黒竜。魔眼のアザリアの仇。諸悪の根源!そいつが目の前にいる。
ヤバいだろう!
もがきつつアクロンはハシーディムが手を離すと深呼吸した。別に俺の仇じゃない。そう思うと少し落ち着いた。
「へぇ。傭兵黒竜って園の住人だったんだ。300年も生きているけど、会ったことは無かったな。言われてみると傭兵黒竜の噂は80年くらいあるような?」
華やかな笑みでサーハラが首を傾げるとすかさずアクロンが否定した。
「いや、もっと古い。俺は18の頃、戦場で見かけたんだ。だから世襲制だと勝手に思っていた」
納得できない様子のアクロンは、初めて会うカーファルを睨みつけた。カーファルの方は全く相手にすることなく相変わらず外を眺めていた。興味ゼロということだ。
園の住人の中でも門番はとくに個性派揃いだから普通の反応は望めない。
ハシーディムは室内のメンバーを見回して、壁にもたれるように床に座ると誰にともなく笑顔で問いかけた。
「カーファルはともかく、その他の皆、知り合いでよかった。あとは、ラハブとリベルデンとハーリールが来たら揃う感じかな?もっと人数がいてもいい気がするのに、少ないよな?8人?」
戦えそうなのは8人?アクロンは少なすぎるということで、他の園の住人のことが心配になった。それにバルクの方が遠距離を旅したはずなのに自分たちよりも早くここにきている。淘汰に時間差があったのだろうか?もしそうならもっと遅れてやってくる園の住人もいるかもしれない?
アクロンが疑問を抱いた時、天井の板が外れて、ラハブが舞い降りてきた。大柄なのに身軽なのがラハブだ。どうやらハシーディムの声が聞こえていたらしい。
「8人?まだ揃ってないってことか?邪魔になりそうな奴らはセモール山脈に追いやったからな。ま、これだけいれば問題ないだろう?」
室内の人数を数えながらラハブはそう言って皆を見た。
問題ないと言われたら問題ないと頷くのが園の住人だ。アクロン以外は頷いていた。アクロンが頷かないのでラハブはアクロンを半眼で見た。
「あ、いや、違和感があって。別に8人でもいいですけど、どうしてバルク達の方が早くここに来たのかなと思いまして」
「そういや、そうだな。俺達はツァーフォーンの領都にすら入っていない時に淘汰にあった」
バルクは頭を掻きながら立っているカーファルを見上げた。
バルク達と別れてからの時間からアクロンは疑問に感じ、バルクもそれに同意した。ツァーフォーンの領都門から王都門までもかなりの距離があった。そもそもアーホールから入る方がこの地点には近い。
「この王都、魔法で時間も歪んでいるから注意しろ」
ラハブがあっさりと二人の疑問に答え、二人だけでなくサーハラとハシーディムにも呻き声も上げさせた。
時間が歪むとかあり得ないし。
「そんな大した魔法じゃないから気にするな。ちょっと奴らの方が得する程度で、我々レベルになれば関係ない。魔物の方がスピードアップすると思えばイメージしやすいか?」
それって物凄く不利な気がする。そう思ってもアクロンは口にしなかった。園の住人にはその程度のハンデは遊びの一つだ。かなり楽しめる戦場になりそうというだけのこと。
カーファルは魔法について語るラハブに視線を向けながら腕を組んだ。
「大神殿は攻略できそうなのか?ハーリールの魔術で結界が破れるとは思えないが」
「結界?それは老ハギオイが何とかするんじゃないか?」
「老ハギオイは殺された」
「あの死にそうにない爺さんが?エクレシアといい全く納得できない。タダで死ぬ奴らじゃないから絶対に何かを仕掛けているはずだ。敵の罠に嵌るなんてありえない」
なにやら、二人が殺されたということ以前に腹を立てているらしいラハブにサーハラは首を傾げた。首を傾げながらラハブが左手に持っている陶器の壺が気になった。しかし、ここで話題を逸らしてはいけない。そんなサーハラの横でアクロンが疑問を口にした。
「敵の罠に嵌るってどういうことですか?」
「大祭司アベンが諸悪の根源だ。アベンは覇王門を封印しようとした。エクレシアの【血の洗礼】は思うつぼ」
ラハブはそう言ってから鼻を鳴らして、つづけた。
「でもな。エクレシアも老ハギオイも狡猾度ではアベンに引けを取らない。だったら、命を懸けて何かを仕掛けたはずなんだ。それが何かが分からない」
「カーファルはどう思う?」
ハシーディムは無口で無関心っぽいが意外と全体を把握していそうなカーファルに問いかけた。
「ラハブの意見には同意する。エクレシアは無駄なことはしない」
淡白な回答が返ってきた。
エクレシアは負けず嫌いだ。勝つために手段を選ばない。その彼女が「死」を選択した。生き残ってこその勝利だというのに。思い切りよすぎる決断で【血の洗礼】を選択した。何故だ?無意識にカーファルは拳に力を入れていた。
珍しく感情を表に出すカーファルの前にいきなりラハブは手に持っていたものを突き付けた。
「景気づけに飲むか?バアル・ゼポンの特産品の果実酒だ。旨いぞ」
カーファルは眉を吊り上げ、そっぽを向いた。ラハブ流の慰めなのだが、気に入らなかったようだ。調子のいいハシーディムが手を振った。
「それ、良いですね。飲みたいな」




