傭兵黒竜
8年後――
豊かな恵みの大地アルノン。どの国にも属さない山々が連なっているその渓谷の一つに盗賊トレスのねぐらはあった。
大盗賊トレスは覇王門を3門まで撃破したことで世界中に名を馳せていた。
出会うことさえ奇跡といわれる門と戦ったことは制覇していなくても名誉なことだった。
「アザリア!あの人が戻ってきたのかい?」
「うん!!マノア、荷車も一杯!!」
渓谷のへの道を山積みの荷車が3台と馬に乗る集団が進んでいた。
木の上から道を見下ろしていた少女は集団に手を振ってから木の下にいる恰幅のいい女性マノアもとへと木から降りてきた。
少女はかつてトレスに森で拾われたアザリアだ。
マノアは少女の頭を撫ぜた。アザリアの髪は白い。
真っ白でまっすぐ伸びている。
アザリアの目は血のように紅い。眼球すべてが紅い。
すべて白い人間がいるという噂は聞いたことがある。
しかし、アザリアは日焼けして小麦色の肌をしている。
だから余計に白髪が際立っていた。
この地方の人間は栗毛の者が多い。盗賊団は多くの人種で成り立っているから白髪はまだ気にしないようにできるが、紅い目は不気味だった。
「マノア、私、行ってくる」
言うが早いか、アザリアは道を進む集団目がけて山を駆け下り始めた。木々には縄が掛けてあり、それを使って木々の間を早く進むことができる。子供の遊び場でもある。
アザリアは集団の先頭でひときわ大柄で目立つトレスに駆け寄った。
トレスもアザリアに気が付くと身を屈めて手を伸ばし、アザリアを軽々と自分の前に引き上げて馬に乗せた。
「アザリア、元気だったか?」
「うん。どこに盗みに入ったの?ワクワクした?」
強面のトレスもアザリアには頬を緩めて笑いかける。アザリアはトレスに冒険談を聞かせてほしいとせっついた。
そんな二人をマノアはため息交じりにじっと見下ろしていた。
トレスは極悪非道の大盗賊で盗みの時に邪魔になれば子どもも切る。そんなトレスがアザリアには甘い。アザリアの悪口を言う奴をぶった切ったことも一度や二度じゃない。まぁ切られたのは仲間じゃなかったけど。
ここには、盗賊稼業の男どもだけでなく多くの女・子どもが暮らしている。いろんな事情の奴らがトレスを慕って集まっている。その全てを纏め上げるのがマノアの仕事だ。
アザリアの姿を見て、他人が不気味がるのは仕方ない。仲間内で不気味がるものが出ないように気を付けていたが、子ども達はアザリアを不気味がったり、いじめたりしなかった。
アザリアはトレスに仕込まれて年相応以上に強かったし、勘が鋭く賢かった。
負けず嫌いで努力を惜しまなかった。
だからだろうか。まだ8歳なのに子ども達のボスだった。
大掛かりな盗みから帰ると酒盛りも盛大になる。
洞窟を利用したねぐらは、いくつもの通気口が開けられ空気の通りも良い。
普段なら洞窟の中で酒盛りをする。
その日は、いつも以上に多くの仲間が集まっていたため、夜空を眺めながら外で火を起こして飲み明かすことになった。
人があまり入ることのない山奥だけあって、火を起こすことに躊躇いはない。
コソコソ隠れる必要もないくらい戦力にも自信がある。
何箇所かに食事用の火が起こされ、鍋で煮込み料理が作られ酒が振舞われた。
「これだけ増えると、このねぐらも手狭だな」
トレスはそんなことを呟いてマノアを手招いた。
マノアとは子どもの頃からずっと一緒にいる。
親の顔は知らないが、マノアの顔だけは絶対に忘れない。
「一緒に飲もう」
マノアが食事の支持を周囲に出しながらトレスに歩み寄るとトレスは杯を渡した。
「まだ料理の途中だよ。アザリアは?」
「土産に夢中だ」
そう言っているとアザリアが両手に財宝を抱えて走ってきた。
「見て!マノアにぴったりの首飾り!」
「まぁありがとう。でも、これはアザリアがつけるといい。可愛い花の形だから」
「ダメ、これはマノアの!私のは、これ」
アザリアがマノアの首にかけたのは黄色と青に輝く石が花を象った首飾りだった。
自分用と言って見せてきたのは宝剣だった。
戦いには不向きな黄金でできており、色とりどりの石で覆われていた。
「アザリアはお目が高いな。その剣はひと財産になる。ただし、武器にはならねぇ」
「剣なのに武器じゃないの?」
「飾りだ」
「じゃあ要らない」
アザリアはトレスのように強くなりたいのだ。
アザリアは剣をもとの場所に戻すと何か武器になるものはないかと探し始めた。
夜も更けるころ、トレスはアザリアを膝に寝かせながら、マノアと飲んでいた。
そして、アザリアとの出会いを懐かしそうに口にしていた。
「覇王門の話、覚えているか?」
「第3の門までぶっ殺した話だろう?覇王門に挑戦して生きて戻ってこられるなんて凄いよ。ほとんどの奴が第1の門で逃げ帰るって噂だからね」
「簡単に倒せたって言ったよな?」
「ああ、あんたは凄い」
「本当に第1と第2はあっけなかったんだ。ただし、第3の門は強かった」
「でも、倒したんだろう?あとは時間切れで門が消えたって言ってなかったかい?」
トレスは逃げ回った話を仲間にもマノアにもしていなかった。
格好悪いのは盗賊団の頭領としてはまずい。舐められる。だからずっと真実を言わなかった。
トレスは頭をかいた。
話を聞ける範囲にはマノアしかいない。
「実は、よ。第3の門の女は滅茶苦茶…強かった。」
「女?聞いてないよ、それ」
「うん、まぁな。とにかく、強すぎて手子摺った。負けてはいなかったぞ!」
「はいはい」
「あの女、自殺したんだ」
マノアは驚いて目を見開いた。
「あの女は笑いながら自らの首を自分で切り落として、呪いを振りまいたんだ」
「そんなこと、あり得ない。」
自分の首を切り落とす?無理に決まっている。呪いというなら魔法ということだろうか?
「女の血が目の前に広がって天も地も赤く染まった。俺は息ができなくなって、もがきながら森の中を駆け回って何とか血を払おうとしたのに血が纏わりついて離れなかった。もう駄目だと思ったとき、赤子の声が聞こえた。」
「アザリア?」
「そうだ。アザリアの声が血の呪いを払ってくれた。だから、俺はアザリアを育てると決めた。おまけにアザリアはあの女の血のように紅い目をしていた。多分、あの呪いをアザリアが俺の代わりに受けたんだと思う。その証拠にアザリアは右手に紅い血の結晶を握っていた」
血の結晶。それは今アザリアの首にペンダントとしてかかっていた。
「だから、あんたはアザリアを大切に育てると決めたのか。最初はどこの女に産ませた子かとイラっとしたけどね」
「拾ったって言っただろ」
「冗談だよ」
アザリアは普通じゃない。マノアはそう感じていた。外見だけではなく、どの子どもより勘がいい。ただ勘がいいだけじゃない。先読みというくらいの能力がある。魔法使いの血筋かもしれない。
二人はぐっすり眠っているアザリアを優しく見つめ白い髪を撫ぜた。
酒樽がいくつも空になり転がっていた。
盗賊たちは思い思いに歌って踊って騒ぎ、飲んで食べて盗んだ宝の山を見て浮かれていた。
そんな渓谷に音もなく何人もの影が忍び寄る。
一人の男が手で合図を送ると全身を黒い革製の鎧で身を包んだ男たちが散らばるように谷を駆け抜け、盗賊団のねぐらを取り囲むような陣形を敷いた。
全員が配置につくと、三本の矢が放たれ3方向にいた見張りを同時に貫き、見張りはそのまま谷底を流れる川に落ちていった。その音にトレスが立ち上がったのと攻め込まれたのはほぼ同時だった。
「敵襲!!」
「起きろ!敵襲だ!」
異変にトレスは即座に反応して、マノアにアザリアを渡すなり剣を抜いて立ち上がった。
矢が一斉に飛んでくる。
飲んだくれていた盗賊たちは剣に酒を吹きかけて立ち上がるなり襲い掛かる矢を叩き落した。
トレスは手近な焚火に砂をかけて踏み消すと慌てる盗賊たちを一喝する。
「来るぞ!返り討ちにしろ!」
マノアはしっかりとアザリアを抱きしめ、寝ぼけるアザリアを揺り起こす。
「起きな!敵が来た。洞窟に入りな」
マノアはアザリアや他の女・子どもを洞窟の中へと急き立てた。
「頭領!黒竜です!奴ら傭兵集団で、先頭にいるのは黒竜です!」
頂から滑るように降りてくる仲間の叫びにトレスは息を飲み、渓谷は一瞬凍り付いた。
傭兵黒竜。死神の二つ名を持つ傭兵だ。
トレスは叫んだ男を捕まえると怒鳴る。
「そいつは確かなのか?」
「はい!」
「よし。女・子どもはできるだけ遠くへ逃がせ!」
トレスは黒竜の顔を知らないが、噂は嫌というほど聞いている。
ねぐらに黒い集団が迫っていた。
「傭兵黒竜。相手にとって不足はねぇ。行くぞ!」
トレスは吠えると剣を構えなおして黒い傭兵たちを迎え撃つべく駆け出した。
盗賊は盗賊でもトレスの仲間たちは腕に自信があった。統率も取れている。
殺しを請け負う傭兵集団でも、そう簡単に倒せる賊ではない。
谷は瞬く間に戦場と化し、いたるところで激しく剣がぶつかり合った。
マノアは、傭兵がねぐらの中に入り込む前に女子どもをまとめて、逃げ道へと促した。抜け穴はいくつもある。
「マノア、何?逃げるの?」
アザリアは逃げたことなどなかった。今、女たちは子どもを抱えて抜け穴に駆け込んでいる。
「アザリア、どっかの金持ちが傭兵を雇って攻めてきたのさ。この隠れ家がばれるとはね。皆と一緒に早く逃げな」
「いや、マノアも一緒」
アザリアはマノアに抱き着いた。胸騒ぎがした。喧騒が大きくなっている。
マノアはアザリアの頭を撫ぜて微笑んだ。
「いい子だ。大丈夫。すぐに落ち着く。うちの頭領は強いんだ。傭兵なんてすぐに片付くよ。」
「じゃあここにいる」
「駄目だ。アザリアはトレスの娘だろう?他の子どもたちを守るんだ。お前は強い。その瞳とそのペンダントがきっとお前を守ってくれる」
トレスの言っていた血の呪いの話が本当なら、その結晶らしい石を持っていて平気なアザリアは何かに守られているに違いない。
アザリアの首にかかっている赤黒い結晶が鈍い光を放っていた。
「マノア!駄目だわ。抜け穴がどれも塞がれている!」
抜け穴から逃げようとした女たちが次々と戻ってくる。外では傭兵が声を上げていた。
「一人も逃がすな!全員殺せとの命令だ!」
万事休す。
マノアは厳しい表情で女たちを振り返る。
「黒竜だよ。傭兵黒竜が攻めてきたんだ。」
盗賊をやっていて、傭兵黒竜の噂を知らない奴はいない。
どんな戦場も黒竜一人で勝敗が決まると言われている。
命令は確実に実行する。海賊も山賊も国軍も傭兵黒竜の前には区別がない。殲滅しろと命じられたら実行するだけだ。
名前を聞いたら逃げろというのが常識となっていた。
「黒竜って?マノア?」
怖い顔をする大人たちにアザリアが不安に駆られた。
そんなアザリアにマノアはニヤリと笑ってみせた。
「傭兵黒竜は金で雇われて人を殺す残虐な奴さ。頭が良くて手段を選ばないヤバい奴だよ」
盗賊トレスも残虐非道の悪党だが、味方だ。ヤバいやつとは思わない。
「トレスは大丈夫よね」
「もちろんさ。うちの人は一番強い。いいかいアザリア。森の隠れ家に子供たちを連れて逃げな。子どもだけなら通れる抜け道があるだろう?急ぎな」
マノアは他の泣く子どもをアザリアに任せると剣を抜いて洞窟の入り口へ向かう。
アザリアは、泣く子ども達を連れて子供の遊び場となっていた抜け道から谷とは逆の森へと向かった。
子どもしか通り抜けられない道のため、知っているものは少ない。
マノアが入り口に近づくと数人と傭兵が襲ってきた。マノアの手に握られた剣が煌めいて傭兵をたたき切る。マノアは元殺し屋だ。そう簡単には負けられない。
マノアに続くように女たちは武器を手に取った。
戦って倒す以外に助かる道はない。
アザリアたちは狭く曲がりくねる洞窟を抜けると森の一角に出た。木々が出口を隠しているので気づくものもいない。鬱蒼と木々が茂る森の中、アザリアと同い年の少年がいつものように外に這い出ると隠れ家にしている大樹に登った。
木の上に板を張って基地にして遊んでいる場所だ。
少年は周囲を見回して小声でささやいた。
「大丈夫。誰もいない。安全だ」
子ども達は順番に出て、大樹に登った。ここまでは戦場になっていない。
アザリアは、いったんは木に登ったものの、どうにもマノアとトレスが気になった。
「ちょっと、様子を見てくる」
「駄目だよ。隠れていろって言われただろ?」
「だって狭いし。すぐ戻る」
アザリアは木を滑り降りた。
子どもは13人もいたから狭いのは事実だ。
アザリアは、元来た道を戻るとき、穴をしっかりと隠すのも忘れない。慎重に進む中、いきなり地響きがした。
その衝撃で足元が崩れ、アザリアは横穴に落下した。
トレスは何人もの傭兵を討ち取ったが予想以上に数が多かった。
ねぐらにいる盗賊も今夜は数が多い。それにも拘わらず、傭兵たちが数を上回っている。
「お前が盗賊トレスか?」
傭兵を切り捨てたトレスの前に革の鎧さえつけていない黒装束の男が立ちふさがった。
「誰だ、貴様」
妙な威容を放つ男にトレスは剣を構えなおした。
その男は無表情で名を口にした。
「黒竜」
こいつが、黒竜。
「貴様が黒竜か、ぶっ殺してやる!」
トレスは剣を振り上げ切りかかった。
覇王門に挑むくらいにはトレスは強い。
しかし、黒竜は別格だった。優雅にトレスの剣を交わすと剣を握りなおす。
その柄には黒い龍の形が彫られていた。
「お前がトレスならば切る。これは復讐と思い知るがいい!」
「何?!」
トレスはなぜ黒竜から復讐などと言われるのかわからなかった。
わからないまま首をはねられた。
転がるトレスの頭を別の傭兵が拾って掲げた。
「頭領トレスは死んだ!」
渓谷に響き渡る声。そしてドラの音。
それは森の子ども達にも、洞窟の横穴に落ちたアザリアにも聞こえていた。
アザリアが必死に横穴から這い上がりマノアたちのもとへ進んでいくと、目の前の道が崩れて塞がれていることに気が付いた。
洞窟が破壊されたのだ。
アザリアは方向転換できない狭い穴をゆっくりと戻りはじめた。腕も足も傷だらけになっていく。アザリアの目は涙を流し視界も曇っていた。トレスは死んだ…その声が頭の中にこだましていた。
「嘘だ。絶対に嘘だ。」
アザリアは泣きながら森へと後退った。
どれだけ時間がたったのか、後ろへ進むのは難しかった。
ようやく森へと出たアザリアは森の木の隠れ家へ走った。妙な煙と匂いが鼻を衝く。
「…皆。」
アザリアは大樹の前で棒立ちになった。
隠れ家の木は焼けていた。その周囲には焼き殺された子供たちの姿があった。
下から火で炙られ、降りてきたところを殺されたのだ。
踏みつけられ、切られ、焼かれ、虫けらのように殺されていた。
どれだけ立ち尽くしていたのか、朝日が現実をより鮮明にアザリアの紅い瞳に見せつけていた。
唇をかみしめ、アザリアは自分が見つかることも恐れず、木々の間のロープを使ってねぐらへ向かった。
許せない。絶対に許さない。
ねぐらは、静かだった。
昨日の喧騒が嘘のようだ。
誰も何も語らなかった。
動くものは何一つなかった。
無残に切り裂かれ血まみれになり息絶えた者たちが転がっていた。
アザリアが怒りをぶつけられる傭兵たちは何処にもいなかった。
夜明けは血生臭い現実を見せつける。
マノアは洞窟の入口近くで息絶えていた。
首飾りも血で汚れていた。
傭兵たちは財宝に興味がないのか、奪われていなかった。
アザリアは必死にトレスを探した。
なかなか見つからない。もしかしたら生きているかもしれない。
そんな淡い期待を抱いたとき、トレスのベルトをした遺体を見つけた。
首がなかった。
首は証拠として持ちさられたのだ。
「…」
トレスが殺された。
この時初めてアザリアは声を上げた。大地に座り込んで大地をたたいた。大声で泣いた。
「許さない。絶対に許さない!いつかきっと殺してやる。黒竜!!」
マノアが黒竜だと教えてくれた。
黒竜に皆殺されたのだ。本当にマノアもトレスも死んでしまったのだ。
遠くに角笛の音が聞こえた。
それは危険な音だと知っていた。
トレスが教えてくれた。王国の軍隊の使う音。
今、見つかったら殺されて復讐できない。
今は逃げるしかない。
アザリアは形見として、トレスのお気に入りの金の腕輪とマノアの首飾りを手につかむと、価値があるとトレスが教えてくれた宝剣を持って渓谷から姿を消した。
アザリアが消えた後、傭兵を雇った国の軍隊は渓谷に入り、遺体をまとめて焼き払い、隠されていた財宝をすべて奪い去った。
遠くに響く角笛の音を忘れないようにアザリアは耳を澄ませた。
必ず仇は取る。




