予兆 -南都ダーローム-
サーハラはダベルネで「淘汰に注意」という伝言を残してから再びダーロームに戻ってきていた。ここから王都へ入るためだ。
北の大国バアル・ゼポンは巨大国家だ。北の大国と言われるだけあって国土も広い。領地の数は50を超えている。その中で王都への出入口となる領都は4つ。東西南北にあるその4領地は特殊な壁に囲まれ防衛の役目も担っている。領都にある神殿は高く聳え魔力を高めるための魔法陣を描いていると言われている。
サーハラは領都ダーロームに入ると空気が変わったことに笑みを消した。
人通りは多い。しかし、どこか空気が重く、いつもの活気がない。皆なにかに急かされたかのように足早に家と神殿を行き来している。異国の商人たちも戸惑い気味に声を潜めている。
巡回する兵士たちの顔も厳めしい。日ごろは信徒に笑顔を見せたり、異国者を恫喝したりと忙しない兵士が多いのだ。それが、真面目に巡回している。
それだけじゃない。
路地裏の陰に何かが蠢いている。普通の人間では影かと思うかもしれないが、サーハラは異質なものに敏感だった。禍々しい何か、人でないものが いる。
自分がダベルネに行って戻ってきた間にこの都に何が起きたのか。またご神託でも出たのだろうか。
これは神殿に行って情報収集をした方が良いかもしれない。
そう思って、領都の神殿にサーハラが入ろうとした時、腕に巻いていたスカーフが強く後ろに引っ張られた。
慌てて振りかえって思わず叫ぶ。
「げ、ラハブ?!」
全く気配を感じなかったのに背後には自分より背の高い女戦士が立っていた。
ラハブはニヤニヤとサーハラの驚く顔を見下ろしていた。
「詩人はお呼びじゃないよ」
「…お、お元気そうで」
サーハラは、何を言うべきか、いつものような調子のいい台詞が出てこなかった。彼女に会うのは久しぶりだ。
覇者の園の大先輩の古代人なのだから、アクロン達と話すようにはいかない。以前、琴を弾くことを鼻で笑われたこともある。常に戦いを所望する彼女とは同じ園の住人であったとしても住む世界が違うのだ。
サーハラの反応などお構いなしでラハブは明るい茶色をした短い髪をかき上げて神殿を見上げた。
「神殿の魔法陣が最高レベルで作動している。偽物信徒は危険だよ」
ラハブは剣が大好きな戦士だ。ところが、剣士の戦いを何度も魔導士に邪魔されて以来、魔法というものを知識として学び、その発動に敏感だった。
彼女は戦いに勝つことを趣味としている。そのためにはどんな努力も惜しまない。
どうやらラハブはサーハラを助けてくれたようだ。
サーハラは神殿の魔法陣のことを指摘され恥ずかしそうに咳払いした。そのしぐさでも普通は赤面ものの艶やかさがあるのだか、ラハブには通じない。ラハブは鼻で笑ってスルーした。
「琴なんて弾いてないで、お前も本気にならないと楽しめないよ。ここから先は戦えない奴は淘汰される」
ラハブの好物は「戦」だ。サーハラは自分の魅力を全く理解しないラハブにため息をついて真顔になった。
「淘汰は間引きですか?」
「違う。魔物のエサだ」
ラハブは淘汰が何かを把握していた。ずっと北の大地を見張っていただけのことはある。
「淘汰は、人の血肉と叫び、恐怖。その全てを魔物にくれてやるためのものだよ。でもって、おまけがある。淘汰を生き残ったら”北の宴”に招待されて魔王が眷属に加えてくれるっていう仕組みだね」
「それは困りましたね。魔王の眷属なんかになりたくないし。餌も御免だ」
悪巧みをした奴は魔王の眷属になりたかったのだろうか?
「魔王なんて目覚めたら、人間は生き残れませんよ。どうして人は魔王を目覚めさせたいのでしょうね?自分だけは魔王と仲良くなれるって思うなんてアホですね。それとも魔王を支配できるなんて勘違いしちゃっているんでしょうか。不思議ですね」
何時の時代もいろんな「悪」がいるが、共通点は自分だけは助かると思っているところだ。人は必ず死を迎える。悪い奴ほど往生際が悪い。悪い奴らは自分の蒔いた種で大抵滅びる。それを繰り返している。
因果応報。
呆れているサーハラの肩をラハブはバシバシ叩いて笑った。
「何を言う。奴らのお陰で戦場が爆誕するんだ。いいじゃないか。派手にやろう!」
この人は本当に戦いに目が無い。覇者の中でも群を抜く戦闘脳だ。
「派手はいいですけど、王都には入らないといけないと思うんです。検問を抜けられますか?」
「淘汰を生き残った者なら通れるぞ。淘汰前にはもう王都には入れない」
「信徒はどうなると思います?」
ちょっとこの国の信者が可哀そうになった。ここの神は時代によって変わる。いい時もあるのかもしれないがほとんどヤバい神だ。今回は魔物だし。助ける義理は無いが、魔物のエサかと思うと気の毒な気もする。どんな神かも分かっていないのに代々信者をしている、いわば生まれたときから洗脳されている民族だ。
「信者は祭司の指示で家に籠る。多分、生き残るだろうよ。神殿に背いた奴は死ぬだけだ」
「日付指定があるんですか?」
「知らないのか?次の満月だ」
次の満月は…10日後だ。
「どこでその情報を?」
若い祭司は知らなかった。最近になってご神託が出たのだろうか。
ラハブは自慢げに胸を張った。
「魔王とその眷属は満月か新月が好きなんだ。エクレシアが【血の洗礼】を放ったのは満月。その時の呪詛を仕掛けた奴が魔王を目覚めさせる張本人。つまり、満月をキーにしている」
つまり、ただの勘だな。
「次の次の満月の可能性は?」
「お前、意外と馬鹿か?魔物が蠢きだしている。魔王が復活するのは秒読み段階だ」
……。
「ちょっと、言ってみただけです」
小馬鹿にされたのは悔しいが、ラハブの野生の勘はかなり当たる。無下には出来ない。おまけにラハブは門番。【血の洗礼】もお見通しだったようだ。他にも情報を持っているに違いない。
「ところで、覇王門が閉じている間、門番の皆さんは何をされていたんですか?随分、長い間沈黙されていたように思うのですが」
何故、まだ門が開かないという苦情をやんわりと伝えてみた。門番の間で何か計画があったのかもしれない。
「第3の門番エクレシアの【血の洗礼】が解けない。それだけの事だ」
「つまり、何もできなかった…?」
ラハブはサーハラを睨みつけた。そして、顔を近づけると獰猛な笑みを浮かべてゆっくりと囁いた。
「奴らは我らに狩場を用意してくれる。狩場の準備が整うのを待っていたんだ」
要するに打つ手がなかった。そういうことか。
サーハラは顔を引きつらせつつも、小声でめげずに疑問を投げかけた。
「門が閉じていても、魔王の復活を目論む者を見つけて倒すことは可能だったのではと思えたのですが…もっと早く」
もしかして、魔王が蘇る予感を察知したからこそ門番達は何もしない年月を送っていたのか?
敢えての沈黙の18年?
魔王を倒すことができたら、覇王に次ぐものと豪語できる。そう考える覇者は少なくないだろう。覇王が目覚めないことをチャンスと考える者もいるはずだ。
わざと放置していたのでは?と勘繰りたくなる。
「ここまで来たら魔王の目覚めなくしては展開として楽しくないだろう」
そうは言ってみたもののラハブはトレスの死後、何度もアベンの放った魔物を屠ってきた。そして、エクレシアの【血の洗礼】の意味を考えた。どう考えても無駄死になど納得できない。何故、【血の洗礼】なのか。そこが分からない。それに【血の洗礼】の標的は未だに判明していない。ハギオイは核だと言っていた。核とは何のことだ?呪詛の塊?そもそも呪詛は倒すというものでもないだろう。
不信がっているサーハラにラハブは溜息をついてみせた。
「魔王が蘇らないと、我々が戦う大義名分がない。そう言えば納得か?我々の相手はこの世の戦力ではない」
そうだった。園はあの世だ。この世の戦力を越えた人間が門を通る。計り知れない世界の法則が働いていて、園の住人はこの世の巨大で異質な存在と戦うよう仕向けられているのかもしれない。
サーハラは納得するように微笑してみせた。
「淘汰に向けて対策はありますか?」
「倒せばいいだけだ。そうそう、私の大本命は大祭司アベンだから、そいつは私の獲物だぞ」
大祭司アベン。
サーハラはつい神殿を見てしまった。この国の大祭司はこの国のトップということだ。そいつをラハブが獲物認定している。本来、覇者は国を転覆させたりしない。つまり、この国は相当にヤバい状態で、終焉を迎えるということだ。
さて、そうなると目覚めた魔王は誰が倒すんだ?意外にもラハブは最難敵の魔王ではなく大祭司を狙っているという。
二人で領都内を観察して歩きながら、サーハラはふと考えた。
いったいどれだけの覇者が今、この世に残っているんだろう?
「我々と共闘できる園の住人はどれくらいいると思いますか?魔法戦になりますよ」
大半の覇者は魔法が不得手だ。この国の祭司は凄腕の魔導士が多い。攻め込んでも逆に狩られる園の住人が多いだろう。今だって狩られているかもしれない。無駄死には切ないものだ。
柄にもなく他者を心配するサーハラに対して、ラハブはニヤついた。
「適性のない園の住人がこの国に入ってきたらセモール山脈へ追い立てておいた。セモールで大人しくしていたら生き残れる。自分の力量も図れない愚か者はそもそも園には入れないからそんなに悲惨な事にはなってないよ」
セモール山脈。確かにあそこの結界は半端ない威力を誇っている。
「適性のあるなしってどこで判断されたんです?」
「私の雷を躱せるかどうか」
無茶だな。つまり、バアル・ゼポンまでたどり着ける覇者が激減したってことだ。ラハブの剣術は落雷を連想させる凄まじさがある。何しろ魔法の法則も切り捨てる。それを躱せる覇者は意外にも少ない。園の住人でも一握りだ。こちら側にいる大半の住人がセモール山脈に留まっているのかも?
「私はもちろん王都に進んでいいのでしょうね?」
少女のような無邪気な笑みを見せるサーハラに対し、ラハブはゲラゲラと笑い声をあげた。
「可愛い子には旅をさせろっていうからな。合格」
よかった。ここでセモール山脈に行かされたらアクロン達に笑われる。
「でも、意外でした。他者を気遣うなんて柄じゃないでしょ?セモール山脈に逃がすなんて」
「これでも門番だからな。園の住人が魔導士ごときに殺されるのはムカつく。それに、門番の人選ミスって守護者に馬鹿にされる」
守護者。自称錬金術師。園で一番の偏屈者。霊廟の守人。
しかし、ラハブの本音は守護者の事などどうでもよかった。【血の洗礼】でエクレシアが無駄死にしたかもしれないことが引っかかっていた。だから、これ以上、無駄に園の住人が死ぬのを防ぐためにセモール山脈を使うことにした。
実力の無いものをこの戦いに巻き込めない。
もしかしたら、そう思ったからこそエクレシアは【血の洗礼】を放ったのかもしれない。
「守護者殿は凄いですね。園にいるのにセモール山脈の結界は千年、揺るがない」
サーハラは敬愛するようにうっとりと守人の姿を思い浮かべた。霊廟の中でただ座って金貨を生み出しているようにしか見えないが、サーハラが魔法を学びたいと頼むと快く教えてくれた。顔を見ることはできなかったが魔法を紡ぐ所作は美しいとしか言いようがない。
守護者を尊敬するサーハラに対し、ラハブは肩をすくませた。
「あいつとは千年の付き合いだ。あいつはこの世とあの世の法則を読み解いた化け物だ。魔王が赤子に見えるレベルだろうよ」
魔王が赤子?つまり、楽勝?
「それって、その」
「だから、あいつは何もしない。動かない。全知全能な存在というのは人間にとって役に立たないってこと」
全知全能?それって、守護者のこと?
「神を冒涜していませんか?」
「神なんていないよ。いるのは魔王だ。人間を戦わせ、お気に入りだけ生かして全てを滅ぼす神なんて<魔王>だろう?」
隣人を喰い殺していく神が自分たちを喰わないと思う方がどうかしている。
ラハブは唸り声を漏らしたかと思うとニヤリと笑って言った。
「魔王を神と崇めた奴らも最後は魂まで喰われて終わる。我々はそいつらの信徒を助けてやるために魔王と戦う善意の軍団だ」
よく言うよ。まぁ、善意はともかく、神がいないなら我々が戦う。それだけのこと。
「園に入って300年を越えました。最高の腕試しです。魔王を狙ってみます」
サーハラの華やかな微笑はとても戦士とは思えなかった。細い腕と竪琴で魔王を狙うなどと口にする。
ラハブはサーハラの背中をバシバシ叩いて笑った。
「よく言った。貴様は猫だからな。私の軍団だ。鳥に負けるなよ!」
「軍団長はあなたですか?」
「軍団長?千年前は、エルカナだったな。あいつが目覚める前にアベンを倒さないと横取りされる。速攻で挑むぞ」
速攻…無茶を言わないでもらいたい。
こっちは古代人と違って魔王の事を知識でしか知らないのだから。
苦笑するサーハラを、ラハブはニタニタと嘲笑した。
「一つ警告。覇者には5人の妻がいた。そのうちの2人は園に入らず魂の輪廻を選び、セモール山脈の戦で命を散らした。残りの3人が覇王と共に園に眠っている。この3人の一人がエルカナだ。3人ともかなりヤバい。エルカナ以外の2人は龍だ。ロイスとアラム。龍文様の奴らは軍団を無視して、こちらの獲物をかっさらう。奴らが目覚めたら要注意だ」
「龍は遊撃ですからね。覇王の妻ですか…」
覇王に妻。想像したこともなかった。
「安心しろ。お前の方が美人だ。エクレシアは龍文様だし、ロイスに似ているから、エクレシアは覇王の血筋なんだろうな。そのエクレシアが死んだと知ったら、ロイスの奴、激怒して突撃してくるからアベンをのんびり料理できない。それが一番困る」
ラハブは敵を全く恐れていないんだな。過小評価が過ぎるのでは?
それにしても覇王の妻。いままでそういう話題はあまり聞かなかった。エクレシアが覇王の血筋という噂が本当だったとは。まぁ覇王門が閉じていては出てくることもできないだろう。
「ところで、覇王って何歳で園に眠ったのですか?」
園の住人は不老だから外見の若い者が多い。しかし老ハギオイは園に入った時既に老人だったから年長者らしくしていた。
ラハブはサーハラの問いに頭を少し捻って思考を巡らせた。千年前の記憶。
「そうだな。私の倍は生きていたから60代の初老くらいか?貫禄のあるじじいだな」
じじい…。尊敬の念がない気がする。
「では、その妻もあなたより年上ということですか」
「そうだな。3人とも年齢が違う。30代~50代だったような?熟女の凄みがあるから大抵の男どもはビビッて逆らえない。お前も気を付けないと喰われるぞ」
「気を付けます」
いったいどんな女性たちなのだろう。このラハブがヤバいなんて表現するとは。
千年前、国もない時代の家族形成は、一夫多妻でも一妻多夫でもない。家族になるかならないか。それだけだ。だから、血縁のあるなしもある意味関係ない。誰の子どもか不明なこともあるが、あまり気にしなかったという記録がある。戦が多く、生まれるより失われる命の方が多いため、血縁を越えた家族集団の成立が生き残るために必要だったということらしい。
「そうそう。覇王の息子や娘で、園に入らず、この世で生きて死んだ者も多いから、この世のどこかに血筋はいる。ハギオイや守護者の血筋も探せば居るぞ」
千年、どこまで辿れるのかは謎だ。国もない時代、系図など無いだろう。
「守護者の血筋ならバアル・ゼポンの祭司くらいになれそうです。もしかしたらいるかもしれない?」
「バアル・ゼポンの祭司の血筋に?多分、いないな。覇王の軍団には宗教を好む奴はいなかった。どちらかというとテモテとかダベルネの方が血筋じゃないか?覇者の事を語り継ぐ奇特な連中がいる」
確かに。ダベルネなどセモール山脈信仰と言えなくもない。
「セモール山脈は宗教になりそうですね」
「あれは墓参りだ。先祖を敬っているだけの事だ」
墓参りか。確かにあの墓は土師たちが守っている。先祖の魂はそこにはもういないだろうけど、戦士たちが大地に還った場所だ。
そもそも魂の輪廻を園の住人は理解しているが、この世の大半の人は分かっていない。魂について半信半疑だ。神の世界や死者の国があると信じる者もいれば、生まれ変わって戻ってくると信じる者もいる。生命は宗教とは別な感覚で死を感じている。魂が鍛えられると次の上の世界へ行くと考えている者もいる。いずれにしろ魂が喰われてしまえば、どの考えからも漏れる。終わりだ。
この世は試練。
魂を鍛えて次へ進むしかない。だからこそ、園はただの休息の地であり、不死ではない。
さてと、戦だ。
サーハラは小脇に抱えた琴を正面に構えて弦を弾いた。弦は物悲しい音を響かせた。
「王都に入ってすぐですか?」
たった二人で大祭司がいる大神殿に突撃だろうか。
「いや、魔王が完全にこの世で目覚めてからでないと逆に魔王に逃げられる可能性がある。4都市の淘汰が魔王の目覚めの糧となる。復活の儀式か何かに数日かかるだろ」
「淘汰の犠牲は見て見ぬふりですか?」
「淘汰に巻き込まれるのは自業自得の欲深な奴らだよ。悪行を重ねた奴らのことなど気にするな」
この国にも良心のある者はいると思うんだが…。
「では、商人や異国者を逃がしますか?」
「噂は流した。金に目がくらまない限り、逃げられるはずだ」
商人達は儲け話でここに集まってきている。逃げるように促す噂に耳を貸せば、儲けより命を優先して出国するだろうということだ。
「どうして淘汰は異国で行わないのでしょうか」
「餌を運ぶのが面倒なんじゃないか?それに、外に餌があると知った魔物は魔王の目覚めと共に一斉に異国へ向けて駆け出すだろう。瞬く間に大地は魔物で埋め尽くされる」
覇王門を封印し、自国で魔物の力を増幅し、異国へ一斉に放つ。予期せぬ魔物の襲来。異国は何も手を打てないだろう。大量の魔物の出現などそれこそ千年ぶりに違いない。
「まずいですね」
「セモール山脈が何のためにあると思う?あれはただの結界ではない。あれより南にはそう簡単に抜けられないだろう」
守護者は千年前の魔王との戦いで、魔物の進行をあの場所で食い止めた。だから、あの山脈は決戦の場となった。血沸き肉躍る。ラハブにとってそんな戦場だった。
ラハブはニヤついてサーハラを見下ろした。
「セモールに避難させたが、園の住人である以上、雑魚の魔物くらいは倒してもらいたいね」
結局、避難させたというよりは、防波堤になれということか。
まあ、戦えるなら園の住人は大喜びだろう。
「お前にしては珍しいな」
「なにがです?」
「いつもは他人の事などどうでもいいだろ?」
園に入ってきた当時のサーハラは世界が亡びても自分の美貌が健在なら問題なしと豪語していた。
「私は私の美貌を第一に考えていますが、それを引き立ててくれる他人は大歓迎ですよ」
サーハラは自慢の髪を揺らしながら極上の笑みを浮かべてみせた。
ラハブは鼻を鳴らした。
ラハブにはサーハラの魅力は全く通じない。
サーハラはそれでもラハブの事が嫌いではなかった。古代人の彼女は世界に「国」が誕生する前から生きているというのに時間を感じさせない。価値観が違うはずが、違和感がない。粗暴なのに不快でもない。ラハブのとんでもない強さには舌を巻くし、鍛錬に付き合わされると大変なことになるが楽しかった。
園に入って自分は変わった。サーハラはそう感じることがある。ラハブの事もそうだが、アクロンやバルクとともにいる時も、昔の自分では考えられないくらい素で笑っている。
過去の自分は素顔を見せない子どもだった。他人は全てモノだった。他人にとっても自分はモノでしかなかった。美しい飾り物。玩具。取引道具。貴族の子として生まれ母譲りの美貌で周囲から甘やかされたのは5歳まで。親が没落し、国が滅び、次々と自分の飼い主が変わった。よくこの顔が無事だったものだ。最後の屋敷では欲にまみれた飼い主たちを皆殺しにした。その後も自分に見惚れるモノを殺し続けた。あれは何歳だったのだろう。多分、13歳になっていなかった気がする。他人を騙すのは簡単だった。言いなりになる馬鹿な大人も多かった。攻撃してくるモノは他の大人に消させた。他人など無価値だ。
自分を崇めるために存在を許してやっているだけだ。
いつの間にか、一人で旅をしていた。どうして、旅を始めたのかきっかけは忘れてしまった。
ある日、覇王門に出会った。
門番はこの中に美人は多いから、その顔は自慢にならないかもなというふざけたことを言って声を掛けてきた。ムキになって確かめるために入った。第3の門番は美人だった。甲乙つけがたいと周囲は言っていた。いや絶対に負けていない。
馬鹿馬鹿しい。そう思っていたのにもう300年以上も園の住人をやっている。
基本、園の住人は過去を詮索しない。腕自慢をするだけだ。園の住人は仲間意識が薄い。その気楽さが良いのかもしれない。本当に他人などどうでもよかった。それなのに古代人への憧れは強くなった。園の住人は誰もが古代人に憧れてしまう。そのためか稀に覇王門を潜った連帯感が生まれる時がある。そして、多分、この戦は連帯感を生むだろう。
また、自分の中の何かが変わるかもしれない。自分以外を見ることが少しずつ増えていく。
翌朝、路地裏に死臭が漂っていた。
「叫び声が聞こえた」
「夜中に何かがあったらしい」
囁き合う住民の顔色はさえなかった。
幾つかの裏道で魔物が人間を試食したらしい。淘汰を待てないとみえる。
「祈りなさい」
そんな祭司の声が広場から聞こえてきた。
ラハブは建物の陰から冷ややかに広場を見つめていた。
祈ったところで救われない。
人間を殺し合いの道具にするのがこの国の神だ。ここの祭司は建国以来、人間の弱い心を支配して王族を盾に殺戮を繰り返しその地位を築いてきた。決して自分たちは表で戦わない。異国で殺し合いをさせる。本当に胸糞悪い。今回の淘汰が自国内ということに驚いたが、それだけ自信があるのだろう。大祭司アベンが覇王門を封印しようとしたのは奴が恐れる敵が覇者以外にないということだ。門が閉じている今、アベンは世界を蹂躙する。
その頃、サーハラは宿屋の玄関に近い待合で女将とおしゃべりしていた。朝食を終えた旅人も何人か寛いで噂話に花を咲かせつつ、チラチラとサーハラの姿を視界に入れていた。
テモテでスカーフを売りつけられた時は、魅力が減ったのかと焦ったが、ここでは問題なく心地よい視線が集まるのでご機嫌に笑顔を振りまいた。
「最近、物騒ですね」
「この国の繁栄を妬む異国者が悪さをしているってことだからね。あんたも衛兵さんに捕まらないようにね」
「え、私が捕まる?こんなに善良なのに?」
「私が守ってあげようか?」
クスクスと女将はサーハラの華やかな笑みに照れるように揶揄い口調で返した。
「守ってほしいですよ」
艶めくサーハラの笑みに客慣れした女将も真っ赤になった。魅了は完璧だ。
「サーハラ!いくぞ!」
突然、入口からラハブの怒鳴り声が飛んできた。
「今行きます!」
サーハラは、女将にウインクして舞うような軽やかさでスカーフを腕に巻くと外へ出ていった。
その姿を目で追っていた女将は、姿が見えなくなると溜息をついた。
「あんな美形があんな大女の恋人なんてねぇ。七不思議だわ」
「あれは姉弟じゃないのか?」
「いや、あの男はあの女のヒモだろ」
「大道芸人の元締めと下っ端芸人じゃないのか?」
「あれだけ顔が良ければ、金持ちのお抱えになれそうなのにねぇ」
「前に神殿で讃美歌を歌っていたのを見たことがあるわよ」
「讃美歌。あら、良いことだわ」
「そういえば、神様は日が沈んだら外出してはいけないという日没の掟を定められたけど、いつまで続くのかしら?」
「悪い者が捕まるまでということらしいけど、お客様方もくれぐれも気を付けてくださいよ」
「神様がきっと守ってくださるわ」
宿屋の中の話題は、国を守る神様のことでもちきりになった。
ラハブはサーハラを顎で呼びつけ、路地裏の血の跡を視線で示した。
「この領都内で11か所だ。かなり飢えている奴がいるようだ」
「倒さないんですか?」
「さて、どうしようか」
倒すのは簡単だが、ここでアベンに用心されるのも得策ではない。
魔物を倒せる人間がここにいることを知った大祭司は、魔王復活の前に厄介者を排除しようとするに違いない。ここは我慢の時だろう。
「下手に倒すと淘汰の日に厄介な魔物を投入されるかもしれませんね」
サーハラが何気なくつぶやいた言葉にラハブは口角を上げて目を輝かせた。
「良いことを言う」
「え?」
「肩慣らしに丁度いい。ますます淘汰が楽しみになるな」
言うんじゃなかった。
サーハラは内心溜息をついた。ラハブの戦闘脳を刺激してしまった。サーハラはスマートに殲滅したい。無駄な体力を使うのはどうかと思う。
しかし、ラハブは三度の飯より喧嘩が好きな狂戦士だ。
夜、
サーハラが広場で竪琴を奏でて魔物を引き寄せ、ラハブが一撃で倒していった。魔物は5頭。その全てが一撃だ。ラハブは容赦しない。これで、敵はラハブの存在を把握してしまった。
翌日の巡回兵は倍増していた。神殿の魔法陣にも攻撃魔法が追加された。警戒させ過ぎたようだ。もっともラハブはご機嫌だ。手強い敵こそラハブの好物だから仕方ない。
「これで、面白くなる。退屈な目覚めでは覇王もがっかりするからな」
ラハブの台詞にサーハラは驚いて彼女を見上げた。
今、なんて?
「覇王が目覚めると考えているのですか?閉じた門は?」
覇王がいないから魔王を倒す役も視野に入れていたというのに、話が違う。
慌てるサーハラに、ラハブは呆れるように肩をすくませた。
「馬鹿め。園を管理しているのはあの守護者だぞ。門など開けようと思えば開く。魔王だぞ。起こさなかったら逆に恨まれるだろ。まぁ寝ぼけて覇王が殺られたら、我らが魔王を殺るだけだ」
このテキトーさ。これが古代人の強さの秘訣に違いない。【血の洗礼】が解けないと言ってみたり、守護者が動かないと言ってみたり、門を開けられると言ってみたり…。コロコロ変わる。ここにアクロンがいたら怒るかもしれないが、サーハラは微笑した。
「覇王にお会いしたいです」
だから、是非とも覇王に目覚めてほしい。千載一遇の好機。
「覇王は面白い奴だぞ。あの偏屈じじいの守護者を軽くいなす」
覇王を知っているラハブが羨ましい。ラハブは子どもの頃から覇王の傍にいたというのだ。
千年。長い時のようだが、時間なんて幻だ。サーハラは詩人だから時の流れを詩に紡ぐ。紡いでいるうちに人には過去も未来もないのではないかと感じるようになった。意外にも人はただ今を生きるだけなのだ。だから、千年は遠くない。時間に焦ってはいけない。ゆったりと余裕を持って今を読み解くことが大切だ。
「覇王に謁見できるなんて夢のようです」
「そんな大した奴じゃないぞ、と言いたいところだが、覇王は本当に強いからな。あの強さには誰だって憧れる」
ラハブが憧れなどと口にするとは。サーハラは思わず呆けてラハブを見上げてしまった。
ラハブは鼻を鳴らした。
「おっさんだが、恰好いいぞ」
「魔王との戦、素晴らしい詩が生まれそうです」
「歌っている暇などない。覇王は苛烈な戦を好む。覚悟しておけ」
下書きしているとエピソード番号が入る。アップすると番号は表示されない。今更気づきました!ということで、番号なしで続けます(ー_ー)!!




