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小さな国ダベルネ

アザリアとアクロンは崖を飛ぶように駆け下りていた。

頭上からは矢が雨のように降り注いでくる。

中には火矢もあった。

山岳地帯を近道して抜ける予定が、何故か野盗がめったやたらに襲ってくる。

アクロンは、舌打ちしつつ、舞うように剣を放つと火矢を叩き落し崖下に降り立つなり魔道具の一つを上に向けて投げつけた。

「アザリア!よけろ!」

それは丸い小石のように見えたが、崖上で火花を散らした。

その衝撃で岩が落ちてきた。しかも落ちたのは岩だけではなく矢を放っていた野盗も落ちてきた。

「危なっ。何だよ、今の」

アザリアは初めて見る火の攻撃に驚いて大樹の陰に身を隠した。

「説明は後!行くぞ」

アクロンはアザリアを促すと木々や岩の間をノンストップで駆け抜ける。

野盗の数を減らさないことにはどうしようもない。

「ここで戦わないのか?」

賞金稼ぎは倒してなんぼ。逃げてばかりは性に合わない。

「場所が悪い。他にも隠れている奴らがいる」

アクロンには周囲の気配が読めていた。

崖の上にいる奴らがすべてではない。並走する奴や前方に待ち構える奴もいる。かなり大きな野盗団に違いない。組織化されて動いている。

アクロンの素早い動きにアザリアも負けずについていった。時々矢も飛んでくるが当たるようなヘマはしない。

アザリアはこの山は初めてだがアクロンはよく知っている。だから、戦いやすい場所もいくつか候補を挙げられた。問題は、この野盗が金目当てで襲ってきているわけではないということだ。

普通は商人を襲う。アクロンとアザリアを狙う理由は何か。

アクロンは少し開けた場所に出るとアザリアを振り返った。

「四方から敵が来るぞ」

「って、罠に嵌ったってことか?」

「罠に乗った、と言ってくれ」

ニヤリと笑うアクロンは、驚嘆するアザリアを面白がっていた。

木の間からロープのようなものが投げられアザリアを狙うが、アクロンはそれを鮮やかに切り捨て、囮になるように目立つ場所へと駆け出した。

無駄のない動きについアザリアは見とれてしまった。ボーっとしている暇など無い。矢も飛んでくるし、違和感のある木の根元から鉄杭が飛び出してきた。そこかしこに罠が仕掛けられていた。

罠に乗った?

冗談じゃない。こんな危険な場所で戦うなんて正気の沙汰じゃない。

アザリアが罠や矢を避けているうちに、凄まじい怒号が聞こえた。アクロンにむけて20人くらいの野盗が一斉に飛びかかっていた。

まずい。いくら彼が風のアクロンと呼ばれる覇者であろうとも…

焦るアザリアの目に映ったのは、アクロンが笑みと共に竜巻を起こすさまだった。

アクロンが振る剣からは風が巻き起こり、大柄な野盗さえ次々となぎ倒されていった。

「これぞ風のアクロンの真骨頂」

悠然とアクロンが剣を鞘に収めたとき、周囲の大地には20名以上の野盗が白目を向いて倒れていた。

遠くから矢を放っていた野盗の残党は真っ青になって逃げだしていた。

すごい。

アザリアは絶句して、ゆっくりとアクロンに歩み寄った。覇者とはこんなに凄まじいということだ。

「こいつら…死んでいる?」

「生きてはいないな。風圧で瞬間的に圧死する。この技は、いつもは使わないけどね。こいつら明らかに魔眼のアザリアを狙っていたからな」

アクロンにそう言われるとアザリアは眉間にしわを寄せた。

「私?いや、風のアクロンを狙っていたのでは?」

そう言いながら、アザリアは野盗たちを見渡し、その中に見た顔を見つけた。山に登る前の市で眠り薬を商人に売らせようとした二人組の賞金首だ。野盗の仲間だったようだ。

「知人か?」

「いや。商人を使って私に眠り薬を飲ませようとした奴らだ」

「やっぱり君狙いだ」

野盗が賞金稼ぎを集団で計画的に狙ってくるとは。金貨20枚だけのためにやることか?

アザリアは自分狙いと言われ不本意そうに唸り声を漏らした。自分は狙う側にいたはずだ。

そんなアザリアに対してアクロンは肩をすくませた。

「しっかし、わざわざ眠らせるとはね。毒薬の方が手っ取り早い」

「ああ、生け捕りにしたかったのかもしれない。賞金額、生け捕りは金貨100枚だから」

「なるほど」

金貨100枚ならこの襲撃も頷ける。とはいえ、この襲撃は大袈裟すぎるから怨恨だろう。きっとアザリアに討たれた奴の身内がいたのだ。

「よく眠り薬を見破れたな」

「馬鹿な奴らで、商人に売らせようとした袋に魔法文字で<眠りを誘う>と書かれていた」

「なるほど。で、魔法は分からないと言っていたが、文字は読めるのか?」

「剣の恩師が魔法文字も読めた方が良いと言って覚えさせられた。だから少しだけ読むことができる」

まさか役に立つ日が来るとは思わなかった。

「珍しいね。剣の使い手で魔法文字を推奨するなんて」

「とても良い人だった」

過去形。

「命の恩人で、剣の師で、同居人だった。今の私があるのは老ハギオイのお陰だ」

アザリアはハギオイを思い出すように空を見上げ、柄を握る手に力を入れた。

この剣で黒竜を討つ。必ず黒竜に辿り着いてみせる。


ハギオイに思いを馳せるアザリアをアクロンは茫然と見つめていた。

何だって?老ハギオイ?剣の師が?

おいおいおい。

この魔眼のアザリアはどれだけの門番に関わっているんだよ。老ハギオイは第4の門番の事じゃないのか?

「つかぬことを聞くが、君の恩師は千人切りの老ハギオイなのか?」

「知っているのか?蔦で杖を作る変わった剣士で、千人切りと言われる老ハギオイだ」

「超有名人だ。って…さっき、過去形じゃなかったか?」

アザリアは過去形で話した。それは何を示している?

「ハギオイは他界した。嘘か本当か100年以上生きているから老衰だと本人は言っていた。最後は寝台から起き上がれなかった」

100歳以上。なるほど。それは嘘じゃない。ちょっと桁が間違っているけどな。

アクロンは腕を組んだ。

あの老ハギオイが死んだ?老衰?

いやいやいや。違う。そんなバカなことはない。

いくら門が閉じているとはいえ老衰はない。園の住人は不老だ。

おまけに覇王と共に戦場を駆けた老ハギオイは無敵と言われていた。

ずっと閉じている覇王門。どうやら、予想以上に門番達は苦戦しているようだ。

北のバアル・ゼポンではかなりの危険が待ち受けているということだろう。


「生き残りの逃げた野盗たちに追われるのも面倒だ。先を急ごう」

いきなりアクロンはそう言って歩き始めた。

アザリアは首を傾げて慌てて後を追った。

その後も、いろいろな悪党どもから二人は襲撃を受けた。

しかし、風のアクロンは本領を発揮して賊をアザリアに寄せ付けなかった。

こうなったら必ずアザリアをバアル・ゼポンの王都へ届けなければ。

それこそが門番達の狙いに違いない。


アザリアはアクロンの選ぶ道に感心していた。自分一人だったらとうの昔に迷子だ。

土地勘があると言っているがそれだけではない気がする。

剣術も噂以上に切れがある。細身の体付きからは全く想像できない力を秘めている。


「少し手合わせしてもらいたい」

ある日、アザリアは思い切って、アクロンに稽古をつけてほしいと頼み込んだ。

アクロンは意外にもあっさりと引き受けてくれた。

アクロンの剣とハギオイの剣は全く違ったが、アクロンはアザリアの剣筋をほめた。

「基礎がしっかりしていてまだまだ伸びるね」

「ハギオイは辛抱強く教えてくれたからな」

「いつハギオイに?彼は弟子を取らないって噂だったんだ」

「奴隷商人に捕まった時、ハギオイに命を助けられた。…血の渓谷の後、仇の黒竜を探そうと傭兵を雇った国へ向かった。8歳だったし一人旅は初めてで現実をまだわかっていなかった。トレスの宝の一部を売って路銀にしようとしたのに取り上げられ、殺されかけた。敗戦兵にも襲われトレスとマノアの形見の品も奪われた。だから盗みも沢山した。でも子どもは大人には敵わない。奴隷商人に摑まって的当て用の見世物として売られそうになったところをハギオイが買い取って助けてくれた」

「…大変だったんだな」

よく生きていたものだ。8歳の女の子が一人で生きて育つ確率はかなり低い。生かされても玩具にされるのがおちだ。立派に育ってよかったと言っていいだろう。例え賞金稼ぎでも。

「トレスが親っていうことは話したのか?」

「もちろん。トレスに拾われ育ててもらったこと、仇が黒竜ということも話した。この剣はハギオイが選別にくれた。黒竜を倒すおまじないだ」

まじまじと柄を見る。あまり見かけない赤い龍の文様が入っている。いや、見覚えがある。確かエクレシアの剣は赤い龍だったような?

ハギオイが敢えてこの剣をアザリアに渡すということはやはり彼女はキーパーソンだ。

「急ごう」

いきなり、アクロンは歩みを速めた。

時々、アクロンはいきなり急ぐのだ。アザリアは小首を傾げて慌てて後を追う。



ダベルネは小国というだけあって、本当に小さかった。

東の大国テモテの領都一つ分よりも小さい国土だ。だから都は王都しかない。

そんな小さな国を深い水堀と高い壁が囲んでいた。その風景が物々しく威圧感を与えてくる。

堀にも壁にも魔道具が設置され防衛魔法が作動しているため侵入は不可能。ということで正しく門から入ることになる。

門を守る衛兵は30人。皆、厳めしい顔で通行人たちを睨んでいる。


「テモテの王都は入ることができなかった」

アザリアがそう呟くので、アクロンは肩をすくませた。

「賞金稼ぎで目立ちすぎているからなぁ。山であれだけ狙われたからテモテの警備の対応も仕方ないな」

あれは予想外だった。いつもはあれほど狙われたりしない。

「ここは入ることができると思うか?」

「ダベルネは魔法使いに対しては厳しいが、剣士にはチェックが緩い。大丈夫だよ」

「…バアル・ゼポンの王都には入れると思うか?」

「入るための魔道具をここで揃えるのさ」

ニヤリと笑うアクロンは自信たっぷりに胸を張った。


アクロンの言う通り、ダベルネの門を通るのは造作もなかった。

アザリアは門を通り、眼前に広がる風景に唖然とした。

壁の内側は別世界だった。

気候も山岳地帯より温暖で穏やかな風が吹き、街中も緑が豊かで色とりどりの花が咲き乱れている。

街路に沿うように小川も流れ、小さな家々が立ち並び、行きかう人の声も明るく賑わっていた。

まるで高原の野原に立っている感覚になる。

「この国は仕掛けが多い。見た目に騙されないこと。国に害為すものを容赦なく排除する」

アクロンがアザリアに声をかけるとアザリアの視界が変わって階層のある石造りの建物や木組みの建物が並ぶ街路が現れた。

アザリアは目を瞬いた。いったいどういう仕掛けなのか?

「そうそう、この国の住民は魔道具を身に着けているから喧嘩を売らない方が良いよ」

アザリアは嘲るようなアクロンの口調にムッとして横眼でアクロンを睨みつけた。

「私は賞金稼ぎだ。賞金首以外には喧嘩を売ったりしない」

「それは良かった」

ニコニコとアクロンは頷くと石造りの家が並ぶ一角に入り目的の魔道具屋を探す。

「お勧めの魔道具屋はここだ」

石造りの3階建ての店だ。入口には小さな看板が掛かっている。魔法文字だ。

アザリアはその文字を読もうと真っすぐ睨みつけた。

しかし、あろうことか文字が動いて並びが変わる。店の名前が変化するなどあるのだろうか。

「その文字は店名と商品案内を兼ねているから、動いてアピールしているんだ」

なんて落ち着きのない文字だ。アザリアは初めて魔法を目の当たりにした。

「これが、魔法?」

「あれ?ハギオイから習ったんじゃないのか?」

「魔法文字を少し読める程度で魔法など習っていないし、ハギオイが魔法を使っているところなど見たことはない。ハギオイが作った杖の購入者が魔法を使ったところも知らない」

「なるほど。まぁハギオイは剣士だからなぁ」

血の渓谷から子供が一人で動ける範囲となると、ハギオイの工房があるテーマーンでアザリアは育ったことになる。南の地方は魔法文化がほぼない。南の山脈周辺も小国が常に戦っていて文化交流が成り立たないのだ。だから、魔法などお伽噺だろう。

「ここと比較するとテーマーンは長閑な田舎だろう?」

「テーマーンとどうしてわかる?」

「老ハギオイの工房はテーマーンにある。有名だ。遠方過ぎて俺は行ったことが無いけどね」


テーマーンで過ごしたことを当てられアザリアは溜息をついた。

そうか、話している相手は120年以上生きている覇者だった。物知りなのは当然だ。

「テーマーンには山と海があった。港町は賑やかだったが、基本、山の中で過ごしていた。確かに、ここのように人も多くないし建物もこんなに立派なものはなかった。たまにハギオイの杖を売るために領都巡りをしたが、そこでもこんなに凝った街並みではなかった」

「だろうね。ここは都会だ」

巨大な国家バアル・ゼポンに隣接するダベルネは最先端を行くことで国の防衛を確立しているのだ。


アクロンは扉をノックして魔道具屋<山の背>に入った。

「いらっしゃいませ」

二人が中に入ると愛想のよさそうな初老の男性が声をかけてきた。

この店の店主だろう。

アクロンはにこやかに店主に微笑みかけた。

「バアル・ゼポンに行こうと思っている。攻撃・探索どちらの魔法も防ぐことの可能な装備が欲しい」

「王都ですか?高性能な魔道具は値が張りますよ」

「金はある。あそこの王都は異教徒に厳しいからな。バレないヤツが良い。俺たちは商人じゃないから優遇が受けられない」

バアル・ゼポンは宗教国家だ。異教徒が死んでも誰も気にしないと言われている。それでも商人が行きかうのはそこにしかない特産物があり、商人の通行証には優遇処置があるからだ。

「商人を装う魔道具もありますよ」

「いや、剣士として入りたい」

「正規兵の募集にいかれるのですか?」

「いや」

「お客様は40年前もご利用いただいておりますね。覇者の園からお越しというわけですか」

アクロンは店主を睨みつけた。

確かに依然来たのは40年くらい前だ。記録が残っているのは不味い。これだから魔法は苦手だ。おそらく入口の扉に触れた瞬間、過去の記録と照合されたのだろう。

「人の素性を口にすると命も短いぞ」

「我らに脅しは無効ですよ。魔物の噂が多くなってきましたのでそろそろ覇者様たちも動かれるのではないかと思っておりました」

「他にも誰か来たのか?」

「そこは守秘義務がございますので」


アクロンがムッとしている間、アザリアは店内のすべてが物珍しくて見て回っていた。

店内は外からの光が入ってこないように締め切られていたが、照明用の蝋燭が幾つも点いているため商品を探すのに困ることはなかった。

帽子やマント、靴といった衣類以外にも水晶玉が大中小と様々なサイズで並び、杖や絵画なども陳列されていた。

アザリアはつい杖を手に取った。ハギオイの杖と違って一本の木を削って作られているらしく、しっかりとしていて重さもある。長さはアザリアの背よりも高かった。杖の良し悪しなど判断できないというのに、なんとなくハギオイの杖の方が丈夫な気がした。

「おや。お客様は魔法使いですか?」

全くそうは見えないが、店主は杖を吟味するアザリアに声をかけた。店主はアクロンが覇者ならば連れも覇者なのかと予想を立てたのだが、杖を手にするとは意外だった。

「私は賞金稼ぎで剣士だ。ちなみに覇者の園など全く関係のない人間だ」

アザリアは自分を値踏みするような店主にハッキリとアクロンとの違いを表明した。そして、杖を元の位置に戻した。店主はその回答に戸惑いながらアクロンを振り返る。アクロンは苦笑しながら頷いて見せた。

全く関係ない人間かどうかは疑問だが、ここは同意するべきだろう。

「彼女は魔眼のアザリアだ。有名だから知っているだろう?」

情報通のダベルネの商人が知らないはずはないと言わんばかりだ。もちろん店主は頷いた。

「有名な方々にご贔屓にしていただけるのは光栄です。魔法対策のローブやマントはどの店より高度ですので、こちらよりお選びください」

そう言って店主は室でも薄暗い奥のカーテンを引いた。

高級品は隠して展示しているのがダベルネの流儀だ。何しろバアル・ゼポンという脅威がある。何事にも慎重になるというものだ。

30着以上ある中からアクロンはフード付きマントで濃紺色のものを選ぶと羽織って長さを確認した。

「俺はこれに決めた」

即決だ。

アザリアは自分の身長に合う物の中からグレーのフード付きマントを選んだ。生地は厚く少し重く感じたが羽織ってみると邪魔にもならず重さも感じなかった。これなら着たままで十分に剣を振るい戦える。

「良いものをお選びです。透視魔法も炎魔法も防ぎます。呪詛にも十分対応可能です」

アザリアが満足しているので店主はそう言って性能を説明し始めた。探索もかわすことができ、魔法の盾として十分な働きをするということらしい。

「いくらだ?」

「金貨20枚です」

自分の賞金と同額のマントというわけだ。アザリアは躊躇うことなくさっさと金貨を支払った。

値切り交渉もしないとはとても盗賊トレスの娘とは思えない。アクロンは肩をすくませて自分のマントの値段を店主に無言で問いかけた。

「そちらは金貨25枚です」

「少しは値引け」

「覇者の方々は潤沢な財布をお持ちと伺っておりますよ」

にこやかな店主に対し、アクロンは眉を吊り上げた。どこのどいつがそんなことを抜かしたんだ。サーハラかもしれない。覇王の財宝を持ち出すのを咎める者もいないから、覇者が金に困ることなど無いのだ。

「仕方ない。ここで揉めても時間の無駄だからな。その代わり俺の情報は絶対に漏らすな」

「もちろんでございます」

店主はしっかり金貨25枚を受け取った。

二人がそのまま出ていこうとすると店主はアクロンを呼び止めた。

「少々お待ちください。言伝がございます」

「言伝?誰からだ」

「名乗られませんでした。風のアクロン様に当てたものです」

それは魔法文字だった。アクロンは思いっきりため息をついた。アクロンは剣士だ。魔法文字のすべてが読めるわけじゃない。それなのに言伝を魔法文字にする奴は誰だよ。

「淘汰に注意しろ?…何のことだ?」

つい覗き込んでしまったアザリアがあっさりと読み解いた。これには店主の方が驚いた。

「読めない場合は翻訳をと頼まれていたのですが、必要なかったようですね」

「淘汰とは何だ?俺にもわからん」

「北からの噂では「淘汰が起きる」そうです。淘汰が何を示すのかはわかりませんが、おそらく、信者以外は攻撃対象にしようというバアル・ゼポンの計画を指しているのだと思います」

宗教は厄介だ。博愛主義と歌いながらも信者以外を信者ではないという理由だけで殺戮する。弱肉強食のルールとも違うが関わりたくない教義だ。

「なるほど。注意するとしよう。言伝ありがとう」

店の外に出るとアザリアが不思議そうに首を傾げた。

「あの魔法文字は誰からのものかもわからないのに信用するのか?」

「ああ、あれな。吟遊詩人の知人がいるからそいつに間違いない。園の先輩でサーハラというんだ。性格が悪いからああいう分かりにくい言伝を残す」

「性格が悪い?それで信用できるのか?」

「これに関しては信用できる。時間にはルーズだし、色恋沙汰は乱れ切っているけどね」

信用の基準は難しい。しかし、サーハラは詐欺師的な部分があったとしてもロマン重視な面もある。今回のような危機に際しては嘘はつかない。敵も一致している。

「さて、このマントで十分身を守れそうだ。あとは飲みに行くだけだ」

アクロンはそう言うなり歩きだした。

ご馳走になれるということで嬉しそうだ。アザリアは初めての街で迷うわけにはいかないとばかりにアクロンについていった。


酒場<尾根の雲>は、とても賑わっていた。3階建ての木組みの建物で、テーブルやカウンターには開いている場所が無いほど客がいた。客層も男性だけではなかった。老人もいれば子どももいる。女性客も多い。

「この酒場は値段が手ごろで料理がうまいから家族で利用する客が多いんだ」

アクロンはそう耳打ちしながら給仕の男に手で合図した。

「2名様ですね。3階席のカウンターへどうぞ」

アクロンは物珍しがっているアザリアを促して3階に上がると、カウンター席の一番手前に空席を見つけた。

3階席は丸テーブルが5席。カウンターは12席だった。

二人が座ると満席になった。昼間だというのにどのテーブルも酒が並んでいる。酒は水替わりということだ。

「ご注文は?今日は鳥肉料理がお勧めだよ」

給仕に問われ、アザリアはお任せでいいと態度で示し、アクロンはにこやかに頷いた。

「じゃあお勧めの鳥肉を2人前とダベルネ特級酒を…。

注文途中でアクロンは、ふと疑問に思いアザリアを振り返った。

「飲めるのか?」

「飲める」

「じゃあ酒も二人分」

給仕はにこやかに去っていった。アクロンは疑わしそうにアザリアを見つめた。

「本当に飲めるのか?強い酒だぞ」

「飲める、と思う。酔ったことはないし、トレスがよく酒を飲ませてくれたから」

「子どもに飲ませるとは…。」


ダベルネ特級酒は琥珀色で仄かに森の香りがする酒だった。アクロンの言う通り強い酒でアザリアは最初の一口にせき込んだ。しかし、すぐに慣れて料理と共に楽しみ始めた。

酒が入れば人は饒舌になる。

何処か張り詰めていたアザリアの表情が和らいだのでアクロンは世間話を振ってみた。

「テーマーンからここまでは一人旅と言っていたけど、どの国が一番思い出深い?」

思い出深い?アザリアはそう問われて眉間にしわを寄せた。

「覚えていない。あまり興味がないからどの国と言われても国名を知らない土地もあった」

通過した国の国名を知らないとは。とはいえ、小国はよく戦争していて国名が変わることが多いからそれも仕方がないのかもしれない。

「じゃあ、美味しかった食べ物は?」

「とくに?記憶にない」

「ハギオイと食事した記憶くらいあるだろう?」

「ハギオイの作ってくれた山のシチューは美味しかった」

「なるほど。ハギオイ以外の料理は覚えていないと?」

アザリアは山のシチューと目の前の鳥料理を頭の中で比べながら、別の料理を思い出した。

「マノアが作った煮込み料理も美味しかった」

「マノア?」

「トレスの相棒。私にとっては母親だった。仲間たち皆のおふくろさんだったのかも。大声で笑いながら皆で食べた」

8歳までの記憶は緑と太陽の輝きと渓谷を流れる水の煌めきに彩られている。仲間たちと大自然を遊び場として盗賊ごっこもした。山を駆け回った。子ども達の笑顔ばかりのはずだった。それがつられて血の渓谷を思い出した。鮮血で染まる大地と焦げた匂い。切り裂かれた無残な屍の山があった。

急速にアザリアの表情が曇っていった。

「皆、殺された。私よりも幼い子も殺された。私だけが生き残った」

たった一人。どうして生き残ったのだろう。あの場にいたのに。なぜ一人だけ。そう生き残ったのは一人。自分だけなのだ。

どうして…。そう思うと次の言葉がいつも口に出る。

「必ず黒竜を討つ」

そのために生き残ったに違いない。


「生き残ったのは、生きるためだと思うぞ」

アクロンは死を選択しそうなアザリアにそう声をかけた。アザリアが無言なので、アクロンは酒を一口飲んだ。


「仇を討つ以外目的はない。それだけでいい」

沈黙の後、アザリアがそんなことを呟くのでアクロンは首を振った。

「君はまだアルノン渓谷で8歳のままなんだね。老ハギオイとの生活も君にとっては現実ではないということかな」

「どういう意味?」

「君は長く旅をしているのに周囲を全く見ていない。老ハギオイと暮らしていたのにそのことにさえ気づいていない。君の中の時は止まったままということだ」

彼女の心は8歳の時に凍り付いてしまったのだろう。記憶と感情のすべてが復讐に向けられている。

アクロンの言葉に気分を害するかに見えたアザリアはただ無言で酒を飲んだ。


あまりに沈黙が続くのでアクロンは敢えて軽い口調で続けた。

「せっかく生きているんだ。もっと世界を意識して観ること。国によって文化が違うこと。人によって考え方が違うこと。価値観の相違があっても共いることが可能ということ。剣の腕を上げるだけでは技術は生かせない。状況を把握する能力を鍛えるには多くの情報を知識にかえること。ただ旅をしているだけでは勿体ないよ」

説教臭くなりすぎて拒絶されるかもしれないと思っていたが、アザリアは溜息をついただけだった。


賞金稼ぎでも旅していれば愉快な気分になることもあった。

テモテの領都の賞金窓口でのやり取りや迷子になったこと。ハシーディムという剣士に方向音痴を笑われたこと。思い出せなくはない。でも思い出すと悲しいことも思い出す。初めて助けてくれた女剣士との再会が屍だったこと。墓を作ったこと。そこからアルノンの渓谷を思い出す。トレスとマノア、仲間たちの死。

全てが悲しくて、最後には自分だけが生き残った怒りにつながっていく。

「あの状況でどうして一人生き残ったのか。今でもわからない。だから仇討ちは使命だ」

全てを奪った黒竜。もちろん傭兵を雇った奴がいることは理解している。傭兵は雇われて仕事をしただけだ。


「現実問題、黒竜を討つことは無理じゃないかな」

遠慮がちにアクロンは忠告した。黒竜は国も滅ぼすと噂される傭兵だ。いくらいい腕の賞金稼ぎでも力の差があり過ぎる。しかも若いアザリアでは経験値も違い過ぎる。

アザリアは苛立つこともなく苦笑した。

そこで終わるのはわかっている。そもそも、黒竜に会ったその先が想像できない。

「そこにしか墓場はない。この眼で黒竜を見定めるまで死ねない」

生きる希望のない発言だった。


「駄目だろう。生き残るという気合が無ければ勝負の前に負けている。勝つ気力が無いならもう諦めろ」

厳しいが現実だ。会う前から負けているなら会う必要もない。とはいえ、アザリアにはバアル・ゼポンの王都へ行ってもらいたい。ちょっと複雑なアクロンだった。

そんなアクロンの内心など全く知らずにアザリアは力ない笑みを浮かべた。

「あなたは生きることを知っているのだな。生きる。それが何かも私にはわからない。ただ追うだけだ」

希望も夢もない。ただ、仇を追うのが人生だ。それ以外の道はない。

一人生き残ったという現実が悪夢を見せる。闇が迫ってきて仇を討てと言う。


アクロンは酒杯を追加した。

生き残ったことを単純に喜ぶことなど不可能だろう。どうしたら彼女は悪夢から解放されるのだろうか。ハギオイは何故、彼女に黒竜を討てと言わんばかりに剣を渡したのか。あの面倒見の良いハギオイでさえ彼女の闇を消せなかったということか。

答えはバアル・ゼポンの王都にあるのかもしれない。


「では、体力だけはつけておくことだね。よく食べよく飲む。追いかけるには必要なことだ」

酒杯の追加が2つ届くとアクロンはニヤリと笑いアザリアの酒杯に自分の酒杯を軽く当てて乾杯した。



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