<霹靂の戦士>ラハブ
18年前 ――
その日、千年の歴史で初めて【血の洗礼】が発動した。
第3の門番エクレシアが挑戦者に向けて放った【血の洗礼】により、残りの門番たちは突然、使命を帯びた。
【血の洗礼】の対象を殲滅せよ。
エクレシアの最後の声のようなものが頭に響いた。
その瞬間
強く引き寄せる磁力のような力が働き、門番達はエクレシアが戦っていた涙枯の森に集結した。
当然の如く、鮮血の紅に染まる空間の中に森全体が閉じ込められていた。
敵は何処か。
涙枯の森が紅く染まり狂気が渦巻いていた。
トレスの叫びだけが木霊していた。
【血の洗礼】の対象?
第4の門番から第7の門番の4人は<対象>が叫びながら逃げ惑うトレスではないと判断した。
「ウザいから切るぞ!」
叫び続けるトレスの声に、リベルデンよりも頭一つ分背の高い筋肉質の女剣士が太い剣を抜き放った。
あわてて、第4の門番ハギオイが杖を振り上げて止めに入った。杖は白銀に輝いてラハブを牽制した。
「よさぬか!挑戦者を殺すのは御法度だろう。それに、多重呪詛じゃ」
女剣士はムッとして明るい茶色の短い髪を揺らしながら、抜いた剣を肩に担いだ。
第6の門番ラハブ。それが彼女の名前だ。
彼女はあからさまに不満を表明し大地を蹴った。
しかし、ハギオイは、気にする様子もなく<対象>と呪詛の絡みを読み解こうと眉間にしわを寄せていた。
第5の門番リベルデンは周囲を警戒しつつ、常に冷静な第7の門番を盗み見た。
第7の門番は黒髪の細身の男で、名前をカーファルといった。リベルデンからするとまだまだ若い。しかし、感情的になることは皆無というほど冷静沈着な男だった。今も柄に手をかけながら落ち着いて周囲の気配を読み解こうとしていた。
カーファルは逃げ惑うトレスを目で追いながらハギオイに問いかけた
「トレスに纏わりつくモノがいる。剣で切れるか?」
「纏わりつくモノは影じゃ。核がどこかにある。核を切らねば逃げられる」
ハギオイは、冷静に<対象>を見極めようと杖をかざした。
その時、森に赤子の泣き声が響いた。
次の瞬間、
4人ともが、森から弾かれていた。
【血の洗礼】の効果なら門番を弾くことなど無い。
ところが、4人ともが閉じられていたはずの森の空間から弾き飛ばされた。
何か別の強い力が門番達を弾いたとしか思えなかった。
そして、それの意味するところは【血の洗礼】が破られたということだ。
リベルデンは、北の山岳地帯にいた。
ハギオイは、南の草原に立っていた。
ラハブは森の東側、テモテの郊外にいた。
カーファルは西の廃墟地帯に立っていた。
【血の洗礼】が解かれた?
いや、覇王門は閉ざされている。園は沈黙したままだ。
門番たちは慌てて涙枯の森に戻るべく全力を尽くした。
門番は特別に転移の魔法陣を所持している。元居た場所に戻ることなど容易い。そのはずが、魔法の発動に時間がかかった。
真っ先に森へ戻ることができたのは第6の門番ラハブだった。
戻った時、森の中に狂気はなかった。
森は静寂に包まれていた。
【血の洗礼】の狂気が失せている。
静かすぎる。
しかし、呪いの残滓のようなものを感じさせる存在がいた。
岩陰に隠れて黒い外套を着た魔導士が一人立っている。
迷うことなくラハブはそいつの前に立つと剣を突きつけた。
「貴様、どこかで見た顔だな。ここで何をしている?」
ラハブは魔導士というものが大嫌いだった。
大嫌いだからこそ、力のある魔導士の情報は常に収集していた。
ラハブの中で魔導士は、剣士の戦いを邪魔する存在だ。
世の中をややこしくする存在でもある。
ラハブに声をかけられた魔導士はいきなり詠唱を始めた。
魔導士も焦っていた。血の雨が降り狂気が充満したかと思うといきなり静まり、剣士が剣を突きつけてくる。
何が何だか理解が追い付いていなかった。とにかく姿を見られた以上、目の前の剣士を倒さなければ。
ラハブは舌打ちした。
詠唱?魔法とか、厄介でしかない。
だから迷うことなく、魔導士を切り捨てた。
ラハブの剣は魔法よりも速く、魔法よりも威力があった。
防御の魔道具など全く効果はない。
息絶えた魔導士の外套を剥ぐと鎖骨の近くにバアル・ゼポンの神殿紋の刺青が見えた。
「魔導士ラバンだったかなぁ?バアル・ゼポンの祭司の一人か」
この程度の魔導士ならエクレシアが【血の洗礼】を使うほどではないだろう。
おまけに、まだ門は開かない。
ということは、殲滅すべき対象はこいつではなく、まだ別にいるということだ。
厄介極まりない。
「短気だな。殺したのか」
ラハブの背後から声がした。呆れるような口調だが感情は抑えられていた。
長い真っすぐ伸びる黒髪を翻して現れたのは第7の門番カーファルだった。
「魔法で逃げられるより殺した方がマシだろ?どうせ、こいつら悪事を白状しない」
バアル・ゼポンの魔導士は口が堅い。というか、喋ろうものなら魂消滅という呪いを掛けられている。
「ハギオイとリベルデンは?」
「のろまなんだよ。戻ってこられないんじゃないか?」
「あの二人に限ってそれはないだろう」
しばらくして、二人のもとにリベルデンが姿を現した。リベルデンは森の様子を確認してから二人のもとへ来たらしく、どこにも【血の洗礼】の力が無いことに首を振った。
「トレスが森を出ていったぞ。って、そいつは?」
二人の足元には明らかに切り殺された魔導士が倒れていた。
「ラハブが切った」
カーファルの端的な回答にリベルデンは頭を掻いた。
その事実よりどうしてそこで切られたのか知りたいと思ったが二人とも答える必要を感じないらしくだんまりだ。
この二人とコミュニケーションを取るのはいささか面倒だ。極端な激情型と沈着型だ。
沈黙にラハブが痺れを切らす頃、ハギオイが現れた。
「追跡できたか?」
リベルデンがすかさず問いかけるとハギオイは首を横に振った。そして、手に持っている長い杖を一振りして大地に地図を示した。
地図の中心は現在地“涙枯の森”だ。中心から放射線状に赤い光が走った後、南への一本の筋を残して消えた。しかし、その一筋の光もすぐに消えてしまった。
「逃げられたか。しかし、弱らせることはできたようだ」
「生き物なのか?」
眉を顰めるハギオイにリベルデンは、【血の洗礼】を逃れられるものなどないだろうと言いたげに問いかけた。
ハギオイもこんな術は聞いたことが無いと首をひねる。
「呪い…呪詛の塊というところか。触れるものに禍を巻くかもしれん。禍の起きた場所を見つけて虱潰しに探すことになるかもな」
「後手に回るのは好かない!」
すかさず文句を言うのはラハブだ。ラハブは先手必勝がモットーだ。
そんな彼女の事など無視でリベルデンは腕を組んだ。
「生き物じゃないなら消すのは魔法使いの役目だろ?守護者を呼べないのか?」
守護者は覇者の園を守る者だ。古代人で覇王と共に魔王と戦った魔法使いだ。今は覇王の廟にひっそりと暮らしている。園の住人でも守護者と会話したことのある者は少ない。
守護者の事はハギオイも考えた。
昔からよく知っている魔法使いで、戦友だ。ただ癖が強い。古代人の中でも一番癖のある存在だ。
あやつが動くかのう。魔王との対戦の時ですら、何の問題もないと転寝していた守護者だ。これくらいの事では動くまい。
むしろ、門を閉ざして高みの見物か。
「門は閉ざされた。守護者であろうと出られぬであろうよ」
ハギオイの回答はため息交じりだった。
「絶対出られるのに出てこないって意味か?あの、あのだぞ、あの守護者が門を開けられないわけがない」
「愚問だな」
リベルデンの文句に、あっさりとラハブも同意した。
門番の中で一番若いカーファルは魔王との戦いを知らないが、守護者が食わせ者だということは知っていた。だから3人の会話に異論はなかった。
【血の洗礼】は発動し、何故か、<対象>に逃げられた。
一見、【血の洗礼】が解除されたように森は静まり返っているが、覇王門は閉じている。この状況はまずい。
「守護者なんか必要ない!呪いだか何だかを仕掛けた奴をぶった切ればいいんだろ!こいつみたいに」
いきなりラハブが怒鳴って大地の死人を指さした。
「で、誰なんだ?これ?」
リベルデンの疑問に対し、苛立ちながらラハブが答えた。
「北のバアル・ゼポンの祭司の一人ラバンだよ。あの国の祭司は凄腕の魔導士が多いからうんざりだ」
凄腕の魔導士を切り捨てたらしいラハブにリベルデンはため息をついた。
切る前に何か聞き出せよ。
「ここに北の祭司がいるということは、覇王門を狙ったのはバアル・ゼポンの悪巧みか?いや、下手に覇王門に手を出すことなどせぬと思うのだが?」
そう言って、顎を撫でるのはハギオイだ。
バアル・ゼポンの歴史は古い。だからこそ、覇王門の力も伝説としてではなく事実として知っているはずだ。魔導士ごときがどうこうできるものではないということも知っているはず。
ということで、バアル・ゼポンが関与しているという考えは早々に却下された。
「じゃあ、何だってここにいる?誰が覇王門を狙うんだよ。そもそも、トレスごときに3人も門番がやられるなんてあり得ないだろう」
リベルデンにしてみれば、第1の門でトレスなど追い払えたはずだと思えた。
「トレスだけならばな。トレスに助力した者はいたに違いない。それに気づくのが遅れたのだろう。エクレシアは魔力に敏感な方だったから気づけたが、他の剣士では気づけなくても仕方なかろう」
ハギオイは殺された門番達に黙祷した。
しかし、ラハブは大地を蹴りつけた。
「エクレシアも【血の洗礼】なんて発動する前に、私を呼べばよかったんだ。ぶった切ってやったのに!」
「負けず嫌いのエクレシアがお前を呼ぶはずないだろう。カーファルが助けに出向けばよかったんだ」
「エクレシアは苦戦などしていなかった」
ずっと黙っていたカーファルがリベルデンを睨みつけた。
エクレシアは焦ってもいなかった。余裕をもってトレスに対峙していた。それなのに、いきなり自らの命を懸けて【血の洗礼】を発動させたのだ。
プライドの高いエクレシアが命を懸けた切り札を使う、そんな決断をするほどの何があったというのか。
「エクレシアってカーファルに夢中だった割に、獲物を見つけると見境ないな」
あ、ごめん。
ラハブは言い放ってしまった後、気まずそうにカーファルに視線を向けた。
エクレシアはカーファルの恋人だった。というか、エクレシアの方が熱を上げていた。カーファルは感情の起伏が無いので恋愛感情も表に出ることが無かった。だから一方的に周囲には見えた。
それでも、突然の死は辛いだろう。
普通は命を懸ける前に考える。門番だって逃げることは許されている。第3の門なら後方に門番が揃っている。なんの問題もない。
エクレシアの命が失われ、カーファルは戸惑っていた。しかし、取り乱すことはなかった。
感情が希薄なのだ。どう反応していいのかもわからない。
カーファルとエクレシアは、園の住人の中でも特殊な部類だった。それは二人とも園で生まれたからだ。
時が止まっていると言われている園で、子供が生まれるというのは稀有な出来事だった。
しかも、普通に育つ。つまり、年を取っている。
数百年に一度くらいの割合で起きる現象で、生みの親には、古代人の、覇王の血が流れているといわれている。カーファルにとって生まれたときから近くにいた存在がエクレシアだ。エクレシアの方がカーファルより半年ほど年上だった。
二人は、競うように剣を学び、覇王が目覚めたとき古代人達のような従者に加えてもらうことを目指した。
カーファルは寡黙で無駄のない動きをする落ち着いた剣士になった。エクレシアは華やかな目を奪うような剣術で相手を翻弄した。瞬く間にどちらも目覚めている園の剣士の中で上位者となった。
そして、ある日、自分たちが不老になっていることに気が付いた。
園に入るのに相応しい力と技術を身に着けた証拠だと言われた。
門番は時々交代する。
門番本人からの要望の時もあれば、挑戦者によって倒されることもある。今回は門番の要望に応える交代だった。
丁度、二人だったので、エクレシアとカーファルが門番に選ばれた。
選ぶのは、笛吹ハーリールだ。
彼女の笛は古代人から受け継いだ笛で、その音はあらゆるものの本質を見抜く。だから門番に相応しいものを選び出すことができる。
そうして、第3の門番エクレシアと第7の門番カーファルが選ばれたのは今から330年ほど前になる。
「エクレシアほどの剣士がなぜ【血の洗礼】を選択せねばならなかったのか…。我らが見落としている何かをエクレシアは見つけて、門を閉ざす必要性を感じたのかもしれん」
<対象>が何か、ヒントの一つもあればいいのに、森を見回してもそれらしいものはなかった。
逃げられた場合、いつまで【血の洗礼】の効果は続くのか。
ラハブはいきなり吠え声をあげた。
「畜生!【血の洗礼】が解除できないってことは、門が開かないってことだろ!誰が私の相手をしてくれるんだよ!」
そこかよ。リベルデンは溜息をついた。
「魔導士でも狩っていろ」
「魔導士はウザい!お前達が相手してくれるのか?」
獲物を値踏みするようにラハブが3人を見ると、カーファルは無視し、ハギオイは杖を振り戦う気のないことを示し、リベルデンは肩をすくませて手をバタつかせた。
「お前の相手をしている暇なんかないよ。<対象>を探すのが俺たちの使命だ」
ラハブは唸った。
園の中なら、ラハブの憂さ晴らしに付き合う仲間がいるが、この世ではラハブの剣をまともに受けられる存在がいない。
覇王門が閉じているのは非常に困る。
幼い頃、ラハブは3度の飯より喧嘩が好きな子供だった。
覇王に出会って、喧嘩ではなく戦闘というものを知った。
覇王の戦いは強さを求めるもので、限界もなかった。
ラハブはずっと覇王と共に戦って生きてきた。
覇王が眠りにつくとき、遊び相手を失った喪失感からしばらく立ち直れなかったくらいだ。
覇者の園で眠るしかない自分が嫌で門番を買って出たが、挑戦者は少なすぎた。
だから、門番をやってはいるが覇者の園で鍛錬し続ける千年だった。
もちろん、時々面白い奴はいないかと園を出て探し回る。
その際、魔法使いに邪魔されることがあったため、魔法を使う連中についても情報収集して邪魔されないよう知識を深めた。
覇者の園の守護者は魔法に関するあらゆる知識を持っていそうな賢者だったので、魔法使いに勝つための方法も幾つも教えてもらった。
とはいえ、それもこれも剣を持つものとの楽しい勝負のためだ。
しかし、だ。
稽古をするなら園の中がいい。
園の住人が不死といわれるのは園の中だからだ。
それが、この【血の洗礼】が解除されるまでできなくなったのだ。
園外で稽古をつけたら殺してしまう可能性が高くなる。
それはマズい。
覇王の決めたルールに反する。
覇者同士の殺し合いはタブーだ。
いや、殺し合いをするつもりはないのだが、勢い余って切ってしまったことがある。園の中だから助かった。
つまり、ラハブは自己中心的な発想で【血の洗礼】の<対象>を殲滅したくて仕方なかった。
「では、さっさと探しに行くぞ!」
「どこへ?」
「どうせもうこの森の中にはいない。聞き込み調査だ!私は北を中心に探すからな」
この魔導士が何故ここにいたのかは知らないが、こいつは北の奴だ。もしかしたら何か見つかるかもしれない。
ラハブはそう言い残すと、さっさと森を出ていった。
「まじか。あいつが北担当?魔法も使えないのに?大丈夫かよ」
呆れて首を傾げるリベルデンに対して、ハギオイはにこやかに微笑んだ。
「あれで、魔導士の知識は高い。大丈夫じゃよ。わしは南に消えた赤い光の線が気になる。南の端から探すとしよう。何かあったらテーマーンの工房に来てくれ」
「それって、単に自分の拠点があるから、南なだけじゃないのか?」
マイペースは覇者の特徴だから仕方ない。
「カーファルはどうする?エクレシアの件はご愁傷様だが、個人的な復讐心で焦るなよ」
リベルデンにしてみればカーファルはまだ若い。表面には出さないが、エクレシアの死に対し、かなり怒りをためているのはわかる。もともと人を寄せ付けないくらい冷徹なのだが、今は氷河よりも冷たく鋭い目つきをしている。なまじ美形なだけに冷酷さも際立っている。
落ち着いた感情のない声が返ってきた。
「西へ行く。弾かれた場所に行くことで、手掛かりがあるかもしれない」
「なるほど。じゃあ、俺は東だ。あと、セモール山脈にも寄ってみるよ。守護者がヒントでもくれるかもしれないからな」
こうして、4人は別行動に入った。
<対象>を見つけたらおそらく単独で戦うことを選ぶだろう。そういう性格をしていることも4人ともお互いに理解していた。
つまり、早く見つけたもの勝ちだ。
戦いとは勝ちにいくものだ。
4人とも自分が<対象>を見つけて倒すのだと考えていた。
それから、8年 ―― 。
ラハブは、誰よりも熱心に対象を探し回った。
エクレシアの仇を討ちたいだろうカーファルより、戦いたいという欲のために必死だった。
必死なのにラハブは手掛かり一つ見つけられなかった。
風の噂で<血の渓谷>の事を耳にした。
あの、盗賊トレスが死んだ。
トレスが対象だったかもしれないと考えたことなど一度もなかったが、何かが動いた気がした。
トレスはただの盗賊だ。
最初から、対象になるわけがないと除外していた。
事実、死んだ今も覇王門は閉じている。
しかし、一つの可能性を見落としていた。
魔導士ラバンの存在とトレスにつながりがあった可能性について全く考えなかった自分に呆れた。
トレスに助力した何か。
あの場にいた魔導士。
殺しても門が閉じたままだったので、<対象>ではないということで忘れ去っていた。
いや、背後関係は探った。
魔導士アベンの率いる一派にいたということはつかんだ。何やらテモテで悪巧みをしていたらしい。
そして、今、アベンは大祭司になっている。
もし、生きているうちにトレスに会っていれば、ラバンとの関係を聞き出せたかもしれない。
もしくは、ヒントの一つも吐かせることができたかもしれないのだ。
トレスはどうやって覇王門を見つけた?
覇王門に出会える人間は稀少だ。
盗賊トレスは、普通に出会えるような器ではない。
…後の祭りとはこのことだ。
トレスは死んだのだ。
バアル・ゼポンの魔導士についてはこの8年間、さんざん調べたが何も出なかった。
もし、トレスと死んだラバンの間に何か密約があり、それを仕掛けた人間がいるとしたら、そいつこそが<対象>だと見当を付けた。
魔導士は手強い。餅は餅屋に行くのが一番。
ラハブは、バアル・ゼポンの情報を持っていそうな東の大国テモテに乗り込んだ。
テモテには古代人の事を伝承している奇特な一族がいる。
ラハブはテモテの王都に入ると王城の門番に剣を突きつけて宮廷魔導士に会わせろと訴えた。
大騒ぎになりそうな事態だが、運よく門の近くに王の騎手の一人が巡回していて、ラハブの剣の柄の猫紋様に目を留めた。
「もしかして、<霹靂の戦士>ラハブ様ではありませんか?」
「素晴らしい!我を知っているか?」
「もちろんです。伝承通りの勇ましいお姿です」
伝承では<霹靂の狂戦士>なのだが、狂戦士と本人を目の前に言ってはいけないとの口伝もあった。
かなりの戦闘狂で、絶対に剣を抜いてはいけないという警告付きの伝承だ。
ラハブの外見は、普通の男性よりも身長が高く、大抵の女性よりも筋肉隆々で体格がいい。顔立ちは厳めしいというよりは冷徹な印象だ。美人ではあるのだが、笑うと獰猛な印象もある。
女剣士というには、剣が太く威圧感が半端なかった。
「私は王の騎手をしておりますシルワノと申します」
シルワノは小柄ではない。それでもラハブに威圧されるような迫力を感じだ。
引退を控えている年齢だが、まだまだ負けん気はある。しかし、ラハブの前では穏やかでいようと思う。
心底、ラハブに会ったのが自分でよかったと胸を撫でおろした。
若いものなら剣を抜いて応戦していたかもしれない。
「そうか。シルワノか。よい名だ」
「ありがとうございます。本日はどのようなご用件でしょうか」
シルワノはかつて覇者の一人に会ったことがある。
老ハギオイという落ち着いた老騎士だった。
もちろん、千人切りの老ハギオイと言われるくらい強者だ。
そのハギオイと目の前のラハブは全く印象が異なる。
ラハブはまだ血気盛んな若者に見えた。
「8年くらい前か?涙枯の森にいたラバンという祭司の事を知りたい。そいつはもう死んでいるし、バアル・ゼポンの魔導士なのだが、情報くらい持っているだろう?」
これは、国防案件だ。
シルワノはすぐさま、ラハブを連れて、王城のリノスを訪ねた。
リノスのいる白の間は、本来、異国人を入れない。
しかし、覇者は特別だ。
ラハブはそこで、祭司ラバンについて知っていたというテモテの宮廷魔導士ルキオの事を聞くことができた。
年数的にも合致する。
ルキオの情報によると、当時、バアル・ゼポンの魔導士アベンが魔王とその眷属を目覚めさせようと計画し、邪魔になるだろう覇王門を封印しようとしていたということだ。
その計画メンバーにルキオは潜入していた。
トレスに覇王門の事を吹き込んだのはそのメンバーで、しかも、テモテの領地内での出来事だったという。その場にいたメンバーにはラバンとアベン含む6人の祭司がいたという記録もあった。
これだけの情報を伝える中でルキオは呪い殺されたらしい。
ルキオのもたらした情報はテモテの王を震撼させ、防衛魔法の一層の強化が行われたという。
そして、エクレシアの【血の洗礼】がまさしくその計画である覇王門封印を成就した。
「馬鹿なのか!ルキオとやらは!どうして、さっさとアベンを止めなかった?トレスなどその場で殺してしまえ!」
計画を事前に掴んでおきながら何の対策も打たなかったルキオに対し、ラハブは激怒した。
ルキオは情報を命懸けで伝え家族もろとも死ぬことになったというのにラハブは容赦なく罵った。
ラハブの雄叫びはルキオに対してだけではなかった。
「封印するだと?!小賢しい!…エクレシアのクソッタレ!!」
怒鳴っても今更なのだが…。
トレスは死んだ。
エクレシアの死が完璧に門を閉ざしている。
エクレシアの死の選択は敵の思うつぼではないか!
それは、無駄死にということにもなる。
悔しすぎるだろう。
ラハブは怒りながらテモテの王都を後にした。
この時、まさか、【血の洗礼】というようなことが起きているなど、大国テモテが知る由もなし。
殲滅すべきはアベン!
早計だが、ラハブはそう結論付けた。
ハギオイが言っていた「核」の事など頭の片隅にも登ってこなかった。
ハギオイが多重呪詛と言った意味も考えていなかった。
ラハブの中で問題は、アベンが大祭司になっているということ。
バアル・ゼポンの大神殿に忍び込むことなど、魔法の使えないラハブには不可能だ。
魔法が使えたとしても難しいだろう。
何か手はないものか。
ラハブはこの後、10年も手をこまねくことになった。
――【血の洗礼】により覇者の園への門は閉ざされ、
その時、何が起きたのか。解き明かすことができず8年の時が流れ、
強欲な王が盗賊トレスの財宝を狙って傭兵を雇った ―― 血の渓谷。
何かが動き出すかのようなきっかけに思えたのだが、10年、何かが見つかることはなかった。
その間、北の大地では古い息吹が着実に目覚めはじめていた。
やがて、覇者と呼ばれるものが狩られ始めた。
ラハブは自分を狙う魔物の存在に気が付いた。
悪意<禍>が動き出せば、何かは見つかる。
ようやくだ。
ラハブは舌なめずりをした。
獲物の方から近づいてきてくれる。




