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北の噂

アザリアは妙に苛立っていた。

こんなことは初めてだった。

原因ははっきりしない。

あの墓で「価値」という言葉を聞いてからずっとイライラしていた。

仇の価値?

仇討ちの価値?

黒竜の価値?

自分の命の価値?

人の価値?

魔物の価値?

世界の価値?

生きることの価値?


「それ」は、何かの役に立つのか。

そう考えるならアザリアにとって、すべてのものは無価値だ。

何をしてもトレスもマノアも仲間たちも戻ってこない。


仇を討つ。

そう考えるならアザリアにとって、すべてに価値がある。

存在が無ければ仇は討てない。

歪んでいるのは分かっている。

ハギオイは生きるための目標に龍の剣をくれたのかもしれない。

誰もが言う決して倒せないという黒竜。

それを倒すということ。

倒さなければイケナイ。


突然、アザリアの目の前に血の海が広がり、頭を殴られたような痛みが襲った。

赤く染まる木々と叫び声。

「誰か助けてくれ!」

ふいに、頭の中でトレスの声と思われる叫びが聞こえた。

トレスが誰かに助けを求めている?

そんなことがあるだろうか。

赤く染まる木々…アルノンの渓谷じゃない?

どこか違う森の中の血に染まる光景。

自分以外の誰かの記憶…?


「大丈夫か?気分が悪いのか?」


ふいに声をかけられ、アザリアは自分が木の枝に掴り、背中を丸めて俯いていることに気が付いた。

何処にも血は流れていない。

緑豊かな登山道があるだけだ。

声をかけてきたのは商人風の旅の一団の中の一人だった。

アザリアは首を振って、背を伸ばした。

「大丈夫だ。問題ない」


アザリアは素早く人目を避けるように獣道へと入っていった。

今のは幻覚?

自分が知らないトレスの記憶?

そんなものを見ることなどあり得るだろうか?

そもそも、トレスが助けを求めて叫ぶなどあり得ない。


この土地に入ってから何かがおかしい。何かが癇に障って苛立つ。

土師長に対して、あんなことで剣を抜くなど今までの自分からは考えられない。


冷静さを取り戻すために、道なき道を進み、夕暮れに水を汲むため野営地に近づいた。

その野営地は大きく、そこに集まってきた旅人も多くいた。

身分も職業も幅広いが、山岳地帯の野営地には上下関係がないのが暗黙のルールだ。

もちろん、商人や貴族には護衛が付いている。

それでも、火の回りには先着順のルールが適用され、後から来た者は例え貴族でも遠慮する。

稀に傲慢な人間もいるが、大抵はその場にいる者達の無言の圧力により追い出される。

この暗黙のルールがあるのはこの地域が歴史あるテモテの影響を受けて安定している証といえた。

標高が高くなるにつれて夜は気温が下がって肌寒くなる。

暗い山中では火の明かりは魅力的だった。


アザリアは、人々が火を囲んで輪になる場所からは離れて身をひそめるように立っていた。

何か黒竜につながる情報はないかと噂話に聞き耳を立てる。


一番お喋りなのは商人たちだった。

北から逃げてきた商人や、ダベルネへ買い付けに行く商人など目的も目的地も扱う商品も様々だった。

しかし、話題は主に北の国バアル・ゼポンの動向だった。

今までにないような規模の戦闘準備が行われているということだ。

もともと、周辺諸国に戦を仕掛けて領土を広げてきた歴史があり、かなり交戦的だったのだが、北出身の商人曰く、ここ数年の軍備拡張は過去例を見ない規模ということだ。


日が沈み、夕闇が山を包むと酒が振舞われ、無礼講となり護衛の者達も饒舌になった。


「今、戦場になっている北の3国は、バアル・ゼポンの罠に嵌って戦う羽目になったらしい」

「馬鹿だよな。小国だから疲弊したところをバアル・ゼポンの正規軍に蹂躙されるだけだ」

「3国を一気に潰す。バアル・ゼポンなら簡単だ」

北へ向かうためにアザリアが避けた戦地の事だとピンときた。

幾つもの国が生まれては滅んでいく。それが北の大地だった。

支配者は何百年もバアル・ゼポンだということだ。

東の大国と言われるテモテは、常に北を警戒しているという。

アザリアは国というものに無関心だったが、旅をする上では情報は必要だ。

特に、北の大地では無知は命を落とすことになるらしい。

戦争に巻き込まれるなどとんでもない。

黒竜を倒すまでは死ねない。


「バアル・ゼポンの正規軍はもともと数が多い。それなのにまだまだ募集しているってことだ」

「傭兵も山のように雇っているって話だ」

どれだけの規模の戦いが起きようとしているのか。


「鉄と魔法を合わせた武器があるって聞いたぞ」

「嘘だろう?魔力は鉄が嫌いって聞いたぞ」

「え?魔法と魔力って一緒なのか?」

「お前たち魔法をわかっていないよな?」

「じゃあお前は魔法使いってやつに会ったことあるのか?」

「魔法使いなんて国の偉い奴しか会ったことなど無いだろう?」

「じゃあなんでダベルネは魔法具を売って儲けているんだよ」

魔法についての知識は地方によって全く異なる。

国があまりにも滅びるのが早く、知識が失われ、歴史も伝わらない。口伝がゆがむためだ。

テモテやバアル・ゼポンのように歴史のある大国出身者しか、正確な情報は持っていなかった。


アザリアもハギオイとその周囲の魔法使いしか知らない。

そして、魔法を見たことはない。

鉄と魔法の関係など想像したこともなかった。


「俺はバアル・ゼポンの正規軍に入りたくて北に行くんだ。何が起きようと勝つのはバアル・ゼポンだ。そこに加わるのが一番だ」

「正規軍は選抜基準が高いって聞いたぞ。なんでも、応募してきた人間同士を戦わせて生き残った一人を雇うらしい」

「闘剣か」

「バアル・ゼポンは弱肉強食の国だ。正規軍を狙うより傭兵で雇われた方が金回りもいいし、後腐れない」

「お前、傭兵か?」

「ああ。金払いが良いらしいからバアル・ゼポンに行くところさ。小国は貧乏で、ケチだ。大きくてもテモテは傭兵を雇わないからな」

その点、バアル・ゼポンは大国なのに良い金額で傭兵も雇ってくれる。戦果を上げれば正規軍並みに支払われる。

そうした情報が傭兵の間に広まって、遠方から多くの傭兵が北へと向かっていた。


国によって建国の歴史が異なるように国防軍の成り立ちも異なる。軍事国家も多いが、意外にもバアル・ゼポンは強い者によって生まれた軍事国家ではない。

だから、傭兵を雇って国を守らせる事もする。

バアル・ゼポンは他国と大きく異なり特殊な政治体系と国防組織を持っている。

多くの国は王がいて臣下がいて民がいる。

バアル・ゼポンは祭司がいて、神によって選ばれた王が(まつりごと)を行うという宗教国家だ。

軍も神を守るための正規軍という位置づけで、祭司の長である大祭司に命令権があり、王を守るのは非正規軍となる。王の非正規軍は王の()()と呼ばれているので、そこは傭兵とは異なるという仕組みだ。


テモテは王が絶対君主であり、王族が政に関わり、王族から派生した者たちが各領地を治めている。国土と民を守るのは騎士団などの自国軍で編成されている。

基本的な国の理念も全く異なっている。


「妙な噂も耳にした。」

「妙な?」

一人の男が慎重に声を落とすと、皆引き込まれるようにその男を見つめて口を閉ざした。

「“淘汰が行われる。”そう叫んでバアル・ゼポンから逃げ出してきた兵士が血を吐いて死んだっていうんだ」

淘汰?

何のことが分からず、ある者は鼻で笑い、ある者は顔を引きつらせ、ある者は眉をひそめた。

妙な雰囲気になった野営地に咳払いの音が響いた。

「つまり、それは、強い者が生き残り、弱いものは死ぬってことだな」

そう言ったのは赤茶色の髪をした恰幅のいい剣士だった。

「まぁ、淘汰というなら、そうなのかもしれないが、基準は国か?個人か?」

聡明そうな商人の声がそれに続いた。

国ならばバアル・ゼポンが強く生き残るための淘汰と考えて間違いなさそうだが、バアル・ゼポンから逃げ出した兵士が叫んだとなると微妙だ。

個人ならば、それは兵士という職業の中での淘汰なのか、農奴までも含むのか、そこが問題だ。


「バアル・ゼポンの中での淘汰ということなら、正規軍への選抜ってことじゃないかな?」

「そんなことで、兵士が逃げるか?バアル・ゼポンの兵士だぞ?神の名のもとにどんな悪党より残虐非道って噂だ」

「国民は普通に暮らしていますよ。ただ、近年は徴兵制度が出来たとかで逃げ出す者もいるようですが」

商人の真面目そうな男がそう付け加えた。

淘汰の意味するところは何だろうか?

「バアル・ゼポンが世界征服に乗り出すという噂は本当なのかもな」

そんな呟きがこぼれると、旅人たちは気まずそうに酒をすすった。

商人も戦場が全世界では儲けがなくなる。物資不足どころの話ではなく生死にかかわる。

安全地帯がないのは困るのだ。


「だから、バアル・ゼポンの傭兵職がいいんだよ。勝つのは絶対にバアル・ゼポンだ。生き残るならバアル・ゼポンに今から行くのが一番だ」

「アホだな。そのバアル・ゼポンの兵士が「淘汰」と言って()()()()()んだぞ?」

「傭兵のいいところは、契約が終了したら綺麗さっぱりおさらば出来ることだ」

それは甘いだろうという言葉を言いたそうに眼を細めたが、口にしなかった。

別の剣士が、傭兵に問いかけたためだ。

「腕に自信がありそうだが、今までに大きな戦に参加したことはあるのか?バアル・ゼポンには正規軍と非正規軍の2種類しかない。非正規軍は使い捨てにされるぞ」

「契約内容を見てから契約するから貧乏クジは引いたことがないね。今まで請け負った仕事で一番有名なのはアルノンの血の渓谷だな」

その回答に火を囲んでいた者達がざわめいた。半分以上は感嘆符だ。


木陰でアザリアは身を震わせて、息を飲んだ。

そして、今まで以上に耳を澄ませた。

アルノンの血の渓谷…。


「血の渓谷だって?あの盗賊トレスを一網打尽にした作戦か」

「ああ、あれはえぐい作戦だったね」

傭兵は自慢げなのに、何処か不服そうに当時の事を振り返った。


「依頼主のクレニオ国がもう滅んだ今だから言えるが、クレニオの王は強欲な爺だった。もともと盗賊トレスとクレニオ国はグルになって盗みを繰り返していたんだ。それがある日、クレニオ国王は盗品の取り分に不満を抱き、トレスを罠にはめてトレスの貯め込んでいる財宝を全て奪う計画を思いついた。トレスは風向きが変わったことに気づかなかったんだ」


アザリアの胸中にはアルノンの山に響いた角笛の音が蘇っていた。

王の軍隊がすべてを奪ったのだ。

「盗賊トレスは用心深かったはずだ。ねぐらをどうやって探り当てたんだ?」

財宝の隠し場所など盗賊団にとって最も重要なことだ。そうそう突き止められるものではない。

「あの王は、領地の一つにある資産家の商家を餌にトレスを釣ったのだよ。トレスにその商家に莫大な財産があることと警備体制について耳打ちした。いつもの仕事で分け前はトレスが6で王が4。トレスが商家に押し入った日は、仕入れが行われた日で、多くの人間が出入りしていたから警備体制も万全のはずだったのに、警備兵は半数が未明に姿を消した。トレスは一家を皆殺しにしてあらゆるものを盗み出した。そういう王との約束だったからな。そして、荷車は通常より多い3台になり、トレスはいつもよりも人目に付くことになった」

罠と知らずにすべての財宝を運んだことが仇となった。

「俺たち傭兵団は全部で60人はいたな。よく揃えたものさ。多分、クレニオ国の兵士も入っていたんじゃないかと思う。…その中の何人かがトレス一味の尾行をして塒を突き止めた。そこからが電光石火の早業だったね。盗賊トレスの一味は一人も逃すな。一網打尽にしろという依頼だった。だから、トレス達が戻った夜に襲撃は決行された」

「下調べも無しか?よく財宝の隠し場所が分かったな。逃げ道もいくつもあるはずだ」

「60人の指揮を取ったのが、あの黒竜だ」


黒竜。

場の空気が張り詰めた。

アザリアは柄を握り締め歯を食いしばった。

「傭兵黒竜がいたという噂は真実だったのか。やはり、強いのか?」

「強いなんてものじゃないな。別格だ。見つけたねぐらをあっという間に分析して逃げ道をまず潰し、囲い込んで殲滅する。財宝は後から来る王軍にすべて引き渡す手際よさ。黒竜一人で国が亡びると言われるのも頷ける」

「凄いな。血の渓谷か。あれは傭兵の存在感を示した。確かにそこに居たというのは自慢になるな。雇い先も選び放題か」

「まぁな。とはいえ、トレスを討ったのは黒竜だ。どちらにしろ、トレス一味はただの盗賊だ。俺たちのような戦闘プロの敵じゃない」

「盗賊として名が売れるということは、目を付けられるということでもある。トレスは用心を怠ったってわけか」

「ま、覇王門を3つ潜ったとか吹聴して粋がり過ぎた馬鹿な盗賊ってだけだな」

笑い声が上がった、次の瞬間、その場が凍り付いた。


傭兵の首に抜身の剣が突き付けられていた。

「貴様、トレスを愚弄したな」

いつの間にか傭兵の後ろにはアザリアが立っていた。誰もアザリアが剣を抜いたことに気づかなかった。

傭兵自身、油断していたが、今、背後から剣を突きつけるアザリアの殺気に威圧されて全く動くことができない。

「誰だ…」

なんとか傭兵が絞り出した声に対し、アザリアは冷ややかな視線を向けて言い放った。

「トレスの娘だ。これは復讐と知るがいい」

振りぬかれるアザリアの剣を躱そうと傭兵が身を屈めるが剣の速度には到底かなわなかった。

しかし、アザリアの剣は信じられないことに別の剣によって止められていた。

アザリアと傭兵の間に赤茶色の髪の男がすべり込んで剣を鞘で受け止めていた。


「こいつは仕事をしただけだ。恨むなら傭兵団の雇い主を恨め。亡国の王だというなら、もう死んでいる。復讐は終わっているはずだ。()()()()が傭兵業の人間を仇呼ばわりするのは筋が違うんじゃないか?こいつがトレスを切ったわけでもない」

アザリアの剣を受け止めた男には、隙が無かった。

アザリアは男と目が合った瞬間、力の差を感じた。こいつは強い。

この男は生きることに真っすぐだ。

闘うことを生業にしていそうなのに、生きることを分かっている。

賞金首の多くは奪うこと、戦うことを楽しんでいるが、生きることを分かっていない。

アザリア自身、生きることを分かっていない。

この男とは戦っても勝てないだろう。

こんなところで、怪我をしても良いことは一つもない。

それに、トレスはこの傭兵に切られたわけではない。

こいつは黒竜ではない。



アザリアは、無言で剣を引くと、身を翻して闇の中に溶け込むように去っていった。


野営地は、安堵のため息であふれた。

「す、すまない。油断した。助かった」

傭兵が礼を言うと、別の剣士が傭兵を助けた男に声をかけた。

「もしかして、大会荒らしのバルクじゃないか?」

「バルク?闘剣士バルクっていう、あの?」

ざわめきが広がり、赤茶色の髪の男は、苦笑して頭をかいた。

「まぁ大会荒らしと言われると、微妙なんだが、闘剣士バルクは俺の事だ」

大柄なのに敏捷で、いつの間にアザリアの剣を止める位置に移動したのかもわからない。

さっきまでバルクの隣に座っていた男など目が点である。

闘剣士バルクは、各地の剣術大会に飛び入り参加して優勝金をかっさらう強者ということで有名だった。


「闘剣士バルクも北の兵募集に行くのか?」

「俺は知人に会いに行くだけだ。兵隊さんには興味ないな」

「それにしても、素早いなぁ」

「いや、それより、今の…魔眼のアザリアじゃなかったか?」

「トレスの娘って言っていたぞ」

「一網打尽じゃなかったのか?」

「いや、魔眼のアザリアがトレスの娘っていうことの方が驚きだよ」

ざわつく野営地で、様々な憶測が飛び交った。


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