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ありふれた狂気

作者: 壊れた靴

 娘の授業参観は滞りなく終わった。娘が友達と楽しそうに笑いながら教室を出ていくのを見送る。

 私の仕事の都合で転校させてしまってからそう経っていないが、娘がこちらの学校でも問題なく過ごせている様子を見ることで安心出来た。

 学校行事のほとんどは妻に任せきりだったが、今日は偶々仕事が休みになったので、私が出席すると妻に伝えたのだ。

 思いの外喜んだ妻に「そんなに嫌だったのか」と反省半ばに呟くと「授業参観自体は全然いいんだけど、その後がね」と苦笑が返って来た。

 学校からの案内を見てみると、授業参観後は保護者会が予定されているようだ。

 時折耳にするような、学校からの保護者に対する要求も特になく、娘からも学校に対する不満は聞かないので、今まで特に意識したこともなかった。

「新参者に冷たい親御さんがいるとか?」と尋ねる私に、妻は首を振って「多分、保護者会が始まればじきに分かると思う」とまた苦笑した。

 そんなことを思い出していると、教室に残るのは保護者と担任のみになっていた。

「保護者会はこの教室で行いますので、準備をお願いします」

 笑顔で頭を下げた担任の言葉に、私を除く保護者全員が驚くほど俊敏に動き始めた。

 私は何をしたらよいのかも分からず立ち尽くしていたが、瞬く間に教室の机は隅にまとめられ、椅子が円状に、円の中心を向くよう並べられた。何故こんな並べ方をするのだろうか。

「ありがとうございます。お座りください」

 円の中心に立った笑顔の担任の言葉に、保護者は次々と椅子に座っていく。最後に残った椅子に、私も慌てて腰を下ろした。

「それでは、保護者会を始めます」

 担任はそう言うと、今後の学校行事や、最近のクラスの様子を話し始めた。円の中心で話す都合、時折向きを変えながら話している。

 だが、保護者の多くは心ここにあらずと言った様子で、何かを楽しみにしている子供のように、口元を緩めながらそわそわとしきりに辺りを見回している。

 話が一段落する毎に担任が「質問などはありませんか?」と尋ねても、誰かが先を急かすように「ありません」と即答する。私も質問はないし、早く終わってくれてよいのだが、何か釈然としない。

「私からの話は以上です」

 向きを変えながら礼を繰り返す担任に、保護者も礼を返す。

 礼を終えた保護者のほとんどは、一目見て分かるほどに落ち着きを失っていた。目を見開き、前のめりになって体を揺すっている。

「では、ゲームの時間です」

 静かに微笑む担任が言い終わるや、割れんばかりの拍手と歓声が響いた。

 異常とも言える熱狂だが、担任は動じた様子も見せず、落ち着いてください、というように両手を軽く前に出して上下させる。

 それから数秒もしてようやく音は止んだが、保護者の顔は上気し、狂気じみた笑顔を浮かべている。

「今日は初めての方もいるようなので、ゲームをしながら私がルールを説明しましょう。皆さんはいつも通りにゲームをしてください」

 担任が私を見て微笑する。保護者の異様な雰囲気に困惑しながらも、どうも、と頭を下げる。

「それでは、始めましょう」

「参加者は起立!」

 担任の言葉が終わるか終わらないかのうちに、私のいくつか左に座っていた一人が立ち上がりながら声を上げ、それに続いて半数以上が立ち上がった。

「まずは、参加者を起立させたい人が声を上げます。座ったままでも全員が参加者ですが、参加したいと思った人は起立するのです」

 円の中心に立ったままの担任が私に向かって言うが、すでによく分からない。結局、誰が声を上げて、誰が立ち上がればよいのか。起立するのが参加者だろうに、座ったままでも参加者とはどういうことだろう。海外のゲームで、適当な訳語がなかったとかだろうか。

 立ち上がった保護者は、声を上げた人を中心に間隔を詰め、椅子に沿うように並んだ。私の目の前にも一人が立ったため、やや落ち着かない。

 列の中心となった保護者は円の中心を向いていたが、左を向くと、並んだ人も一斉に同じ向きになった。座ったままの何人かから、おぉ、と感心するような声が上がった。

「ご覧の通りです。参加者の向きを決めるのは、参加者を起立させた人の行うことです」

 ここは分かった。向きはどのような意味を持つことになるのだろうか。

「プレイヤー!」

 並んでいるうちの一人が声を上げる。最初に声を上げたのとは別の人だ。そうきたか、などという声が上がり、並んだ人たちが行ったり来たりして順番が変わった。移動が止まると、また、感心するような声が上がる。

「宣言したい人が宣言します。参加者を起立させた人と同じでも構いません。宣言する言葉は、プレイヤー、ともう一つあるのですが、その説明は別にしましょう。プレイヤーを宣言した場合は、参加者は自由に並び替えます」

 また、したい人がするのか。宣言する言葉、プレイヤーの意味も分からない。

「さて、次で、私か保護者の皆さんか、勝敗が決まるのですが、一旦教室の外で待ってもらえますか? その説明を聞くのは宣言のもう一方を知ってからの方がよいでしょうから」

 はぁ、と頷き、教室から廊下に出る。

 ほとんど間を置かずに大歓声が聞こえてきた。それもそのままに、担任が廊下に顔を出す。

「お入りください」

 教室に戻ると、保護者は全員が席を立っており、笑顔で抱き合ったり、天を仰いで声を上げたりしている。この様子を見るに、保護者が勝ったということだろうが、異常としか言えない。

「今回は私が勝ちました」

 隣に立った担任からの予想に反する言葉にやや困惑したが、大の大人たちが狂喜する様子に比べれば大したことではない。

 担任は手を叩きながら円の中心に戻っていった。私も先程と同じ椅子に座る。

 教室はようやく静かになり、保護者も元通り腰を下ろしたが、異様な熱気は全く冷めていない。

「次を始めましょう」

「参加者は起立!」

 また別の人が声を上げ、参加者とやらが立ち上がって並び、右に向きを変える。また、感心するような声が上がった。

「キカイ!」

 更に別の人が声を上げ、座ったままの何人かが何度も大きく頷いた。プレイヤーのもう一方の宣言だろう。

「説明に丁度よく宣言してもらえましたね。キカイと宣言した場合は、参加者は何もせず、そのまま勝敗を決めることになります」

 プレイヤーと比較すると、日本語に聞こえる言葉だ。機会か、機械か。私の心境としては奇怪でしかないが。

「それでは、勝敗を決めることにしましょう」

 微笑する担任を、保護者全員が緊張した面持ちで見つめる。並んでいる人は向きを変えることなく、肩すら動かさずに顔だけを担任に向けていた。

「オー」

 瞬間、またも大歓声が響く。座っていた保護者も勢いよく立ち上がり、全員が、抱き合ったり、別の人の体を叩いたり、叫んだりしている。

 熱狂する保護者の間を抜け、担任が私の前に立った。

「今回は皆さんの勝ちですね。私が、オー、と言ったうえで、キカイが宣言されているか、私が、レ、と言ったうえで、プレイヤーが宣言されていれば皆さんの勝ちです。そうでなければ私の勝ちとなります」

「それだけですか?」

 私の質問に、担任は静かに頷いた。

 騒々しいせいで何か聞き違えただろうか。保護者の宣言の後に言うのだから、担任が勝敗を決めているだけになってしまう。ゲーム開始と同時に、私の勝ちです、とか、皆さんの勝ちです、とか言うのとなんら変わらない。それまでの手順に何の意味があるのだ。

 混乱する私を気にも留めていないように、担任は再び手を叩きながら円の中心に戻っていった。

 担任が勝利したらしい前回と、保護者が勝利したらしい今回とで、全く変わらず喜んでいるように見える保護者は、相変わらずの熱気をはらんだまま席に着いた。

「始めましょう」

 担任が告げたが、誰も何を言うこともなく、全員が一斉に私に血走った目を向ける。普段であれば多数から視線を向けられてもさほど気にならないが、こうも狂気じみたものとなると、耐えられるものではない。

「参加者は起立」

 ほとんど声にならないくらい掠れてしまったが、何とか声を出すことが出来た。

 私に続いて、半数ほどが立ち上がり、私の隣に並んでいった。

 左を向くと、座ったままの何人かから感心するような声が聞こえた。正しい行動なのかは全く分からないが、おそらく問題ないのだろう。

 並んだ保護者が私と同じ向きになっても、宣言は聞こえてこない。

 席に座ったままの保護者の視線がまた私に集まった。

「キカイ」

 出来るだけ手順を減らすための宣言をする。座ったままの何人かが頷くのが見えた。間違ってはいないのだろうか。

「では、勝敗を決めましょう」

 勝敗などどうでもよい。とにかくこの異常な状況から抜け出したい。

「レ」

 担任の勝利のはずだが、やはり全員が歓喜の声を上げ、座っていた保護者も勢いよく立ち上がる。

 誰かに私の背中を叩かれた。力加減が出来ていないのか、かなりの痛みが走った。

「初めてとは思えませんね。どこかでご経験でも?」

 私の背中を叩いた人が尋ねてきたが、狂気を宿した瞳に、首を振るのが精いっぱいだった。その人もすぐに、抱き合って喜ぶ人たちに加わっていった。

 一応は私が主導したとも言えるが、それでもやはり意味の分からないこのゲームについて、誰かに質問してみたかったが、もはや保護者の中に正気と思える者はいない。

「どうでしたか?」

 立ち尽くす私に担任が微笑を浮かべて近付いてきた。

 保護者のような狂気こそ感じないものの、それを導いているようにも思える担任にも、やはり何かを尋ねる気にはならない。

 はぁ、と曖昧に答えると、担任は微笑したまま頷き、また手を叩きながら円の中心に戻っていった。

 その後もゲームは幾度となく繰り返されたが、狂気と熱気は収まるどころか、回を重ねるごとに高まっていくようにも感じられた。

 私は全て座ったまま過ごしていたが、特に見咎められるようなこともなかった。

「次を最後としましょう」

 担任の言葉に、これまでで最も大きく感じられる歓声が上がる。何にしても、ようやく終わるようだ。

「参加者は起立!」

 歓声が止むのを待つこともなく発せられた叫ぶような声に歓声が止み、全員が立ち上がった。さすがに一人で座り続ける勇気もなく、私も仕方なく立ち上がる。

 声を上げた人が右を向き、全員がそれに倣う。

「プレイヤー!」

 声と共に、全員が無秩序に動き回った後、再び列を作る。

「では、最後の勝敗を決めましょう」

 円状に立つ全員が、器用に首だけを担任に向ける。

「ム」

 オー、でも、レ、でもない。

 歓声どころか一切の声も上がらず、全員が担任に向き直り、驚愕したように目を見開く。

「滅多にあることではないので、説明が漏れていました。ムの場合は、私も、皆さんも、負けです」

 保護者の様子を気に留める様子もなく、担任は私に向かって言った。自らの意思一つだろうに、滅多にあることではないも何もないと思うが。

 担任が驚愕のまなざしを向けるうちの一人を見て頷くと、その人は力の抜けたようにへたり込んでしまった。先程娘と一緒にいた子の保護者だったはずだ。その両隣に立っていた保護者が体を支えて何とか立ち上がらせた。

「最後は残念な結果になってしまいましたが、ゲームの時間はおしまいです。片付けをお願いします」

 担任がそう言うと、保護者は準備をした時とは対照的に、ひどく緩慢な動作で机や椅子を元通りに並べ始めた。その目からはようやく狂気は感じられなくなったが、生気が失われたようにも見える。

 私は少しでも早くこの場を離れたい一心で、その作業に加わった。

「本日はありがとうございました」

 元通りになった教室で、教壇に立つ笑顔の担任が保護者に向かって頭を下げる。

 生気の抜けたまま礼を返して教室を後にしていく保護者に、私も続く。

 妻が言っていたことの意味は分かったが、こんなことを誰かに話しても、正気を疑われるだけだろう。

 非常な疲れを覚えながら、家路に就く。

 やっとの思いで帰宅すると、妻は私の様子から全てを察したらしく、苦笑を浮かべながら迎えてくれた。私も何も言わず、苦笑を返した。さっさとあの異様な雰囲気を忘れてしまいたい。

 私の思いに反して、この日の不気味な余韻を拭い去ることは出来なかったが、かと言って特に何かあるわけでもなく数日が過ぎた。

 いつになく沈み込んだ様子の娘から、最も仲の良かった友達が転校したと聞かされた。

 なんでも、誰からも前もって知らされることもなく、その友達の様子も昨日までは普段通りだったというのに、いなくなった今朝になって初めて、担任から知らされたという。

 授業参観日に一緒にいた子かと尋ねる私に、娘はゆっくりと頷いた。

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