ヘルエスタ王国物語(94)
封印式の向こう側には『世界』があった。
広々としていて。
青々としている。
だが、それらは全て自然が創り出した成果ではない。封印式に刻まれていた世界構築論が始まりの世界を元にして創った偽りの世界だ。
そんな場所で■■は死に続けていた。
生き返る。潰される。生き返る。潰される。生き返る。潰される。
そして実感する。
ウィスティリアの言っていた事は本当だった。
おはようで、殺されて。
おやすみなさいで、生き返る。
死痛は無限に。■■は狂うことも出来ず、息をする事も叶わず、誰かの助けがくるその日まで死に続けている。
「───こんにちは」
ふと、頭の中で声がした。
はじめは幻聴だと思った。ウル・モアと自分しかいない世界で、声を聞いた、というのは空がひっくり返るぐらい、おかしな話だったから。しかしその声は、■■の死ぬ回数が増えるほど頭の中で大きくなっていった。
「少しお話ししませんか? ■■様も疲れているでしょ」
繰り返される言葉に意識を取られる。
数え切れない時間を死に続け、■■はようやく出会えた声の持ち主に愕然とした。その特徴的なクリーム色の髪と、優しく、慈愛に満ちた眼差しで人を溶かす彼女の容姿は間違えようがない。
「シスター・クレア……」
頭の中でハッキリと形を手に入れた彼女の名前を呼ぶ。クレアが着ている黒い修道服は■■にとって馴染み深く、とても懐かしい。
「はい。貴方のシスター・クレアです」
「……───」
聞きたい事が山ほどあった。
どうして私だったのか? 生き返った理由は? 私の生まれたヘルエスタ王国はどうなったのか? 兄と姉はどっちが勝って、どっちが王様になったのか? ウル・モアと一緒に封印されてどれくらいの時間が経ったのか?
全部を聞きたい。
すべてに答えてほしい。だが質問する前に、クレアから■■へ───寒気がするようなメッセージが届けられる。
「貴方は誰ですか?」
「わたしは……」
答える事が出来ない。
自分の名前なら分かる。■■・■■■■■だ。そのはずだ。答えられる。でも、声を出して伝えるためにはどうしたらいいのだろう。
分からない。
分からない。
死に続ける。
「本当にそれでいいんですか?」
前にも似たような質問をされた。
それがいつだったのか、思い出せない。
頭の片隅にあるようで、無いような……頭、頭、頭?
生き返る。
何もなかった死後の世界に色がついた。
「間違ってるなんて、ありえませんよ。■■様はもっと自信を持ってください」
名前を呼んでくれた!
嬉しい!
でも、どうして?
■■はもどかしい気持ちを抱えたまま、前を歩くクレアの背中を追いかける。
彼女の足はとても速い。───私は走っているのに追いつけない。ずっとその場で足踏みをしているみたいな感じだった。
「準備が整ったのなら始めましょう」
クレアの横顔は幸せそうだった。
温かい場所に彼女はいる。殺される。殺される。殺され続ける。
「……───」
偶然か。好奇心か。
■■はなんとなく、自分の歩いてきた道を振り返った。
「───ひっ」
何も無かったらそれでいい。
幸せがあったらそれでいい。
だがそこには、無数の屍があった。山積みになっているのはもちろん『私』だった。
■■・■■■■■は今も殺され続けている。
「貴方は誰ですか?」
痛みから救い出すように、同じ質問がクレアから投げられた。
その手のひらに乗りたい気持ちを、■■は心を震わせてなんとか押さえ込む。痛みだけが■■の感じるすべてになった。
安楽死などない。死の痛みが無限に続いている。
「……ハァ、ハァ」
やがて■■は、クレアから逃げるようになった。ひびが入り、痛みに耐えかねて壊れそうになる心を必死に守る。
シスター・クレアに追いつかれてはいけない。
追いつかれたら───私はどうなってしまうのだろう。
頭を振って恐怖を飛ばしつつ、■■は暗闇に塗り潰された道を走る。
「怖がらなくていいですよ」
ほら、と。
耳元で囁くクレアの声が聞こえた。彼女は■■の胸の辺りに触れて───その手は■■の心に触れていた───愛を伝える怪物のようにこう質問する。
「貴方は誰ですか?」
ゾッとした。
腰から背骨を通って、頭のてっぺんまで。答えを間違えれば一気に崩れる。そんな悪寒が■■を夢中になって走らせた。
意思疎通ができない。
どこまでも噛み合わない会話が続いている。
「貴方は世界を救わなければなりません。どうしますか?」
ザザ───ザ、ザザ───。
ザ───ザァ───。
逃げなくちゃ。
逃げなくちゃ。逃げなくちゃ───ッ!!!
「……ハァ、ハァ」
たくさんの国が目の前に広がった。
そして一瞬で虹の海に変わる。空からウル・モアが落ちてきたのだ。国に溢れかえっていた人達は空を見上げ、乾杯の盃を掲げた瞬間に蒸発した。
「……ハァ、ハァ」
気づけば城の廊下を走っていた。赤色のカーペットが敷かれた廊下はどこか見覚えがあって、見覚えがない。
何を言ってるの?
違う。頭の中にはあるんだ。頭の中には。記憶の中には───。
そうやって時間は過ぎていった。全身を血に染めながら、■■はどうしようもなく今を生き続ける。
この声が届く未来が幸福だと言えるように。
段々と進む先は見えなくなっていった。それでも■■は手探りで歩き続ける。泥だらけになった足元には自分の死体で埋まっていた。
それでも震えた声で白い息を吐きながら、ひとつひとつを積み重ねていく。
「大丈夫」
と、誰かの声が聞こえた。
遠くから聞こえていた足音はいつの間にか笑えるほど近くに、逃げられないという絶望感が■■の心を犯しはじめる。
クレアと■■は虹の糸で結ばれた運命共同体。
例え見ている明日が違っていても、二人は同じ未来に向かって歩いて行ける。そんな止まることのない時間の中で、■■は屍の中を笑い続けた。不格好に投げられた言葉はクレアとの日々を綴り、彼女の記憶に汚染されていく。
瞬くたびに景色は変わる。
記憶のひとつひとつを■■に刻みつけて「大丈夫」と自分に言い聞かせる。
……自分?
今、誰に対して『自分』を思ったのだろう。
「貴方は誰ですか?」
「───ッ!」
返事をする間もなく、■■は死体の海を泳ぎ続けた。
それは少しずつ築いてきた、たくさんの昨日たち。彼女たちと一緒になって、飾らない気持ちで明日も話せたらどれだけ幸せだっただろう。
だけど、立ち止まれない。
■■とクレアを繋ぐ境界線はどんどん曖昧になっていく。
「貴方は誰ですか?」
この声が聞こえなくなってしまったら、果たして自分は幸福だと言えるだろうか。
やがて、教会が見えてきた。
■■は立ち止まり、窓の向こう側にいる───ザ、ザザァ───に恐怖する。
……アレは誰だ?
疑問は自分へ───私は誰だ? 私は、わたしは。
……わたしは、アレか?
「大丈夫」
七色の声音が、■■の心に愛を響かせた。
ただ、願い。
ただ、謳おう。
手を合わせた先に幸せが待っていると信じて、■■はその笑顔を知らない誰かに伝えるために遠く遠く、遥か彼方まで叫び続ける。
いつまでも。
いつからでも。
誰かの近く。もっと近く。くだらない話で笑い合おう。
明日は七色。
世界は輝く。
───だと言えるように。
シスター・クレアから最後の質問。
「貴方は誰ですか?」
「わたしは……シスター・クレアです」
クレアがそう答えると、もうひとりの自分は嬉しそうに笑って消えた。
そしてクレアは目を覚ます。
「おはよう、クレア」
ずっと聞きたかった声が聞こえた。
薬品のにおいと一緒に、
「ごめんね、待たせちゃって」
「……───」
クレアは枯れきった頬に涙を落として、紅い髪の魔法使いを見つめた。




