ヘルエスタ王国物語(90)
「先ほどは大変失礼しました。下界に降りてきたのは初めてのことで、つい盛り上がってしまいまして」
空色の髪をした女性は「コホン」と咳払いを入れつつ、
「……あらためて自己紹介を。私はエリーラ・ペンドラ。クレア様の膝の上で寝ている白いのは相棒のピックルです」
主人に名前を呼ばれると、ピックルは鎌首を上げて小さく鳴いた。よく見ると体のいたる所に傷が出来ている。
■■は傷に触れないよう、優しくピックルの頭を撫でた。
「時間がありません。早速で申し訳ないのですが、本題に入らせていただきます」
エリーラの言葉を受けて、■■の両隣に座るウィスティリアとリヴァネルの二人は身を固くする。
そんな彼女たちの緊張を察してか、エリーラは薄く笑って先を続けた。
「ウル・モアが現代に復活して二十分あまり……たったそれだけの時間で十を越える国が滅ぼされました」
信じられない言葉に、■■は思わず耳を疑ってしまう。だが、驚きに目を見開いたのは■■だけだった。両隣に座る二人は最初から知っていたかのように、じっとエリーラの言葉を待っている。
「そして少し前、ウル・モアは私たちの住む天界に落ちてきました。今は女神モイラ様の率いる十二天使がウル・モアと交戦中です」
細い声でそう話すエリーラは、どこか諦めている様子だった。
「それで、アタシたちにどうして欲しいわけ?」リヴァネルが言った。「一緒に天界まで行って戦ってほしい、なんて話をしに来たんじゃないでしょ?」
「ええ。もちろんです」
エリーラは力強く頷いてから、
「ウィスティリア様とリヴァネル様のお二人には、ウル・モアをもう一度封印していただけるようお願いしに参りました」
リヴァネルは沈黙する。
かわりに、
「時間は……どれくらいあるの?」
「天界ではウル・モアの足止めに力を入れています。長くて四十分、短くても二十分は持たせてみせます。それだけの時間でどうか、お二人には準備をしていただきたい」
ウィスティリアの質問に対するエリーラの答えは、選択する暇など与えない、あまりにも不誠実な内容だった。
話を飲み込む時間も、咀嚼するための審問すら許さない。
ただ、現実を見ろ───これは決定事項だ───■■はそう脅されているような気がした。エリーラも、自分が無茶を言っている事は当然理解しているだろう。だからこそ彼女は何も言わない。
沈黙する二人をエリーラは笑顔で睨む。
背筋を正し、目を逸らさず、エリーラは二人の解答を待っている。
「もうひとつ。リヴァネル様にお話しておきたい事があります」
「……アタシの故郷の話ならしなくてもいいわよ」
エリーラは口を開けて、
「ご存じだったのですか?」
「知ったのは地獄に来て少しのんびりした後よ。まあ、アタシ一人がどう足掻いたところでウル・モアを倒すなんて不可能だった。……アタシの故郷は滅ぼされる運命だったんでしょうね」
そう言ってリヴァネルは自分を納得させる。
だが、納得していない者もいた。
「ちょっと待ってください。滅ぼされたって……じゃあ、ベルさんは」
声を震わせ、■■が質問する。
「……生きてる望みは薄いわね」
軽薄に笑ってリヴァネルは答える。唇の端が僅かに歪んでいた。
それを見た■■はようやく、二人がずっと教えてくれなかった真実に辿り着けたような気がした。
魔界の状況とは、つまり、今更聞くまでもない事だったのだ。魔界からウル・モアが移動しているという簡単なヒントだけで、■■の想像力はなんの苦労もせず、空白になっていた解答欄を埋めてしまう。
そして、その原因を作ってしまったのは───私だ。
あの時、■■が鈴原るるを止めることが出来ていれば、ウル・モアは復活せず、リヴァネルの故郷も滅びる事はなかった。
「ナリさんや、魔界の皆さんは……」
泡を吐くように、■■は呟く。
最終確認だった。
「死んでしまったでしょうね」エリーラが言った。「魔界の状況がどうであれ、最初にウル・モアが落ちてきた場所です。魔界を隅から隅まで探せば生きている人も多少はいるでしょうが、クレア様が望んでいる方が生きているとは限りません」
それに、とエリーラは続けた。
「現状はそんな簡単な事すら許されないほど、ウル・モアの存在が邪魔すぎる。クレア様がやりたい事をするためには……まず、ウル・モアを封印してからじゃないと話が進まないんです。それを頭に入れてください」
「……───」
彼女の言葉は鞭のようにしなり、■■の心を傷つける。
だが■■も、自分の戯言なんかよりエリーラの言葉が正しい事は分かっていた。
言葉とは世界を思ってこそのものだ。そして今のエリーラは、滅びゆく世界の代表者といっても過言ではない。
「すみませんでした……エリーラさん」
彼女との認識の違いを噛んで、■■は頭を下げる。
エリーラも溜まっていた空気を吐き出した。
「こちらこそ。熱くなってしまって申し訳ないです」
一度目を閉じ、
「クレア様はウル・モアに滅ぼされた国がどんな状態になっているか知っていますか?」
「……いいえ」
■■は首を横に振る。
想像するのも難しかった。
「私も天界から見ていただけなのですが」エリーラは苦笑する。「本当に……ついさっきまで命を育んでいた場所が、数秒後には跡形も無くなるんです。そして最後に残っているのはウル・モアの足跡だけ」
「……───」
胸の痛みに耐えるかのように、エリーラは歯を喰いしばっている。
だが■■は、彼女の言葉を聞いてからずっと違和感が抜けなかった───いや、彼女から話を聞くよりもずっとずっと前から、■■は心の底で疑問に思っていた事がある。それがやっと言葉になった。
「エリーラさんはウル・モアを封印する方法を知っているんですか?」
疑問だった。
ウィスティリアが夜王との謁見の最中に口にした言葉とは違う。ウィスティリアは初めからウル・モアを倒す前提で動いていた。だから、違う。■■の心にあったシンプルな疑問はもっと前───ずっと昔からあったものだ。
「私にも分かりません」エリーラは言った。「ですが、それを知るすべを持っているのがクレア様の隣に座っているお二人なのです」
■■はウィスティリアとリヴァネルを交互に見る。
千年前。ウル・モアは魔王と勇者の手で封印された。そして『クレア』という名前の聖女と人間の魔法使いもその場にはいた。
しかし、肝心な事が書かれていない。
ウル・モアをどうやって封印したのか、その方法がどこにも。
「鍵をかけたのよ」
ウィスティリアが呟いた。
「でも、方法までは……」
「いいえ。貴方たちなら可能なはずです。何故なら貴方たちはモアの王冠を持っている。王冠の力を使えばウル・モアが千年前にどうやって封印されたのか知ることが出来る。そう、モイラ様はおっしゃっておりました」
「……───」
「時間がありません。今すぐにご決断を」
エリーラに迫られるも、ウィスティリアは頑なに返事をしない。
「私も、もう行かなければ。……ピックル、おいで。天界に帰るよ」
主人に名前を呼ばれ、ミニ竜は齧っていた果物をテーブルの上に落とした。「キュイ!」と可愛らしく鳴いて、エリーラの肩に着地する。
「皆さん、あとは任せました。さようなら」
それだけ言い残し、エリーラはさっさと家から出ていってしまう。
続いて、
「アタシもちょっと席を外すわ」
立ち上がったリヴァネルは、聞こえるか聞こえないくらいの声で■■に囁きかける。
「リアの話を聞いてあげて。頼んだわよ」
そしてのれんを潜り、廊下の方へ歩いて行った。
「……リアさん」
■■は美しい銀色の髪の隙間からウィスティリアの様子を窺う。
こういう何でもない時間に苦しめられているとき、こちらから話しかけるべきなのか、それとも相手を待つべきなのか、いつも分からない。
「心配かけちゃってごめん。でも、大丈夫だから」
■■に名前を呼ばれたウィスティリアは朗らかに笑う。誰がどう見ても、強がっているのは明らかだった。
「私ってさぁ……結構、恵まれて育ったんだよね」
「……───」
「あ、一応先に言っておくけど、自慢話じゃないからね?」
「もちろんです」
■■は優しく目を細める。
その顔を見たウィスティリアは、
「いやらしい顔してる。抱き締めて?」
「……───」
■■は途端に何も言えなくなった。個人的には慈愛を込めたつもりだったが、どうやら彼女には誘っているように見えたらしい。
「むぅ」
「え? 本当に抱き締めた方がいいですか?」
「べちゅに。いいもん」
ぷいっ、とそっぽを向いてウィスティリアは続ける。
「私ね、ヘルエスタ王国の王族として生まれたの。弟にも恵まれて、たくさんの人たちに楽しい時間を貰った。でも、迷惑もいっぱいかけちゃって……その度に弟も一緒になって怒られたりして……あはは」
「弟さんがいるんですね」
「そうだよぉー。私と違って立派な弟でね。いや、まあ……私がちゃんとしてないって部分はあるんだけど。今は私の代わりに王様をやってくれてる」
弟の話をするウィスティリアはとても嬉しそうだった。
立派に成長した弟を自慢したかったのだろう。
しかし、いくら弟が大切だからといって、旅のお土産にメイド服を贈ろうとしているのは本当に分からない。
「でもさ! でもさ! 聞いてよ、クレア!」
「はい。どうしたんですか?」
「私の可愛い弟は酷いんだよ! 王様になるや否や、私のことをヘルエスタ王国から追い出したんだから。『ヘルエスタ王国はオレに任せろ』なんてカッコいいこと言ってさ。実は私のことを邪魔者だとか思ってたんだよ!」
「えーっと……多分、そんな事ないと思いますよ?」
「絶対にそうだよ! そして今頃は自分好みの可愛い女の子を集めてハーレムとか作っちゃってるんだから。帰ったらぶん殴って目を覚まさせてあげなくちゃ!」
それからも■■はウィスティリアから色んな話を聞かされた。
エルフの森は安全ではあるものの、娯楽が少なく、魚釣りや鳥を落とす事にはそうそうに飽きてしまったとのこと。そして退屈を紛らわすため、ウィスティリアは絵を描くことに夢中になったそうだ。
「ふふん」
と、ウィスティリアは自慢するように鼻を鳴らす。
そして最後に、
「私が千年前に魔界に行った話、覚えてる? ほら、夜王様に我儘言ってさ」
「はい、覚えてます。確か、勝手についてきたっていう」
「うっ……私もあの頃は若かったから」
ウィスティリアは言葉を切って、
「私その時にね、一度死んだらしいの」
「え?」
■■の目が点になる。今日一番の驚きだった。
「ごめん、話盛っちゃった。本当は死んでない。死にかけてはいたらしいけど」
「そう、なんですね……」
■■はホッと胸を撫でおろす。
ウィスティリアは悪戯が成功した子どもみたいに笑っていた。
「でも、クレアもずっと知りたかったんじゃない? 私がどうしてモアの王冠を持っているのか」
言われてみれば、と■■は内心で呟く。
これまでの実力を見た限り、ウィスティリアは戦争でモアの王冠を手に入れたのだとばかり思っていた。
しかし、今の口振りからして違うのだろう。
「戦って手に入れた……訳じゃないんですね?」
ウィスティリアは頷く。
「うん。私が今持っているモアの王冠は最初、魔王えま★おうがすとのモノだったの」
「どうして……」
「私にも分からない」
かぶりを振って、ウィスティリアは続ける。
「ここからはお爺ちゃんに聞いた話になるんだけど。……私は魔王城の近くで倒れてたんだって。そこで魔王様に助けられて、一緒にモアの王冠を託されたの。魔王様はそのすぐ後に死んじゃったらしい」
「……───」
ひと息で理解するのは難しい内容だった。
だがこれで、ウィスティリアの行動にも説明がつく。
彼女がしきりに魔界を気にしていたのは、魔王ヤン・ナリのためだけではなく、先代魔王えま★おうがすとが倒せなかったウル・モアを倒すことで、魔界への恩を返そうとしていたのだろう。
そして今日まで、彼女は努力してきた。
「ねえ、クレア……私、失敗しちゃった」
「……───」
エリーラ・ペンドラの言葉が■■の脳裏をよぎる。
ウル・モアが復活してたくさんの国が滅びた。そしてエリーラの住む天界も、今はその滅亡と真っ向から戦っている。こうして■■とウィスティリアが話し合っている間も、彼女たちは国と命を懸けて戦っているのだ。
あとは、ウィスティリアの気持ち次第───。
「準備、しませんか?」
意を決して問いかける。
沈んだ空気か■■の頬に触れた。
「そうだね。……しなきゃいけないね。でも、何から始めたらいいのか分からないの」
「エリーラさんが言ってたモアの王冠を使うのは───」
「例え、モアの王冠を使ってウル・モアが落ちてくる場所が分かっても、私たちがその場所に辿り着くまで『滅ぼされてない』なんて保証はどこにもないでしょ?」
「い、移動もモアの王冠を使えば……なんとか」
自分で言って、■■は笑いそうになる。
最初からそんな事が出来るなら、わざわざ世界を歩く必要なんてない。
願い。叶えてもらえるなら───それだけで楽が出来るなら、ウィスティリアはこの場所にはいない。すぐにでも行動に移しているはずだ。
「……出来る、と思う」
「それなら───!」
一瞬の沈黙のあと、答えを聞いた■■は希望があると思った。
しかし、ウィスティリアの沈んだ顔には僅かな光すら差していない。それが■■の絞り出した発想の答えだった。
「ウル・モアのいる場所に転移したとして、一体何を準備するの? ウル・モアが落ちてきた時点でその国は破滅に向かってるのに。どうやってウル・モアを封印するの? 倒す準備をするの?」
ウィスティリアにした質問が、そのまま■■に返ってくる。
「それに信じてもらえると思う? 見ず知らずの他人が『もうすぐこの国は滅びます』なんてバカみたいな話をしてさ。笑われるのが落ちじゃない?」
その通りだった。
ウル・モアが復活して、まだ二十分あまり。世界中にウル・モアの情報が行き届いている可能性は低い。
そして、こう考えてしまうのだ。
「モアの王冠を使えば───」
声に出してみて、■■は自身の発言に戦慄した。
なんでも奇跡に頼ろうとするその考え方は、千年前にモアの王冠を欲して殺し合いを演じた者たちと同じ。
まさに、戦争の火種だった。
「奇跡の力といっても、万能じゃないの……ごめんね」
「……───」
力無く笑うウィスティリアを見て、■■は胸が締めつけられる。
どう足掻いても手段がない。
再び、二人の心を静寂が埋める。
「リア、クレア! まだ部屋にいる!?」
のれんを潜り、慌てた様子でリヴァネルが入ってくる。
「リヴァネルさん、どうしたんですか?」
「次にウル・モアが落ちてくる場所が分かったわよ!」
そう言うと、リヴァネルはウィスティリアの肩を掴み、
「よく聞きなさい。次にウル・モアが落ちてくるのはヘルエスタ王国よ!」




