ヘルエスタ王国物語(88)
「ごめんなさい、ロハさん……付き合わせてしまって」
「そんな! 気にしないでください。これも仕事の内ですので」
メイド服を着て魔王城を案内してくれているのは、イ・ロハという少女だった。
ツインテールと愛らしい声が合わさって、最強に見える。
そもそもの話。
彼女を可愛いという言葉だけで表現するのはおこがましいと思えるほど、彼女は魅力に溢れた少女だった。しかし、その魅力を世界に伝えようとすれば、■■の独占欲的な部分が狂いそうなほどジェラシーが嫉妬するので、イ・ロハという美少女を褒め称えるのは控えておいた方がいいだろう。
世界中は彼女のことを、ただ可愛いとだけ認識していればいいのだ。
ツインテール最高!
イ・ロハちゃん最高!
なんかもう色々、最ッ高!
「ロハさん!」
「は、はい!」
「ロハさんは、可愛いんです!」
「あ、ありがとうございます……えへへ」
照れているロハたんもまた、可愛いのである。
二人はそんな何気ない会話をしながら、赤いカーペットの敷かれた廊下を歩いた。
「ロハさんは魔王城でどれくらい働いているんですか?」
「えーっと、三年くらいですね。最初はりりむ様のメイドとして仕えていたのですが、戦いが始まってからは魔王城の掃除を任されています」
ロハは声を落とすと、
「りりむ様もナリ様も一緒に暮らしていた頃は仲が良かったんです。ナリ様が魔王になったあと、時間が経つにつれ、二人の仲は悪くなってしまって……」
横から見えたロハの顔には、悲しみの表情が浮かんでいた。
■■も前世では王位継承権が自分だと決まった瞬間から、それまで仲良くしていた兄と姉から侮蔑の感情を向けられた事がある。そしてその結末は家族同士の殺し合いにまで発展した。
「悲しい話ですね」
一度切れてしまった縁を、もう一度繋ぎ直すのはとても難しい。
苦しみが■■を襲う。
このままだと暗い話題に真っ直ぐ進んでしまうが、どんな話題を振れば今の重苦しい空気を吹き飛ばすことが出来るのだろう。
■■は横目で、ロハの表情を覗く。
彼女の茶色い髪からは、甘い蜜花のような香りがした。
「でも、落ち込んでばかりじゃいけませんよね! りりむ様が帰ってきた時にはロハがなんとかしないと」
「そ、そうなんですか?」
「はい! じゃないとりりむ様が、ナリ様に処刑されてしまいますので!」
「なるほど!」
やる気に満ち溢れたロハに圧倒される。
曖昧に返事をしたあと、■■は喉元まで出掛かっていた疑問を飲み込んだ。もしも声に出してしまって、今の彼女のやる気に水を差してはいけない。
話し合いで解決出来るなら、それに越した事はないのだから。
「クレア様は知らないかもしれませんが、怒った魔王様は本当に怖いんですよ」
「ナリさんが怒る?」
■■はその光景を思い浮かべてみるも、可愛い子供にお説教されるだけで、ロハの言う、怖いイメージからは遠くかけ離れてしまった。
「あんまり想像出来ませんね。どんな感じなんでしょう?」
「暴れます」
「暴れる?」
「はい。この間も侵入者に友達がめった刺しにされちゃって。魔王様、すごく怒ってました。あの時ハリさんとジユさんの二人でも止められなくて、リア様が一緒にいてくなかったら、今頃この魔王城はなくなっていたかもしれません」
「そんなに……」
ロハの話を戦々恐々と聞きながらも、■■はやっぱり、あの子供のような魔王様を嫌いになれないと思った。
本当に純粋で、自分の気持ちに素直な───愛らしい子供なんだと。
そう思ったのだ。
「ナリさんのお友達さんは生きてるんですか?」
「ギリギリ息があるところを発見されて、今は治療中だと思います」
「良かったです」
ほっ、と■■は息をつくと、唐突に激しい尿意に襲われる。
会話に夢中で忘れかけていたが、目的のトイレはどこにあるのだろうか。
「ろ、ロハさん……そろそろ限界が……」
「トイレならあそこです!」
「ありがとうございます!」
■■は急いでトイレに駆け込み、漏れそうになっていた用事を済ませる。そして清々しい気分で手を洗い、濡れたハンカチをポケットにしまった。
「ロハさん、お待たせしました」
入り口で待っているであろう、イ・ロハに声を掛ける。
彼女からの返事はなかった。
かわりに───ぴちゃり、という水溜まりを踏んだような音を■■は聞いた。
■■が入り口に戻ると、足元には水が溜まっていた。その水は■■の思い描くような透明な水ではなかった。
水が血のように赤い。
まるで、人の体から抜け落ちてきたみたいに、赤黒いのだ。
「……───」
■■はその痕跡を目で追っていく。
途中で「あれ?」という聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「もしかしてクレアさんですか?」
「……───」
笑う少女は短剣を振り、刃先に付いた赤色を落とす。
そして彼女の足元にはさっきまで一緒に話をしていたイ・ロハの姿があった。赤い水は彼女の体から流れている。
「わたしのこと、覚えてますか?」
血溜まり池の中心で、少女が手を振っている。
手を振っていた。
「……どうして」
目の前の現実を受け入れられないまま、■■は震える声で尋ねる。
返事を貰えたことが嬉しいのか、傾いていた少女の顔には浅い笑みが浮かんだ。
「どうして……どうして……」
息が荒くなる。
上手く空気が吸えない。だが、今はそんな事どうでも良いい。
寒気がしても。
動悸がしても。
今は、ただ───。
「どうして貴女がここにいるんですか……鈴原さん……」
喉に声を引っかけながら、■■は少女の名前を呼ぶ。
鈴原るるが水溜まりを歩いてくる。自分の足跡に続く波紋を楽しむように、彼女はこの場所で優しい友人に再会できたことを喜んでいる。
「こんるるです、クレアさん。また、会えましたね」
人を殺した後とは思えない、明るい声音だった。
■■は彼女を直視することが出来ず、視線を下に逸らす。ギラリ、と鈴原の持っている一本の短剣が■■の目のなかに飛び込んできた。
「ここじゃなんですから、外に行きましょうか」
へその辺りに押し付けられた短剣が、進むべき方向を教えてくれる。
「わたし、クレアさんに話したい事がたくさんあるんです。たくさん。たくさん。たくさんね」
鈴原に言われた通りに歩いて、■■は魔王城の裏口から外に出た。
そこで一度逃げ出そうと考えた■■だったが、振り返った先にいた鈴原に屈託のない笑みを向けられ、自分が逃げられないことを悟った。
ボロボロに崩れた城壁の隙間を抜け、■■は鈴原に背中を押されるようにして、小走りで目の前に広がる青い森に入った。
魔王城の姿が葉っぱで隠れると、
「まさか魔界で再会できるなんて思ってもみませんでした。お元気でしたか?」
そう気さくに話しかけてくる彼女の声は、人の命を奪ったことに興奮している風でもなく、朝の会話に花を添えるように穏やかだった。
こちらの緊張など気にも留めていない。
「……鈴原さんこそ、どうして」
「魔界はわたしの生まれ故郷なんです。どうですか? めちゃくちゃ寒いでしょ?」
すぐ後ろから息の漏れる音が聞こえた。
「でも、鈴原さんの故郷が魔界だなんて思いませんでした」
「確かに魔界育ちで生きている人間は珍しいかもしれませんね。わたし以外、ほとんど死んじゃってますし」
■■は驚きに目を丸くする。
どうして彼女はそんな悲しいことを平然と言えるのだろう。
「ふふ、同情してくれましたか?」
「それは……どういう……」
「悲しむ必要なんてありません。だって、わたしが殺したんです。魔界で生きていた人たちはひとり残らず、全員、わたしが殺しました」
「───ッ!?」
「でも、仕方なかったんです。魔界の生活は思ったより大変で、誰かを殺して温まらないといけませんでしたから。皆のおかげでわたしは今日も生きていて、こうしてまたクレアさんと会うことが出来た。ですから、同情する必要なんてありません」
嘘の自慢話のように聞こえた。
今は見栄を張っているだけで、本当の彼女はそんな恐ろしい事など出来ない、優しい女の子なのだと心の底から信じたかった。
「鈴原さん、今ならまだ───」
「いいえ、もう間に合いませんよ」
それは自分たちが歩いてきた───魔王城のある方角からだった。
空を裂くような叫び声が聞こえ、森の木々たちは一気に赤く染まる。
警戒。
あるいは警告。
変化の意味は分からない。だが、魔王城で何かが起こっているのは確かだ。
「キレイですね」
鈴原は■■を追い抜き、前を歩く。
「先を急ぎましょうか」
続けて爆発音。これも魔王城の方からだった。
しばらく彼女の後ろについて歩いていると、
「わたし、実は一度失敗してるんです」
鈴原は起伏のない、お日様のような匂いをさせて語りはじめた。
「ハ・ユンという名前の魔族をご存じですか? わたしが殺し損ねた人なんですけど」
「もしかして……傷だらけで見つかったっていう……」
■■はロハから聞いた話を思い出す。
「それも鈴原さんがやったんですか……」
質問の答えは、振り返った彼女の笑顔だった。
「殺したはずでした。でも、男性の魔族って意外としぶとくて。欲しいものは手に入ったから良かったんですけど……やっぱり殺した方が確実でしたよね?」
「……───」
「だから次は女の子を狙うことにしたんです」続ける。「昨日、りりむ様の友達を殺しました。夢月ロアっていう名前の可愛い女の子でした。わたしが吹雪の中で震えていたら助けてくれたんですよ」
「……───」
「そして死体になったロアちゃんの横に、ハ・ユンくんの持っていたナイフを置いてきたんです」
「───まさか」
イヤな予感がした。
「さっき殺した名前も知らない女の子のときも、本当はこの短剣を置いてくるつもりでした。……まあ、クレアさんがいたから出来ませんでしたけどね」
話をして気分が良くなったのか、鈴原はスキップをしながら、■■を置いてどんどん先に進んでいく。たまに振り返っては、■■がちゃんと付いてきているか様子を窺い、その足音に聞き耳を立てている。
「クレアさんはウル・モアっていう名前を知っていますか?」
「……名前だけなら」
「とぉーっても怖い怪物さんらしいんですよ。それこそ世界を滅ぼせちゃうくらい」
そしてその後に続く言葉に、■■は彼女の正気を疑った。
「わたし、復活させようと思ってるんです。みんなが恐れているその怪物さんを」
「……───」
「最初に色んな噂を流しました。ナリ様のところには『りりむ様がウル・モアの復活を企んでいる』って。そしてりりむ様の方にはそれと逆のことを……」
言葉も声もなかった。
■■はただ彼女の背中を目で追いかけていた。
「じゃあ、りりむ様が魔王の座につくためにナリ様を攻撃しているっていうのは」
「嘘ですね」
「りりむ様がウル・モアを復活させようとしているっていう話も……」
「それはわたしですね」
冷たい風が二人の間を通り抜けた。
■■は得体の知れない恐怖に愕然とする。■■が想像する魔王とはつまり、彼女の事だったのだ。理解なんていらない。話し合いにも価値は無い。どうしようもなく狂気に魅入られてしまった存在。
それが『鈴原るる』という怪物の正体だ。
「見てください!」
そう言った彼女は懐から虹色に輝くクリスタルを取り出し、■■に見せた。
「これがウル・モアの封印を解く鍵です。あの女の子を殺す前、宝物庫からこっそり盗んでおいたんですよ。途中、普段は見かけないエルフさんと鉢合わせしそうになって、ちょっと焦りましたけど」
また、魔王城から爆発音が聞こえた。
その音は時間が経つにつれ徐々に激しくなっていく。やがて、二人の立っている場所にまで戦いの地響きは伝わってきた。
「どうして……」
「はい?」
「どうして、りりむ様とナリ様の善意を利用して、互いに意味もなく殺し合わせるような真似をしたんですか……それにどんな理由があったんです!?」
声を張り上げ、■■は問いかける。
質問された鈴原は、きょとん、と不思議そうにするばかりだった。
彼女は少し考えたあと、
「趣味ですけど……それがどうかしましたか?」
彼女の出した答えに■■は絶句する。
「もしも理由を付けるなら、彼女たちが争っている間に宝物庫からクリスタルを盗み出すとかでしょうか。でも、盗むだけなら二人が戦っていなくても出来るでしょうし。うーん……やっぱり趣味ですかね」
人差し指で自分のほっぺを叩いて、彼女は満足そうに頷いた。
「分かりません。鈴原さんの言っている事が……なにも」
胸が締めつけられる。
彼女のすぐ近くには『殺す』という選択肢があった。そのせいで鈴原るるという少女の心は間違った方向に進んでしまったのだろう。だが彼女は、環境を言い訳に出来るにも関わらず、身に降りかかる狂気を受け入れる強さを持って生まれてしまった。
その結果───彼女は今日まで、誰にも自分の声を聞かせずに生きてきたのだろう。
「クレアさんは変わり者ですね。泣いてるんですか?」
「……え?」
そう聞かれて、■■は泣いている自分に気がついた。
「クレアさん。わたしにはクレアさんが泣いている理由は分かりません」
でも、と続く。
「これから死ぬのに、泣いても意味ないと思いますよ?」
近づいてきた鈴原に優しく抱き締められる。
「鈴原さん……?」
「わたし、昔から好奇心の強い子だったんです。だけど簡単に手に入るモノじゃ満足出来なくて、いつしか世界を滅ぼしたいと思うようになりました」
瞬く間に■■の涙は枯れていく。そして気づかされた。自分がさっき流した涙は、自身の勝手な妄想からくる、意味不明な同情だったのだと。
「最初にクレアさんと出会ったあの国に、本当は家なんてなかったんです。わたしはただ『クレア』っていう名前のあなたを殺したかった。魔界で語られる聖女様と同じ名前のあなたを……どうしても殺したかったんですよ」
鈴原の持っていたクリスタルが砕け、虹色の輝きは大地に沁み込んでいく。
そして天井に広がる魔法陣の向こう側から、世界の理を外れた虹色の龍が■■たちの生きる地上に、再び解き放たれた。




