ヘルエスタ王国物語(87)
■■はなんとなく、魔王という存在は恐怖の象徴だと思っていた。
しかし、その考えは出会いとともに一蹴される。
「吾輩が最強の魔王様なのでしゅ!」
椅子の上に仁王立ちする魔王ヤン・ナリ。
その舌っ足らずな自己紹介と、堂々たる立ち姿からは微塵の恐怖も感じない。どちらかといえば赤ちゃんのような、庇護対象に近いような感じがする。
「魔王様、玉座に立つのはやめてください。我々が恥ずかしいので」
咳払いを入れつつそう嗜めるのは、城門から■■たちをここまで案内してきたオ・ジユという名の魔族である。
彼女は魔王を持ち上げると、再び玉座に座らせた。
「待っていた! 早くお土産ちょうだい!」
床に届かない足を、パタパタ、と遊ばせている魔王様からのおねだり。
威厳とかは全くなくて、心が浄化されそうな純粋な笑顔は人間の子供と変わらない。本当にこの子が魔王なのか、と■■はにわかに信じられない思いだった。
リヴァネルからお菓子を受け取ったナリは、よりいっそう嬉しそうに笑い、隣に立っている黒いドレスの少女───リュ・ハリと一緒に食べ始めた。
「甘い! 美味しい!」
「本当に。いつも食べている悪夢より美味しいです」
ハリの悪夢を食べている発言に若干の違和感を覚えつつ、考えたら負けだと思い、■■は気にしないよう努めた。
その和やかな雰囲気に隠れて、ジユが近づいてくる。
「リア様、こちらが怪我人のリストになります。ご確認ください」
ジユから貰った名簿を見ながら、
「……少ないね」
ウィスティリアの表情が一気に暗くなる。
その呟きを聞いたジユからは「はい」と簡単な返事だけ。
「ここに載っているのはまだ生きている者たちです。いなくなった者たち、死を望む者たちの名前は書かれておりません」
「……そっか」
■■はその一言に、ウィスティリアの優しさが込められているような気がした。
「早く、元気にしてあげないとね。魔王様も悲しんじゃう」
「よろしくお願いします」
ジユは一礼すると、またナリの横に戻っていった。
「それじゃあ二人とも、昨日話した通り、あとはよろしくね!」
振り返った彼女はいつもの調子で言う。
■■は何も言えず、リヴァネルが一歩前に出た。
「いいのね? 手伝わなくて」
「大丈夫だよ。ケガ人はそこまで多くないし。第一、クレアをひとりぼっちにしたら可哀想じゃん。だからネルちゃん、お願いね」
「……───」
最終確認が終わり、部屋から出ていくウィスティリアの背中を見送る。残された二人は自然と魔王様の相手をすることになるのだが、
「お話しましょう! そうしましょう。親睦を深めるのです!」
「えーっと……」
「魔王様は魔界の現状がどうなっているのか、知っていますか?」
■■が言葉に詰まっている脇から、リヴァネルがぶっこむ。■■は慌ててリヴァネルの口を塞ぐも、手遅れだった。
ナリは顔を伏せ、その表情は見えなくなってしまう。
「知っていますよ。オトナリ軍が戦っていることも、ナリのことを良く思っていない連中がたぁーくさんいることも。全部知っています」
顔を上げたナリは、それでも笑っていた。
「でも、いつか! ナリは歴代最強の魔王様になって、必ずや世界征服を成し遂げてみせます! そしたら世界は平和になって、魔族もみんなの輪に入って遊ぶことができるようになります。それがナリの夢! 目標です! スゴイでしょ!」
だから、とナリは続ける。
「おめェーみたいな、草カスに何を言われても平気です!」
「ああん?」
「リヴァネルさん、待って、落ち着いて!」
「クレア……大丈夫、アタシは冷静よ。いつも以上に、ね」
「全然そんな風には見えませんけど!?」
強張った笑顔で毛を逆立てているリヴァネルを、そう簡単に信じることは出来ない。■■が抱きついていないと今すぐにでも戦争が始まりそうな勢いである。
一方で、魔王の両隣に立っている二人は涼しい顔のまま、じゃれ合っている二人の動物をただ見ているだけだった。
「今のはリヴァネルさんにも悪いところがありましたから。ここはお互い様ということにしましょう! 魔王様もそれでいいですよね!?」
■■が目を向けると、魔王様は手を叩いて嬉しそうにしていた。
「ねえ、ナリ」
「ん?」
ハリの言葉に、ナリは首を傾げる。
「あの人間は無礼者だけど、ナリもちゃんと謝ろう。じゃないと、偉大な魔王様になれないよ」
「そうですか? でも、謝ったら舐められるってエルフさんに言われました」
「それは時と場合。今は謝ったほうが私は偉いと思うなぁー」
「むむむ……」
ハリに背中を押されるようにして、ナリはぴょん、と玉座から飛び降りる。そして抱き合っている二人に歩み寄った。
「さっきはごめんなさいでした! 許してよ!」
「……───」
「ほら、リヴァネルさんも!」
「こちらも先ほどは無礼な質問をして申し訳ありませんでした。どうかお許しください」
ナリは頭についている猫耳? 角? をピクピクと動かして、
「これで友達ですね。あくしゅ!」
「……あ、握手」
リヴァネルに続いて、■■もナリの手を握る。その手は柔らかくて、とても力強い手だった。
後ろで成り行きを見守っていた二人も、こちらに近づいてくる。
「失礼します。私からもお聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
ハリの優し気な声音に、■■とリヴァネルは互いに目を合わせる。
「答えられる事なら……」
クレアが言った。
「ありがとうございます」ハリは笑って。「クレア様、貴方は以前───千年前に起こったウル・モアとの戦争に参加されたことがありますか?」
「え?」
岩で殴られたような気分だった。
頭の中が真っ白になる。
───千年前?
「人間に千を生きる寿命がないことは分かっています。ですが……」ハリは続ける。「クレア様の名前がこの魔界にはあるのです」
「わたしの名前が……どうして……」
そう疑問を口にしながらも、■■は心の底で納得もしていた。
人間の寿命は長くて百歳ほどだが、シスター・クレアという存在にはその常識は当てはまらない。
■■はその非常識を『今』身をもって体験している。
どんな理屈でそうなったのかは分からないが、千年前にシスター・クレアが生きていたという事象も、それは非常識の中の常識であって、何もおかしくはないのだ。
「同姓同名の人違い、というのは私も理解しているつもりです」
ハリの言葉を聞きつつ、■■は動揺が顔に出ないよう必死に表情を作った。
「ですが、リア様が連れてきたことで、私たちも貴方に期待しているのは確かです。クレア様になにか、特別な力があるのでは───と」
「わたしにそんな力ありませんよ。今を生きるので精一杯で」
■■の本音に、ハリは頷いた。
「これは私の妄想なのですが」
「はい」
「もしかしたら貴方は、クレア様の生まれ変わりなのかもしれませんね」
ゾッとした。
冗談だと分かっていても、それは■■の魂に触れる発言だった。喜びと期待が合わさって、口から零れそうになる。
だが、本音は口を動かさず、ただ心臓を早くするだけだった。
「その……千年前のクレアさんは、魔界で何をしたんですか?」
■■が質問する。自分とクレアが別人である事を察してほしい。
ハリは難しい表情を浮かべて、
「どこから話せばいいのか……実は名前があるだけで、歴史の詳細な記録は残っていないんです。……クレア様は七人の勇者と魔法使いの物語は知っていますか?」
「……いえ」
■■は首を振った。
「その話に───わたしと同じ名前の人が」
「はい」
「教えてください!」
知りたい。
シスター・クレアに関する事なら───今の自分に関する事なら───なんでも。
食い気味に迫られたハリは驚きに瞬きをしつつ、柔らかく、申し訳なそうな声色で謝罪した。
「物語といってもただ壁画として残っているだけなんです。だから、その───クレア様の知りたいお話は出来ないかもしれません」
「そう、なんですね。すみません、急に大きな声を出してしまって」
ハリは頭を横に振り、
「いいえ。どうかお気になさらないで下さい」
続ける。
「壁画から読み解けるのは、かつてのクレア様は人間の魔法使いと共に、ウル・モアとの戦争に参加した、という大雑把なものです。七人の勇者と先代魔王えま★おうがすと様も描かれているのですよ」
ふと、■■はウィスティリアから聞かされた話を思い出した。
「もしかして魔王と勇者が協力してウル・モアを封印したっていう……」
「そうです、そうです! もしかしてリア様からお聞きになりましたか?」
「はい。……でも、それ以上のことは何も」
ハリは一度■■から視線を外し、リヴァネルに肩車されて無邪気に喜んでいるナリに手を振った。
物憂げな表情で先を続ける。
「リア様から話を聞いていらっしゃるのでしたら、私からお伝えできる事はないかもしれませんね」
「それは……」
「お察しの通りです」
「……───」
「一見落ち着いているように見えるでしょうが、今の魔界はいつ戦争が始まってもおかしくない状況です。加えて、りりむ様の率いる陰キャバス軍とは違う、また別の勢力の影もチラついてきている」
話の腰を折らないために「あの」と■■は前置きをして、
「ハリさん……りりむ様っていうのは……」
きょとんと可愛らしく首を傾げたハリは、少し考えた後、ハッとした様子で口元に手を当てた。
「すみません、置いてけぼりにしてしまって。……りりむ様というのは本名をリリム・キスミー・ラブリーハート=ロリータニアといいまして、先代魔王様の娘になります」
「娘!?」
■■は思わず声を荒げた。
聞いた話をそのまま信じるなら、本当の王位継承権は反魔王軍のリーダーにあるということになる。
戦いが始まった理由が少しだけ見えたような気がした。
「娘と言っても、人間界で遊んでいたりりむ様を先代魔王様が連れ帰ってきたそうなんです。だから、人間でいうところの養子になりますね」
「なるほど……」
しかし、容姿だからといって継承権がないわけではない。
血縁関係がなくても、今ここにいるべきは反魔王軍のりりむという魔族のはずだ。
「でも、どうしてナリさんが魔王になったんです? ……もしかしてナリさんも魔王の養子だったとか?」
「いえ、それは違います。ナリが魔王になったのは、ナリが魔王の力に目覚めてしまったからなんです」
「魔王の力……」
「はい。魔王の力は魔族であれば誰でも手に入るものなんです。運悪く、ナリはその力に目覚めてしまった」
そう言ったハリは唇を噛み、胸の内で膨らんだ感情を必死に押さえつけていた。
「ハリさんは……ナリさんに魔王になってほしくなかったんですか?」
沈黙に耐えきれず、■■は質問する。そして、その質問が相手の気持ちを汲んでいないことに、言い終わってから気づいた。
「す、すみません! 今のは忘れてください」
慌てる■■を見て、ハリは苦笑する。
「クレア様は優しいですね。……実をいうと、私はナリに魔王になってほしくなかった。あの子は純粋で、とっても傷つきやすい子だから。それにナリって、全然魔王っぽくないでしょ? 見た目とか、発言とか」
「えーっと、それは……その……」
「それ、答えてるようなものですよ」
「……ごめんなさい」
謝罪をしたあとも、■■は冷汗が止まらなかった。
ハリと目を合わせられない。
「ふふ、難しい話はここまでにして、私たちも向こうに混ざりましょうか」
流れるまま。
微笑むハリに袖を引かれ、■■は遊んでいる三人と合流した。




