ヘルエスタ王国物語(85)
「あの……ネルさんや……」
「リア、ちょっと黙ってて……思考が……追いつてないから」
ウィスティリアから顔を逸らし、リヴァネルはしわの寄った眉間に指を当てる。
その神妙な面持ちには、流石の■■も同情せざるを得ない。
現状、リヴァネルは夜王の気まぐれによってアルティメット面倒くさいモアの王冠を押し付けられようとしている。
話を聞くだけ聞いて、即刻、夜王国にある錬金術の素材を根こそぎ鞄に入れて持ち帰ろうとか考えていた彼女の目論見はものの見事に打ち砕かれた。
今はどうやってこの場を切り抜けようかと必死に逃げ道を探っている。
「とりあえず……継承しないって選択肢を一度は口にしてみるべきかしら」
「ネル、悪いんだけど……受け取ってもらえないかな? じゃないと、私が困るっていうか……これからの計画が全部台無しになっちゃうんだよね」
「アンタの都合なんてこの際どうでもいいのよ! アタシがぁ! 大変なのぉ!」
「それは分かってるけどさ……そこをなんとか……お願いだよ」
「ええい、抱き着くな! 服を引っ張るなぁ!」
「ネルが継承するって言うまで絶対に離さないからね。絶対に離さない!!!!!」
「うるさい! うるさい! アタシが嫌なの! そもそもの話……アンタがモアの王冠を使って何をするのかも知らないのに……」
「あ、あの───」
と、■■が口を挟む。
「リヴァネルさんが夜王様からモアの王冠を受け取ったあと、リアさんに渡すっていうのは出来ないんでしょうか?」
水を得た魚。
まるで天啓を受けた赤子のように、リヴァネルには■■の言葉が輝いて見えた。
パチン、と指を鳴らす。
「そうよ。それなら何の問題もないじゃない。クレアの言った通りにすれば、アタシは巻き込まれないで済むはずよね?」
「……───」
ウィスティリアが無言になる。
かわりに、
「それは許さぬ」
と、答えがあったのは夜王の方からだった。
「リヴァネルよ。もしも、ウィスティリアにモアの王冠を譲るような事があれば、その時は貴様から錬金術と魔法の才を奪ってやろう」
夜王の宣言があり、リヴァネルの手から離れた杖は、軽い音を立てて床に落ちる。
そして彼女もまた、魔力の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「ど、どうしてこうなるのよ……アタシ、なんにも悪い事してないのに!」
クソ! と唾を吐くように訴えるリヴァネル。
そんな彼女の叫びも、夜王にとってはただの甘い愉悦に過ぎないのだろう。少なくとも■■にはそう見えた。
「今の発言を聞くに、受け取る準備はあるのだな?」
夜王からの質問を受けて、リヴァネルは顔を上げる。
「逃げる方法があるなら教えてください……」
「そこに我と同じくモアの王冠を持つ者がいるだろう。聞いてみたらどうだ?」
「……無駄ですよ。無駄無駄」
リヴァネルは諦めたような口調でそう言って、ウィスティリアにありったけの怒りを込めた視線を送る。
「ご、ごめんってば……そんな目で見ないでよ」
「じゃあせめて、モアの王冠を使って何をしようとしているのか教えてくれる? 何も知らないままじゃ、たとえモアの王冠を貰ったとしても絶対に手伝わないから」
「まあ……そうなるよね……」
あはは、と笑ってウィスティリアは頭の後ろを掻いた。
それからゆっくり息を吐き出すと、真っ直ぐ、リヴァネルを見つめた。
「ネル、私はね。ウル・モアを今度こそ倒したいんだよ」
「……───」
「封印を編み直したりなんかしない。今度こそウル・モアが復活しないよう完膚なきまでに叩きのめす。その為にはモアの王冠が必要なの。だから───」
「ちょっと待ちなさい。その話……クレアにはちゃんとしたのよね?」
「へけぇ?」
と、ウィスティリアの口から間の抜けた声が出る。
「だって、市場で防寒着を買わせてたでしょ? 今の夜王国は過ごしやすい気候だし、防寒着なんて必要ないはずなのに」
「……───」
「つまるところ、アンタは最初っからクレアを魔界に連れて行くつもりだった。ここまでなら許せるわ。でも、ウル・モアを倒すっていうなら話は別よ。だからその話を、クレアにしたのかって、アタシは聞いてんの」
「……───」
ウィスティリアは無言だった。
その全身を滝のような汗が流れている。
いつまで待っても質問に答えないウィスティリアに、リヴァネルの視線は自然と■■の方に向く。
■■は何も答えることが出来ず、苦笑いで、ただ首を横に振った。
「アンタ……まさか……」
「い、今! 今教えたから! だからギリギリセーフぅううううわぁああああああああああああああああああああああ!!!!」
問答無用でリヴァネルの回し蹴りが、ウィスティリアの尻に叩き込まれる。
床に這いつくばって泣きべそをかいているウィスティリアを可哀想と思う一方で、■■はリヴァネルの追撃を止められそうになかった。
「アンタね! 何も知らないクレアを魔界まで連れて行くつもりだったの!? それもウル・モアの討伐だぁ? ふざけんじゃないわよ!」
「ちゃんと説明するから、もう蹴らないで……うぅ」
尻を撫でながらウィスティリアは立ち上がる。
「クレア、ごめんね……言わなきゃ、言わなきゃと思って後回しにしちゃって……」
「いえ、わたしは別に」
「ダメよ」リヴァネルが言った。「ここはきっちり首を絞めてあげないと。まだ他にも隠してる事があるんでしょ? 吐け! 吐きやがれぇー!!!!」
リヴァネルはウィスティリアを掴み、その華奢な体を揺らす。
「もうない! もうない! もう何も隠してないよぉ……」
「クレアにも?」
「……うん」
狼狽えるウィスティリアに疑念を抱きつつも、リヴァネルは彼女の首から手を離した。
「じゃあ聞かせてもらおうじゃない。どうやってウル・モアを倒すのか。言い出したからにはちゃんと計画があるんでしょうね?」
「それは……ほら、二つのモアの王冠を使って、ちょちょい、とやっつけようかなって」
「……───」
簡単にくつがえりそうな彼女の計画性にリヴァネルは呆れ果てる。
「でも、どうしてわたしを連れて行くのかだけ、教えてほしいです」
ウィスティリアの目的を知った今、■■はどうして自分なんかを魔界に連れて行くのだろう、と気になった。
本当に───。
魔法も。
錬金術も。
何ひとつ使えない私なんかを───。
「それは、私が一緒にいたいからだよ」
「え?」
突然の告白に■■の頭は真っ白になる。
「私がクレアを魔界に連れて行くのは、一緒に旅をしたいから。もちろん、危険な旅になるし、守ってあげられる保証もない。なんたって、ケンカを売る相手が相手だからね」
ウル・モアを倒す。
それは危険な話という括りでおさまるような話ではない。蟻が世界を倒す、と言っているようなものだ。
でも、とウィスティリアは続ける。
「私はクレアを助けるよ。なにがあっても、必ずね」
「……───」
そう告げたウィスティリアの顔には優しい笑みが浮かんでいた。
こちらが不安にならないように気を遣っている風でもなく、彼女はただ自然に相手のことを思いやる事の出来る人なのだろう。
そして、そんな彼女に微笑んでもらえるだけで安心している自分がいる。
少しでいいから、■■はその優しさを分けてほしいと思った。
「それで? モアの王冠を継承するって、具体的にはどうすればいいの?」
ため息混じりにリヴァネルが聞く。
「簡単だよ。お爺ちゃんに頭を撫でてもらえば、それで終わり」
「……それだけ?」
ウィスティリアは「うーん」と悩んで、
「あるには、あるけど……多分、無理だよ?」
「勿体ぶらなくていいから」
「殺せばいい。そうすればモアの王冠どころか、夜王国も手に入る」
夜王の口から出た答えに、ずっと待機していたグウェルの体がピクリと動く。
一方のリヴァネルは答えを聞いて唖然としていた。
不可能。
■■もその言葉の意味をこんなにも身近に感じたのは初めてだ。
だが、戦争の火種になったという話を思い返せば、モアの王冠を持っている人物を殺せばモアの王冠が手に入る、というのは納得の出来る話だった。
問題は、リヴァネルがどちらを選ぶのか───。
「それって選択の余地あります? ほとんどひとつだと思うんですけど」
「だよねー」
ウィスティリアは軽く笑う。
「しかし、我がモアの王冠を譲らなければ、ウィスティリアは夜王国に挑戦するつもりだったのだろう?」
「まあ、結果は見えてますけどね……アハハ」
「……そうだな。戦いの結果など、とっくに分かりきっている事だ」
夜王の手招きに応じ、リヴァネルは夜王の前に膝をつく。
そして夜王の手がそっとリヴァネルの頭に触れた。それだけだった。何の特別感もなくモアの王冠はリヴァネルへと継承された。
「モアの王冠を持つ者は簡単には死ねない。それを覚悟しておけ、リヴァネル」
「? それはどういう意味ですか」
「お前にもいずれ分かるさ。言葉に出来ない苦しみがな……」
夜王はそう言い捨てると、まるで虫でも追い払うかのように四人に向かって手を振った。
「話は終わりだ。今すぐこの部屋から出て行け」
「お爺ちゃんはこれからどうするの?」
「寝る」
夜王の言葉に、その場にいた全員が微笑む。
そして部屋か出る、直前。
去り際になって───それはなんとなく、だったのかもしれない───ウィスティリアは振り返り、夜王にこう尋ねた。
「最後に聞きたいんだけど、どうしてお爺ちゃんはクレアのことを気にしてたの?」
ザザ、ザ───ザァ───。
聞いたことも、見たこともない。
だが、知っている。
寒気のするような情景が■■の頭の中で広がる。
ザ、ザザザ───ザァ───。
夜王の口が動く。
「あの娘に伝えておけ。いくらお前が努力しようとも、お前に世界は救えない」
誰もいなくなった部屋で、夜王はひとり天井の木目を眺めていた。
「魔王よ、約束は果たしたぞ」
その独り言は誰に聞かせるためのものではなく、今日まで戦ってきた自分への労いだったのだろう。
千年という旅の終わり。
すべてを捧げ、すべてを叶えた。
長い、長い、思い出がある。
美しい夢がある。
それが例え定められた運命だったとしも───夜王はようやく、その目を閉じる事が出来たのだ。




