ヘルエスタ王国物語(83)
村に到着するまでの二日間は、■■が想像していた快適な旅とは訳が違った。
一時間ごとにトラブルに巻き込まれるような生活。
落ち着いたかと思えば、雨が降り出したり、土砂崩れに襲われたり、魔物が空から落ちてきたり、本当に呪われているような二日間だった。
だが、そんな快適とは程遠い馬車生活を終えて、■■たちはようやく中継地点である村に辿り着くことができた。
「うぅ……腰が痛いです……」
馬車から降りて腰を折れば、骨に溜まっていた疲れが、ポキリ、と音を鳴らす。
緊張が抜けていくのと同時に、体に入っていた力も抜けていった。やがて節々にあった鈍い痛みは、■■から立ち上がるすべての力を奪っていく。
「クレア、大丈夫?」
うーん、と背伸びをするウィスティリアに心配されるも、四つん這いで、今にも地面に倒れ込みそうなクレアの返事は決まっている。
「……はい」
と、ボロボロの笑顔で■■は精一杯の我慢で答えた。
「でも、荷運びのお手伝いは出来ないかもです」
「そっちはグウェルたちがやってくれるから心配しなくていいよ」
ウィスティリアに魔法で浮かされ、馬車からちょっと離れた木陰に座らされる。
「クレアはここで休んでて。絶っっっ対に! 無理しちゃダメだからね」
そう念を押され、馬車の方に戻っていくウィスティリアの背中を見送る。
「ごめんなさい……」
呟きが聞こえたのか、ウィスティリアは立ち止まり、■■に向かって手を振った。
手を振り返す。
情けなさで泣きそうになった。
「……───」
馬車での長期間の移動は前世でも経験したことはなかった。ただ今回は、その不安よりもワクワクの気持ちが勝っていたことは言うまでもあるまい。
しかし、ここまで過酷なものだったとは───この調子でダークエルフの国まで生きていられるのか不安になる───ウィスティリアやリヴァネル、それに旅に慣れている他三人が一緒にいてくれたから良かったものの、■■ひとりじゃどうにもならなかった。
外に出て初めて思い知る。
結局、無感情で襲い掛かってくる自然がこの世で一番怖いのだ。
「お姉ちゃん、旅の人?」
すぐ横で声がして、■■はやつれた顔を上げる。
小さな女の子が立っていた。
優しい金色の髪を黒のリボンで結び、ふりふりとした可愛い洋服を着ている。まるで、童話に出てくるお姫様のような見た目をしたその子の名前は、物述有栖だった。
「こんにちは、有栖ちゃん」
「えっ!? お姉ちゃん、アリスのこと知ってるの?」
驚くと同時に瞳を輝かせる有栖に対して、■■もまた、有栖とは違う意味で驚いていた。
私はどうして初めて会った女の子の名前を知っているのだろう。
ザザ……ザ、ザァ───。
忘れかけていたノイズが頭を走る。
頭の奥に奇妙な痺れが残っていて、かゆかった。
でも、どうして女の子の名前が分かるのか、■■には分からなかった。
そんな■■の動揺もお構いなしに、愛らしい顔にさらに愛らしい笑みを浮かべて、物述有栖は■■の隣に座る。
「ねえねえ、お姉ちゃんたちはどこから来たの?」
「……───」
「アリスたちはね、ここからすっっっごく、遠いところから来たの!」
「……───」
「でもね。この前ね。アリスたちを乗せてた馬車が壊れちゃって……たまたま近くにあったこの村にお世話になってるんだぁ」
「……───」
えへへ、と笑う少女の話を、■■は心臓をドキドキさせながら聞いていた。
知っている。
でも、知らないこともある。
物述有栖───彼女は東の国の───大和という名前の国からここまで来た。そして出会うのは■■が二日前に出た人間の国だったはずだ。
分からない。
分からない。
どうしてあの街で有栖と出会わなかったのか。
どうしてこの村で有栖と出会っているのか。
分からない。
分からない。
「有栖ちゃんは……これから……どうするの?」
■■は出来るだけ声に気持ちが乗らないよう気をつけた。が、それでも震えた声は不安を隠しきれていない。ここに有栖がいるということは、もうひとり───轟京子もこの村にいるということになる。
そう思って辺りを見回せば、小麦色に焼けた肌と銀色に輝くツインテールを揺らしながら、こちらに向かって走ってくる少女を見つけた。
「コラ、有栖! 勝手にいなくなったらダメでしょ」
「ごめんなさい……」
京子に捕まった有栖は悲しそうに答えて、
「でもね。このお姉ちゃんはスゴイんだよ。だって、アリスの名前を知ってたんだから」
「有栖の名前を───」
京子の纏っていた空気が変わる。
一気に、警戒の色が濃くなった。
「失礼ですけど。どうして有栖のことを知ってるんですか?」
「それは……」
答えられない、というより体がそれを拒んでいる感じだ。
有栖だけじゃない。■■の頭にある記憶には京子との思い出も残っている。
しかし、それを言葉にしようとすれば、最初にウィスティリアに自分の名前を伝えようとした時と同じように、喉が割れたノイズ声しか出せないだろう。
どれだけ努力しても、■■が彼女たちに事情を説明するのは不可能なのだ。
「有栖、行こう。甲斐田さんも待ってるよ」
「うん」
有栖は短く返事をして、
「お姉ちゃん、またね」
■■との別れを惜しんだ。
二人が村の中に消えていくのを最後に■■の意識はそこで、パタリ、と地面に倒れた。
暗闇を歩いた。
ノイズ音が聞こえるだけの、耳を塞ぎたくなるような暗闇だった。
そうしていつまでも歩き続け、目を覚ました■■の視界に飛び込んできたのは、空でも、馬車でもなく、見慣れない天井だった。
「……───」
「あ、起きた」
天井から顔を横にずらすと不破湊が座っている。
不破は■■が目を覚ましたのを確認するとすぐに立ち上がった。顔を覗き込まれるのが恥ずかしくて、■■はそっと顔を逸らす。
「これ、どう見えますか?」
「ピースしてるように見えます……」
どこかの騎士団で使われている暗号のように、親指と人差し指を立てる不破。それが果たしてピースサインと呼べるものかは分からないが、彼の中ではきっとピースと似た意味を持つのだろう。
クレアからの返事を聞いた不破は真剣そうな───何も考えていなさそうな顔で頷く。
「不破さん……ここはどこなんですか?」
「ああー。ここは村の人の家っすね。気のいいおばちゃんでした」
「そうなんですね」
どうやら寝ている間に馬車で移動したわけではないらしい。
「他の皆さんは?」
「まだ外で作業してますね。オレはクレアさんの看病してます」
「ご迷惑をお掛けてして申し訳ありません……」
「そんな硬くならなくていいっすよ。嵐の二日間を乗り越えた仲間じゃないですか」
不破は自嘲気味に笑って、
「実を言うとですね。巴さんに『お前は役に立たないからどこかに行きなさい』って、めちゃくちゃ嫌そうな顔で脅されただけなんですけど……」
白雪の真似をしながら面白可笑しく話す不破だったが、■■は白雪に対してそんな事を言う人だとは思っていなかった。
馬車で話した時の彼女の口調はとても柔らかくて、優しかったから。
「お二人は仲が悪いんですか?」
デリカシーのない発言だったと思う。
しかし、不破はそんな■■の質問にも意を介さず、即答する。
「悪いんじゃないっすか」
「……えぇ」
■■は困惑して、
「でも、一緒に商人をしてるんですよね?」
「商会の余り者同士が組まされただけですよ。一緒にいるからって仲がいいわけじゃありません。……まあ、何故かダークエルフの王様には気に入られてますけどね。ホント、なんでなんだろう」
不破は腕を組み、頭を横に倒す。
きっと白雪との関係に悩んでいるのだろうが、その事について■■がとやかく言うのは違うような気がする。というか───そもそも私が人間関係のアドバイスをするなんて出来るわけないんだけど……。
「そんで追い出された先で、倒れてるクレアさんを見つけたんですよ」
「そうだったんですね……ありがとうございます」
「助け合うのはお互い様ですって。いざって時は、クレアさんがオレを助けて下さい」
「もちろんです」
■■は頷く。そして、ソファから立ち上がろうとした瞬間だった。
突然ドアが開き、ドアの向こうから怒り心頭の白雪巴が家に入って来る。
「おい、クソ野郎。クレアさんを誘拐して何を企んでやがったんだぁ?」
影が落ちたような笑顔で威圧してくる白雪。
不破はけろっとした調子で、
「誘拐だなんて人聞き悪いよ、巴さん。オレはクレアさんが倒れてたから助けただけで」
「じゃあなんで私らに黙ってたのか、理由を言ってみなさいよ」
「クレアさんが目を覚ましたら伝えに行こうと思ってたの。本当だよ。湊、ウソつかない」
白雪に視線を向けられた■■は勢いよく首を縦に振る。
ため息が落ちた。
不破に向けられていた威圧感がほんのちょっぴり優しくなる。
「でも、なんだよね」白雪は続ける。「私はさ。私を差し置いてお前みたいなダメ男が可愛い女の子とひとつ屋根の下にいるなんて許せない」
「巴さんって、たまに頭おかしいこと言うよね。末期かな?」
「……───」
「……───」
気まずい沈黙だった。
■■は逃げ出したくなる気持ちをぐっと堪え、二人の視界に入らないよう身を縮ませる。
「ねえ、不破くん。殴っていい?」
「え? ダメに決まってるじゃん」
「どうして?」
「どうしてって……暴力は世界を滅ぼす共通言語だからね」
不破はウインクを混ぜてこの窮地をなんとか乗り切ろうとする。しかし、飛んでいったハートは白雪の平手打ちによって地面に叩きつけられた。
理不尽。
きっと今の彼女は不破がどんな甘い言葉を囁いても、その耳には届かないのだろう。だってもうキレちゃってるからね。
大事なところがね、うん。
そうなると、不破が頼れる相手は当然ひとりしかいない。
「クレアさん……オレ、超ピンチっす」
爽やかな笑顔で助けを求められる。
だが、何をどうすれば彼を助けられるのか、■■には分からなかった。
「……ご、ごめんなさい……不破さん。わたしにはどうする事も出来ないです……」
「そっか」
諦め半分。
不破は抵抗する意思も見せず、白雪に首根っこを掴まれる。
「ごめんなさいね、クレアさん」白雪が言った。「このバカに何かされてない?」
「いえ、看病してもらえて助かりました」
「看病? 看病ですって?」
「おっとクレアさん、もしかしてフォローするより人を爆発させる方が得意なのかな?」
不破に言われて、はたっと気づく。
感情表現すら消え去った彼女の声音を聞いて、■■は自分が間違った選択肢を選んでしまったことに今更ながら気がついた。
「お前……クレアさんの体に……触ってないよな?」
「この家に運んで来るとき、お姫様抱っこをさせていただきました!」
不破は自信満々に答える。
彼は確かに気を失った■■を助けたのだ。
後ろめたい事など断じてない。
可愛い女の子を助けたくらいで理不尽に殺されるというのなら、それはもうこの世界の在り方そのものが間違っている。
「そうだ、クレアさん。もうすぐリア様とリヴァネルさんがこの家に来ます。お二人ともクレアさんのことをとても心配していましたよ」
そう言い残して、白雪は不破を引きずりながら家から出ていった。これから外で一体何が行われるのか、考えるだけでも恐ろしい。
それから数分と経たず、ウィスティリアが部屋に入ってくる。
一緒に来るはずだったリヴァネルは、どうやら錬金術に使える素材を探しに森へ向かったらしい。
「もう心配したんだから。……見たところ、怪我とかはして無さそうだけど。気分はどう?」
「はい。寝たらスッキリしました」
「そうなんだ。良かった。ところでさ、さっき巴さんが凄い殺気で不破くんを引きずっていったんだけど、何かあったの?」
「……いえ、そんな事は」
「そうなんだ。まあ、多少の傷ならすぐ治してあげられるし。大丈夫かな」
翌日。
水分の無くなった野菜みたいに萎れた不破が木陰の中で発見された。隣には、この村に来て仲良くなったであろう着物の男が、一緒に体育座りしている。
そのさらに二日後。
■■たちは再びダークエルフの国を目指して村を出た。




