ヘルエスタ王国物語(82)
───次の日。
頭痛が痛いで朝を迎えたウィスティリアを引き連れて、■■とリヴァネルは貴族街を抜け、待ち合わせ場所に向かう。東門の外にはすでにグウェル・オス・ガールが武装した馬の横で待機していた。
三人が馬車に近づくと、荷馬車から見慣れない二人が顔を覗かせる。
「こちらが御者の不破湊さん、馬車の中で荷物を整理しているのが白雪巴さんです。この二人が夜王国に出入りを許されている商人さんになります」
「よろしくお願いしゃしゃっす」
「ちゃんと挨拶しろ、バカ。すみません、コイツの事は気にしないでください」
荷台から降りてきた女王様のような雰囲気を持つ女性に、不破は頭を叩かれる。
「いえ、全然気にしてませんから」
■■は手を振って答える。
実際、舌っ足らずな不破の挨拶を聞いて、■■の緊張がほぐれたのは事実だった。初対面の相手と話すのが苦手なのは、自分だけじゃないと分かって少し安心する。
白雪巴はあらためて名乗ると、■■たち三人と順番に握手していく。彼女の髪が風で浮くとそれだけで綺麗な花の香りがした。
そして。
各自で自己紹介をしている間、グウェルは自分の頭よりちょっと高い位置を飛んでいる蝶々を見て、
「あ、蝶々だ」
なんてマイペースに呟いている。
リヴァネルの店で説明をしていた時はもっと真面目な感じだと思っていたが、意外なところで抜けている部分があるのかもしれない。
「荷物は……乗せちゃってもいいんでしょうか?」
「大丈夫ですよ。一緒に乗っちゃってください」
白雪の手招きで、■■は初めての馬車に乗り込む。
馬車の中にはいくつかの木箱と三日分の食料が積み込まれていた。
続いて、リヴァネルが■■の隣に座る。
「あれ? リアさんは……」
「ん」
と、リヴァネルが顎を向けた先を見れば、白雪に背中を撫でられ、口から朝ごはんを吐き出しているウィスティリアの姿があった。
「ああ……」
「吐いたらスッキリするでしょ」
「あはは、そうですね」
リヴァネルは心配よりも呆れが勝っているようで、その目にはもうウィスティリアの姿は映っていない。次に彼女は小さなバッグから保存用の容器と、青色の液体が入った丸い瓶を取り出した。
それらは素材を採取するために事前に用意してきたものだ。リヴァネルはそれらに不備がないことを確認すると、容器をまたバッグの中にしまった。
「それじゃあ、出発しますよー」
しばらくして御者席に座っている不破から声が掛かった。
不破は振り返り、馬車に乗っている人数を目で追って確認する。全員が乗っている事に不破は頷いて、のんびりと馬を走らせた。
手を振って送り出してくれた門番たちの姿がだんだん見えなくなっていく。
その事に寂しさを感じながらも、■■はこれからの旅路に思いを馳せた。
店に来たグウェルの説明だと、これから向かうダークエルフの国は行くだけで一週間ほどらしい。
しかし、それは悪天候や、馬の怪我を考慮しない時の話だ。
積荷を狙って襲ってくる盗賊もいるだろう。
色々な事を考えるとダークエルフの国に辿り着くまで、どれだけ時間が掛かるのか分からない。馬は途中にある村で交換するらしいが、それでも一週間というのはあまりにも大雑把な計算だった。
「今日はいい天気ですね」
■■の何気ない呟きに「はい」と答えたのはグウェルだった。
「幸いにも天候には恵まれました。あとはこのまま何事もなければ、一週間ほどで私の故郷に到着するでしょう」
丁寧な言葉使いで話すグウェルに、■■は苦笑する。
本当に。
何事もなければいいですね、と。
「グウェルさんはどうして人間の国に?」
「妖精から手紙を受け取ったのです」
「手紙?」
「はい。手紙にはリア様の名前がありまして……こちらがその手紙になります」
受け取った手紙を開くと■■がこれまで見たこともない文字でナニかが書かれていた。
「よ、読めない……」
眉間にしわを寄せ、ひっくり返したり、縦に読んでみたり、色々と試してみたが全くと言っていいほど読めない。
もう少しで読めそうな気もしないではないが、それは多分本当に気のせいだろう。
恥ずかしい勘違い、というやつだ。
それとも自分の語学力のせいだろうか? と■■が自責し始めたところで隣に座っていたリヴァネルが手紙と■■の間に割って入る。
「これ、妖精文字ね。エルフにしか読めないわよ」
「妖精文字?」
「そう。エルフ同士で使う、まあ……人間でいうところの暗号みたいなものね。グウェルさん、悪いんだけど読み上げてもらえる?」
グウェルは笑顔で手紙を受け取り、
「この手紙には、我が国王。夜王様との謁見の申し入れが書かれてあります」
その内容を聞いた瞬間、リヴァネルの頬が僅かに引きつった。
「ちょっと待って。その謁見ってアタシたちも同伴じゃないでしょうね……」
「こればかりは夜王様に聞いてみなければ分かりません」
困ったように、グウェルは続ける。
「実は私もリア様からちゃんとした内容を聞かされていないのです。顔を合わせれば話を聞けると思ったのですが……」
グウェルの視線の先には手紙を出した張本人───ウィスティリア・ヘルエスタが馬車の床で横倒れている。
白雪の膝を枕にしている彼女からは、今も復活の兆しは見えない。
「確かに……これじゃあ聞ける話も聞けないですね」
あはは、と■■の口から空笑いが抜ける。
「グウェルさんはいつ頃から、リアさんとお知り合いなんですか?」
「私が子供の頃……いえ、赤ん坊の頃からウィスティリア様にはお世話になっております」
「え?」
言われて、■■はウィスティリアとグウェルを見比べる。
丁寧な口調や対応のせいもあって、■■はウィスティリアよりもグウェルの方がずっと年上だとばかり思っていた。が、口をもごもごと動かして顔を青くしている彼女よりも、グウェルの方が年下だとは思ってもみなかった。
「驚きました……リアさんの実年齢っておいくつなんでしょう……」
グウェルが口元に手を当てて笑う。
「それは夜王様に聞いてみれば分かるかもしれませんよ」
「夜王様って……確か、ダークエルフの王様ですよね」
「はい。夜王様はダークエルフの国が始まって以来、一度も玉座を譲ったことがありません。ですので、リア様の事もほとんどご存じかと思います」
「それは、なんていうか……凄い人ですね……」
夜王への尊敬を通り越して、■■は恐怖してしまう。
どこまでも遠い、地平線の昔話を聞かされているような気持ちになった。
「それに見た目も怖いのよ」リヴァネルが言った。「老齢なエルフって言えば聞こえはいいけど、ウル・モアの時代を生き抜いた化物なんだから」
「ちょっとネルさん! そんな風に言っちゃダメですって!」
仮にもグウェルの仕える王である。
近所のお爺ちゃんがお菓子をくれた、みたいな口調では無礼が過ぎるというものだ。
「かまいませんよ」グウェルが微笑む。そして。「他の者ならいざ知らず。夜王様は、リヴァネル様の事を気に入ってらっしゃいますので」
「ほらね」
「……よ、良かったです」
胸のドキドキを吐き出してから、■■は改めてグウェルを見つめた。
「でも、リアさんと夜王様ってそんなに関わり合いがあるんですか? あんまり社交的なイメージが出来ないのですが……」
「夜王様とリア様に直接的な関係はありません。王族の行事のひとつとして顔合わせがあったというだけです」
「……───」
■■は口を結んだ。
やっぱり、と心の底にあったモヤモヤが晴れる。
ウィスティリアが『ヘルエスタ』と名乗った時点で彼女が王族ではないかと疑ってはいた。
しかし、それを聞くのが怖かったのだ。
彼女の話すヘルエスタ王国と、■■の知っているヘルエスタ王国は間違いなく違う。
その現実を、■■は知りたくなかった。
「リアさんって王族だったんですね」
■■の発言にこれまでずっと笑顔だったグウェルの表情が、真顔に崩れる。
「……まさか、知らなかったの?」
声を震わせ、リヴァネルが言った。
「はい。知りませんでした」
「信じらんない……あのバカ。なんでそんな大事なことを───」
二人から憐れむような視線を受けて■■は「ん?」と疑問符を浮かべる。
前世では同じ『ヘルエスタ』という名家に生まれ、王族として過ごしてきた。今更、ウィスティリアが王族だと教えられても、これといって驚くような事でもない。■■は最初から知っていたのだから。
「ごめんね、クレア。アタシはてっきり知ってるものだと……」
申し訳なさそうに頭を抱えるリヴァネルに、■■は手を振って答える。
「なんとなく……リアさんは特別な人だって思ってましたから。気にしてませんよ」
「そうは言ってもねぇ……」
「リアさんにも悪気はないと思うんです。自分が王族であることを教えなかったのは、わたしに変な気を遣ってほしくなかったんじゃないかって」
「……───」
「だから、大丈夫ですよ」
リヴァネルは不服そうに表情を曇らせながらも、■■の言葉に納得した。
「まあ、クレアがいいなら今回はお咎めなしってことで」
呆れたような彼女の笑みを見て■■は安心する。
正面に座っていたグウェルの顔にも笑みが戻った。
「わたし、可笑しかったですか?」
■■の質問にグウェルは「失礼」と断りを入れて、
「昔、リア様が言ったことを思い出していました」続ける。「私が夜王様にお仕えして間もない頃、彼女は『友達が欲しい!』と夜王様にお願いしていました。その時の光景がふと脳裏に浮かんだのです。決して、クレア様の思いを笑った訳ではありません」
グウェルはそう言いつつも、堪えきれない笑いが目尻の外に出ていた。
話を聞いた■■もまた薄く笑った。例え王族であったとしても、友達が欲しいと思う気持ちは、いつの時代も変わらないのだ。
「そのお願いを聞いて、夜王様は友達になってくれたんでしょうか」
「いいえ。夜王様は笑っておられました。こんなに我儘な王は初めてだ、とおっしゃってね」
「なんとなく想像できますね」
「確かに、夜王様は友達になりませんでした。ですが、ウィスティリア様のお願いを無下にされたわけじゃございません」
「じゃあ……」
グウェルは胸に手を当て、一礼する。
「大変恐縮なのですが、私がウィスティリア様のお友達に就任しました」
まるで、命令で仕方なく友達になったかのような口振りに、■■は少しムッとした。
その僅かに動いた■■の気持ちを察したのか、グウェルは出来るだけ棘が立たないよう弁明する。
「申し訳ありません。言い方が悪かったですね……」
「いえ……」
「実のところ、ウィスティリア様のお友達になりたいと申し出たのは私の方なんです」
「グウェルさんから?」
「ええ。彼女の自由奔放なところに憧れていたのもありますが、それと同じくらい、彼女がこれからどう変わっていくのか見たかった」
そう朗らかに笑うグウェルだったが、底にある好奇心は隠しきれていない。むしろ、それこそが自分だと■■に見せつけているようでもある。
「グウェルさんは……リアさんと友達になれて嬉しかったですか?」
「もちろんです。微塵の後悔もありません」
「そうですか」
■■の口から安堵の息が漏れると同時に、馬車が石を踏んで大きく跳ねた。■■はよろめいて、リヴァネルの腕に受け止められる。
遅れて、馬の手綱を引く不破の方から「大丈夫ですか?」と声が掛かった。
グウェルは左手を上げ、それに応える。
「でも、不思議よね。友達がほしいなんて普通思わないでしょ」リヴァネルが言った。「アタシだったら友達なんかよりも、錬金術に必要なモノを世界中から根こそぎ集めてほしいって、お願いするわ」
「価値観の違いですね」
グウェルは言った。
「人間の寿命は我々エルフからすればあまりにも短すぎる。それこそ、瞬きのように一瞬でいなくなってしまいます」
「それって友達が欲しい理由と関係あるの?」
「リア様も、私も……ただ話の出来る友人がいなくなるのは悲しいのです」
「そういうものなのね」
「これは長命種の宿命……我儘とも言えますが、失うことに鈍感になりたくないのです」
リヴァネルは口を閉じて少し考えたあと、
「それなら身内だけで仲良くすればいいんじゃい?」
「私もそう思います。ですが、そういう訳にもいかないのです」
「人間の社会性を真似しようと思ってるなら、シンプルにやめた方がいいわよ?」
リヴァネルの言葉を聞いて、グウェルはしばらく黙っていた。
そして、
「これは私の……個人的な意見になるのですが……私は、人間という種族は光と闇にもっとも近い種族だと思っています。間違っても、正しくても、人間は重く悩んでしまう。そんな美しい彼らの心をずっと見ていたいような気持になるのです。いつか別れの日が来ると分かっていても、私は消えていった彼らを忘れたくありません」
グウェルは喪失を繰り返すことで、自分の中にあるその感情を忘れないようにしているのだろう。
それが彼の心にある人間性を繋ぎとめている。
だが、人間とエルフという種族にある共感線は、まだ生まれたばかりの■■にとってはあまりにも遠い。それは■■に残された生涯のすべてを捧げたとしても、彼らの気持ちを理解するのは不可能だろう。
生きている時間があまりにも違いすぎる。
「……難しい話ですね」
そう呟いた■■の声に応えるように、白雪の太ももに寝そべったまま、ウィスティリアは力なく手を振った。
「グウェル……あんまり余計なこといわないでよね……恥ずかしいでしょ」
「これは失礼しました」
荷台に乗っている人たちに笑みが浮かぶ。
馬車はそんな穏やかな時間を乗せて、森の中を悠々と走っていった。




