ヘルエスタ王国物語(80)
「ご馳走さまでした」
手を合わせてお辞儀する。
パンを食べ終えた彼女はとても幸せそうだった。
「あのー……」
「クレアさんはどこから来たんですか?」
空を映したような瞳にじっと見つめられる。
その瞳に見つめられていると、なんだか心がざわついた。
何故か彼女のことを必要以上に警戒してしまっている。■■は不安を悟られないよう、必死に笑顔を作った。
「えーっと、小さな村から出て来たんです」
「旅をしてる人なんですか?」
「始まったばっかりですけど……鈴原さんはこの国に住んでいるんですか?」
彼女は少し困ったような表情を浮かべて、
「今はそうですね。でも、いつか故郷に帰りたいと思ってるんです」
「故郷っていうのは……」
「えーっと、とっても寒いところです。それはもう凍っちゃうくらい寒いところ」
話を聞いて■■はふと、先ほど買った防寒着のことを思い出した。
だが、彼女の耳はごく普通の人間の耳だ。特徴的なエルフの長耳ではない。もしかすると彼女の故郷というのはダークエルフの国と近い場所にあるのかもしれない。
「どうしたんですか。そんなにわたしの顔をまじまじ見つめて。まさか! 口の周りに食べカスが付いてたり……」
鈴原はハッとして、口元に手を置く。
「いえ、そんな事ないですよ。鈴原さんのキレイな顔を見ていただけです」
「わたし! 女の子に口説かれてる!」
「え?」
先ほどの自分の発言を思い返してみれば、確かに───彼女を褒めるつもりが、とてつもなく浅い口説き文句を言ったみたいになっている。■■にはそんな邪な考えは全くなかったのが、意識し出すと途端に恥ずかしくなってきた。
「そそそ、そういうわけじゃないんです! ごめんなさい! 初対面なのに馴れ馴れしくしちゃって……気持ち悪かったですよね」
「ふふ、気にしてませんよ」
そんな事より、と鈴原は続けた。
「せっかくお友達になれたんですから、クレアさんの話を聞かせてください」
「わたしの話ですか?」
「はい。旅をしてるんですよね? だから外の国の話を聞かせてほしいです!」
鈴原は目をキラキラと輝かせて、期待に胸を膨らませている。
しかし、■■の旅はまだ始まったばかり。彼女の好奇心を満たせそうな話題は用意できそうにない。
「鈴原さん、申し訳ありせん。わたしも旅を始めたばかりで話せる事はあんまりないんです。箒から落ちて地面に叩きつけられた話ならいくらでも出来ますけど……」
「あはは。クレアさんって見た目器用そうなのに、意外とおっちょこちょいなんですね」
「まあ、そうですね……」
「でもいいなぁ。わたしも箒に乗れたら良かったのに」
「鈴原さんは箒に乗ったことないんですか?」
「それがないんですよー。危ないからダメって言われてて」
少しだけ彼女に親近感が湧いた。
■■も、前世───お姫様だった頃は危ないからと色々制限されていた。こうして市場に行くことも出来ないくらいに───そういえば、あの頃は確か私のお目付け役にシスター・クレア配属されていた。
ザザ、ザザ……ザァ───。
「頭痛いんですか?」
「すぐ治まりますから……」
痛みが引くまで、■■は何度も深呼吸を繰り返した。
やがて、霧が晴れるみたいに頭の中から痛みも消えた。
「もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「あんまり無理しちゃダメですよ。体調が悪い日は家に帰って休むのが一番です!」
「そう、ですね……」
難しい質問だった。
■■にとって家と呼べる場所は、前世で暮らしたお城だ。
クレアにとってはあの小さな村こそが家である。
しかし、二つの家があるのに、そのどちらも自分の居場所のように感じられない。それは今の自分が■■であり、クレアでもあるからだろう。帰りたいと思っている場所が体と心で噛み合ってない気がする。
しばらく黙っていると、
「もしかして泊まるところ見つかってないんですか?」
鈴原が聞いて来た。
■■は言葉に詰まりながら答える。
「いえ、そういうわけでは……」
「残念です……泊まるところがなかったら、わたしの家に招待したのに」
「鈴原さんの家ですか?」
「はい。いっちょまえに家は大きいので、部屋はたくさん余ってるんですよ。まだ宿が決まってないなら、是非と思ったんですけど」
話していくにつれ、彼女の声は次第に小さくなっていった。おもちゃを取り上げられた子供みたいに肩を落とす。
同時に、午後三時を告げる鐘の音が国中に響き渡った。
それを合図に、広場にいた人たちは一斉に動き出す。
「もう帰らないといけないですね」
そう言って鈴原は立ち上がる。
■■は彼女に感じていた違和感はすっかりなくなっていた。今となってはどうして彼女に不気味な印象を抱いていたのか分からない。
広場に置かれている時計を見れば、彼女と出会ってから随分と時間が経っている。
ウィスティリアも用事も済ませて、とっくにリヴァネルの店に戻っている頃だろう。
「クレアさん、またね」
「はい。……また」
彼女の姿が見えなくなって、■■はようやくベンチから立ち上がる。
たくさんの荷物が入った鞄は少しだけ重い。
市場を抜けて、見覚えのある通りから路地に入る。あとは真っ直ぐ進んで、リヴァネルのやっているスカーレット工房を目指して■■は歩いた。
「失礼します。ただいま戻りました」
「ああ、おかえりなさい」
ノックをして店に入ると、ベルモンドが商品の並べられた棚を掃除していた。頭に頭巾をかぶって、ベルモンドには少し小さめのエプロンをつけている。
■■は店内を見回し、
「あれ? リアさんとリヴァネルさんは……」
「ネルさんならちょっと前に店を出ていったな。なんでもリアさんが問題を起こしたから、それを解決するって言ってたな」
「……そうなんですか」
近くに置いてあった椅子に座って、二人の帰りを待つこと二十分。ご機嫌な足取りでリヴァネルが店に入ってきた。
「クレア、戻ってたのね」
「はい。これ、リヴァネルさんとベルさんにお土産です」
「え? ああ、市場に行ってたのね。ありがとう。そこのテーブルに置いといてくれる?」
■■は頷いて、指差された場所に鞄を置いた。
「それでリアさんに何があったんです? 問題を起こしたって、ベルさんから聞きましたけど……」
リヴァネルは思いっきり笑ったあと、
「今からそのバカに会いに行くんだけど、クレアも一緒に行く?」
きょとん顔で首を傾げているクレアの返事を待たず、今度はベルモンドの方を向いた。
「もう少しだけ店番お願いできる?」
「大丈夫だぞ。それに店番っていっても掃除くらいしかやる事がないからな。何があったのかは知らないが、早くリアさんの所に行ってあげた方がいいだろ」
「そうね。早く行かないとリアの泣き顔が見れなくなっちゃう」
ろくな説明もされないまま、■■はリヴァネルの後を追うように店から出た。
「あのー、これからどこに向かうんですか?」
「ふふ、行ってみてからのお楽しみよ」
そうしてリヴァネルが向かった先は警備隊が管理する牢屋だった。
入り口に立っている警備兵に挨拶をすませ、面会の書類にサインする。あとは一通りの説明を受けて、警備兵に案内される形で牢屋に入った。
「リヴァネルさん……どうして牢屋に来る必要が……」
「もちろん、リアに会うためよ」
リヴァネルは心底楽しそうに言って、冷たい牢屋を進んでいく。
やがて、ひとつの牢の前で警備兵が立ち止まった。
「こちらです」一歩下がる。「面会時間は十分です」
「ありがとう」
そして■■は見た。
牢のベッドに転がっている、なんか見覚えのある銀髪美少女エルフの姿を───。
「リアさん……何したんですか……」
声を聞いたリアの背中がビクッと震える。
「クレア!?」
声を上げたウィスティリアは、鉄格子を掴み、弱々しい声で言う。
「聞いてよ、クレア。私ホントに悪い事してないの。何かの間違いで牢に入れられてるだけなんだから」
■■はウィスティリアの言葉を待った。
そして彼女の口から聞かされた話は、■■の想像を遥かに超えるものだった。
「実は私、誘拐されそうになってね」
「はい?」
自慢するような話でもないのだが、ウィスティリアの顔はとても誇らしげだ。
「どういう事でしょう……」
「いやー、襲ってきた男共はエルフの奴隷が欲しかったらしくてさ。私を捕まえようとそれはもう必死に追いかけて来たわけ。だから、ボコボコにしてあげたの。ついでに男共のアジトに乗り込んで組織を壊滅させてきた!」
「……───」
馬車の手配をするだけで、どうしてそんな事になっているのだろう。
ウィスティリアは確かに絶世の美女といっても過言ではない見た目をしている。
そんな彼女を狙う理由も、なんとなくだが理解出来る。が、今の問題は、彼女が組織を壊滅させてきた、というところだ。
「報復とか……その、大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫、大丈夫。また来たらもう一回叩き潰せばいいんだから」
言って、ウィスティリアは笑う。
「そう楽観的でもいられなわよ」リヴァネルが言った。「今、警備隊の人たちが事件について調べてる。その調査が終わるまでは、精々大人しくして捕まっておくことね」
「そんなぁー……」
ため息と一緒にウィスティリアはその場に崩れ落ちた。
涙ながらにリヴァネルに懇願するも、リヴァネルの態度は変わらない。嵐が大人しくしていてくれるなら、その方がいいという判断だろう。
しかし、ウィスティリアがしばらく動けないとなると、ダークエルフの里に行く話はどうなってしまうのだろうか。
「終了です」
警備兵の感情を切り離した仕事声が時間を知らせる。
■■はウィスティリアと握手をし、リヴァネルは最後に笑顔をプレゼントした。
「リアさんはいつ出られるのでしょうか……」
通りを歩きながら、■■が質問する。
リヴァネルは「そうね」と前置きし、
「まあ、一週間、二週間は出られないでしょ。この国の警備隊は優秀だけど、リアが潰した奴隷組織ってかなり大きかったみたいだから」
「処刑される……なんて事には……」
良くも悪くも、ウィスティリアはこの国で暴れ回った。厳重注意だけで終わるとは到底思えない。釈放されるにしても何かしらの制限、監視がついてもおかしくないだろう。国外追放だって持ち上がるような話だ。
一抹の不安を口にする■■に対して、リヴァネルの口調は明るい。
「そんな事にはならないから安心していいわよ。壊した建物の弁償はしなくちゃいけないだろうけど、リアならすぐに直せるだろうし」
それに、とリヴァネルは続ける。
「万が一処刑される事になっても、リアがそう簡単に殺されるような奴だと思う?」
「リヴァネルさんでも無理なんですか?」
「無理ね。アタシがモアの王冠を持ってれば話は違うだろうけど。……まあ、モアの王冠を使わなくてもリアが本気を出せば、この国は地図から消えるでしょうね」
言われて気づく、確かにウィスティリアほどの実力があれば、例え牢に入れても抜け出すことなんて容易なはずだ。
加えてモアの王冠まで持っている。
捕まえておく方が難しいだろう。
「それじゃあ、どうしてリアさんは牢に───」
「人間側のルールを守ってるんでしょ。昔からそういう所は変わらないのよね。もっと自分勝手な奴だったら、嫌いになれたんだけど……」
リヴァネルは忌々しげに舌打ちをするも、どこか嬉しそうに見えた。
「ところでクレアはどうするの? まだ泊まるところ決まってないんでしょ?」
「それは……」
当初の計画では、リヴァネルの家にお邪魔する予定だった。しかし、作戦を立てたウィスティリアは檻の中である。■■にも泊まる当てがあるといえばあるのだが、肝心の鈴原るるの家がどこにあるのか教えてもらわなかった。
つまるところ、■■に残された選択肢はひとつしかない。
「野宿、ですかね……あはは」
「バカなの?」
「うぅ……」
泣きそうになる。
沈黙のあと、リヴァネルは言った。
「お金に困ってるならあげるけど?」
「いえ、それは……」
正直、お金には困っていない。
ウィスティリアから貰ったお金にはまだ十分な余裕がある。
■■が不安視しているのは、ひとりで宿に泊まる事だった。
ウィスティリアほどの実力者でさえ狙われるのだ。
治安の分からない国で、ひとりになるのは正直怖い。
誘拐事件を知らなければ、何の躊躇いもなくひとりで泊まっていたところだが、知ってしまった以上、■■はもしもの事を考えてしまう。
最悪の妄想は続く。
襲われた時、何の力も持たない■■には抵抗するすべはない。逃げる時間も与えられないまま誘拐されてしまうのがオチだ。そしてどこかも分からない、暗くて怖い場所に連れて行かれ、勝手に身体の値段を決められて、売られてしまう。
そうならないためには、安全で安心できる場所に身を置くほかない。
「リヴァネルさん……」
「な、なによ……そんな泣きそうな猫みたいな顔して……」
「リヴァネルさん……」
「……───」
ほとんど脅しに近い、必死の訴えだった。
今頼れるのは目の前にいる彼女だけ。しかし、自分から言い出すのは少しだけ気が引けるので、どうかリヴァネルさんの口から提案してほしい。
そんな失礼極まりない■■の心情は、罪悪感で高速回転している。
でも、やめない。
■■はますます潤んだ瞳でリヴァネルに訴えかける。
「わ、分かったわよ……言っとくけど、リアが出てくるまでだからね?」
「リヴァネルさん!」
好き!
と、口を突いて出そうになった言葉を■■は静かに飲み込んだ。




