ヘルエスタ王国物語(77)
旅支度は順調に進んだ。
村の入り口では母親らしき人物に抱き締められ、お父さん? みたいな人に旅の荷物を渡される。
村の人たちに手を振って、クレアは生まれ育ったはずの故郷に別れを告げた。
だが、■■にとってはその村での思い出がどんなものであったのかは、知る由もない。
薄情なのかもしれない、と■■は自分を責めた。
ウィスティリアの隣に立って、暗くなるまで森を歩く。
時折、茂みの隙間から聞こえてくる魔物の息づかいだったり、巨大な怪鳥が頭の上を飛んでいったりと、これまで王女としての生活とはあまりにもかけ離れた日常に、■■の心は自然と熱くなる。
ずっと王城に籠りっきりだった───引き籠っていたわけではない───彼女にとって、ヘルエスタ王国より外の世界は不思議と好奇心に満ちている。普通なら恐怖で身動きできなくなってしまうところを、緊張と興奮で打ち消しているのだ。
襲ってくる魔物たちもウィスティリアの魔法によって、一撃で粉砕される。
旅の安全を確信している■■の足取りは軽い。
未来に胸を躍らせ、ウッキウキである。
しかし、急いではいけない。
冒険はまだ始まったばかり。
今は温かいスープと一緒に、満点の星空を眺める。そんな穏やかな時間を楽しんでもいいだろう。
「わたしが聖女っていうのは本当なんですか?」
■■がそう尋ねると、ウィスティリアはスプーンを皿に置いた。
一拍置いて、
「正直、全然分かんないのよね!」
ウィスティリアは笑う。
■■は釣られて、驚きの声を上げた。
「で、でも! 村を出るとき、みんなに説明してましたよね!? わたしが聖女だって、そう言ってましたよね!? もしかして本当は───」
誘拐目的だった?
そんな妄想が■■の中で膨らむ。
「あれー、もしかしてめちゃくちゃ警戒されてる?」
「身の危険を感じてますから……」
■■はじっと、ウィスティリアの困り顔を見つめた。
やっぱり、自分とそっくりな顔をしている。
「うーん、こればっかりは納得してもらうしかなんいんだよね。ちょっと難しい話になるだけど……なんていうか、貴方のことを聖女だって思うのは私の勘なの。ほら、人間でいうところの女の勘ってやつ。それと同じ」
「……そんな事あります?」
「あるんだなぁ……これが……」
軽く頷いてからウィスティリアは、焚火で温められたスープをおかわりした。
自分が聖女であると説明を受けた■■はというと、眉間にしわを寄せ、何やら難しい表情で頭を抱えている。
「理解はできますけどぉ……」
もうちょっと特別感があってもいいんじゃないだろうか、と内心で思う。
■■はぶっ殺される前までは普通に王女で、お姫様である。自分が特別な存在であることは否定されたくない。
「なんでそう思ったのか、具体的に教えて頂けないでしょうか……」
「クレアってば難しい質問するのね」頭を捻る。そして。「貴方を最初見たとき、宝物を見つけた! ってそんな気持ちになったの。千年以上、生きてきてあんな感覚になったのは後にも先にもあの一瞬だけだった」
……だから、とウィスティリアは続ける。
「その気持ちを大事にしたいと思ったの。それに貴方と一緒に旅をしたいなって。聖女って言うのはあの時思いついた、ただの嘘だったけど……まあでも、近い将来。それは嘘じゃなくなると思ってるよ」
ハッキリとそう断言するウィスティリアは輝いて見えた。
それは世界の全てが彼女の味方であるかのような圧倒的な存在感。■■がどれだけ欲しがっても手に入らないカリスマ性。
心臓の毛が逆立つ。
返す言葉が見つからない。
彼女はどこまで、世界に祝福されているのだろう……。
「あ、そうだ!」
何を思いついたのか、ウィスティリアは唐突に立ち上がって、クレアの隣に座った。
「ねえ、クレア! 好きなモノってなに?」
「どうしたんですか……急に……」
「ほら! 仲良くなるには好きなモノの話をすればいいってよく言うじゃない? だから私にクレアの好きなモノを教えてほしいなと思って。もちろん……イヤじゃなければの話なんだけど……」
「……───」
困った事になった。
彼女が仲良くなりたいと思っているのは否定しない。
問題は、■■がクレアじゃないという点だ。
■■はクレアの好きなモノについて何ひとつ知らない。もし答えたとしても、それは■■が好きなモノになってしまう。
「ちなみに私の好きなモノはね……じゃじゃーん! この来栖夏芽って人が書いた勇者様の物語なのです!!!!!」
知らない。
読んだこともない本だった。
だが、そんな事は口が裂けてもいえない。本を持っている彼女はとても嬉しそうにしていたから。
「ど、どんな本なんです?」
■■が何気なく質問すると、ウィスティリアはさらに声を弾ませて、鼻息を荒くする。
「この本はね、ずっと昔に実在した勇者様のことを書いた本なの!」
「勇者?」
「そう!」
力強い肯定が返ってくる。
「それでね! それでね! これは自慢じゃないんだけど……私って実は子供の頃に一度だけ、勇者様に助けてもらったことがあるの。魔物を一撃でバッサリ斬り捨てちゃって、それはもうカッコ良かったんだから。名前は教えてくれなかったけど……でも、この夏芽先生が書いた話にはね、勇者がピンチになったエルフの里を救う話が出てくるの! その章を読んだ時、それはもう感情移入しちゃって───」
「あ、あの……」
「もちろん。勇者の戦いを書いた作品は他にもあるよ? でもさ、そのほとんどが魔王を討伐する話ばっかりで……正直、魔王の事情を知ってるこっちの身からすると、読んでて嫌になっちゃうんだよね。だから、魔王と勇者が手を繋いで超絶ハッピーエンドになるようにしてくれた夏芽先生には感謝しかないの! もっと早くこの本に出会えてたらすぐにでも夏芽先生に会いに行ったのに……」
「会いに行かないんですか?」
彼女なら魔法を使ってすぐにでも会いに行けそうなものだが……。
あはは、とウィスティリアは自嘲気味に笑ってみせる。
「会いたいけど、会えないんだよね。夏芽先生は二百年くらい前に亡くなってるから」
■■は言葉に詰まった。
忘れかけていたが、目の前にいる彼女はエルフなのだ。種族の違う彼女は人間にとって、永遠ともよべる時間を持っている。
「人間の寿命って短すぎるよ……」
溜息交じりに、ウィスティリアは悲しそうな表情を浮かべる。
■■はここに来る前───クレアになる前に聞かされた本の中にも、来栖夏芽という作家の名前はいなかった。
勇者と英雄。
そして魔王の物語はたくさんありすぎて、もしかすると単に自分が忘れているだけなのかもしれない。
ザザ……ザザ、ザァ───。
と、過去の自分を思い出そうとして、雨が降るようなノイズが邪魔をする。
遮るように。
■■に自分のことを忘れさせようとしているみたいに。
ひどく、頭が痛くなる。
「クレア、大丈夫?」
「大丈夫です」頭を抑えながら■■は言った。「それより、リアさんが出会った勇者ってどんな人だったんですか?」
「えーっとね……銀色の髪に、大きな黒いリボンをつけて……ピンクと白のオッドアイが特徴的な女の子だった。あとは勇者様の持っていた剣がすごい印象に残ったかなぁ……」
「聖剣とかでしょうか?」
「多分、違うと思う。……聖剣ならエルフの里にあるし。勇者様が持ってたのはもっと危ない物だった気がする」
そこで一度、彼女は言葉を切った。
ウィスティリアは難しい顔をして体ごと横に傾く。
彼女が子供の頃の話ならそれは何百年も昔の話になるだろう。
覚えていなくても責めるつもりはない。
ただ、勇者の持っていたという剣に対して興味があった。ずっと絵本や小説の中だけの話だけだと思っていた聖剣が、実際にこの世にするというのなら、是非ともお目にかかりたい。
頭が、拍動する。
耳鳴りがしてきた。
「……エルフの里にある聖剣って、どんなのなんですか?」
痛みから気を逸らすために質問する。
そんなクレアを、ウィスティリアは心配そうに眺めた。
「エルフのは聖剣は王様しか持つことが出来ないの。今の名前は『王剣ヘルエスタ』だったかな? 昔はヘルエスタソードとか、ヘルエスタセイバーって呼ばれてたらしいよ」
「え?」
名前を聞いて、■■は驚愕に目を見開く。
その聖剣の名前には聞き覚えがあった。
前世。まだ自分が■■・■■■■■であった頃。その剣は王座を継ぐための継承の剣として用いられていたからだ。
先代の王から、次代の王へ。
兄と姉を差し置いて───お母様に選ばれたのは私だった。
「……───」
バチン! と雷が落ちたような衝撃が■■の脳内に響いた。
遅れてノイズが聞こえてくる。
■■は口元に手を当て、胃から逆流してきたモノを必死に飲み込んだ。
「今日はもう休もうか」
ウィスティリアに背中を撫でられる。
その手は優しかった。
「……はい。ごめんなさい」
「別に謝ることじゃないよ」
ウィスティリアに手を引かれ、テントの中に入る。
「夜は寒くなるから、これを着て寝てね。暖かくなる魔法をかけてあるから」
■■は素直に頷いて、寝袋に入る。
目を閉じると、全身を引き裂かれるような痛みに襲われた。
何が何だが分からない。
それが例え自分の作り出した妄想の痛みだったとしても、■■に出来る唯一の対処法は、ただじっと、襲ってくる痛みに耐えるのみだった。
「大丈夫、大丈夫だからね」
そんな囁きを最後に、■■の意識はぷつりと消える。
次に目を覚ました時は、朝になっていた。
時計がないせいで、どれくらい寝ていたのか分からない。
いざ、テントから外に出てみると、気持ちのいい日差しに目が眩んだ。焚火の上に吊るされていた鍋には、昨日とは違う、また新しいスープがぐつぐつと煮えている。
「おーい、クレアー。ちょっとこっちに来てくれるー?」
呼ばれて返事をする。
■■は急いでウィスティリアのところに向かった。右手にナイフを持ち、なにやら木の棒を削っている
「これは……何を作ってるんです?」
「えへへ、箒だよー」
「箒……ですか……」
「そう! これで一気に人の国まで飛んで行こうと思ってね。もうすぐ完成だから、クレアは作っておいたスープをのんびり食べておくれよ。消化に良いものを集めて作った、私の自信作なんだから!」
「あ、ありがとうございます」
「こっちが完成したら私も食べるから、ちょっとは残しておいてねー」
そう言って無邪気に笑うウィスティリアは、世界で一番キレイだった。
クレアは用意してある鍋から具材を取り、用意してあった皿によそう。鍋の底には殻付きのままで、小さな卵がいくつも転がっていた。
ふー、ふー、と冷ましながらひと口。
「───ッ!」
まだちょっと熱かった。
はふ、はふ、と口を動かし、ゆっくり飲み込む。
「美味しい」
ほんの少しの塩味があって、自然の恵みを食べているような優しい味。
素朴な味ともいえるが、夜の痛みに耐えたてきた■■にとっては、むしろこれくらいが丁度良かった。
やがて、箒を作り終えたウィスティリアがご飯を食べにやってくる。
「調子はどう? 昨日みたいに苦しかったりしない?」
聞かれて、■■は元気よく頷いた。
「もう絶好調です!」
「良かった。それじゃあ、私も……いただきます」
ウィスティリアは顔の前で指を組み、森へ感謝の祈りを捧げる。
彼女の真似をして、■■も森の恵みに感謝した。
「それで、その木の棒は……どう使うんですか?」
食事が終わり、■■が尋ねる。
とても箒には見えないただの木の棒。
ウィスティリアはテントの横にある木の枝を持ってきて、
「まあまあ、見てなって。この子が箒になるのは、これからなんだから」
彼女が手をかざすと、バラバラだった枝は、彼女の持つ棒に向かって集まってくる。枝は棒の先端で規則正しい長さに切り揃えられ、三本の紐できゅっと結ばれる。そうして見慣れた箒が完成した。
「……スゴイですね」
■■が感嘆の声を漏らすと、ウィスティリアはやや不服そうに答える。
「本当はもっとちゃんとした材料で作ってあげたかったんだ……そうじゃないと箒になってくれたこの子たちに失礼だし……」
箒と会話しているように語る彼女は、完成した箒にそっと手を這わせる。
「まあ、有り合わせの物で作ったにしては上手くいったかな」
完成はしたが、納得はしていない様子のウィスティリア。
■■はウィスティリアの持つ箒に近づいて、耳を澄ましてみたが、彼女の言う箒の声は全く聞こえなかった。
「ふふ、エルフじゃないクレアには聞こえないよね。でも、この子たちはクレアのこと結構好きみたいだよ。良かったね」
「本当ですか?」
「本当、本当。可愛い女の子に乗られると分かって、かなり興奮してる」
「乗りたくない理由が出来たかもしれません」
「冗談だよ。じゃあ、はい。クレア……これ被って」
ウィスティリアから手渡されたのは、魔女がよく被っている三角帽子だった。
しかし、■■はそんなものを渡されても使い道に困ってしまう。とりあえず、ウィスティリアに言われた通り、頭に被ってみることにした。
「うん。似合ってるね」
「リアさん、これって……」
「なんていうか、初心者の魔女が箒に乗るときに持つ、お守りみたいなものかな。万が一落ちても死なないようにって」
「……嘘」
絶句。
言葉が出てこない。
「まあ、私が一緒に乗るから落ちるなんて事はまずあり得ないんだけど……念のため徹夜で用意したんだぁー。頑張ったでしょ?」
「……───」
それは確かにありがとう案件なのだが───どうしてだろう、嫌な予感がする。
「リアさん、確認なんですけど……もしも落ちてしまったら」
「一回は助かるよ」
「一回!?」
うん、と軽く返事をするウィスティリアだが、■■は気が気じゃない。一回しか助からないのであれば、二回目は確実に死ぬということだ。これはもう歩いて人間の国に向かったほうが安全なのではなかろうか……。
「……───」
しかし、箒を作ってくれた手前、ウィスティリアにそんな事は口が裂けても言えるはずもなく……。
■■は、ウィスティリアの乗る箒に跨った。
「私の腰に手を回して。しっかり掴まっててね」
ぎゅっ、と■■は後ろからウィスティリアのお腹に手を回す。
クレアに抱き締められた彼女はとても楽しそうに笑って、
「それじゃあ、人間の国目指して、出発───ッ!!!」




