ヘルエスタ王国物語(76)
花畑にひとりの少女が座っていた。
少女の周りにはたくさんの蝶々が飛び交い、少女は耳元で鳴る、パタパタとした羽音に微笑み、彼らと一緒に花冠を編む。
出来上がった花冠を頭に乗せて、少女は驚かさないようゆっくりと、人差し指を蝶々たちの集まりに混ぜた。しばらくして、二匹の蝶が少女の指先に止まる。黒い蝶は甘えるみたいに。白い蝶は、どこか疲れているみたいだった。
休み終えた二匹の蝶は空に向かって飛んでいく。
二匹の蝶を見送った少女が視線を戻すと、そこには目を疑うほど美しいエルフが花畑を歩いて、少女に近づいて来ていた。
「こんにちは」
少女が声を掛ける。
相手のエルフは風に流れる髪を押さえ、綺麗な薄紫色の瞳で少女を見つめた。
どちらが声を掛けるでもなく、無言の時間が続く。
目の前に立っているエルフは人間の見た目で十七、八歳くらいに見える。が、エルフは長生きで有名な種族だ。
少女が感じたままの年齢であることはまずないだろう。
「失礼ですが、貴方は?」
棘のない口調で少女は言った。
エルフはこの花畑にあるどんな花よりも美しく笑って、
「私はウィスティリア・ヘルエスタ。みんなからはリアって呼ばれてる。貴方の名前を教えてくれない?」
優しくて、涼やかで、とても気持ちのいい声だった。
「わたしはクレアって言います」
「クレア」
名前を聞いて、ウィスティリアが頷く。
彼女が何を納得したのか、クレアには分からない。
やがて、クレアに向かって手が差し伸べられる。じっと、クレアはその手を見つめた。
「ねえ、クレア。私と一緒に世界を救ってみない?」
クレアは言葉の意味を深く考えるようなことはしなかった。ただ呆然と、目の前にある穢れの無い手に、自分の手を重ねた。
こうして。
世界を救うための、希望の物語は幕を開けたのだ。
△△△
『選定』
死ぬ直前だったと思う。
「リゼ様……ど、か…………を……救……て…………さい」
焼け落ちた王城でリゼ・ヘルエスタは確かにその声を聞いた。意識が遠くなっていたせいか、思い出せる言葉も途切れ途切れになっている。
だけどこれから死ぬ人間にどうしてそんな事を言うのだろう。
別に生き返るわけでもないのに。
私は死んだ。
私は殺された。
自分を殺した相手が誰なのかなんて覚えていないし、興味もない。だって、死んでしまったんだから。覚えていても復讐しに行けないんじゃ意味がないでしょ? リゼ・ヘルエスタの長いようで短かった十七年の物語はこれにておしまい。
もし次に生まれ変わるなら、またリゼ・ヘルエスタになりたいな、と。
死んで暗闇を堕ちていく間、リゼはそんな事ばかり考えていた。
だから、瞬きの先に見えた美しい花畑を■■は天国だと思った。
生まれ変わる場所だと、そう思ったのだ。
頭痛がする。
蘇るような頭痛だった。
……ザザ……ザザ……ノイズのような音がして───ただの村娘だった少女はウル・モアとの戦いに駆り出される。
「ウル・モアって……なに?」
死体が目の前にある。ウル・モアに殺された命たちだ。少女が祈りを捧げなければどこにも旅立つことができない迷子の子供たち。
少女はその死を追体験しながら、両手を合わせて祈り続けていた。リゼにも───何故かは分からないが、妄想の中の痛みが記憶を通して伝わってくる。それから全身を踏み潰されているみたいな痛みが魂の奥にまで響いてきた。
少女の最後は「ごめんなさい」を二百万回。それ以上は痛みを数えきれなかったらしい。少女は祈り終えると、霧のようにどこかへ消えてしまった。
寒さに背中を押されて、■■は意識を覚醒させていく。
そして■■は、自分が死んだことを再認識した。
最後の思い出は誰かに胸の辺りを貫かれて殺されるところ。当時は兄と姉と自分の三人で、王位継承権を争っている最中だった。
燃えてるお城───王の間で、私は死んだ。
体の中に入ってくる剣はとても重かったし、とても苦しかったのを覚えている。
だがどうしても、死ぬ直前で聞いた最後の言葉だけを思い出せなかった。
意識が希薄だったせいもあって聞き逃してしまったのかもしれない。なにせあの時は死ぬ直前だったわけだし、覚えていなくても誰かに責められる事もないだろう。
温かい日の光を浴びながら、■■はそっと肩を落とす。
そこに、
「こんにちは」
と、投げられた声に、■■はハッとして顔を上げる。
そうして目の前に立っている女性と目が合い、言葉を失った。
似ている。
いや、似ているなんてレベルじゃない。
鏡に映っている自分をそのまま引っ張り出してきたみたいにそっくりな女性が、■■の目の前に立っている。
銀色の髪に、薄紫色の瞳。
本当に……水面を見ているような気分だった。差別化できる点といえば、耳がエルフみたいに尖がっているところと、自分より僅かに高いその声だけだろう。それ以外に目の前の女性と■■には違いが無い。
「私はウィスティリア・ヘルエスタ。みんなからはリアって呼ばれてる。貴方の名前を教えてくれる?」
ヘルエスタ、という名前も■■と同じだった。
理由は分からない。
だが、名乗られたからにはこちらも名乗り返さなければ───。
話はその後だ。
「わたしは───」
自分の名前を言おうとして、口を開く。
しかし、上手く言葉は出せなかった。
まるで自分の名前を言うことを禁止されているような、世界に否定されているような感覚に襲われる。
名前を吐き出せない。
「私は……■■・■■■■■です」
■■は喉を壊し、なんとか自身の名前を伝えた。
しかし、名前を聞いたウィスティリアはきょとん顔で固まったまま再び問いかける。
「ごめんなさい……もう一度お願いしてもいい? 私、聞き逃しちゃったみたいで」
今度は素直に名前を言った。
全く違う。
だが知っている。
自分の名前を───私の名前を聞いた私によく似たエルフは一度頷いてから、ゆっくりと、私に向かって手を差し伸べてきた。
「初めまして、クレア。私と一緒に世界を救ってみない?」
■■の手は自分の意思とは関係なく目の前にある手を取った。
まるで、運命にそう決められているみたいに。
……ザザ、ザザ───ザァ───と。また、頭の中でノイズが走る。そこには拒絶もクソもなかった。■■が彼女の手を取ることは絶対だと決まっている。その運命に抵抗する力を今の■■は持ち合わせていない。
こうして。
こうして、だ。
■■・■■■■■の───シスター・クレアに変わる物語は始まったのだ。




