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ヘルエスタ王国物語  作者: 十月 十陽
新生編(プロット)
75/75

ヘルエスタ王国物語(75)




 リゼは最初、自分の頬に飛んできた血が誰のものなのか、理解できなかった。

「あれま……油断したつもりは、なかったんだけどなぁ……」

 血を吐きながらニュイが言った。その声を聞いてリゼはやっと、自分の頬についた血がニュイのものだと理解した。

 そして、ニュイの後ろから聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「ニュイさん、貴方は葉加瀬さんと夜見さんを甘く見過ぎたんですよ」

「そうかなぁ……いや、そうかもしれないね。認めるのは癪だけど、私の負けか……」

 光を失いかけたニュイの胸から、刀が引き抜かれる。

 刀が引き抜かれてもニュイは倒れようとはしなかった。身体をよろめかせ、振り返り、自分を刺した相手を見て笑う。

「いつから私を狙ってたの? 加賀美さん」

 加賀美という名前を聞いて、リゼの心は震えた。

「嘘……」

 加賀美ハヤト。彼は死んだはずの人間ではなかったか───私が処刑命令を出した、かけがえのない人ではなかったか。

 顔が見えた。全身を着物で飾っている加賀美ハヤト。

 その手には一本の刀が握られている。

 だが、相手の声音を聞いた瞬間から、リゼは意識せずにはいられなかった。ニュイの後ろにいるのが、死んだはずの、自分が殺した人間であるという事を、意識せずにはいられなかった。

 全身を虫が這うような寒気に襲われる。

 そしてリゼは思う。

 思ってしまう。

 奇跡が起こった、と。

「貴方が私の殺せる位置に来てくれれば、いつだって殺せましたよ。今回はようやくその機会に恵まれたってだけです。それまではずっと、長尾さんの家にお邪魔していました」

 加賀美が言った。

 その声は間違いなく、加賀美ハヤトのものだった。

「長尾って……暗部のカネシロファミリーの子か」

 言って、ニュイは血の吹き出す部分に手を置いた。

「言い忘れていましたが、ニュイさん。胸の傷口を魔法で塞ごうとしても無駄ですよ。もうその傷は治せない。貴方はこれから、死ぬまでの時間を、私とおしゃべりをして過ごすんです」

「そう、みたいだね……」

 ニュイの右手が、力なく落ちる。

「どうやって生き返ったのか、今後の参考に教えてもらえる?」

「私を生き返らせてくれたのは、葉加瀬さんと夜見さんですよ」

「葉加瀬と夜見が? あの二人にそこまでの力は無かったと思うけど……」

 そうですね、と加賀美は続ける。

「貴方が生き返らせた頃の彼女たちには、まだそこまでの力は持っていなかったでしょう。ですが、彼女たちは科学の『星』である、ヴィンセント文字を手に入れてくれました。そこから流れは変わったんです」

「ヴィンセント文字?」

「簡単に説明してしまうと科学ですよ」

 あはは、と魔女は楽しそうに笑った。

「科学なんていう魔法以下の技術にそこまでの可能性があったなんて……これは確かに私の考えが浅かったみたいだね。でもそれって、加賀美さんが生き返った説明にはなってないと思うんだよ。まだ続きがあるんでしょ?」

「流石ですね」

 加賀美は続ける。

「貴方が私のホムンクルスの研究を受け取り、二人を使って実験していたことは葉加瀬さんが残してくれたメモに書いてありました」

「二人を完成させてあげたんだから、文句は言わないでね」

「……そして貴方は錬金術の側面からではなく、魔法というこれまでとは全く違う形でホムンクルスを完成させようとした。違いますか?」

「正解だよー。まあ、葉加瀬と夜見に関しては失敗作だったけどね。あの二人は社長の手垢にまみれだったから、上手くいかなかったんだよ」

 沈黙。

 加賀美はひと呼吸おいて、

「貴方が魔法でホムンクルスを完成させたように、私の体は葉加瀬さんが科学で完成させたホムンクルスという訳です。だからこそ、貴方が広げている魔法の網にも感知されないまま、こうして近づくことが出来た」

「なるほど」

 ニュイは加賀美からの説明に納得すると、まるで自分の死期を悟った動物のように、足先からゆっくりと羽化していった。空に昇る真っ白に輝く羽は、リゼが名取と別れるときに見た羽と同じものだった。

 邪魔者が消える。

 残されたリゼと加賀美は無言で向かい合う。

 だがすぐに、リゼは加賀美から目を背けてしまった。今の彼と目を合わせることはリゼにとって、とても困難で、難しい道だった。

 自分が殺した相手が、自分に向けてくる感情などひとつしかない。

 しかし、リゼは加賀美の瞳に宿る復讐心から逃げてしまった。

「加賀美さんも……モアの王冠が欲しいんですか?」

 リゼからの質問に対して、加賀美は眉間にしわを寄せるだけで、答えようとはしなかった。ただ険しい表情のまま近づいてくる。

 ある一定の距離までくると、加賀美はそこで足を止めた。リゼはそれが、加賀美が持っている刀の間合いだとすぐに分かった。

 言葉にせずとも、行動から相手の気持ちが伝わる。

「加賀美……さん?」

 泣きそうになりながら、リゼは尋ねる。

 無言。

 分かっている。

 知っている。

 加賀美ハヤトはモアの王冠なんかに興味なんてない。

 彼の目的はたったひとつ。

 そのためだけに彼は生き返ってきたのだ。

 加賀美は伝える。

「生きていてくれてありがとう」

 目の前の少女へ、ただありったけの感謝を込めて───伝える。

「殺しに来たぞ。リゼ・ヘルエスタ」



     △△△



 クレアはひとり、戦火に照らされる道に佇んでいた。

 そうやって世界の悲鳴を聞きながらクレアは悶々と自分の中の意見を見つめている。

 問題になっているのは、世界の存続をかけて戦っている人たちと比べてしまえばとんでもなくどうでもいい葛藤だろう。

 しかし、クレアが立ち止まれる理由がそれしか思いつかなかった。

 ずっと心の中をクジラが泳いでいるようだった。大きくて不安なクジラがクレアの心の海を泳いでいる。たまに仲間を呼ぶクジラは新しい子供を連れてきた。

 それは小さな不安になって、クレアの心を蝕んでいく。子供はクレアを縛って、立ち止まらせて、足を噛んで引っ張って、やがて浮くのだ。

 どんどん、どんどん、泡を吹いて、引っ張っていく。先には見えない穴がある。どこまでも続く穴を今日までクレアは落ち続けてきた。

 陸の穴。

 海の穴。

 空の穴。

 足を止めて、考えれば考えるだけ、心細い無駄な時間を拾っているような気がする。でも、わたしにはそれしかやる事がない。人のために、と自分がヘルエスタ王国を救うために出来る事をしてきた。実際、それで何かが解決したこともあって、結局最後は、同じ場所に帰って来てしまう。

 こうしてリゼに背を向けている今も、自分に出来る救いを行いたい。その感情はどこまでいってもシスター・クレアのものだ。けれど、それが役目で、自分で自分に望んだことでもある。

 長い、長い時間を、そうやって過ごしてきた。

 レイナ・ヘルエスタが作ったヘルエスタ王国を三百年間、毎日、目に焼き付けてきた。自分にはそれが出来ないと分かっていながら、凡人なりの意地を張って、人を救おうとしてきた。

 レイナは褒めてくれた。「それはクレアにしか出来ないことだよ」と褒めてくれた。あの時は涙が出るほど嬉しくて、初めて───■■■の役に立てたような気がした。

 ……違う。

 今考えるべきはこんな事じゃない。

 クレアは自分の中から邪魔な考えを放り投げた。捨てられた思考は雑草に変わった。次に花を咲かせた。悲鳴を水だとでもいうように、花は美しい顔でクレアを見つめた。

 クレアの周りにはたくさんの顔が咲いている。それは蛇になってクレアの足首に巻きついてくる。こうして自分の捨てた物は、いつも自分に帰ってきてしまう。

 いらないのに。

 捨てたいのに。

 それでもわたしは捕まってしまうんだ。

 だけど捕まって当然だと思う。

 なにせ、自分の行動は自分のやりたい事と全くの逆なんだから。

 クレアは最初っからリゼを守ろうとしてきた。だが今は、リゼを守るために逃げている。あの場所にクレアがいたところで何かが出来るわけじゃない。戦える力を持たない自分は、火種に怯えているだけの藁人形にしかならない。あの場所に自分がいるだけでリゼが少しでも死んでしまう可能性があるんだったら離れて正解だ。

 もしかして違う?

 そんな事があっていいわけがない?

 クレアは痛くなっていく頭を抱えた。赤ん坊を抱くみたいに優しく。誰よりも自分を甘やかした。

 ふと、後ろを振り返る。

 そこには逃げてきた道が続いている。

 この道の先にはリゼ・ヘルエスタがいる。

 だが、その道の向こうから聞こえてくる音はさっきよりもずっと静かになっていた。戦いが終わったのなら、戻ってもいいのかもしれない。

 クレアがまだこの世界に立っているという事は、リゼが生きているという証拠だ。

 だから───ヘルエスタ王国が勝った。

 そう思って、クレアはもう一度、戦火に向かって走り出す。

 逃げてきた道を戻っていくにつれ、風に乗って声が聞こえてきた。しかし、人の悲鳴も混ざっていたせいか、その内容までは上手く聞き取れない。

 角を曲がる。

 そして、クレアは見てしまった。

 アンジュと戍亥が、リゼよりも遠くの場所にいる景色を。そしてリゼの前には何故か死んだはずの加賀美ハヤトがいる。

 クレアは走る。

 しかし、それでも───加賀美がリゼを殺す方が早い。

 加賀美の持つ刀がリゼの胸に向かう。

「お願い、待って……やめてぇぇぇええええ!!!!!!!!!!」

 絶叫するクレアだが、加賀美ハヤトは容赦なくリゼの胸を貫いた。

 刀で心臓を一突きにされ、リゼ・ヘルエスタは死んだ。

 この瞬間、間違いなく、リゼ・ヘルエスタは死んだのである。

「イヤだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」



     △△△



 目を開けると、そこには美しい花畑が広がっていた。

 はっきりとしない意識で両手いっぱいの花たちを眺める。

 ■■・■■■■■は、ここが天国かもしれない、と心の中で思った。

 右手で刺された場所に手を当てる。

 意識は曖昧としているが、胸に残る痛みは本物だった。だが同時に、■■は不思議な感覚にも襲われる。

 胸から鼓動音が、手のひらを通って伝わってきたのだ。

 ───私は加賀美さんに刺されて死んだはずなのに、どうして生きているんだろう。

 そう■■が疑問に思っていると、

「こんにちは」

 妖精のような声が、■■の肩を叩いた。

 振り返るとそこには自分が立っていた。

 でも、見た目はちょっとだけ違う。目の前に立っている人には、■■にはない長い耳があった。一瞬、お母様とも思った。それも違う。彼女の耳はお母様にとてもよく似ているけれど、お母様のものと違って横に長い。

 そしてどういう訳か───■■は目の前の少女───エルフの名前を知っていた。

 目の前にいる自分とよく似た人の名前は、ウィスティリア・ヘルエスタ。私の祖母に当たる人物だ。

 どうして、自分はその事を知っているのだろう……。

「初めまして。私はウィスティリア・ヘルエスタ。みんなからはリアって呼ばれてる。貴方は?」

 名前を尋ねられて、■■はとっさに自分の名前を口にした。

 しかし、

「ごめんなさい。もう一度教えてくれる?」

 同じだ。

 何度やっても同じ。

 同じ?

「……───」

 申し訳なさそうな表情を浮かべるウィスティリアに、■■は改めて、頭の中にあるもうひとつの名前を口にした。

 今度は素直に口が動いた。

 その名前を口にした途端、■■の口に自然と笑みが浮かぶ。

 ウィスティリアは美しく微笑んで、頷いた。こちらに手を差し伸べてくる。■■は運命に導かれるままに、その手を取った。

 そしてウィスティリアが言う。

 もう何度目かも分からない、同じセリフを───。

「初めましてクレア。私と一緒に、世界を救ってみない?」

 向けられた微笑みは、これから英雄の物語が始まると信じて疑っていない。

 笑えた。

 ■■は笑えた。

 ───ようやく、自分には何もできないと理解して。

 ───ようやく、自分の無能さを知ることができて。

 ───ようやく、心の底から絶望することができて。

 ようやく。

 ようやく。

 ようやくだ。



 私は発狂した。




 新生編   完。

 救済編に続く。




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