ヘルエスタ王国物語(72)
少し前───。
戦いの舞台は北門を破壊し、ヘルエスタ王国内へ進んだところ。
ニュイはドーラとベルモンドの攻撃をいなしつつ、背後から暗殺者のようにこちらの首を狙うローレンと緑仙を、彼らの後ろを追尾するカボチャ頭と視野を共有することで、相手の動きを把握、必要最低限の魔法で二人の足止めをしていた。
この状況が変わらなければ、必ずニュイが勝利するという形を作り、相手に一か八かの選択肢を迫る。
それを潰せばニュイの勝利は確実なものになるだろう。
しかし、そんな誘いの手を看破しているのが、ローレンと緑仙の二人だった。
ドーラとベルモンドが魔女の注意を引いている限り、自分たちに強力な攻撃は飛んでこない。相手の作戦を見破る時間は、結論を出して余るほどあった。
問題になったのは、三角帽子を被ったカボチャ頭の方───コイツらがどういう原理でニュイに情報を送っているにせよ、破壊しない事には始まらない。
だが、いくら壊そうと思って剣と拳を叩きつけても、自分たちの手に痛みにも似た振動が伝わってくるだけで、攻撃を受けたカボチャ頭にはヒビひとつ入らない。
二つのカボチャ頭がケタケタと笑う。同時に、カボチャ頭の口元には魔法陣が浮かび上がり、二人の足元を狙って打ち込んでくる。
「───チッ!」
舌打ち混じりに回避したはいいが、自分たちに不利な状況は変わらない。
ここからの打開策をどうにか導きださなければ、ヘルエスタ王国はたったひとりの魔女に負ける事になる。
「ほらほら! もっと頑張らないと死んじゃうよ!」
ニュイは煽るように言って、ベルモンドと拳を打ち合わせる。
細身な彼女がベルモンドとぶつかり合って無事でいられるのは、魔法による身体強化のおかげだろう。
ニュイの顎を狙った回し蹴り。ベルモンドはあえて後ろに引くことはせず、顔をずらすだけで、ニュイの回し蹴りを頬で受ける。
そのまま一歩前へ、般若の顔負けの表情を浮かべ、ベルモンドは拳を振り下ろす。
が、当たらない。
ベルモンドの拳は整備された道を粉砕するだけに終わった。
ニュイが魔法で転移した屋根の上───ドーラがいた。
炎爪による不意の一撃。
ローレンと緑仙も隙を狙う。
だが、ニュイにはカボチャ頭との視覚共有で全員の位置を知っている。ドーラに二つ。ローレンと緑仙にひとつずつ。合計四つのカボチャ頭から魔法が放たれる。
火力はドーラに集中させ、あとの二人は───見失った?
「───ッ!?」
背後。
ローレンがニュイを襲う。
しかし、ローレンの攻撃はニュイの三角帽子に切れ込みを入れるだけに終わった。
「踏み込みが甘いんじゃないの? そんなに怖がってちゃ倒せる相手も倒せないよ」
ああ、とローレンが答える。
「無理に詰める必要もなかったんでな。……心配するな。次はその首跳ねてやるよ」
「そりゃ楽しみだ」
察するに、今のは『確かめる』ための攻撃だったのだろう。二人にはもうカボチャ頭の原理を見破られている。であれば、手札を増やそう───ニュイがそう思った矢先、東側から異様な気配が吹き出した。
「この感じ……」
ニュイは思考を加速させ、瞬きの内に結論出す。
「イディオスのメンバーがモアの王冠を手に入れるために動いてる? なら、リゼ様は今頃東側に───」
小野町亭にいるはずのリゼ・ヘルエスタが何故東の街にいるのか、その疑問は一旦置いておくとして。
「やっと面白くなってきたのに……潮時かぁ……」
ニュイの呟きは誰に聞かれる事なく、闇に消える。
そもそもこの戦いはリゼの持つモアの王冠を手に入れるための戦い。ニュイの掲げる勇者育成計画と比べると、その優先順位は明らかにモアの王冠の方が上だ。
しぶしぶ、ニュイは魔法で合図を送る。
「いやー、みんな本当にごめん! 私ってば急ぎの用事ができちゃったみたい。かわりに、別の相手を用意していくから。ほんじゃ、またねー」
それだけ言うと、ニュイとカボチャ頭たちは四人の前から消えた。
残された四人はニュイの言う、次の相手に身を引き締める。
彼はニュイのいた場所に───光と共に現れた。
「うお! 眩し。せっかく人が気持ちよく遊んでたってのに。なんなんだよ、全く」
「……葛葉?」
声を聞いて、ドーラが言った。
葛葉が四人の前に姿を見せたことで、さらに、世界の『認識』も入れ替わる。
称号は、キング・オブ・ヴァンパイア。
または、王の名を継承した、ギルザレンⅣ世。
当の本人は訳もわからず突っ立っているだけだが、四人からすれば、葛葉は世界を滅ぼす厄災そのものになった。
彼を放って、ニュイを探しに行くことなど出来はしない。
「「「「ぶっ殺してやる!!!!」」」」
「は?」
葛葉はひとり、向けられた殺意に疑問符を浮かべるだけだった。
△△△
「まだ終わってなくて助かったよ。もしかして、私の到着を待っててくれたとか?」
「そういう訳じゃありません」
ソフィアはきっぱりと答えて、邪魔者を視界から外す。
本当なら彼女が現れる前に決着をつけたかった。しかし、ソフィアが予想した以上にリゼが粘ってしまったのも事実としてある。
彼女がもっと早くに諦めてくれていたなら、モアの王冠はイディオスの手に渡っていただろう。だが、モアの王冠による影響を考慮しても、リゼを殺すまでに至れなかったのは自分のミスだ。
ソフィアは失敗を、心の深い場所で、反省した。
「人の姿のままで戦おうとするから私に追いつかれるんだよ」
意地悪く、ニュイが言った。
ソフィアは一度逸らした視線を、再びニュイに向ける。
今度は殺気を込めて、
「ニュイさん、それ以上口を開くと頭に雷が落ちてくるかもしれませんよ」
「あはは! 笑顔が怖いね、ソフィアちゃん」
でもさ、と小清水透が口を挟む。
「魔女さんの意見も、実際そうじゃない? もしも最初っから透たちが本気でリゼ様を殺しにいってれば、今頃───」
「ええー、五十嵐はイヤだよ。あんな女の口車に乗るなんて……」
「そうは言ってもさ、りかしぃ……次の作戦は考えてないわけじゃん? それに人の姿のままだとリゼ様を殺せないって。実際、ソフィアと倉持が失敗してるし」
「それは、そうだけどさ……」
結果論として、自分たちが人間の姿でモアの王冠を手に入れようとしなければ、リゼとクレアが東の街に入った時点でとっくに終わっていた。
延長戦に入ってしまったのは、自分がソフィア・ヴァレンタインの姿を切り捨てたくなかったせいだ。ソフィアも内心では小清水の意見に納得している。
「まあ、あかりたちが元の姿に戻っても、リゼ様を殺せるか怪しいけどね」
獅子堂が言った。
「確かに」と鏑木が頷く。「じゃあ、どうする? って話に戻っちゃうんだけどさ。どうしたらいいかね?」
「そんなの決まってるじゃん! 全員の力を合わせて戦うんだよ。そすれば奇跡だって乗り越えられる!」
鏑木の疑問に答えたのは倉持だった。
意味もなく空中にパンチを繰り出している倉持の言葉をどう解釈するべきか、ソフィアはしばらく考えた。
今、喉から手が出るほど欲しいものは、モアの王冠という確実な結果だ。
それ以外に欲しいものは自分たちにはない。
「……───」
結論は出た。
後は、
「のんちゃん」
ソフィアは別れを告げるように、石神を見た。
他のメンバーも同様に、石神に笑顔を向ける。
「お願い」
「分かった」
全員が覚悟を決めたのを悟って、石神は頷き、一冊の本を開いた。それはかつて葉加瀬冬雪から回収した、レオス・ヴィンセントの書物。
六人も人の姿を脱ぎ捨て、準備に取り掛かる。
鏑木ろこは、青の鱗が美しい蛇、青龍。
小清水透は、蛇の尾を持つ亀、玄武。
倉持めるとは、全身に炎を纏った鳥、朱雀。
獅子堂あかりは、黄金の体を持つ馬、麒麟。
五十嵐梨花は、立派な口ひげを生やした、光龍。
ソフィア・ヴァレンタインは、白銀の毛に黒模様のある、白虎。
それぞれが神話を持ち、世界に崇め奉られてきた神獣たちである。
彼らが人の体を捨てたのは、新しく生まれ変わるために他ならない。神である彼らはこれまで人間の真似事しか出来なかった。
しかし、これからは違う。
レオス・ヴィンセントが遺した科学の『星』は、彼らが求めてやまない人間の体を、神話の姿そのままに合成する。
本から円盤に刻まれた九つのヴィンセント文字が空に浮かび上がり、六体の神獣の体を光の糸で繋ぎ合わせていく。
そうして、ひとつの球体が生まれた。
一見、何の変哲もない卵にすら見えるそれは神話の糸で編まれた繭。
時を待たずして、彼らを包み込んでいた糸が解ける。
この世に生まれ落ちてはいけない生命の誕生に、リゼは呼吸を忘れた。
現れたのは六体の神獣を人へと昇華させた存在───六神・イディオス。
片方の眼球に三つの瞳。
左右合わせて、六つの瞳。
右と左。上と下。
ひとつ、ひとつが独立し、世界の真理を網羅しようと眼球の上を走り回る。
そうやって世界の全てを同時に観測することの出来る彼女だが、しかし、彼女は母親の胎内から産まれた赤ん坊のような産声をあげなかった。イディオスはただ、生まれ変わった自分の感触を確かめるみたいに両手を、開いては閉じ、開いては閉じ、子供のような動作を繰り返すだけだ。
そして。
イディオスは、地上に降り立ち、石神に尋ねる。
「不自然な点はないだろうか?」
「そう聞かれましても……」
答えに困る石神。
石神より少し背の高い美少女は間違いなく『人間』だ。しかし、その本質は『神』と同じものである。あえて言葉にするなら、境界線の中央線───彼女は人とも、神とも区別が出来ない、どっちつかずの存在になってしまった。
石神は消えた白虎に多少の寂しさは感じるものの、それだけでリゼ・ヘルエスタから手を引く、などという選択肢は取らない。
自分を守ってくれていた六体の神獣たちは、リゼを殺す、その一点のためだけに新しい存在へと生まれ変わったのだ。その思いを無下にすることの方が、石神にとっては重いような気がした。
「準備できたみたいね」
ニュイが言う。
「それじゃあ、ここからは競争といきましょう。私と新しく生まれ変わった貴方たち。どっちが先にリゼ・ヘルエスタを殺すか。勝った方の優勝トロフィーはもちろん、ありとあらゆる奇跡を手に入れる願望器」
宣言があり、ニュイとイディオスはモアの王冠、その所持者を睨みつける。
視線を向けられたリゼは、魂を引き裂かれるような純粋さに襲われた。
逃げようと訴える足は相手の殺気で地面に縫いつけられたように動かない。血の回らなくなった頭では思考することも許されなかった。
肺に溜まった空気に喉を絞めつけられる。
リゼは喘ぎたかった。
生まれて初めて、空気を憎いと思った。
レヴィとエクスが石神とイディオスの前に立ち、リゼへの道を塞ぐ。
ニュイに対しては、アンジュと戍亥が目を光らせていた。
絶対にリゼを守る。
四人はそう覚悟を決めて立っている。
リゼはようやく淀んだ空気を吐き出せた。一気に空気を吐き出したせいか、目の前がチカチカと点滅する。体はそうやって自分がまだ生きている証拠を、小さな痛みとなって、リゼに教えてくれていた。
やがて、リゼの世界にほんの僅かな安寧がもたらされる。
「クレアさん、逃げてください」
振り返りもせず、リゼは後ろにいるであろうクレアに声をかけた。
「リゼ様も……逃げましょう……」
ロウソクの火のようにか細い声が返ってくる。その声は震えていた。
「できません……だって、彼らの狙いは私だから。私が逃げたら色んな人たちに迷惑をかけちゃう。だから、クレアさんひとりで逃げてください」
「わ、わたしもリゼ様を守りたいんです! 人に迷惑を掛けるのをイヤだというのでしたら、どこか人のいない場所に」
「ごめんなさい、クレアさん」
「……どうしてですか」
リゼは自分を守ろうとする、四人の背中を見つめた。
「私のために戦ってくれる人たちが、私の友達だからです」
「───ッ!?」
クレアからの返事はなかった。
リゼは続ける。
「クレアさんがもし無事に生き残ることが出来たら、ヘルエスタ王国を、美兎さんを支えてあげてください。クレアさんが今日までしてきたみたいに」
口にしてみて、リゼは笑いそうになった。
つくづく自分は王様に向いていない。
だが、吐いた言葉に嘘はなかった。
月ノ美兎なら自分よりも立派な王様になれると思うし、クレアにはその隣で美兎を支えてほしいと思った。
沈黙が落ちる。
その沈黙は、戦いの合図だった。
ニュイとイディオスが動き出す。
リゼの前に立つ四人の騎士たちもまた、身構えた。そしてもうひとつ───遠ざかっていく足音をリゼは聞いていた。




