ヘルエスタ王国物語(71)
「リゼ様、大丈夫? ケガしてない?」
抱えたリゼを心配して、レヴィは声を掛ける。
意識していなかった人物に助けられたリゼは、状況が飲み込めないまま頷いた。
「良かった」
と、心から安堵の声が漏れる。
しかしレヴィ自身、どうして自分がこの場にいるのか理解していなかった。
王城で待機していたら、目を覚ました時には皆いなくなっていて、自分だけ置いてきぼりにされていたとか、別にそういうんじゃない。
絶対に。
レヴィは寝坊なんかしていない。
大事なことなので、もう一度言っておこう。
例え、仮眠用のベッドの上に置かれた目覚まし時計がぶち壊されていても、壁にエクス・アルビオと思わしき誰かのへこみがあって、その下でエクスが目を回して気絶していたとしても、断じて───そう、断じてだ。
レヴィ・エリファは寝坊なんかしていないのである。
「キミ、人間じゃないだろ」
レヴィは屋根上から、ソフィアに向かって声を投げた。
質問に対して、ソフィアはにっこり笑い、先ほどまで剥き出しにしていた牙を隠す。
「そんな事ありませんよ。どこからどう見たって人間じゃないですか」
「……そうだね。今はのキミは、少なくともそうかもしれない」
でも、とレヴィは続ける。
「リゼ様を襲っていた時のキミは、人間って感じはしなかった。もっと別の……僕が出会ったことのないナニか……言葉にするのは難しいけど……なんか、変な感じだった」
あやふやな言葉を受けて、ソフィアは獣のように低く唸る。
「……全く、いつの時代も魔王という存在は厄介極まりないな」
「僕は魔王じゃないよ」
「ああ、すまない。聞こえていたのか。だが、ワタシの言葉を理解したという事は、自分が魔王だと白状しているようなものだぞ?」
「どういう意味?」
「なに、以前戦った魔王もワタシたちの言葉を理解できていた。そういう経験があれば、同じように思ってしまうのが人間だろう?」
レヴィは言葉にするのは難しいナニかの存在を、再び感じ取る。
しかし、
「とりあえず、リゼ様を返して頂けませんか? 私たちには必要なモノなので」
先ほどまで野太い声だった相手の声音は瞬きのうちに、少女のように可愛らしいものに変わった。
そうなるともう、目の前の存在は人間にしか見えない。
「キミは一体……」
肌感覚の話───少女が魔物でない事は分かる。だが、それ以上のナニかだ。
リゼを襲っていた少女の力は、人間のという生物の力の限界を遥かに超えていた。そんな少女と対峙して、レヴィの頭に浮かんだのはフレン・E・ルスタリオという、エクスよりも前にヘルエスタ王国騎士団の団長をしていた彼女だった。
他にイメージできるものといえば、とんでもなく辛い物を口に入れたあとのような寒気が一番近いような気がする。
「レヴィさん、後ろ!」
リゼに名前を呼ばれ、レヴィは振り返ることもなく跳躍した。三つの屋根を飛び越え、クレアが立っている隣に着地する。先ほどまで立っていた家は、見たこともない紅蓮の炎によって跡形もなく焼き払われていた。
そして紅蓮の炎はやがて、人の形を作り上げる。
「ごめん、ソフィ。失敗しちゃった」
両手を合わせてソフィアに謝る少女。
そんな少女を見て、リゼは目を丸くする。
ピンク色の髪をリボンで結びサイドテールにしている、元気いっぱいの笑顔で謝る少女の名前は倉持めると。
ソフィアと同じく、リゼが冒険者ギルドでお世話になったメンバーのひとりだった。
「気配はギリギリまで隠さなきゃダメだって、あれほど言っておいたのに」
ソフィアは軽くため息を吐いて、
「めるちは暗殺に向いて無さすぎるよぅ……」
「だって、だって! 向こうが避けるから……避けるあっちが悪いんだもん! オレは悪くねぇ!」
言い訳をする倉持だが、その顔には少しも悪びれた様子はない。
むしろ、攻撃を避けられたことで倉持は晴天よりも清々しい、百点満点の笑顔でリゼ・ヘルエスタを見つめる。
「やっぱアタシって隠れてチクチクするの向いてないんだよね。やっぱケンカするなら真正面からってことで! いっちょやったりますか!」
両の拳を打ち合わせる倉持に対して、ソフィアは頭を抱える。
「めるちが最初にやりたいって言ったんじゃん……なのにどうして台無しにするの!」
「アレ? ソフィ怒ってる? 可愛いねー」
「もう……ちゃんとやってよ……」
二人の会話は遠くから聞けば、可愛らしい少女たちの言い合いに見えただろう。しかし、話の内容はリゼを殺すための作戦が失敗したというもの。リゼにとっては心休まる会話ではない。
それに、リゼには心当たりがないのだ。
彼女たちに命を狙われる、その理由が───何も。
リゼは冒険者として依頼を受けている最中、二人と一緒にいなかった。ソフィアと行動していたのはアンジュで、倉持は戍亥と一緒にいたはずだ。
後日、イディオスのメンバーが地下労働をさせられていた、と受付の先斗寧から聞いたような気もするが、もしかするとそれが原因で自分を殺そうと決意したのだろうか。
「どうして、私を殺そうとするの? 理由が全然思い至らないんだけど……」
レヴィの背中に隠れて、リゼが質問する。
恐る恐るの質問だったが、意外にも、ソフィアの返事はあっさりとしていた。
「必要だから殺す。他に理由はありません」
「必要って」リゼは頭を振る。「全然分かんないよ。私が死んだらどうにかなるの?」
「全ての戦いが終わります」
「全ての戦いが、終わる?」
その答えに、リゼの心は揺れた。
フラつく足に力をこめて、倒れそうになる体をなんとか支える。
「待って……待ってよ。それじゃあ、北の戦いも、空の上の戦いも、今私たちが争っている理由も……全部……」
「全部、リゼ様を殺すための戦いです」
「───ッ!?」
リゼが内心で抱いていた疑問への完璧な回答が、ソフィアの口から吐き出される。
相手の口振りから察するに、目的はヘルエスタ王国ではないのだろう。あくまでも、彼らの狙いはリゼ個人。目的の邪魔をする者は、誰であろうと殺す。
つまるところ、戦いの引き金は自分だったのだ。
自分にその自覚がなかっただけで───全ての戦いはリゼが死ぬことで決着する。
「なんで……どうして……」
「ああ、もう! 質問ばっかで面倒くさいなぁ……ねえ、ソフィ。やっぱ殺せる時に殺しておいた方が良かったんじゃない?」
倉持が言う。
ソフィアは気まずそうに、顔を背けた。
かわりに、
「え?」
と、リゼが声を上げる。
分からないことが増えた。
「こ、殺せるときって……」
「リゼ様があかぴゃとろこちゃんと一緒に依頼を受けた時ですよ。あとついでに───」
「ちょっと、めるち!」
ソフィアは倉持の背後に回り、うるさい口を塞ぐ。
「喋らせると余計なことしか言わないんだから……」
ぷはっ、と倉持はソフィアの指から抜け出して、
「ソフィ、もういいんじゃない? あっちにもアタシらの正体バレてんだからさ」
そう言うと、倉持は闇に向かって呼びかける。
「ねえ、みんなー、出ておいでよ。もういいってさー」
倉持が呼ぶ『みんな』とは誰なのか、リゼはなんとなく予想できてしまう。
最初に眠そうな顔でやって来たのは小清水透だった。
ソフィアのすぐ横の路地から、鏑木ろこと獅子堂あかりの二人が一緒に現れる。
五十嵐梨花は倉持をびっくりさせようと、後ろから抱きついた。
そして最後に、石神のぞみ。
誰ひとり欠けることなく、イディオスのメンバーが出揃う。
こうしてリゼの予感は的中した。
「どうして……」
もう何度目かも分からない疑問をリゼは口にした。しかし、リゼはその答えをとっくに知っている。彼女たちは自分を殺しに来たのだ。
今更ああだ、こうだ考えて、別の理由を探す必要もない。
リゼは心に小さな針で穴を開けられたような気がした。
そこから、ジクジク、と得体の知れない虚無感が沁み込んでくる。
「……七人?」
レヴィは不思議そうに首を傾げた。それからレヴィは辺りを見渡し、背後からやって来るもうひとつの人影に視線を向ける。
「おーい、レヴィ」
呼びかける声が近づいてくるにつれ、聞こえてくる鎧の足音にリゼは身を縮ませる思いだった。これ以上、新しい敵が増えるのは耐えられない。
だが、そんなリゼの杞憂に意味はなく、金髪の好青年はリゼを見て小さく手を振り、お辞儀すると、息を切らした様子もなく、そのままレヴィの隣に並ぶ。
「いやー、ここまで遠かったー」
そう言って笑う人影の正体は、エクス・アルビオだった。
「エクス……今まで何やってたの……」
レヴィからの問いかけにエクスは「寝てた!」と素直に答える。
「けど、オカシイんだよ。オレってば仮眠室にいたレヴィを起こしに行ったはずなんだけどさ……でも気づいたときには床で寝てて。レヴィ、なんか知らない?」
「ううん。全然、知らない」
「オレが寝てたのは知ってるでしょ?」
「……それは」
レヴィは答えに迷って、
「ほら、起こしちゃ悪いと思って……いつもお仕事、がんばってたし……」
「そっかぁ……気を使ってくれたのか、あんがとな!」
「うん。まあ、ね……」
顔を背けるレヴィをとくに気にした風でもなく、エクスは「ところで」と眼前の敵に意識を切り替える。
「レヴィが警戒てるってことは、あの子たちは敵って認識でいいのか?」
「そうだよ。リゼ様の命を狙ってる」
「リゼ様の?」
振り向いたエクスと目が合う。
「あ、そうだ。忘れてた。リゼ様の友達も一緒に連れて来たんだった」
「え?」
リゼが間の抜けた声を出したその時、唐突に、聞き覚えのある声に抱き締められた。
「ィゼちゃん! アンタ……ウチらに何も言わずにいなくなったでしょ!? 出掛ける時はちゃんと伝えなさいって、お母さんに教わらなかったの? 反省しなさい!」
「むごちゃん!?」
頭を思いっきり抱擁され、顔は見えなかったが、聞こえてきた声は親友の戍亥とこのもので間違いないだろう。
「ぐ、ぐるびィ……」
「心配かける子にはこれぐらいが丁度いいんです!」
リゼはやっとの事で戍亥の腕から顔を出す。と、そこにはもうひとりの親友───アンジュ・カトリーナが安心したような表情で、こちらを見つめていた。
「あんま心配かけたらあかんで」
「ごめん。……ありがとう」
感謝の言葉を述べて、リゼは状況を整理する。
エクスと親友二人が新たに戦力として加わったが、以前、人数は向こうの方が有利。あっちは七人いて、こっちは六人。六人といっても、その内二人は、クレアとリゼは戦力に数えられるほどの力は持ち合わせていない。
リゼに出来る事といえば、ほんの数秒の囮役ぐらいだろう。
放心状態のクレアに関しては、どうにかこの場から逃がしてあげたいが───。
「あ、良かった。リゼ様まだ生きてるじゃん」
リゼの意識を邪魔するように、ひとつの声が頭上から聞こえてくる。
声のした方に全員が目を向ける。そこには黒魔女ニュイ・ソシエールの姿と、空中をぷかぷかと浮かぶ六つのカボチャ頭。
ニュイはリゼの姿を確認すると、にんまり、ただにんまりと、口角を釣り上げ、その美しい顔を歪ませた。




