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ヘルエスタ王国物語  作者: 十月 十陽
再会編(プロット)
7/33

ヘルエスタ王国物語(7)



 二日後、チャイカから貰った手紙を頼りにアンジュはヘルエスタ王国の西門まで足を運んでいた。

 薬が完成したことをチャイカに伝えると、後日手紙を渡され、そこには依頼人の正確な住所と加賀美ハヤトという名前が記載されていた。

手紙には最初に渡された紙切れの住所について謝罪するものである。

万が一に備え、嘘の住所が書かれていた。

「疑うつもりはなかったんだが。前に一度、加賀美を国に売った奴がいたんでな」

 チャイカからも謝罪の言葉を受け取り、アンジュは素直に頷いた。

 自分でも同じことをするだろう、と。

 薬のほうは僅か数時間で完成した。紙に書かれていた毒の成分も簡単なもので、手元にある材料で作ることができた。症状についても、風邪のような症状を誘発させるというだけのものだった。咳が止まらない、熱が下がらない、トイレから出てこられない、そういう初歩的なものばかり。

 大きな病気の前段階ともいえるが、それでも身構えすぎていた、とも思う。

「あとお前の名前も加賀美に教えといた。それと酒場の奴らにも」

 いつのまにかアンジュの個人情報は駄々洩れである。ヘルエスタ王国で身分を証明出来ない以上、確かに人権はない。

 だが、もう少し守ってくれもいいだろう。

 アンジュは門番にあいさつをすませ、西側に続く鉄扉を開けてもらう。

北門から南門に行くためには貧民街を通る人は少ない。貧民街には許可が必要であり、唯一、王命によって隔離された場所でもある。ルールは無いが謎は多い無法地帯といったところ。自分の依頼人はそこに身を隠しているらしい。

 また、気をつけなければいけないのは同じヘルエスタ王国とは思えないほど淀んでいる空気だろう。人の吐く息によって霧が作られ、おとぎ話のような薄気味悪さが肌に触れる。新しい病気が生まれるには最適な環境であり、隠れて人体実験するには最高の場所といえた。

 門番のおじさん曰く、肩を叩かれても振り向いてはいけない。もし振り返ってしまったら、二度と貧民街から出ることは出来ないから。

 冷たく笑うおじさん。

 アンジュはその話を半分信じて、身震いする。

 もちろんこの話は貧民街に入る人への忠告という目的で作られた噂に過ぎない。ここ一年は、貧民街に入った人たちは全員無事に南門まで辿り着いている。

 行方不明になったのはその前だ。気にする必要もないだろう。

ただ貧民街に入る人を怖がらせるのがおじさんの趣味という、迷惑な話だった。



 ベタベタする空気が肺に溜まっていくのを感じながら、アンジュは肩にかけたバッグを握りしめる。

「……ここで合ってるよね」

 今にも朽ち果てそうなドアを前に引き笑いが止まらない。

何度も確認した。何度も確認したから、ここで間違いはない。

 ドアもある。チャイムもある。

 しかし、肝心かなめの家がないとはどういうことだろう。

「もしかして騙された……って、コト?」

 ワァ、と泣きそうになるのをぐっと堪える。

 美味すぎる話だと思ったんだ。最初から! 毒の成分も薬の調合も何もかも。自分が騙されていることに目をつぶって、簡単なことも忘れようとしていた。

 その結果がこのざまだ。

 不安をもみ消したいだけの愚か者が勝手に誰かを信じて、突き付けられた───初々しい夢の否定。ほんのちょっとでも誰かを救える気になっていた自分が恥ずかしい。もっと考えることがあっただろう、もっと疑うことも出来ただろう。ああ、どうじで……自分の馬鹿さ加減に吐き気がする。

 例え、人形だったとしても痛いものは痛いのだ。

 ドアの前にしゃがみ込んだアンジュは、

「これが人生なのかな……」

 人の道を生きる、人ではない者。

 弱々しい呟きは、今日までのすべてがウソじゃなかったことを教えている。その教えは心を持っていることの証明であり、アンジュ・スカーレットという不器用な娘が十六年の歳月を経てようやく手に入れた哀しみだった。

 大量の情報が流れ込んでくるのと同時に、アンジュは弱さを噛みしめる。騙されたのに……それでも人を信じたいと思う。それは間違っている、と誰かが言ったら今の自分は縋ってしまうかもしれない。誰だって自分を責めたくない。でも、誰かを否定したい。胸に抱えてしまった知らない気持ちにアンジュは振り回される。

 人は裏切られた後、裏切った相手を信じることが出来るのだろうか?

 人だったらこんなことで哀しくなったりしないのだろうか?

 ほんの少しでも気を抜くと堪えていた涙が溢れそうになる。

「赤い髪の錬金術師」

ぽつり、そんな呟きが目の前から聞こえた。アンジュは顔を上げる。

 家のないドアが開いていた。

「あなたがアンジュ・スカーレットさんですか?」

「はい、そうですけど……グスッ……」

 アンジュは目に溜まった涙を袖で拭う。

 男は驚いた様子で、

「失礼。随分お若いんだなと思いまして。私は加賀美ハヤト。あなたの依頼人です」

「え!?」

 今度はアンジュが驚く番だった。

 騙されていたと思ったのに、今度はジェットコースターのように感情が上下する───舞元さん、チャイカさん、疑ってごめんなさい。

「あのー、遅れたこと……怒ってます?」

「怒ってますよ」

 アンジュがどぎつい顔で睨みつける。段々いらいらしてきた。近くにいるなら、いるとそう言ってくれればいいのに。

「と、とりあえず歩きながら話しましょうか……えーっと、なんとお呼びすれば?」

「アンジュです」

 加賀美は「アンジュさん」と続けた。

「遅れた理由を聞いてもいいですか?」

「……そうですね。どこから話したらいいのか。とりあえず、私が指名手配されているところからか? いやいや、アンジュさんは別の国から来たハズだから……うーん、そうだな。どこから話したらいいんだ……」

 煮え切らない様子で腕を組み頭を唸らせる。アンジュも目の前の人が指名手配されているとは思わなかった。チャイカからは貧民街でボランティア活動している変人とだけ教えられていた。あのメイド服エルフに変人と言われるだけあって、今も何やらぶつぶつと頭の整理が終わっていない。

 それならアンジュの一番知りたいことから始めよう。

「加賀美さんが城で働いていたのは本当ですか?」

 加賀美は意外そうな顔をした。

「───ああ! チャイカさんから聞いたんですね。お恥ずかしい話ですが、一年ほど前まで私はヘルエスタ王国で社長をやっていました」

「国の社長ってどういう……」

「あ、国ではなく個人のものです。おもちゃ屋の社長を」

 話が嚙み合わない。

 アンジュの聞きたいことは加賀美がヘルエスタ城でどんな役職に就いていたかだ。個人経営の話は正直どうでもいい。

「ヘルエスタ城で働いていたんですよね? 加賀美さんならリゼに会わせてくれるって、チャイカさんに言われたんですけど」

「……手紙にも書いてありました。それが報酬でいいと」

 加賀美の足が止まる。

「あんな王女に会ってどうするつもりなんですか?」

 チャイカにも似たような質問をされた。しかし、彼の言葉にはアンジュがついさっき手に入れた感情が混ざっているような気もする。

「……それは」

 振り返った加賀美の瞳は、虚ろだった。

 だが、否定の言葉ない。

「分かりません。今はただ会いたいとしか……」

 会いたい、と答えたアンジュの心にはいつも漠然とした不安が浮かんでいる。そして、自分の言い放った答えに満足していないのも事実だった。

 知らず知らずのうちにアンジュは身構える。

「……───」加賀美は何も言わない。

 追及されればいつだって覆ってしまうのに誰も自分を責めない。アンジュ自身どうしてリゼに会いたいのか分からずにいるのに。もっと深掘りできる相手がいれば胸に秘めたこの思いを教えてくれるのだろうか。

「会えば……殺さるかもしれない……」

 アンジュに向けられた言葉は冷たいものだった。

 チャイカとは違う。チャイカはリゼに対してどこか諦めのようなものを感じていた。しかし、加賀美ハヤトはどうしようもなく拒絶している。痛みや苦しみに耐えるのではなく、虎視眈々とその感情を蓄え、王の首を狙う獣のように。

「先を急ぎましょうか」

それだけ言うと加賀美は周囲を見渡す。

 アンジュは急いで加賀美の後を追った。

「もし知っているなら教えてくれませんか。どうしてもリゼに会いたいんです」

「……安心して下さい。報酬はちゃんとお支払いします」

 泥を飲むナマズのような声だった。これ以上踏み込んでくるのを良しとせず、口を閉じていろと加賀美は無言で突き放す。

 アンジュは開きかけた口を結んだ。



 加賀美に連れてこられた場所はアンジュの予想を裏切るものだった。

「これはスゴイですね」

呟くアンジュの目と鼻の先には貧民街には似つかわしくない畑がずらりと並んでいる。

「立派なものでしょう? 私の自慢です。種も舞元さんから頂いたものを使っています」

 畑に近づいたアンジュはそっと土に触れる。

「……本当にスゴい」

「素材を求める錬金術師に褒めてもらえると嬉しいですね。隠蔽工作を頑張ったかいがありますよ」

 わはは、と笑う加賀美ハヤト。

 アンジュはなんとなく、会話が噛み合っていないことを察した。

「この畑は貧民街の人たちが必死になって耕したものです」

「……そうだったんですか」

「意外でしたか?」

 アンジュは図星をつかれて顔を背けた。

「すみません」

「いいんです、いいんです。気にしないでください」でも、と加賀美は続ける。「彼らの努力をアンジュさんにも見てほしかった」

 貧民街に住む人々。彼らも心のどかで自分を変えたいと思っていた。加賀美はその手助けをしたに過ぎない。

「最初はたくさんの壁にぶち当たりました。土地はどうする? 肥料は? そもそもこんな場所で畑なんて出来るのか? 育ったとして、それは食べられる物なのか?」

 日常的に暴力が横行する貧民街で加賀美のような人間は絶好のカモでしかない。

「お金はここに来てすぐ取られちゃいました。私、戦えませんから」

 ははは! と加賀美は笑う。

 それは笑い事ではないのでは? とアンジュは思う。

「そしてただのおもちゃ屋だった私に残っていたのは人脈だけでした」

「人脈……」

「ええ。幸運なことに私は出会いに恵まれていました。もし仮に才能があるとすれば、おそらくそれでしょう。おかげでたくさんの宝物に出会えて、これだけ大きな畑が完成するのを見守ることが出来た」

 アンジュは加賀美の話を聞き、ただ目の前の畑に見惚れていた。

 他人を宝物と言った彼の目には喜びが浮かび、天に向かって堂々と胸を張る。そこに嫌味を感じないのも彼の魅力のひとつだろう。

「それじゃあ、この薬は何のために?」

 ここまでの話を聞いたかぎり、依頼の内容が見えてこない。畑を見ても農薬として使うわけでもなさそうだ。

「社長! おかえりなさーい」

 ボロボロの服を着た少女が加賀美に抱き着く。それを皮切りに、たくさんの人々が家から続々と出てきた。

 彼らは加賀美を見つけ次第、手を振り、笑顔を浮かべ、声を投げかけた。

「みんな帰ってくるの待ってたんだよ」

「そうかそうか。嬉しいな」

「あと雲雀兄ちゃんが社長のこと探してた」

「渡会くんが?」

「うん。お城のほうで良くないことがあったんだって」

「城で……」

加賀美はアンジュのほうを見る。

「アンジュさん、持ってきた薬をこの子にあげて下さい」

「この子に?」

「その薬は最近この貧民街の街に撒かれた毒の解毒剤です。彼女の母親がその毒に当たってしまったんです」

「そういうことなら」

 アンジュはバッグから薬を取り出して、少女に渡す。

「これでキミのお母様は助かります。早く行ってあげなさい」

「ありがとう! 知らないお兄ちゃんと社長!」

 少女はぱっと明るく笑い、加賀美から離れる。遠くなっていく少女の影に二人は手を振って見送った。

「お兄ちゃんか……」

「わ、悪気があった訳じゃないと思うので……」

 加賀美のフォローも空振りに終わる。

 アンジュもあの少女に悪気がないのは分かっている。分かっているのだが……疑いもなく男だと思われていると、なんだかやるせない気持ちになってしまう。

「現実って残酷だな」

「アンジュさん……落ち込んでいるところ申し訳ないんですが、もう少し歩きましょう」

「さっき話に出てきた渡会さん? のところに行くんですか?」

「はい。彼には私のおもちゃ屋を任せてあるんです……ですが、話をするとなればもう貧民街に入っているでしょう。合流地点を決めてあります」

「それじゃあその合流地点はどこなんです?」

「南門の近くです。ここから遠いので……歩くと言いましたが、あれは嘘です」

 加賀美は興奮気味に南門を目指す。アンジュも背中を追いかけるが、見失わないようについて行くので精一杯だった。

 迷路のような街並みを加賀美は風のような速度で駆けていく。

 時折、振り返ってアンジュの様子を確認する。

「もうすぐです。頑張りましょう、アンジュさん!」

「が……頑張ります……」

 しかし、そこで加賀美の足が止まる。

「引き返しましょう」

「ハァ、ハァ……ど、どうしたんですか? 急に。南門はもうすぐそこじゃないですか」

「見れば分かります」

「ちょ、ちょっと休ませて……」

 両手を膝に置いてアンジュはゆっくりと顔を上げる。

 呆然とした表情のまま動かない加賀美の視線を追って、アンジュも同じように、空に向かって伸びるひとつの黒煙を見つけた。


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