表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヘルエスタ王国物語  作者: 十月 十陽
新生編(プロット)
69/75

ヘルエスタ王国物語(69)




 尊が舞元を担いで小野町亭に戻ると、小野町春香は疲れの溜まった顔を笑わせて、二人の帰りを出迎えてくれた。

 右手には血のついた包帯を持ち、もう一方の手には薬箱を抱えている。おそらく先ほどまでケガ人の治療にあたっていたのだろう。

 尊は酒の匂いをさせる舞元を、その辺にぽいっと捨てる。

「小野町、少し休んだらどうじゃ。その調子ではいつか身体を病むぞ」

「ご心配ありがとうございます、尊様。でも、大丈夫です。まだ頑張れます」

 健気に頭を下げる小野町に、尊は嘆息する。

 心配の言葉は投げれても、尊はフミのように、人に優しく接することは出来ない。そもそも、人を守ってきた神と、命を暇つぶしの玩具としか見てこなかった鬼では、世の見え方がまるで違う。

 現に尊は、小野町からの信頼を、いまだ勝ち取っていない。

 小野町の背中を見送り、尊は小野町亭の屋根へと上がる。

 空はあいにくの曇り模様───だからこそ、目に付く───真っ白い雪のように落ちてくる美しい羽が、ヘルエスタ王国を滅ぼしにきていた。

「───っ!!!」

 尊が飛ぶ。

 羽はまだ、雲に近い位置にある。

 尊は空間から天羽々斬を引っ張り出し、空を覆う雲ごと、光り輝く羽を焼き払う。そうして雲の向こう側から満月と一緒に現れたのは昼間と同じく、救済の翼を背負ったクレアだった。



     △△△



 リゼは心臓が口から飛び出してしまうほどの爆音で目を覚ます。

 急いでベッドから起き上がり、自分よりも先に起きていた戍亥に近づく。

「とこちゃん……今のって」

 嫌な予感を否定してほしくての質問だったが、残念なことにその予感は当たっている。

 戍亥はリゼを見て頷き、

「戦いが始まった」

 窓の向こうを眺める戍亥は、上空で火花を散らす尊とクレアの姿を視認する。

 リゼには誰が戦っているのかは分からず、豆粒ほどの光がぶつかっているようにしか見えなかった。

「リゼ! 戍亥! 大丈夫!?」

 一階で小野町亭の手伝いをしていたアンジュが部屋に入って来る。

 その声音は二人を心配する優しさだけで、戦いが始まったという緊張感はまるでなかった。リゼはアンジュに質問する。

「下はどうなってるの?」

「パニック……ってほどじゃないけど、みんな落ち着かないって感じかな。今は地下に避難するかどうかで話し合ってるみたいだけど……」

「悩んでる時間なんてあるん?」

 戍亥が問いを投げる。それは一種の危険信号だった。

 リゼは気を引き締める。今は自分が王様じゃないから、戦いが始まったばかりだからといって悠長に構えていられない。

 これからどう戦火が広がるかなんて、誰も予測出来ないのだから。

「まずは、外の様子を見に行こう。話はそれから───」

 リゼが提案した、その時だった。

 空の光とは別に───もうひとつの光がリゼたちの近くに落ちた。正確には北側に落ちたというだけで、小野町亭よりは少し離れている。

 すぐ近くに落ちたと、そう思わせるほどの圧倒的な存在感に、リゼは心を震わせた。

 それは同時に、ヘルエスタ王国に生きる人々に死を連想させる。

 北側に落ちた光を見ていなくても、身の毛のよだつ怪物がこの国を滅ぼしに来たのだと直感できるほどに。

 光は抵抗を否定する。

 光は降伏を否定する。

 光は『死』だけを肯定する。

 自分の首に刃物を当てられているような感覚。

 三人が窓辺から動けずにいると、一階の方から悲鳴が聞こえてきた。

 ひとつ。

 ふたつ。

 時間が経つにつれ、絶望が大きくなっていくのを感じる。

 リゼはふと、ベッドの横に置かれた目覚まし時計を見た。

 ちょうど、時計の針は午前零時を差したところ。

 そして耳障りなベルの音が部屋中に響きはじめた。

「まずは、みんなの避難を優先しよう」

 鳴っていたベルを止めて、リゼが言った。

 今はとにもかくにも、自分に出来る事を探して、頑張るしかない。

 二人が頷くのを見て、リゼもまた覚悟を決める。

 廊下に出た三人は、他の部屋から這いずって出てくる人たちに手を貸しながら、なんとか一階の食堂まで下りる。

 そこでリゼは、恐怖を見た。

 戍亥は耳を塞ぎ、耳を裂くような声から鼓膜を守る。

 天井に向かって叫ぶ人。

 床でうずくまり、泣き啜る人。

 壁に頭を打ちつける人。

 狂気に耐える方法は様々だが、そこに自我の崩壊は含まれていない。

 小野町春香、桜凛月、七瀬すず菜の三人と負傷した兵士が数名。

 たったそれだけの人数でこの場を落ち着かせようと戦ってはいるが、人手が足りていないのは見るに明らかだった。

「小野町さん!」

 フラつく小野町をリゼはすんでのところで支える。彼女は昼間からずっと働きっぱなしだ。ろくに休んでいるところを見ていない。

「……ああ、リゼ様ですか。すみません、今は忙しくて……」

 謝る小野町の顔に浮かぶ色はとても希薄で、ほとんど熱を持っていなかった。

 目に見えるほどの過労が彼女を追い詰めている。しかし、それが分かったところでリゼにはどうする事もできない。

「小野町さん、私にも手伝えることある?」

「そう、ですね……」

 小野町は周囲を見渡し、食堂の端っこに座る、傷だらけの警備隊を指差した。

「あの人の包帯を変えてあげなくちゃ……」

「うん、分かった」

「すみません……ありがとうございます……」

 そう言って歩き出した小野町は、また別の人のところへ向かう。

 リゼは小野町から任された仕事をこなすため、薬箱を持ってケガ人のもとへ急いだ。

 足と頭に巻かれた包帯を外す。外した包帯にはおびただしい量の血が付いていたが、その下の傷跡からはほとんど血は流れていない。

 これなら自分でもなんとか処置できる。

「痛み止めを貰えませんか?」

「え?」

 手探りで消毒と新しい包帯を巻き終わってからのひと言に、リゼは震えた。

「まだ……戦うつもりなの?」

「いいえ」と男は首を振る。「情報をローレンさんに届けに行かなければ……」

「……───」

 リゼは一瞬考えて、

「それってさ、私が行っても問題ない?」

 それを聞いた男は、しばらく固まっていた。

 リゼも自分で口走った内容に驚いている。

 だが、治療をしてもらった男からすれば、少しでも情報の伝達が遅れるのは避けたいはずだ。重要な情報なら尚更だろう。走れるかも分からない人間と、大した怪我もなく動ける王族という二択。

 あとは、王族を雑用に使った後で、処刑される覚悟が男にあるかどうか。

「……リゼ様。紙とペンを」

「ちょっと待ってて!」リゼが戻ってくる。「えーっと、持って来ましたけど……どうすればいいですか?」

 男の腕はこんがりと焼けていて、ほとんど炭と変わらない。ペンを持ったとしても、文字を書くのは難しいように思えた。

「そのまま私の言う事をメモしてください」

 リゼは男に言われるがまま、紙にペンを走らせていく。

 書き終わった情報を、リゼは男の前で読み上げる。男はリゼの口から伝わる内容を最後まで聞き、それから頷いた。

「これって……本当なの……」

 信じられない、というのがリゼの正直な感想だった。

 男が伝えようといていた情報は、ニュイとクレアとは違う、また別の敵を示唆するような内容だったからだ。

「コーヴァス帝国との戦争が終わった後も、ローレンさんは地下で起こった爆発にずっと疑問を持っていました。その調査を私が仰せつかっていたのです」

 コーヴァス帝国との戦争。

 ヘルエスタ王国内で起こった暴動。

 どちらも。

 リゼが国を離れてから起こった事件だ。

 本当に国が大変なときに、自分はなにをやっていたのか───リゼの心に浮かんでくるのは、どうしようもない無力感と、悔しさだけだった。

「ローレンさんが何処にいるのか、分かりますか?」

「おそらく東の自宅にいるかと……今日は非番だったと思います」

「東……正確な住所は……」

 リゼは男に言わるがまま、ローレンの自宅がある場所をメモの横に書き足した。

「ですが、状況が状況です。もしかするとローレンさんは、こちらに向かって来ているかもしれません……そうなれば……」

 ゲホ、ゲホ、と男はリゼから顔を背け、壁に、喉に詰まっていた血を吐き出した。

 それは美しい花を汚さないための気づかいだろう。男の配慮に、リゼの心は再び揺さぶられる。

「もう喋らないで。あとは任せてください……」

「リゼ様、どうか……お願いし、ます……」

 男は最後に安堵した表情を浮かべ、意識を手放した。

「……───」

 ヘルエスタ王国の警備隊長なら、おそらくこの状況にもすぐに気づいて動き始めているだろう。

 リゼが東側に向かっている途中で、ローレンに鉢合わせる可能性は十分にありえる。

 もしも出会えなかった場合───そんな無駄なことは考えない。

 今は一刻を争う状況なのだ。

 立ち止まってなんかいられない。

 リゼは逸る気持ちに煽られ、アンジュと戍亥に何も告げず、小野町亭を飛び出した。

 夜を走る。

 人の悲鳴が鳴り止まない夜道をひたすらに。

 そんな彼女の心を支配しているのは、国を守りたいという、使命感だけだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ