ヘルエスタ王国物語(64)
それからもリゼたちの旅は続いた。
森のさらに奥地へと踏み込み、名取が王様をやっているという国を目指す。今日の昼頃には到着する予定だ。
本来、リゼは地獄の観光が終わったらヘルエスタ王国に帰る予定のはずだった。しかし、自分でも知らないうちに、とんだ冒険をさせられている。
危険はないと名取に聞かされていた道中では、やけに寒い空間で凍死しかけたり、山を登っている最中、転がってきた岩から全速力で逃げたりと、安全とはかけ離れた道のりだった。
リゼは内心でこそ悪態を吐いていたが、同時に、楽しんでもいた。
そして現在。
「し、死ぬかと思った」
「マジ、それな……」
リゼと名取は息も絶え絶えに、真っ青な顔で地面に這いつくばっていた。そのすぐ後ろには二人を食べようと襲い掛かってきた大きな魔物が一匹。さらにその上には今日のご飯を狩ってご満悦の、戍亥とこの姿があった。
「二人ともお疲れさん。ケガは……してないね」
戍亥は魔物の死体から降りて、囮役を買って出てくれた二人の安否を確認する。
何かを伝えようとするリゼだが、今は言葉が出てこない。
ようやく落ち着いてきたところで、
「もう二度とやらない。二度と!」
断固たる決意を見せる。
戍亥は仰向きになったリゼに近づき、顔を覗き込んだ。
「だからンジュさんに任せとけばええよって言うたのに。リゼがやりたいって聞かないから、全く……」
「だってぇ……」
「だってじゃ、ありません」
愛の籠ったお叱りを受けるリゼ。
戍亥は最初、アンジュが囮になるよう提案していた。アンジュなら万が一の事があっても生き返ってくるだろう、と勝手に思っての判断だ。まあ、一度死んで生き返った前例もあるので、最悪死んでしまっても問題はないだろう。
しかし、好奇心のある若者が二人もいたのは予想外だった。二人仲良く、元気よく、魔物の囮役に手を上げる。
それからは悲鳴を上げながらの逃走劇。
正直。助けるのを渋るくらい面白かった。
「ンジュさん、解体にどれくらいかかりそう?」
「うーん……このサイズだと三十分くらいかな」
「ほな、その辺りで日向ぼっこしとこ。終わったら教えて」
戍亥はリゼと名取を持ち上げる。なるべく血の臭いが届かない場所を選んで、運んできた二人を寝かせた。
崖の上。
数歩進めばそこは断崖絶壁。
しかし、今の二人が休むにはちょうどいい場所だった。
名取が言う。
「風が気持ちいいね」
「そうだねー」
リゼも同意した。目の前に広がる絶景も、風に揺られて騒ぐ森の木々たちも、すべてが心地いい。
「ここからなら名取の国も見えるかな」
「うーん……どうだろう」名取は続ける。「名取の国はいろんな技術で隠されてるから、そう簡単には見つけられないよ。一応、あの辺にあるんけど……見える?」
「どれどれ」
リゼは身体を起こし、名取に指差された方向を見つめる。
「全然……見えない……」
リゼは名取の方に向き直り、
「名取には見えてるの?」
「見える訳ないじゃん」
「ええ……」
今度は崖のギリギリのところまで進んで、目を凝らしてみたが、それでも何も見つけられなかった。
こうなってくると本当に名取の国が実在しているのか疑わしくなってくる。
「本当にあるんだよね?」
「だーかーらー、あるって言ってんでしょ。リゼは疑り深いんだから。友達の言うことくらいもうちょっと信じろっての」
「……友達」
「なに? もしかして名取たちってまだ友達じゃなかった? もしそうだったらすっごく悲しいんですけど」
怯える名取。
リゼは「ううん」と首を振って、躊躇い気味に答える。
「私、とこちゃんとアンジュ意外に友達って呼べる人あんまりいなくて。だからその……名取が友達っていってくれたの、ちょっと嬉しかった」
「リゼ……」
名取が呟く。リゼはその呟きに、僅かばかりの同情の色を感じ取った。先ほどまでの居心地の良かった空気感が一気に重くなる。
こういう時、誰に言われるまでもなく、リゼは自分のことを責めてしまう。自分が余計なことを言わなければ、と反省し、その後はどうすればいいのか考えるのだが、気の利いたことは何も言えない。自分が口を開かなければ、もっと楽しく過ごせたんじゃないかと想像するだけで胸が苦しくなる。
そこに。
名取の笑い声が響いた。
「だあははは、リゼって友達いないんだー! まあ、そんな性格だもんね。友達いなくても仕方ないか!」
「そんなに笑うことかなぁ!? こっちは王城暮らしで、友達を作る機会がなかっただけだし。私がその気になれば友達百人くらいできらぁ!」
名取は「ホントかな」とからかうように笑う。
バカにされたような気もするが、それが名取からの気遣いだと分かっているリゼは、そこで引き下がる。
おかげ様で───。
先ほどまでリゼが感じていた重苦しい空気は、何処へやらと消えていた。
「そういえば名取の国ってどういう所なの?」
「子供たちの国だよ。前に話さなかった?」
そう言われてリゼは「ああ」と声を漏らしながら必死に思い出そうとする。
だが、大人がいない事しかリゼは思い出せなかった。
「ごめん。忘れちゃった……」
「ううん。全然いいよ。だって話した事ないもん」
リゼのにらみつける攻撃。
今度は怒りに身を任せてもいいだろう。
「なーとーりー」
「ごめんごめん。てっきりまだ落ち込んでると思って。あはは、そんな怖い顔しないでよ。ちゃんと教えるから。ね?」
問答無用、とリゼが名取に襲い掛かろうとしたところで───戍亥の方から声が投げられる。
「二人ともうるさい。それ以上騒いだら、崖から突き落としますからね」
「「はーい」」
二人は声を合わせて返事をする。そして先ほどまでの会話に戻った。
「それで、どんな国なの?」
「うーん……どう説明したものか……」
名取は言って、
「まず、名取が作った国は学園都市なんだ。そこでは───」
「ちょっと待って」
学園都市という言葉も初めて聞いたが、それよりまずは、名取が国を作ったところに突っ込んだほうがいいだろう。
「なに? 話はこれからなんだけど」
「いや、その……聞きたいことが多すぎて……ていうか名取って、国を作ったの?」
「そうだよ」
「そうだよって……そんな簡単な話じゃないでしょ……」
名取は腕を組み、説明するための言葉を探す。
「リゼはさ、難しく考えすぎなんだよ」
「よく言われる」
「名取だってね、最初っから国を作るつもりなんてなかったよ? ただ、誰かが居場所を作ってあげなくちゃいけなかった。でも、待ってても誰も作らないから名取が作ることにしたの。名取は土地もお金もたくさん持ってたしね」
「でもそれだけで国を作れる?」
土地やお金といったものは国を作るうえでの最低条件にすぎない。スタートを切ったとしてもそこから何も生れない事だってある。
「知識はあったよ。名取がまだ子供だった頃に色々教えてもらったの」
リゼは、今も子供じゃん、という言葉をぐっと堪える。
「へぇー、誰に教わったの?」
「先生たちだよ」
「名取にも先生がいたんだ」
「もちろん。赤ん坊の頃から名取のことをずっとお世話してくれた先生たち。今は名取を置いて、全員いなくなっちゃったけど」
名取の顔に、影が差す。いなくなった先生たちのことを思って───。
少しの沈黙。
「それで! その後はどうなったの」
リゼが言った。
あはは、と名取は笑う。
「名取は身寄りのない子供たちを集めて新しい国を作った。それが今の学園都市。子供たちがたくさん学んで、すくすくと育っていきますように、って願いを込めて。今ではたくさんの種族の子たちが名取の国で暮らしてる」
「上手くいってる?」
「どうだろう? 上手くいってるような、いってないような。……まあ、どっちつかずって感じかな。でも楽しいよ」
「そうなんだ」
先ほどの愛想笑いと違って、名取の顔にぱぁ、と花が咲いたような笑みが浮かぶ。彼女はきっと子供たちの居場所を作ったことに後悔はしていないのだろう。
リゼが質問する。
「ふと思ったんだけどさ、学園都市って国なの? なんか街っぽい響きだけど」
「……うっ」と名取は言葉に詰まる。
それから呆れた表情になって答えた。
「ホントはね、名取王国っていう名前になるはずだったの。でもさ、気が付いたらさ、学園都市になってたよね……あはは」
「そんなことある?」
「あるんだなぁ……これが……。リゼも気をつけた方がいいよ。もしかしたら、自分の知らないうちに国が乗っ取られてるかもしれないから」
今度はリゼが言葉に詰まる番だった。
名取は冗談で言ったつもりだろうが、リゼにも思い当たるふしがある。思い出されるのは玉座に放置してきてしまった、自分とは似ているようで似ていない二頭身野郎、リゼダヨーの存在。
あの変な生き物を帰ったらどう処分するべきか。
リゼは答えを出せないまま、いつまでも迷っている。
「名取はそういう経験あるの? 国を乗っ取られちゃいましたー、みたいな」
「流石にないよ。でも今の時代いつ国が滅んじゃうかも分からないからね……正直、そうなったらと思うと、めちゃくちゃ怖い」
「確かに」とリゼは同意する。「……───」
「なになに? リゼも悩み事があるなら名取先生に相談してみるかい? 今なら出張大サービス中だよ」
「……───」
リゼは一分か二分ほど黙り込んでいた。相談するべきか悩む。
しばらくして、リゼは頭を振って答えた。
「ううん、やっぱり自分でなんとかしてみる。甘えてばっかりじゃダメだと思うから」
「ィゼちゃん……」
と、これまで二人の会話を盗み聞きしていた戍亥から、感嘆の声が漏れる。
「アタシはいつまでも、ィゼちゃんのこと応援してるからね!」
「ありがとう、とこちゃん……」
言葉にしてみて改めて思う。自分にはそれを実行できるほどの自信がない。金も土地も権力も持っているからこそ、どうしたらいいのか分からなくなる。
血筋を辿って王様になるのは簡単だろう。しかし、そこから個人として一歩踏み出せるかどうかは別の話だ。その一歩を踏み出した名取を尊敬する。そして、今の自分にはその一歩を踏み出せそうにない。
「リゼは国を作りたいの?」
名取からの質問にドキッとする。
「多分、違う。国は……お母様が残してくれたから」
「そういえば血統書付きのお姫様みたいなこと言ってたね」
「でも、そこからどうすればいいんだろう」
「難しい質問するなー」
名取は腕を組んで考え込む。リゼも同じように首を傾けた。
「答えになってないかもしれないけど……」名取が言う。「とりあえず、リゼに出来ることからやってみるしかないよ。ありふれた事しか言えないけど、いつか王様になるって決まってるんなら自分に出来る事を知っておいて損はないと思う」
「自分に出来ることかー」
「なにかあるでしょ」
「例えば?」
「例えば!? ……そうだなぁ。人の相談に乗ったり、街のゴミを片付けたり、とか?」
「確かにそれなら私にも出来そうな気はする……」
だが、問題もある。
「ねえ、名取。私って話しかけやすいかな」
「その質問は何? さっきの友達少ない話と繋がってくる感じ?」
「いやいや、そんな事は全然なくて。ただ、私ってお姫様じゃん? だから街の人たちも私を見て緊張しちゃうんじゃないかって……皆に気を使わせるのもイヤなんだよね」
「しょうがないじゃん、お姫様なんだから。嫌われて当然だよ」
「嫌われて当然!?」
思いがけない言葉にショックを受けるリゼ。
名取は続ける。
「そうだよー。ちょっと突っついたくらいですぐ落ち込むし、人を喜ばせるために常に顔色を窺ってる。そんな人が王様じゃ、その国に住んでる人たちも安心できないでしょ? だからもっとリゼは人を導いていく方法を勉強しないと……って、もしもーし。名取の声聞こえてますかー?」
「嫌われてる。……嫌われて。とこちゃーん、私って嫌われてるのかなぁ!?」
「え? 嫌われてるんやない? 知らんけど」
嘘だああああああああああ! と泣きはじめるリゼ。
そこに魔物の解体を終えたアンジュが、ちょうどいいタイミングでやって来た。
「誰や! うちのリゼちゃんを泣かしたヤツは!」
「ん」
と、戍亥が名取のほうを指差す。
「こら、名取! 弱い者いじめしちゃダメでしょ!」
「ええぇ……今の会話から怒られることある……」
そうして四人は再び、名取の案内のもと、学園都市を目指して進む。水の中を通り抜けるような感覚があり、それは結界を抜けた合図だった。
今、リゼの目の前には名取の国がある。
嘘でもなんでもなく、学園都市は存在した。
しかし、燃えている。
名取の国は、真っ赤に燃えているのだ。




