ヘルエスタ王国物語(61)
別に。
クレアに教えてもらうまでもなく、美兎は『自分』が何処にいるかなんて、最初から分かっていた。
遠回りをしたと思う。
けれど、美兎にとっては必要な回り道だった。
娯楽街に入る。
指定された扉は目と鼻の先だ。あとはアルス・アルマルの学生証を使って、学校に入り、自分と同じ『月ノ■■』をぶっ飛ばすだけでいい。
だが、
「そう簡単には、いかないよね……」
目の前に五つの影が落ちる。
その影たちは、美兎がよく知っている人物だった。
小柳ロウ。魁星。四季凪アキラ。風来奏斗。
彼らは言葉を発することはせず、もうひとりの、奥から歩いてくる影に道を譲る。
「会うのは、これで二度目だね」
緑仙が言った。
「おめでとう。キミはたったひとりで、ヘルエスタ王国を倒した。胸を張っていいよ」
「……勝ったのに、どうして、わたくしを狙うんです?」
美兎は近づいてくる緑仙を警戒し、一歩下がる。
「……───」
「身構えなくてもいい。僕たちはキミを殺しにきたわけじゃない」
「なら、ここを通してくれませんか……」
「そうしたいのは山々なんだけど……こっちにも事情があってね。依頼人が到着するまでの間、少し話をしようか」
依頼人? と美兎は訝しむ。
「話っていうのは?」
「クレアと、それからジョーについてだね」
「ジョーさんですか……」
「うん。他のメンバーから話を聞いたよ。キミは初めからジョーと二人っきりになりたがってたそうだね? それは彼を利用しようと思っての発言だったの?」
「いいえ」
美兎は迷わなかった。
相手からすれば力一を『魅了』することで、あの場を切り抜けたと考えているのかもしれない。が、美兎にはそんなやましい気持ちがあった訳ではなく、最後の会話の相手として彼を選んだだけなのだ。
「わたくしはただ、ジョーさんと話をしたかっただけです。他に理由はありません」
脇腹の傷口に手を置き、今にも倒れそうな美兎に、緑仙は優しく微笑む。
「次にクレアの話になるけど……クレアに関してはどっちかって言うと、話よりも、お願いになるかな」緑仙は頬を掻く「どうかクレアを嫌いにならないでほしい。彼女もヘルエスタ王国を守っていくのに必死だったんだ」
許しを乞うような物言いに、美兎は自分がシスターになってしまったのでは? と勘違いしそうになる。
まあ、そんな事はないのだけれど……。
「わたくしは別に……嫌いになったりしませんよ。クレアさんにしか出来ないことはあると思うし、これからも頑張ってほしいです」
「……ありがとう」
そう呟いて、弱々しく笑う緑仙はとても綺麗だった。
美兎は目を逸らし、もうひとつの声に耳を傾ける。その声は路地から聞こえてきた。
「よォ……」
と、声を濁しながら話しかけてくる男に、美兎は動揺を隠しきれなかった。
なにせ目の前にいる見覚えのある顔は、サロメの屋敷で働いていた、榊ネスという名前の執事だったからだ。
「どうしてここに……」
そこで、美兎は疑問に思っていたことの、答えを知った。
「まさか……依頼人って……」
「彼だよ」
緑仙の答えに、美兎は震える。
榊から向けられるのは混ざりっ気のない、純粋な怒りの感情だった。苦痛に歪んだ顔には、美兎への殺意が込められている。
「私が、お前を殺してくれって依頼を出したんだ。サロメ様の仇を取るために」
「仇? サロメさんに何かあったんですか?」
軽く笑ってから、榊の表情はさらに厳しく、険しくなる。
「何かあった、だと? お前まさか……サロメ様が死んだことも知らずに、のこのこ戻ってきやがったのか?」
荒々しくなる榊の口調。
しかし、そんな事よりも美兎を驚かせたのは、
「サロメさんが死んだ……?」
口に出してみても現実感がない。
自分と同じくらいの歳の子が、そんな急に死ぬなんて───ついこの間まで、一緒に笑い合っていたのに。
「……わたくしのせい」
「そうだよ。全部、お前のせいだ!」榊は言った。「お前が屋敷から出て行ったあと、緑仙さんたちがやってきた。そしてお前を庇ったことを問い詰められて、サロメ様は責任を取って毒を飲んだ……」
美兎は顔を下に向けて、誰にも見えないよう、歯をくいしばる。
榊の声が続く。
「サロメ様はお前みたいな犯罪者のために死んでいいような人じゃなかった」
そうだ。その通りだ。
壱百満天原サロメという少女は死ぬべきじゃなかった。この先もずっと生きて、ずっと誰かに笑いかけて、ずっとみんなを幸せにしていく。
それが彼女の思い描く、人生だった。
───わたくしには、絶対にできない事だ。
「だから、死ねよ。死んでくれ!」
浴びせられる罵倒は、一種の懇願ようでもあった。美兎は受け止める。それで何かが変わる訳じゃないが、榊ネスの復讐は正しいと思ってしまったから。
「これを───」
「……───」
音もなく近づいて来た緑仙から手渡されたモノは銀の小瓶だった。
「中には……サロメさんが飲んだものと同じ毒液が入ってる。責任を取るかどうかは、キミが選んでいいよ」
それだけ言い残すと、緑仙は元いた位置に戻った。
榊は期待を込めた眼差しで見つめてくる。
「これを飲んで……死ぬまで。どれくらい時間が残りますか?」
最後の質問だった。
「五分……いや、今のキミなら三分くらいかな」
「そうですか」
緑仙から答えをもらって、美兎は銀の小瓶をメイド服のまだ破れていないポケットにしまった。
「飲めよ」
榊の恨みが籠った言葉が、美兎に突き刺さる。
それでも、
「許してもらおうとは……思わない」
「……私も、お前を許すつもりなんて最初からありませんよ。ある訳がない」
美兎は頷く。
「でもわたくしは、サロメさんが信じてくれたわたくしを、信じようと思う」
「何を言ってる?」
「わたくしはこの毒を飲まない。だから───」
ごめんなさい、と最後に付け加えた。それからしばらくは、誰も喋らなかった。沈黙に耐えきれず、美兎は言い訳をしそうになるが、思い留まる。
ここで言い訳をしてしまえば、シスター・クレアの二の舞になってしまう。だからこそ美兎は何も言わず、森にいた自分と同じように苦しむ榊を応援する。内側で膨らむ復讐心がほんの少しでも無くなりますように───。
「ふざ……けるな……ふざけるなァ!!! そんな都合のいい話があってたまるか……貴様が。……貴様がサロメ様を頼らなければ彼女が死ぬことはなかった。貴様はサロメ様から多くのものを与えられた。なのに、なのにだ! 貴様はサロメ様を裏切り、恩を仇で返した。この代償はその命を持って償うべきだろ!!! 違うか!?」
「その通りだと思う」
美兎は言って、
「でも、今じゃない。わたくしにあともう少しだけ時間をください。お願いします」
頭を下げる。
嗚咽を漏らしながら、榊はそんな彼女を睨み返した。
「またそうやって……逃げるつもりか?」
「わたくしは逃げない。貴方に許してもらえるまで……」
だから、と美兎は続ける。
「ここを通してほしい」
「……───」
「それに、このまま行かせてくれたら、榊さんの願いは叶うかもしれない」
「どういう意味だ?」
「わたくしはこれから死ぬために学校に行く。……わたくしも最後まで戦うよ。わたくしにそうしてくれた人たちと同じように」
榊の腕が力なく落ちる。美兎の出した答えに、ほんの僅かでも、かつての主人の面影を重ねてしまったから。
「緑仙さん、依頼は取り消しだ」
榊の呟きに、緑仙が事務的な声で合わせる。
「本当にいいんですか?」
「ああ……もう、いい」
「では───」
緑仙たちが塞いでいた道が開く。
「───あの」
「言い訳なんか聞きたくありません。私の気が変わらない内に、さっさと私の前から消えてください」
美兎は口から出そうになった言葉を飲み込んで、一直線に扉を目指す。そしてアルス・アルマルの学生証を使い、■■美兎は光の中に消えた。
△△△
ラスボスがやって来る。
わたくしを殺すためにその命を燃やしながら。
閉じ込めて。
絶望して。
誘惑して。
殺して。
否定して。
どれだけ追い詰めても『月ノ美兎』はゾンビのように生き返って、わたくしの所にやって来る。だけど、そのことに違和感はない。きっと自分の事だから毎日呼吸するみたいに当たり前のように思っているのだろう。
わたくしは───わたくしたちは───月ノ美兎がどういう人間なのかを知っている。
結局。
わたくしは、わたくしと戦うしかない。
最初からそういう運命だったのだと、わたくしは赤い月を眺めた。
△△△
自分のクラスを目指して走っていると、■■美兎は運命の二人に出会った。
「お前……また……」
樋口楓から睨まれる。いつもの冗談とは違って、彼女が美兎に向けているのは親友を守ろうとする優しさだ。殴り掛かれるよう、構えている。
もちろん。
殴られるなら、美兎は受け入れるつもりだった。
「待って、楓さん」
二人の間に、静凛が割って入る。
「なんで止めんの?」
「話したいことがあるの。少し待ってて」
「……分かった」
樋口が下がるのを待って、凛は言う。
「わたしからの疑問はひとつだけ。この小瓶、覚えてる?」
凛が制服のポケットから取り出したのは、ガラスの小瓶。
美兎は素直に、
「それは……凛から貰った薬だけど……」
「うん。この薬は確かに美兎さんにあげた。わたしも覚えてる」
凛は頷いて、
「じゃあ、次に。小瓶に入ってる薬を説明するとき、わたしはどう説明した?」
「えーっと、確か……元気になれる薬だったかな。……最初は風邪薬って言われたけど。……実は嘘だって」
「わたしもそう言ったね」
質問を終えた凛は、樋口の方に顔を向け、こう言った。
「ねえ、楓さん。今のわたしたちの傍にいる美兎さんは、本当にわたしたちの知ってる美兎さんで合ってる?」
はあ? と樋口は眉間にしわを寄せる。
「そんなもん、当たり前やん。学園祭の時もずっと一緒におったやろ」
「わたしもそう思う。けど、学園祭を一緒に回った美兎さんは、この小瓶のことを『知らない、覚えてない』って言ってた」
「つまり凛が言いたのは───」
樋口に見つめられ、美兎は内心ドキリとする。普段は彼女に睨まれるということはなかったので、こういう時の迫力を体感すると、後輩たちが逃げていくのも納得だ。
───楓らしいと言えば、楓らしいけど。
「今、ウチらの目の前にいるのが本物の美兎ちゃんで、学園祭を一緒に回ってた美兎ちゃんが偽物。そういう事やんな?」
「分かんない」
「しずりん……勿体ぶってないで教えて……」
凛は顎に手を置いて、考えるそぶりを見せる。時折、凛は呆然と佇んでいる美兎のほうに視線を送った。
また考える。
そして、
「わたしが調べた限りだと、本物と偽物を入れ替えるなんて魔法はこの世界に存在してない。もしあるとすれば、それは『奇跡』に近い魔法だと思うけど」
「ほな、奇跡が起きたって考えるのが普通か。普通か……?」
「多分……それも違うんじゃないかなぁ……」
凛は自信無そうに言って、樋口にアイデアを求める。
「しずりん……求めてこないで。楓ちゃんはそういう理論系? 苦手だから」
「知ってる。でも、ほら……直感的な。あるでしょ?」
「いきなり、そんなこと言われましても……」
それからも続く二人のやり取りを、美兎は黙って聞いていた。
目に浮かぶ涙がバレないよう、唇を噛み、鼻声が漏れないよう、気をつける。必死だった。これまでの長い付き合いで何度か弱音を見せてきたけれど、本気で泣いているところを見られた事はない。
ふと、顔を上げて二人の声を聞いていると、一週間前に戻ったような気持ちになる。
こんな状況じゃなかったら、二人のことを抱き締めて、思いっきり甘えていただろう。だけど今は、その気持ちを胸にしまう。
自分にはまだ、戦う相手が残っている。
「決まりだね」
「まあ、うん……」
凛の意見に、やや不満を持ちながらも納得する樋口。
いつも通りの光景だ。
声が投げられる。
美兎は二人が敵になる事を覚悟して、凛の言葉を待った。
「いってきなよ」
「え?」
口から拍子抜けした声が漏れる。
凛は続けた。
「美兎さんなら、校庭でわたしたちを待ってると思う。だから───」
「ありがとう」
美兎は、最後まで凛の話を聞かず、その場から逃げ出した。
「本当に行かせてよかったん? アイツ、美兎ちゃんのこと殺す、言うてたけど」
「うん。だって、わたしたちのやる事は変わらないから」
凛は、消えていく誰かも分からない背中に向かって、
「美兎さんが帰ってきたら、一緒におかえりって言おうね」




