ヘルエスタ王国物語(57)
「いい? ボクはキミの味方になったわけじゃないよ。あんな理由じゃ納得できないから協力してるだけだらね」
「ありがとう、レヴィさん」
美兎が飛ばされた位置は東門より先にある森の中だった。ヘルエスタ王国の外を探していたレヴィに見つけられた。レヴィの説明だと美兎のいなくなった東側周辺は警備している人間が多いらしい。
現在は北門からヘルエスタ王国への侵入を試みている。
「もうすぐだよ」
レヴィの声が低くなる。言われて美兎も森の入り口から北門を眺めた。
「誰もいないみたいだ。急ごう」
美兎は静かに頷き、走るレヴィの背中を追う。
真っ直ぐ城門を目指さず、やや迂回するようにして北門に辿り着く。正確には北門と西門のちょうど中間ぐらいだ。
「どうやって中に入るの?」
「しっかり掴まってて。あと、舌を噛まないように」
「え?」
美兎が間の抜けた声を発すると同時に、魔王はメイドを抱えて跳躍する。一瞬にして城壁まで昇るとヘルエスタ王国に住む人々の明かりが絶景を作っていた。
だが、美兎にはそれを楽しむ余裕なんてなく、
「まだ心臓がドキドキいってる」
「すぐ降りるから。舌、噛まないでね」
そう告げられ、息つく暇もなく下に落ちる。
音はなく、ほんの僅かな砂ぼこりが舞う程度の静かな着地。
レヴィは抱えたままだった美兎を地面に下ろす。
「し、死ぬかと思った」
「優しくしたつもりなんだけど……大丈夫?」
敵だと思っていた魔王様に心配される。
美兎は呼吸を整えて、
「大丈夫です。先を急ぎましょう」
貧民街に近いせいか人通りはさほど多くはない。家の明かりも他の地域と比べて少ないように見えた。二人は家の間を縫って進む。目的地はおそらくシスター・クレアがいるであろう北の教会。彼女がそこにいる確証はないが、それでも美兎は一度会って話をしなければならないと思った。
足はなんとなくで向かっている。
そうやって人気のない道を進んでいくと、やがて、行き止まりに捕まった。
暗闇の中から剣が───美兎の首を落とすために振るわれる。それはもう目の前にあった───レヴィの爪が甲高い音を立てて、剣を弾き返す。
「ちっ……」
舌打ち混じりに奇襲を仕掛けてきた相手、ローレン・イロアスは言う。
「レヴィ、悪いことは言わねぇ。その女から手を引け」
「……どうしてここが分かったの?」
レヴィが尋ねると、ローレンは面倒くさそうに頭を掻いた。
「警備隊には優秀な犬っころがいるもんでな。まあ、ヘルエス王国の外をレヴィが調べるって言った時点で俺が跡をつけるよう命令したんだが……」
正義に沈んだ瞳が二人を睨む。美兎はローレンを中心にして空気が一気に重くなっていくのを感じた。
「裏切ると思ったの?」
無言。
「確証はなかった」ローレンが言う。「だけど、クレアさんの話を聞いていたメンバーの中でお前だけが懐疑的な表情を浮かべてた。栞葉を付けたのは念のためだ」
「よく、見てるんだね」
「……仲間だからな」
言った後で、ローレンはさらりと続ける。
「出来る事なら後ろの娘を見つけ次第、始末しろ、とあの犬には命令してた。まあ、流石にレヴィの目を盗んで殺すのは無理があると判断したみたいだけどな」
笑みのひとつも浮かべず淡々と話すローレンは、じっとりと二人を視界に捕らえたまま瞬きすらしない。
美兎はどうにか逃げ道を探そうとするが、今の話をそのまま鵜呑みにするなら、自分たちがなんとなくで立てた作戦はヘルエスタ王国全土に伝わっているだろう。迂闊に動くのは逆に危険だ。
「レヴィ、ここ一週間でナニが起こったのか。知ってるだろ?」
「それは……」
一週間という言葉を美兎は訝しむ。おそらく、自分が囚われていた一週間のことを言っているのだろうが、その時に何があったのか、美兎は知らない。
レヴィは、美兎に自分の後ろに入るよう手で合図を送った。
「コーヴァス帝国との戦争から問題は山積みだ。被害のあった地域ではそれこそ犯罪が後を絶たない」
「知ってる。クレアさんはどこで犯罪が起きるのか事前にローレンに教えたんでしょ」
そうだ、とローレンは低く呟いた。
「クレアさんの言う通りに行動して、殺人に繋がらなかった事件はざっと見積もっても五百はくだらない。それがどれだけ異常なことか、子供のお前にも分かるだろ?」
美兎は驚愕に息を呑む。自分が監禁されていた一週間でそれだけの犯罪が起こっているとは思いもしなかった。
「問題の原因であるその女に『魅了』される前でこれだ。生かしておいたらこの先どうなるか分かったもんじゃない。だから、今ここで───」
「わたくしはそんな事しない!」
美兎が反論するも、ローレンは無視して続ける。
「……もう一度だけ言うぞ、レヴィ。その女を渡せ。俺が殺してやる」
「断るよ」
レヴィが言った。
「まだボクが、納得してないから」
「まあ、そうだろうな。……おい、お前からも何か言ってやれ」
ローレンの呼びかけは影の中にいる、もう一人の騎士に向かって投げられた。
鎧の揺れる音が聞こえ、二人の前にヘルエスタ王国の英雄───エクス・アルビオが俯き加減で質問する。
「レヴィ、どうして協力してるんだ?」
「それは……」レヴィは言った。「それはボクがそうしたいと思ったから。……クレアさんの予言は確かにスゴイけど、ボクは彼女を信じることの方が怖いと感じたんだ」
「言ってることはわかる。でも、そっちの女の子を信じるってのもどうかと思うぞ?」
「分かってる。だから、彼女とクレアさんを会わせて話をしてもらう。そのための一時的な協力関係だよ」
「それが終わって、結論が出たら?」
「ボクが彼女を殺すよ」
迷いなく答えるレヴィに、エクスは大きくため息を吐いた。
「魅了されたってわけじゃなさそうだな……」
それから空を仰ぐようにしてエクスは物思いに耽る。問題の解決と、頑固な友達の我儘。そのどちらを選ぶのか決めかねて、
「悪いローレン。やっぱオレは、レヴィの側につくよ」
言って、エクスは剣を抜き、剣先をローレンに向けた。
「本当にそれでいいのか? ヘルエスタ王国を敵に回すってことだぞ」
「うっ……それはあんまり良くないかも……」
言い淀むエクスに、ローレンは肩を落として続ける。
「お前は仮にも騎士団の団長っていう重要な立場を任されてる。ここで国に牙を剥けば、騎士団から除名されても文句はいえない」
脅しともいえるような物言いに、エクスは笑った。
「そうなった時はそうなった時だよ。オレはレヴィを信じたい」
「やっと手に入れた立場を失うんだぞ?」
「ああ」
エクスは今度こそ迷いなく頷いた。
「別に騎士団じゃないとヘルエスタ王国を守れないってルールもないしな。やめることになっても別の道でこの国を守っていくさ」
それに、とエクスは言う。
「オレの勘だけど……なんかレヴィのやってる事のほうが間違ってないような気がするんだ。正しいかどうかは置いておいて、間違ってないと思う。多分、勘だけど……」
エクスの言葉を受けて、これまでずっと仏頂面をキープしていたローレンの顔が初めて崩れた。
彼と交友関係のない美兎でも分かるくらい、表情はぐっちゃぐちゃになっている。
その、つい同情したくなるような面白い顔は、あまりにも根拠のないエクスの言葉をなんとか消化しようとした結果なのだろう。正直、問題の解決にはなっていないし、納得しろと言われても出来るようなものじゃない。
ただ純粋にレヴィを信じたい、という気持ちでごり押してきているのだ。
そりゃ面白い顔にもなる。なってしまう。
肝心の発言者はというと、変なことでも言ったか? みたいな顔で不思議そうに突っ立っている始末。
ローレンは左手で顔をひと拭きすると、少し前の、緊張感のある顔つきに戻った。
「全く……自分勝手なバカ共だな。前の団長に似てきたんじゃないか?」
皮肉たっぷりに、ローレンは言う。
エクスは声を荒げて、
「フレン団長と一緒にするな! オレは多少なりとも考えてる! なぁ、レヴィ?」
レヴィに同意を求めるも、魔王様は震える声で「まさか」と続けた。
「ボクって……エクスと同じくらいバカだと思われてたの……嘘だよね?」
「レヴィ、その質問はオレの心も傷つけてるよ?」
先ほどとは打って変わって、気まずい沈黙が空気を重くする。
ローレンは終始無言だった。顔を逸らしてどうにかレヴィの質問から逃れようとしている。気が逸れている今だったら、と美兎は右足を一歩だけ前に進めた。
そして、美兎以外の三人が一斉に動き出す。
ローレンは美兎の首を狩りに、エクスはそんな事はさせまいと間に入る。レヴィは美兎の首根っこを掴んで、エクスと入れ替わるように跳躍した。
この一連の流れは美兎が瞬きをするよりも早い。
最初は理解できなかった。
自分たちが先ほどまで立っていた場所にローレンがいて、美兎は警備隊長と騎士団長が会話をしていた場所でレヴィに掴まれている。
これ以上の説明のしようがない。
ありのまま、目を開けた瞬間そうなっていた。
「やっぱ無理か……」
「オレとレヴィを相手に人質を殺せると思ってもらっちゃ困るね」
「……あの女は人質なのか?」
「人質みたいなもんだろ」
「そうだな、人質みたいなもんだ」
考えることを放棄したローレンは続ける。
「てことは、だ。俺の相手はお前ってことでいいな?」
「久しぶりだなぁ、ローレンと試合するの」
ローレンは「気楽な奴め」と言葉を失う。
それからレヴィの方に視線を向けた。
「もしもクレアさんに会いたいなら王城にいるぞ」
「ありがとう」
レヴィはお礼を言って、振り返らず、美兎と一緒に闇の中に消える。
「随分簡単に教えてくれたじゃないか。もしかして、オレたちに協力するつもりになったとか?」
エクスは向き直り、言った。
別に、とローレンは呟く。
「俺だけがあの女を殺そうとしてるわけじゃない」ただ、と。「俺が殺した方が、まだ楽に死ねただろうなとは思ってる」
「……それ、マジで言ってる?」
エクスは二人の消えた道を振り返る。
直感があった。
最悪の光景を思い浮かべる。
「まさか、二人が向かった先にいるのって───」
「妄想はそこまでだ。こっちはこっちで始めようぜ」
言い終えると、ローレンは容赦なく右手に持った剣を振り下ろした。
火花が散る。
二つの剣は衝突し、楽器を打ち合わせたような高音が、暗い民家に響き渡った。




