ヘルエスタ王国物語(51)
さて、ここまでのあらすじを説明しておこう。
ヘルエスタ魔法魔術学校に通う月ノ美兎は、戦争で延期となった学園祭の準備に精を出していた。しかし、突如として現れた担任のニュイ・ソシエール先生に腕を掴まれ、美兎は王城へと連行された。
そのまま、あれよあれよと時は流れ、気づけば「次の王様は美兎さんです」なんてシスター・クレアに言われる始末。
あとは、戴冠式を待つだけの状態で家に帰されたのだが、その帰り道で、
「お、面白すぎる……」
そう言って豪快に笑うのは美兎の大親友のひとりである、樋口楓だった。
美兎はがっくりと肩を落とし、石畳を数える。
「これ、笑い事じゃないからね。……ホントに」
自然と、ため息が出た。
いっそのこと、ため息といっしょに魂が抜けてくれればいいのにな、なんて馬鹿みたいなことを考えてしまう。そうすればこの後の展開に頭を悩ませなくてもいいのに。が、現実はそう都合よく回ってはくれない。
リゼ・ヘルエスタと従姉妹同士であるが故に、とんでもない呪いを抱えることになってしまった。
「はぁ……」
「そんな気を落とさんでもええやん。王様の仕事は向こうがやってくれるって言ってたんやろ? それやったら美兎ちゃんは、ドーン、とふんぞり返って椅子に座っておればええねん」
「全く……他人事だからって……わたくしは胃が痛いよ」
気遣ってもらえるのは嬉しいが、樋口の顔に同情の色は見られない。口角がやや引くつき、白いリボンで結ばれた銀髪が笑いを堪えて左右に揺れる。……なんていうか、いつも通りの彼女だった。
「胃薬あるよ。飲む?」
美兎の隣を歩くもうひとりの大親友、静凛がバックから胃薬を取り出す。
「いらない。しずりん、ありがとう」
「そうなんだ……」
凛は残念そうに手に持っていた胃薬をバッグにしまった。
「ていうか、どうして胃薬なんて持ってたの? しずりんの方こそ、具合悪い?」
何気なく美兎が質問すると、
「実はこれ、胃薬じゃないんだよね」
ありえない答えが返ってきた。
「わたくしに何を飲ませようとしてたわけ!?」
「学校の実習で作ったよく分かんない薬。多分、元気が出ると思う」
「めちゃくちゃ危ない薬じゃん」
「危なくないよ。かなりテンション上がって、ちょっと気持ちよくなるだけ」
友人に勧める前に、自分の体で実証済みなのは褒めるべきところだろうか?
でも、それってやっぱり危ない薬ですよね? と美兎は疑問に思ったが、口には出さなかった。その薬はある意味で、これからの学校と王城の二重生活を乗り切るために重要そうなアイテムにも見えたからだ。
「危険性はないんだよね?」
最終確認という意味で、美兎は質問する。
「もちろん」
「じゃ、じゃあ、念のため貰っておこうかな……」
「はい」
美兎は胃薬あらため、よく分かんないけど元気が出る薬を凛から受け取る。
樋口とは違い、感情をあまりを表に出さない凛の気持ちを読み取るのは難しい。ただ、危ないものはちゃんと事前に教えてくれるので、この薬も信頼して良さそうだが───手渡された小瓶には白い錠剤が入っていた。
美兎は無言でその塊たちを見つめる。
薬なんてものは一見無害そうに見えても、実はとんでもない副作用を隠し持っていたいりする。いざって時がこない限り、飲むのは控えよう。
「ほんで、戴冠式の日程はいつになったん?」
「……明日」
「ああ、明日。明日!?」
驚いているのは樋口だけじゃない。
いつもは平然としている凛ですら目を丸くしている。
「いくらなんでも急すぎるやろ。どうしてそんないな事になってんの?」
「本当はもっと後になる予定だったんだけど……それだと学園祭と被っちゃうんだよね」
それを聞いた樋口は手を叩いて「納得」の声を上げる。
美兎もヘルエスタ王国のお偉いさんが集まる王の間にて、ひとつ条件を出した。
リゼが帰ってくるまで王様になる代わりに、学園祭にだけは参加させてほしい、と。
「そうやって話し合いを進めていって、折衷案として明日の戴冠式が決まったちゅうわけか。……美兎ちゃん、もう少し考えようや」
「わたくしだって一週間後の学園祭で遊びたいんだから仕方ないでしょ!」
美兎にとっては比べるまでもなく、戴冠式よりも学園祭の方が大切なイベントだ。
よって、戴冠式は早めに行い、気兼ねなく学園祭を満喫する。誰に何を言われようともこれだけは譲るつもりはない。
「それじゃあさ」凛が言った。「三人で一緒に回ろうよ、学園祭」
「しずりん!」
感動で泣きそうになる月ノ美兎。
樋口も「いいね!」と同意する。
「どこから行く!?」
「気が早いって。そういうのは明日の戴冠式が終わったあとで話せばええやん。なあ?」
「美兎さんはまず、王様を頑張らないと」
樋口の問いに、凛は頷いて同意する。
二人の言っている事は正しい。
まだ時間に余裕のある学園祭よりも、意識するべきは明日の戴冠式。
「約束破ったら許されないよ?」
「それはどういう口調なの?」
「まあ、美兎さんって感じだね」
三人はそれぞれの帰路につく。
そして。
翌日。
戴冠式に遅れずやってきた■■美兎が見た光景は、異常なものだった。
確かに戴冠式は行われている。
しかし、そこに自分はいない。
観客に混ざって戴冠式を眺めている。
そしてシスター・クレアが月ノ美兎と呼ぶ存在は出来損ないのジャガイモのようにデコボコした自分───もうひとりの月ノ美兎だった。
■■美兎は呆然と、歯車が狂いだす瞬間を見つめた。
△△△
リゼたちがヘルエスタ王国を飛び出してから二週間が経った頃。
アンジュとリゼは戍亥とこに抱えられるようにして地獄の穴に飛び込み、戍亥の家にてご飯を御馳走してもらっていた。
戍亥は母親との再会を喜び、現在進行形で、好物であるヒョドラの唐揚げを堪能している。
「リゼちゃんはレイナとは違って耳が尖がってないんだね。エルフの血が薄いのかな?」
「……ご、ごめんなさい」
戍亥よるにそう言われ、リゼは反射的に謝ってしまう。
勝手な勘違いかもしれないけど、なんとなく責められているような気がした。
「私……その……」
「比べてるの?」
また、大きく心臓が跳ねる。
リゼの動揺を見透かしたように、
「リゼちゃんはレイナと違って弱くて正直者だね。かわいい、かわいい」
母ベロスは頷き、笑みを浮かべる。
人間でいうところの十歳、十二歳ほどの見た目だろうか。赤と黒を基調としたドレスに着物を混ぜ合わせたような服を重ねている小柄な少女。そんな可愛らしい見た目に反して、隠し持っている牙は戍亥とは違う、別次元の恐ろしさがあった。
オッドアイの瞳に囚われて、リゼの全身が凍りつく。
息をするのも忘れていた。
「ィゼちゃん、食べないなら……」
「え? あっ」
戍亥に肩を叩かれ、リゼは呼吸を取り戻す。
自分のご飯を食べ終わってしまった戍亥が、リゼの皿を物欲しそうに見つめていた。リゼが戍亥に料理の乗った皿を渡すと、彼女はまた幸せそうに食べ始めた。
「ごめんね。怖がらせるつもりはなかったの。ただ、懐かしくて」
「いえ、私こそ───」
リゼは何かを言おうとしたが、声にはならなかった。
かわりに喉の奥が、ゲコリ、と鳴く。
「アナタのお母さん……レイナのことについて聞きたいの?」
母ベロスからの助け舟に、リゼは乗り込み、頷いた。
「……はい。よるさんはどうしてお母様のことを知ってらっしゃるんですか?」
「そりゃあ、レイナ・ヘルエスタを育てたのはアタシだもん」
「えぇ!?」
戍亥は驚いて食べるのを放棄した。
アンジュは食べ物をのどに詰まらせ、水で流し込んでいる。
しかし、この場で一番驚いているのはリゼ本人に他ならない。まさか自分の母親が地獄で育てられたとは思いもよらなかった。
「初耳なんやけど」と戍亥。
「あれ? 言ってなかった?」
戍亥は「全然」と首を横に振る。
「そっか。やみととこが生まれる前の話だもんね。知らないのも無理はないか……」
「教えてよ」
よるの視線がリゼに向けられる。
先ほどとは違い、気遣うような優しさがあった。
「お願いします」
リゼが答えると、よるは一呼吸おいて、語り始めた。
「さっき、レイナはアタシが育てたって言ったけど、別にアタシが生んだわけじゃない。アタシの子供は今も昔も二人だけ」よるは娘のとこを見つめる。「レイナはアタシの親友の、リアの子供なの。リゼちゃんはウィスティリア・ヘルエスタって名前を聞いたことはある?」
「ありません。どういう人なんですか?」
「一応、アナタの祖母なんだけど……」
「私のお婆様!?」
驚きの連続である。
母親の話を聞けるとワクワクしていたら、今度はお婆ちゃんが物語に登場した。
「六百年ぐらい前だったかな……リアは、ネルに───あ、ネルっていうのはリヴァネル・スカーレットのことね」
「……なん……だと……」アンジュが言った。
「アンジュは、リヴァネルって人のこと知ってるの?」
「いや、まあ……リゼも会ったことあるよ」
「え?」
と、首を傾げるリゼに対して、アンジュは明後日の方向を向き、出来るだけリゼに顔を見られないようにする。戍亥も同様だった。
母ベロスは沈黙する二人を前に、
「あれれ、もしかして。とこちゃんとアンジュちゃんは、ネルにボコボコにされた感じなのかな? かな?」
「……───」
「……───」
流石、地獄の番犬ともいうべきか、よるは容赦なく二人の傷口を抉る。
おかげで、二人は思い出さなくてもいい痛みを思い出す羽目になった。
話を戻そう。
「リアはネルに自分の子供を預けて、役割を終えるために一度エルフの里に帰ったの。それで最初はレイナを預かってたネルが育てる予定だったんだけど……。でも、ネルも途中から忙しくなっちゃって。最終的には地獄でのんびりしてたアタシのところにレイナが来たってわけ」
「な、なるほど……」
「それでね、ここからが大変だったの! リゼちゃん、聞いてくれる!?」
リゼは小さな声で「はい」と答えた。
「育てるまでは良かったんだけど。……問題はレイナが地獄を出て行く条件」
「その条件っていうのは……」
「アタシを殺すこと」
「ちょ、ちょっと待ってください! でも、よるさんは目の前に───」
リゼは戍亥に助けを求めた。
「ああ、ケルベロスは首と心臓が三つずつあるから一度くらい死んでも大丈夫よ」
「そうなんだ……」
バンバン、とテーブルを叩く音が聞こえ、リゼは慌てて視線を戻す。
「そしたらさぁ! レイナってば、たった百年でアタシよりも強くなっちゃったの! もう天才過ぎて笑えてくるんですけど!」
子供のように顔を突っ伏して「うわあぁぁああん───!!!」と泣く母ベロス。
リゼはそこまでの話を聞いて、博物館で得た知識と、情報をつなぎ合わせていく。
レイナ・ヘルエスタは六百年前に生まれた。それからは地獄で戍亥よるに育てられ、百年後に母ベロスを倒して地獄を出て行った。
その後は博物館で見た通りだろう。
五百年の歳月を経て、今のヘルエスタ王国を誕生させたのだ。
「私のお母さんって……やっぱり、すごい」
思わず感嘆の声が漏れる。
戍亥の里帰りついでに観光がてら地獄に来たはずだったが、そこでまさか自分の母親の話を聞けるとは思っていなかった。リゼがなんとなく抱いていたレイナ・ヘルエスタへの憧れが、天を見上げるような尊敬へと変わる。
残酷にも───私は絶対にお母様に追いつけない───そう、確信してしまった。
「リゼちゃんはどっちかっていうと、クレアの魂と似てるかもね」
「そうなんですか?」
よるは「うん」と頷き、しんみり、思い出の酒に浸かる。
「懐かしいなぁ。……本当に懐かしい」
「別に似てへんけど……」戍亥が呟いた。
その呟きはリゼにも納得できるものだった。リゼは頭に浮かんだクレアの行動を分析してみても、自分と似ているような部分は見えてこなかった。
「うーん……あえて似てるところを上げるなら……優しい、とか?」
「優しい? リゼが? ……まあ、優しいか」
アンジュは考えて、しかし、リゼとクレアの優しさと比べれば月とスッポン。
国民に寄り添うクレアと、王城でふんぞり返っているリゼでは優しさのレベルが違う。立場的な問題を考えるならば同じだろうか?
「なんでぇ……文句あるんか、ワレぇ」
「リゼさんや、優しさの意味を知ってるかい?」
食事が終わると、戍亥はリビングを出て二階にある自分の部屋に走っていった。
戍亥がいなくなった後もとくに気まずくなる様な事はなかった。リゼはよるに自分の母親のことを訊ね、よるもまた嬉しそうにレイナの物語をリゼに聞かせる。
よるは修行の一環として、レイナを奈落の底に落としたり、山の上まで巨大な丸石を運ばせたり、地獄に住む怪物たちと力比べをさせていたらしい。ケルベロスの代わりに地獄の門を守らせたこともあったそうだ。
そんなハードでバイオレンスな日常を送っていた母親を思い、リゼは語彙力をなくして、すごいなぁ、とひとり感慨深く頷いた。
「そういえば」よるは顔を上げた。「アナタたちが来るちょっと前に、同じように入り口から落ちてきた女の子がいるんだけど……もしかして知り合いだったりする?」
「どんな子なんですか?」
質問に答えるよりも先に、リゼはその女の子のことが気になった。
「えーっと、確か……名前は、名取さなって言ってたかな……」




