ヘルエスタ王国物語(50)
「どうじでだよぉぉぉぉぉ───!!!!」
地下の秘密基地にてテーブルを叩く白髪赤眼の美少女。葉加瀬冬雪は、練りに練った計画の失敗を受け入れられず悲嘆の声を上げていた。
そんな彼女を慰めるのが、マジシャンの格好をした親友、夜見れなである。
「よしよし、今回は残念だったね冬雪」
「うぅ……うぅ、夜見さん……」
涙で頬を濡らす葉加瀬の頭を、夜見は優しく撫でる。
計画が失敗したことを責めたりはしない。
むしろ、葉加瀬の計画は表彰されてもいいぐらい完璧なものだった。
前もって仕入れていた情報により、コーヴァス帝国がヘルエスタ王国に戦争を仕掛けることは知っていた。
その混乱に乗じて、リゼ・ヘルエスタを暗殺する。
一言で説明してしまえば簡単そうに聞こえるかもしれないが、それを実行するために葉加瀬と夜見は一ヶ月以上もの時間をかけて入念に準備を進めてきた。
問題だったのは、ヴィンセント文字の研究。無数にある文字配列の中から必要な化学式を見つけるために、二人はやむなく地下に引き籠る生活を余儀なくされた。そのせいでリゼ・ヘルエスタの動向を掴むことが出来なかったわけだが……。
「まさかリゼ様が国外に行ってるなんてねー」
「マジ、それなー」
夜見の呟きに、葉加瀬は同意する。
ヴィンセント文字の研究に時間を取られたのもあるが、なにより、王城の警備がいつも以上に厳しかった。秘密の通路から侵入するのも不可能なほどに。だからこそ葉加瀬は、リゼ・ヘルエスタは王城にいるだろう、と当たりを付けたのだ。
しかし、戦争の渦中にあって一番安全な場所にリゼ・ヘルエスタはいなかった。かわりにいたのは、リゼに似せて作られた人形。「リゼダヨー」と鳴くだけが取り柄の、魂の入っていない二頭身野郎だった。
「これってさぁ、熱を出しながら考えたわたしの作戦が読まれてたってこと?」
「うーん。難しい話だね。あ、一応言っとくけど夜見は誰にも喋ってないよ!」
「それは知ってる」
夜見とはこの一ヶ月間ずっと一緒にいた。
美味しいご飯を食べるときも、ヴィンセント文字の解読に疲れ果てて気絶したときも、地下の温泉に行ったときも、一度だって離れたことはない。
だから自分たちの計画が外に漏れるなんてありえないのだ。
「これからどうする?」
「どうするって聞かれても……ねえ」
今頃、王城ではむしゃくしゃして跳ね飛ばした二頭身野郎の頭が見つかっている頃だろう。ヘルエスタ王国の主要メンバーは城に集まって、犯人が誰なのかという謎解きゲームに身を興じているはずだ。
自分たちの痕跡は念入りに消してきた。例えケルベロスであっても、自分たちを見つけ出すのは不可能だろう。
そう考えると、途端にやることがなくなる。
「リゼ様が帰ってくるまで暇だからたまには、パァ! と遊んじゃう? 社長のお金もまだ残ってるし!」
陰鬱な空気を追い払う夜見の言葉に、葉加瀬は躊躇い、しばらく考えたのちようやく答えを出した。
「わたしはもう少しヴィンセント文字の研究をしてようかな」
「どうして? 必要なものは全部見つけたじゃん」
夜見は不思議そうに、首を傾げる。
「自分の知らないことを知しりたいっていう……科学者の習性みたいなものだよ。手数は多くて困るものじゃないしね」
確かに、と夜見は頷く。
持っている手品の種類は多ければ多いほど、楽しんでくれるお客さんも増える。
それと同じ理屈だろう。
「できれば夜見さんにもお手伝いして欲しいなぁ……なんてぇ……思ったりみたりしてるんですけど……どうですかね?」
おずおず、と。
チラリ、と。
愛そう笑を浮かべ、申し訳なさそうにお願いする葉加瀬。
夜見は、ぷい、とそっぽを向いた。夜見は科学者ではなく、マジシャンなのだ。眉間にしわを寄せるような文字列と睨めっこする趣味はない。
「夜見はお風呂にいってきまーす」
「いってらっしゃーい」
着替えを取りに行こうとする夜見に手を振って、葉加瀬はさっそくヴィンセント文字の研究に取り掛かる。
葉加瀬がノートを開いた、その時だった。
光があった。
目を眩ませるような、真っ白な光。
葉加瀬はなにが起こったかも分からず、瓦礫の下に埋もれる。
そこからは早かった。葉加瀬はすぐに襲われたことを理解し、ヴィンセント文字を組み合わせ、身体にのしかかってくる瓦礫を吹き飛ばす。
「ケホ、ケホ。夜美さん、大丈夫?」
手で煙を払いながら周辺に目を向ける。
しかし、夜見の姿は見当たらない。
ただ、人の形をした真っ黒い影がちょっと離れた場所に落ちていた。
「夜見さん?」
呟いて、ゾッとする。
無意識だった。無意識に葉加瀬は、目の前に落ちている人の形をした炭をなんの疑問持たず『夜見れな』だと直感した。
瞬きが出来ない。茫然と立ち尽くす事しか───。
「お久しぶりです、はかちぇさん」
崩れた秘密基地で、自分たち以外の声がした。
感情の整理がつかないまま、葉加瀬は声のした方を振り返る。
そこには美しい毛を逆立てて主人を守ろうとする白い虎がいた。隣りには少女が立っている。銀色の髪に赤と白のオッドアイが特徴的な少女。
葉加瀬はその少女が誰なのかを知っている。
自称───悪魔と人間のハーフ。
自称───二千二百歳という歴史の生き証人。
自称───スーパーカリスマインフルエンサー。
その少女の名を、
「石神……石神のぞみ!!!!」
葉加瀬冬雪は絶叫した。
「動かないでください。動けばうちの白虎が何をするか分かりませんよ! まずは深呼吸をしましょう。吸ってー、吐いてー、吸って、吐いてー。どうです? 落ち着いてきましたか?」
「……ふざけてんの?」
葉加瀬にそう問われ、石神は神妙な面持ちでかぶりを振る。
「ふざけてませんよ」
「……目的は、なに?」
「はかちぇさんが持っているレオス・ヴィンセントの書物です」
嘘偽りなく答えた。目的は葉加瀬の周りを漂っているヴィンセント文字。もちろん、それがどういうものなのか、石神は知っている。
「持ってないって言ったら?」
「力ずくでも奪います」
投げられた質問の答えになっていないように思えるが、石神は葉加瀬が本を持っていると確信している。他の場所に隠していたとしても、すぐに手が伸ばせる場所に隠してあるだろう。
石神はあらためて瓦礫の山に立っている葉加瀬を睨む。
「アンタに、ヴィンセント文字が使えるとは思えないけど」
「ぐっ……それは確かに……」
葉加瀬の言葉は鋭利な矢となって、石神の心を華麗に射抜いた。自覚していることを指摘されるのは過去のトラウマを引きずり出されるぐらい辛い。
石神が頭を抱えて沈黙している最中───葉加瀬の警戒はもっぱら、石神のそばを離れようとしない白虎に向いていた。不快そうに牙を見せ、威嚇してくる神獣。その体躯からは寒気がするほどの雷光を放っている。
順当に考えれば、夜見を殺したのはあの白虎で間違いない。どうして石神なんかに付き従っているかは謎だが、石神を狙って夜見の仇まで取れるなら一石二鳥。ついでに、神獣の素材も手に入る。一石三鳥だ。
「奪い取れるもんなら、奪い取ってみろってんだ!」
「……───」
石神の目の前でいくつものヴィンセント文字が重なる。
それの意味するところは───爆発と幻覚───白虎は音もなく雷を召喚し、ヴィンセント文字が起こした事象のことごとくを焼き払う。
「抵抗するだけ無駄ですよ。大人しく───」
「問答無用!」
葉加瀬の猛攻に、石神はため息を落として、
「……白虎、お願い」
白虎は返事をするように喉を鳴らす。
瞬間、葉加瀬の両手両足を、雷光が消し飛ばした。
「は?」
本日二度目の怪奇現状。
何をされたのか、まるで分からない。
突然、両手両足が無くなり、葉加瀬は達磨のように地面を転がる。
痛みはない。
痛みよりも驚きの方が勝っていた。
「これで諦めてくれますか?」
返事はなかった。
葉加瀬は仰向けに倒れたまま、
「……あの女の命令で来たんでしょ? 裏切ったわたしと夜見さんを殺せって」
「違います」
「……───」
「ここにはアタシの意思で来たんです。先生は関係ありません」
石神は動かなくなった葉加瀬に近づき、ベルトに備え付けらえた小さなバッグからレオス・ヴィンセントの本を見つけた。
その間、葉加瀬は身じろぎひとつしなかった。
糸の切れた人形のように、じっ、と。
「はかちぇさん、アナタはやり過ぎたんです。いくらリゼ様に恨みがあるからって、一般人を巻き込んまで復讐しようなんて……そんな事、許されません。昔のアナタはそんな人じゃなかったのに」
「はは、ははは、あははははは!!!!」
葉加瀬が笑う。
そして、
「……だったら」
憎しみに目を血走らせながら、
「だったらお前も! 理不尽な理由で殺されてみろよ!」
見下ろした葉加瀬の顔は苦痛に歪んでいた。その表情は見るに堪えない。復讐という悪魔に魂を塗り潰され、それ以外のことは何も考えられなくなっている。
葉加瀬冬雪は怪物だ。
怪物に堕ちてしまったのだ。
「はかちぇさん……」
石神にも思うところはある。
葉加瀬冬雪と夜見れなは、リゼ・ヘルエスタに「ただ気に入らない」という理由だけで処刑された。自分を殺した相手を殺したいという気持ちは、それが正当な理由かどうかは置いておいて、十分に理解できるものだ。
自分も同じ立場であれば、間違った方向に手を伸ばしていたかもしれない。
「それにリゼ・ヘルエスタは、わたしたちを殺しただけじゃ飽き足らず、加賀美さんまで殺した! 何も悪い事なんかしてないのに……アイツは殺したんだ。なのに、自分のしでかした事を忘れて、自分には罪がないみたいに、クソ呑気に遊んでやがる! 許せる訳がない……許していいはずがないんだよ!」
怨嗟の声はその後も続いた。
しかし、後半になるにつれ葉加瀬の声は次第に小さくなっていった。
「さて、言いたいことは全部言い終わったし……殺してよ。あの女の悔しそうな顔を見れないのは残念だけど……生き返らせてもらったし。ホムンクルスの研究資料も渡したんだから、まあ、おあいこでしょ。ああ早く、夜見さんに会いたいな……」
しみじみ、と。
満足したような表情を浮かべる葉加瀬に、石神が水を差す。
「はかちぇさんは一度も、先生を裏切っていませんよ」
「え?」
葉加瀬は間の抜けた声を上げた。
石神が続ける。
「むしろはかちぇさんは先生の思った通りに動いてくれました」
「───ちょっと待ってよ。それじゃあ、わたし達は……ずっといいように使われてたってこと?」
「そう、なりますかねぇ……」
頬を掻く石神に対して、葉加瀬は驚きに目をひん剥いていた。
ここまでの事が。
今日の今日まで、全部が全部、手の平の上だった?
葉加瀬の脳裏にそんな突拍子もないような疑念が浮かぶ。だが、ヴィンセント文字を手に入れた段階であの女との繋がりは完全に切断した。それ以降の自分たちの行動が彼女に伝わるなんてありえない。
しかし、一度吹き上がった疑念はそう簡単には消えない。葉加瀬は考えていく内に、もうひとつの違和感に直面する。
───わたしと夜見さんは生き返ったことで、他の人たちから完全に忘れられた。リゼ・ヘルエスタも自分たちのことは覚えていなかった。覚えているのは新しく接触した人たちだけ───言語化して、葉加瀬はようやく違和感の正体に気づく。
「ねえ、どうして石神はわたしらの事を覚えてたの?」
目の前にいる。
目の前にいる石神こそ、違和感の正体。
葉加瀬は生き返ってから一度たりとも、石神と接触した覚えはない。
では何故、石神のぞみは葉加瀬冬雪を覚えているのか?
「はかちぇさん、アタシは覚えてますよ。忘れたことなんてありません。アタシは今、先生と同じ立場にいるんです。だから、忘れることなんて出来ないんですよ」
「……そっか」
聞いて、葉加瀬は納得した。
石神がレオス・ヴィンセントの本を欲しがっていた理由も、どうして自分たちの事を覚えているのかも、すべて腑に落ちた。
結局のところ石神も葉加瀬たちと同様に、ヘルエスタ王国の敵なのだ。
それだけ分かれば未練はない。
「その本。せいぜい大事にしなよ、石神」
「はかちぇさん、お疲れ様でした。おやすみなさい。ラ・ヨダソウ・スティアーナ」
そう石神が別れの言葉を吐くと、白虎が雷を召喚し、葉加瀬と夜見の身体はこの世から跡形もなく消え去った。




