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ヘルエスタ王国物語  作者: 十月 十陽
新生編(プロット)
49/75

ヘルエスタ王国物語(49)




 ───三日目。

 朝になっても地下に入った社からの連絡はなかった。

 かわりに、イブラヒムの手には別の筋から送られてきた情報が握られている。

「ヘルエスタ王国の地下で爆発……死傷者多数……」

 読み上げて、イブラヒムは社の身に何が起こったのかを想像した。社築という男は報連相を疎かにしない男である。そんな彼が連絡を寄こさないなど考えられない。生きていればスパイを通じて自身の近況を報告するだろう。

 しかし、潜り込ませたスパイの手紙には『社に会った』などという報告は書かれていなかった。

 これはつまり、

「風向きが悪いな……」

 先手を取って有利に進めたはずの盤面がひっくり返される。

 東に向かわせた笹木咲からの連絡も途絶えた。

 まさに、最悪。

 掘り当てた石油が枯れるように、失いたくないと思った仲間が次々に消えていく。

イブラヒムは自分の運の悪さを呪ったが、唐突に、これまで味わったことのない大きな虚無感に襲われた。

 逃げ出したい。

 ───今ならまだ、別の場所でやり直せる。

 戦争なんかしたくない。

 ───これ以上、仲間たちに傷ついてほしくなかった。

 そんな弱音が膨れても。

 まだ。

「……まだ、負けてない」

 大きく息をついてから、イブラヒムは持っている手札を再確認する。

 一番に考えるべき問題は地下で起こった爆発。

 ヘルエスタ王国の連中が国民を巻き込んでまで社を排除するとは思えない。もし、そこまで非人道的な行為を起こしたのなら、コーヴァス帝国が攻めてきた段階で、国民の安否など気にせず北の森に進軍してきたハズだ。

「……───」

 地下での爆発をコーヴァス帝国の仕業だと考えたらどうだろう?

 イブラヒムは最初から国民を利用した作戦を実行してきた。結界を張られる前提で進めてきた作戦だったが、結局は社の解析を待つしかない状況だった。それまでの繋ぎとして、イブラヒムは国民を使う案を立てたわけだが、

「今思えば、ここまでヘルエスタ王国にとって都合のいい点と線はないな」

 怪しむべきは、地下で会う約束を取り付けてきた誰か。

 レオス・ヴィンセントというあからさまな偽名まで持ち出して誘ってきた相手は、ヘルエスタ王国のヘイトをコーヴァス帝国に向けるのが目的だった。

 そう仮定して。

「俺たちがヘルエスタ王国のヘイトを買わなきゃ成功しない計画」

 イブラヒムは吸い込まれるように、盤上のキングを眺める。

「王城。狙っているのはリゼ・ヘルエスタの命か?」

 ただの直感。

 不思議とありえそうな話だった。

 もしもイブラヒムの想像通りに事が進んでいるのなら、まだ見ぬ第三者の目論見は大成功で幕を終えるだろう。

 コーヴァス帝国は間違いなくヘルエスタ王国の恨みを買っているし、第三者はコーヴァス帝国の影に隠れて、その時が来るのをじっと待っている。

「……やべ、なんか無性にイライラしてきた」

 完全なひとり勝ち。

 極東の裏切りか。はたまた何の因果関係もないイカレ野郎か。

 どちらが勝つにしろ、そこにコーヴァス帝国はいないのだ。

「いっそのこと、ヘルエスタ王国に情報を流してみるってのもありだな」

 口に出してみたもののイブラヒムは頭を振って、すぐにその思い付きを追い出した。選択肢のひとつとして数えるにはあまりにも時間がなさすぎる。

 爆発の犠牲。

 パニックを起こしている国民。

 この二つの対処を迅速に行うためには、ヘルエスタ王国は今日中にでもコーヴァス帝国との決着をつけたいはずだ。

 イブラヒムは近くに立っていた兵士を呼びつける。

「全員を起こせ。最後の戦いだ」

 降伏はしない。

 最後まで戦うのだ。

 コーヴァス帝国が勝つために───。



     △△△



 各地で戦いが始まっていた。

 ローレンの前には殺意を漲らせるレインがいて。

 エクスと剣持は相変わらず斬り合っている。

 変化があったのはベルモンド・バンデラスが守っていた西門。相手は何を隠そう、ベルモンドと同じくヘルエスタ王国を守る竜種───ドーラだった。

「ごめん、ベルさん! アタシあの子のこと裏切れないみたい!」

「何の説明にもなってないぞ!」

 ドーラの振るう一撃を、ベルモンドは腕に装備したガントレッドで受け止める。

 瞬間、研ぎたての刃物のような鋭さをもった突風が、貧民街に新しく建設された居住区を粉々に吹き飛ばした。

「本当にごめんね!」

「謝るくらいなら止めたらいいだろ!」

「だーかーらー、それが出来ないんだってぇ……」

 飄々とした声とは裏腹に、ドーラの爪は美しい三本線を大地に刻む。

 ベルモンドはドーラを傷つけない、且つ、貧民街の破壊をどこまで抑えられるかに意識を向けた。

 だが、そう単純な話ではない。

 ドーラが並みの相手であったなら、ベルモンドはそこまで苦戦しなかっただろう。しかし、彼女は物語に登場するような完全な竜種───ドレイクなのだ。まだ人の姿で戦ってくれている内は被害を最小限に抑えられているが、竜の姿で暴れ始めたら流石のベルモンドでも手加減はできない。

 二人の拳が重なる。

 遅れて、ハンマーで鉄を叩くような鈍い音がした。

 ガッッ!!!! と。

 風を裂くような衝撃は、付近にあったこれまでの努力を水の泡に変えていく。

「ふぇぇ……」

 と、そんな嵐の中に消え入りそうな声がひとつ。

 声のした方をドーラは勢いよく振り返り、ベルモンドもドーラが飛んでいった先に視線を向ける。

 そこには、頭を抱えて縮こまっている青髪の少女がいた。

 コーヴァス帝国で保護されていた『龍』の巫女。

 特定の条件化でのみ、コーヴァス帝国の最終兵器と呼ばれる天宮こころである。

 といっても、天宮に何か特別な能力がある訳ではない。

 彼女はただ、その場にいるだけ。

 天宮が戦場にいるだけでその場にいるすべての『龍』に属する生物は、彼女を守る、という本能に駆られる。

 洗脳や、催眠といったちゃちなものじゃない。

 まるで家族のように。

 宝物を守る防衛本能を刺激しているのだ。

 ドーラからしてみれば守らない理由がない。

 ベルモンドはその事を重々承知したうえで、天宮に手を出さない選択をした。彼女が近くにいるおかげでドーラは竜の姿に戻らないでいてくれる。

 が、心の奥底では少し後悔していた。

 何を隠そう、天宮こころが西門から入って来るのを許可したのはベルモンド本人なのだ。初めましての段階で、少女の危険性をベルモンドが察知できていれば、こんな状況にはならなかった。

 まさに、身から出た錆。

 問題の原因を招き入れた責任は、自分でどうにかするしかない。

「大丈夫? ケガ……してない?」

 戦いの最中、ベルモンドに背を向けてまで、ドーラは天宮の身を案じる。

「大丈夫」

 ぎこちなく笑って、そう答える少女。

 それは彼女なりの精一杯の強がりなのだった。隠しきれない恐怖は、胸に抱えたぬいぐるみを押し潰し、立つこともできないまま、声を震わせている。

「ベルさんの所為だからね」

 ドーラが言った。

 ベルモンドは怒りに満ちた眼光を前に、生ぬるい唾を飲む。

 熱が。

 炎が。

 本能という神秘性を燃料にして、ドーラの身体を烈火のごとく燃え上がらせる。

「……───」

 唇が割れた。血は……舐めとる前に蒸発する。

 熱に晒された眼球からも───そして、ベルモンドがまばたきをした瞬間だった。

 ドーラが消える。

 ボッ! という音が耳元で鳴り、

「───ッ!?」

 顔を上げると同時に、ベルモンドの身体は吹き飛ばされた。いくつもの家を抜けて、最終的に瓦礫の山に埋まる。ドーラからの追撃はない。おそらく、ドーラの熱でのぼせてしまった天宮のところに向かったのだろう。

 ベルモンドは崩れた家からなんとか這い出し、蹴られて感覚の無くなった左頬を触る。

 火傷とは違った、肌が溶けているような、ヌルヌルとした液体のようなものが指先で糸を引いた。

「ここからが本番だな……」

 獲物を見つけた野獣が、腹を満たしていた空気を吐き出すようにして呟く。

 これまで、会話が成立することを理由にベルモンドは一度たりともドーラに拳を振るってこなかった。

 しかしそれも、もう終わり。

 今のドーラは話し合いで解決できるような状態ではない。

 ただ、会話しているだけだ。

 ドーラは天宮こころを守るためにその牙をヘルエスタ王国に向けようとしている。このまま彼女を放置すれば地下での被害をより越えるものになってしまうだろう。それだけは避けなければならない。

 彼女を反逆者にしたくなければ、ベルモンドは立つしかない。

「あのオジサン……怖い……」天宮が言った。

「ベルさん!」

「え!? なんで俺、怒られてんの!?」



     △△△



「イブラヒム様! 森の奥から魔物群れがこちらに向かってきます!」

 息を切らし、汗のかわりに血を流している兵士が言った。

 イブラヒムは「そうか」と返事をしつつ、目の前で力尽きた兵士に労いの言葉を贈る。報告を聞いてもイブラヒムは眉ひとつ動かさなかった。

 これといって驚くようなことでもない。むしろこれで、ずっと探していたレヴィ・エリファの所在が分かったのだから。

 眠たくなるような読み合いは終わった。

 森を揺らす震動が足の裏を通って、イブラヒムの全身を震わせる。魔物の濁流がコーヴァス帝国に近づきつつあった。

 イブラヒムは動かなくなった兵士に近づき、腰にある鞘から剣を引き抜く。

「剣を握るなんて久しぶりだな……」

 これは戦う意思を示すためのものだった。というのも、イブラヒムが剣術を習っていたのは十歳の頃までだ。両親が急死したために、彼は齢十歳でありながら皇帝になる道しか残されていなかった。

 それ以降、剣を握ったことはない。

 木々が裂けるような音とともに、魔物の濁流がコーヴァス帝国を飲み込む。

 コーヴァス帝国はもうすぐ敗北する。

 イブラヒムはそう予感したが、そこで、一匹の魔物が目に入った。

 背中に誰かを乗せている。

 それが誰なのか考えるまでもなく───魔王レヴィ・エリファもまた、視線を向けるイブラヒムに向かって跳躍した。



 レヴィの突進を受け止めるなど、天地がひっくり返ってもイブラヒムには不可能なことだった。当然、地面に叩きつけられる。心臓を拳で殴られたかのような衝撃に意識が飛ぶ。時間が飛ぶ。

 ようやく現実に戻ってきた頃には全身泥まみれで、ボロ雑巾のように地面に捨てられていた。

 生きている。

 それだけを確認すると、イブラヒムは自分を殺し損ねた魔王の姿を探す。このまま寝転がっていたいのは山々だが、それを許してくれるほど優しい相手ではない。

 しかし、見つけたところでどう対処するのか。

 跳躍した彼女の動きですら認識できなかったというのに。

「どこに───」

 また、意識が途絶える。

 今度は内臓が捻じれるような痛みで目を覚ました。

「どうして……どうしてだ……」

 朦朧とする意識の中でイブラヒムは声を聞いた。

 悲しみに身を引き裂かれるような子供の声を───。

「どうして……なんの罪もない。戦いに全く関係ない人たちを巻き込んだんだ!!!」

 絶叫があった。

 イブラヒムは折れた左腕で身体を起こし、傍にいる人影に問いかける。

「レ……ヴィ……エリ、ファ……だな……」

 答えはなかった。

 そもそも自分の言葉が、声になっているかも怪しかった。

「地下で起こった爆発のせいでたくさんの人が死んだ。僕に優しくしてくれた人も巻き込まれたかもしれない。……その事に、キミは心が痛まないの?」

「……───」

「コーヴァス帝国は国民を利用しても殺したりはしないって、ローレンは言ってた。最初に魔法が落ちた場所も、ほとんど人気ない地域だったから……」

 相手の意見を聞いたイブラヒムは、にやりと笑う。

 生まれ初めて、誰かに理解されたような気がした。

「どうしてなにも言わないの?」

 魔王からの容赦ない質問責めに、イブラヒムは血を吐き、答える。

「いま……やっと……血の味が……した……とこ、だ……」

「……手加減したつもりだけど」

 その瞬間、現実と死の境目がつかなくなったイブラヒムは奇妙な感覚に襲われた。こっちは満身創痍だっていうのに、魔王様は死なないよう手加減したとおっしゃる。

 笑えるのだ。

 どうしようなく笑える。

 苦しみや悲しみを通り越して、何も考えないで生きている自分が楽しい。

 天にも昇る気持ちというのはまさに、脳みそが溶けて無くなる、こういう状態のことをいうのだろう。

「ハハ、いいねぇ。最高にイカレてる」

「……答えになってないよ」

「そう急かさないでくれ。もう少ししたら答えられるようになる」

 レヴィは素直に、イブラヒムを待った。

 そして、

「まず、民間人を巻き込んで心が痛まないのかって聞いてきたな。……痛いよ、俺だって。だけど仕方ないだろ? ヘルエスタ王国か、コーヴァス帝国のどちらかが滅びるための戦いだったんだ。勝つためには最善を尽くさなきゃいけない」

「話し合う道もあったでしょ……」

「同じテーブルに着くことも出来ないのにか? それは妄想するだけの理想論でしかない。寝てるだけで幸せになれるなんて思ってる奴は現実とは戦えない。俺たちは骨になるまで戦うしなかないんだよ」

「でも、互いに殺し合って最後に何も残らないようじゃ勝っても意味がないでしょ? キミはそれでもいいって思うの?」

「全然思わない」

 レヴィは唇を噛んだ。

 悔しそうに、

「なんだよ、それ」続ける。「気持ちは同じなのに……友達になれたかもしれないのに……すれ違う理由なんてどこにもないじゃないか!」

 戯言だった。

 仮にも魔王の椅子に座っている者の発言とは思えない。

「子供だな、レヴィ・エリファ」

 イブラヒムはそう断じて、夢に魅せられなくなった大人のような声音で言う。

「俺たちは成長する。そうやって最後は腐るんだ。子供のお前にはまだ分からない話かもしれないけど。いつか必ず、命を尊く思うことが足枷になる。その時がきたら、お前はどんな道を選ぶんだろうな」

「僕は───」

 それは彼女なりに思うところがあっての沈黙か、あるいは、有無を言わせないイブラヒムの気迫がそうさせたのだろう。

 どちらにしろ、レヴィには腐る時間が与えられた。

 俯きながら答える。

「僕は……夢を叶えるよ。魔物と人間が……仲良く、楽しく暮らしていけるように……」

「カッコいいな」

「……ありがとう」

「気にすんな」

 イブラヒムはそこで会話を打ち切り、

「さて、次は人のいない地域に魔法が落ちたって話だったか? ……その予想は概ね当たってる。国民はいわば、俺たちが勝ったあとの戦利品。貴重な労働力だ。殺す必要なんて最初からないんだよ」

「待って。それじゃあ地下での爆発は───」

「見つけろ」

 レヴィが言葉を並べる前に、イブラヒムはそれを遮った。

 すでにコーヴァス帝国が敗北するのは確定した。もう覆すことは出来ない。

 しかし、誰かに利用されたまま終わるのも気に入らない。

 爪痕は残していく。

「見つけろ、って……なにを?」

「黒幕だ。俺たちを殺し合わせようとした黒幕がヘルエスタ王国にいる。そいつを見つけ出せ。お前が……腐った大人じゃないなら、大切にしている宝物があるなら、自分の正義を貫く勇気があるなら、最後まで守り抜け。俺が答えられるのはここまで……だ。あとは……頑張れ、よ……」

 イブラヒムの意識が落ちる。

 総じて。

 剣持は勝負を急いだため、エクスに敗北した。

 レインは奥の手を使っても、ローレンには届かなかった。

 天宮こころは、緑仙にその首をへし折られた。

 レヴィは気持ちの悪い闇を抱えたまま、イブラヒムをヘルエスタ王国に持ち帰った。後日、イブラヒムは国民に石を投げられながら処刑された。

 こうしてコーヴァス帝国とヘルエスタ王国の戦争は終わった。

 本当にあっけない幕引き。



 ヘルエスタ王国の人口───残り、六三万人。



 だが、これは始まりだ。

 始まりの始まりだ。

 これしきの事が───この程度のものが───ウル・モアとの戦争だなんて思うなよ?




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