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ヘルエスタ王国物語  作者: 十月 十陽
新生編(プロット)
42/75

ヘルエスタ王国物語(42)




 ヘルエスタ王国が誕生してから五百年。その歴史はまだ博物館に収容されるほどの浅い歴史しか残されていない。

 本来国というのは千年、二千年、あるいはそれ以上の歳月を抱えているものだ。かつての文献には一万年以上の歴史をもつ国があったと言われている。

 そんな大国と比べると、ヘルエスタ王国の歴史は短い。こんな小さな箱を訪れるだけでそのすべてを知ることが出来てしまうのだから。過去を生きてきた長命種であれば、この国の歴史など、あくびをする一瞬の出来事のように感じられただろう。

 当時、まだ『ヘルエスタ』という国名がなかった頃の村では争いが絶えなかった。

 誰も彼もが不安に踊らされ、血で血を洗う日常が続いた。

 村に充満していたルールは、本能に従った生存欲求。言葉を持たず、獣に堕ちてでも生きることが最低条件。殺した。殺した。殺された。そうやって何も育たない村の責任を他人になすりつけ合うことで星が回っていた時代。

 生き残ったロウソクは次々に砕けていった。

 食料は、死んでさえいればなんでもいい。生きていたとしても、村にあるモノを狩ればそれは食べ物になるのだ。

 明日になれば、今日がまたやってくる。

 病気だ。

 再現する病気。

 それでも村には命がやってくる。ほんの少しでも希望があるような気がして。誰でもいいから血の池をキレイにしてほしいと底の底で願いながら。



「そんなとき現れたのがリゼ様のお母様───レイナ・ヘルエスタ様です!」

 ここまでの説明を終えて、栞葉るりが目を向けたのはレイナ・ヘルエスタの肖像画だった。エルフのような長い耳に、青を基調としたドレスを着ている。

 絵の中には母親にしがみつく幼い少女の姿もあった。不安そうな上目遣いでこちらに視線を送る少女を見て、リゼはすぐにその少女が自分だと分かった。断片的に思い出せるのは、知らないオジサンが部屋にいて怖かったという感情。

 絵が完成する頃には母親の胸に顔を押しつけて眠っていたような気がする。

「レイナ様が村に来て最初にやったのは、襲い掛かってくる連中をその場でボッコボコのけちょんけちょんにする事だったそうです。この辺の資料はレイナ様ご本人が語られていらっしゃいますので信憑性はあるかと」

 嬉々として尻尾を振りながら、栞葉は言った。

 警備隊に所属する彼女にとって、無法者が成敗されるというのは思い浮かべて気持ちのいい光景なのかもしれない。

「お母様……そんなことしてたんだ……」

 一方のリゼは、自分の知らない母親を知って言葉をなくしていた。

 栞葉の話を聞いたあとでも、歴史上のレイナ・ヘルエスタを想像するのは難しい。

 リゼにとって王城で一緒に暮らしていた母親は穏やかで優しい……暴力とは無縁のような人だったからだ。

 簡単には飲み込めない。

 王室で仕事をしているときもリゼが遊びに行けば笑顔で抱き締めてくれたし、メイドに内緒であめ玉を貰ったこともある。

 そんな母親が言葉を捨てたとは思えない。

 ましてや、暴力に訴えるなんて……。

「……お母様」

 呟いたリゼの後ろで、アンジュと戍亥は栞葉の説明に納得していた。

 二人は以前、リゼの身体に憑依したレイナ・ヘルエスタと戦ったことがある。冷たく笑い、『奇跡』を使って戦う彼女の姿はまさに理不尽そのもの。

 味方ならともかく、敵としてはもう二度と会いたくない存在である。

「ですが、レイナ様は誰も殺さずその場を収められました」

 館内の廊下を歩きながら、栞葉は言った。

「誰も殺さなかった?」

「はい。正確には、まだ人の心を持っていた者たちは殺さなかったんです」

 だから、と栞葉は続けた。

「命をなんとも思わなくなった怪物───手遅れだった人たちはレイナ様の手で処刑されました。それから数日と経たないうちに、名前の無かった村に『ヘルエスタ』という国名が付けられたそうです」

 リゼは何も言わなかった。

 黙ってその話を聞いていた。

「もちろん、異を唱える者も多くいました。不可能だと語り、新しい国を作るなんてバカバカしいと」

「───……」

「ですが、その悉くを退けてレイナ様は見事、新しい国を誕生させるまでに至った。形が見えて来た国にはさらに多くの種族が集まり、五百年という歳月を積み重ねて、ようやく今のヘルエスタ王国が完成したとあります」

「そうだったんだ……」

 リゼの声が濁った。

 話を聞くにつれて進む足が遅くなっていた。やがて、後ろにいるアンジュと戍亥に追いつかれる。

 ───私、お母様のことなんにも知らないや。リゼは心の中でそう呟いた。前を向いて、過去を知ることが怖くなっていた。

 母親のしたことを否定することは出来ない。怪物を倒さなければもっと多くの血が流れていた。お母様はその場で最善の選択をしたのだ。

 ヘルエスタ王国の現状を見れば、それが間違っていなかったと証明されている。

 だけど、違う。

 自分が怖がっているのは、もっと別の───。

「多分、知られたくなかったんやと思うよ」

 戍亥はリゼの気持ちを察して、慰めるように言った。

 彼女の心配するような眼差しがリゼの胸の奥でチクリと針になった。

 続けて、

「そうそう、戍亥の言う通り。もしかしたら自分の子供に悪影響を及ぼすかもしれないって思ったからこそ、あえて言わなかったのかもよ? あたしが親だったら子供が大人になるまで教えないね。絶対」

 アンジュはリゼの背中にそっと手を置いた。

「だからそんな落ち込むなって。元気だそ。ほれ、元気の出る飴ちゃんあげよか?」

「ありがとう、二人とも。飴は……危なそうだからいらないかな」

 ちらり、と栞葉が睨む。

 違法薬物的なものだったらすぐにでも逮捕しますよ、と言いたげに。

 アンジュは驚いたようすで、

「リゼが素直にお礼を言うなんて……明日は雨かな。飴だけにつってな!」

「落ち込んでるんだから茶化さないで」

「また考えすぎてネガティブになってるだけでしょ?」

「ぐぅ……」

 図星をつかれ、変なところから声が出た。

 しかし、アンジュの言い分を認めてしまうのにも抵抗があった。なにより、リゼの事ならなんでも知っていますよ、みたいな親友の顔がとてもムカつく。

「違うって! 私は……自分がもしお母様と同じ選択をしなくちゃいけないってなった時に、ちゃんと正解の道を選べるのか不安なだけで……。そんな別に───っ!」

 言い返して、ハッ、とする。

 意図せず本音が漏れていた。

 他の誰かだったらこうはならなかっただろう。相手が母親でも教えなかった。

 親友である彼女だからこそ、リゼは気を回さず答えてしまった。

 悔しい気持ち半分。

 恥ずかしい気持ち半分。

 リゼは二つの感情に板挟みにされながら、じっとアンジュの言葉を待つ。

「大丈夫でしょ、リゼなら」

 即答だった。

 疑うこともせず、アンジュは笑っていた。

「間違えたらどうすんの?」

「そんときは……あたしと戍亥でなんとかするんじゃない? ね?」

「ンジュさん非常に申し上げにくいんやけど……さっきの飴と雨を重ねたギャグはちょっと……いや、かなり寒かったと思いますぅー……」

「戍亥たまには空気読んで! 今そんな話してなかったじゃん! アンちゃんカッコいいってなる流れだったでしょ!?」

「どうしてもムズムズしちゃって。ごめん」

 許して、と謝る戍亥。その声音には少しも悪びれた様子はなかった。

「ムズムズしちゃったらしょうがないね、うん」リゼが言った。

「全然しょうがなくないからね? 感動的なシーンが台無しだよ、全く」

「しょうがない……生姜、無いってか!」と戍亥。

「うるせぇ!」

 アンジュの叫びは虚しく、闇に消えた。

 三人は栞葉の背中を追って角を曲がる。彼女は大きな扉の前で待っていた。三人が追いついたことを確認すると、栞葉は預かっていたマスターキーをポケットから取り出し、鍵穴に差し込んだ。

 ガチャリ、と音を立てて。

 リゼたちの視界は一気に色とりどりの宝石で彩られる。

「すごいね……」

 リゼにそう呟かせたのは、泳ぐような姿で天井からぶら下がっている巨大なクジラの骨だった。昔はこんな生き物が空にいたと思うと、リゼは自分がどこまでもちっぽけな存在だと思い知らされる。

 他にも、ガラス張りのショーケースに閉じ込められた、たくさんの過去がところ狭しと並べられていた。

「先ほどまで歩いていた廊下にはヘルエスタ王国が誕生した五百年間の歴史が並べられていました」

 展示された遺物の間を歩きながら、栞葉は続ける。

「ですがここには五百年よりずっと前の遺跡から発掘された遺物がそのままの形で展示されています。その数はざっと見積もっても二百はくだらないでしょう。ですから……って! アンジュさん、なにやってるんですか!?」

 リゼたちが感動で足を止めているとき、アンジュ・カトリーナだけは宝石の入ったショーケースに近づき涎を垂らして、新しいおもちゃを買ってもらえた子供のように、その瞳を輝かせていた。

「ど、どれもこれも錬金術の素材にするには最高のモノばかり……あ、あたしここに住みたいかもしれない……」

「ダメですよ!? 貴重な遺物を錬金術に使おうだなんて……そんなの絶対にダメですからね!?」

 ショーケースにしがみ付いているアンジュ。それを引き剥がそうとする栞葉。二人の攻防はまだまだ続きそうだ。

 リゼはそんな彼女たちを見つめて、

「そういえば……アンちゃんって錬金術師だったね」

「ウチも今思い出した」

 いつもは賑やかし枠として皆に愛されているアンジュだが、彼女の本来の職業は錬金術師である。これだけのお宝を前にして子供に戻るなという方が難しい。

「私たちはその辺を見て回ろっか」

「ん」

 戍亥は頷いた。

「どこから見よう?」

 提案してみたはいいものの、リゼたちの仕事はほとんどなさそうだった。

 周囲には二人一組でチームを組んでいる警備隊が六つほど。盗まれる物に当たりをつけて、そのショーケースの前で険しい顔を動かしている。自分たちに出来る事といえば、栞葉から渡された展示物のリストと照らし合わせて、盗まれた物がないか、確認していくことぐらいだった。

「魔物の牙と魔物の体内で作られた宝石……確かにこれならアンジュが欲しがる理由も分かる気がする」

 素直にキレイだと思った。

「それにしても魔物って体内に宝石が出来るものなの?」

「人間の身体にも石ができるやろ。原理はアレと同じみたいやね」

「え? 人の身体でも石が作られてるの?」

「その辺は大人の人に聞いた方が面白いと思う」

そうなんだ、とリゼは納得した。

「……せやけど、人間の石とは違ってこの宝石には色々な使い道があるみたい」

 戍亥はショーケースの横に置かれたパネルを指差した。リゼもパネルに近づき書いてある説明を読み上げる。

「えーっと、なになに……。この宝石は生きている魔物の心臓が固まったもの。この宝石には大量の魔力が含まれており、魔道具や魔法陣……あとは錬金術とかの材料に使われていると」

「ンジュさんが予告状を出した犯人だったりして」

「素材欲しさにってこと?」リゼはしばらく考えて。「それはあり得るかも。私たちと一緒に博物館に入れば、誰にも怪しまれず物色できるわけだしね」

 リゼは冗談交じりに笑ってみせる。

 戍亥の視線の先には、栞葉との攻防に勝利して、うひょー! と喜びの声を上げているアンジュの姿があった。

「なんかカエルみたいに飛び跳ねてらっしゃいますね」

 静かな空間にひとつの喧騒。

 予告状を出した相手はこの部屋からナニかを盗むと、栞葉は予想していた。それがアンジュだったらある意味で面白いのだが、

「まぁ、アンジュはそんな事しないでしょ」

「ィゼちゃんはアレを見ても、そう思うの?」

「……───」

 静かにすれば、アンジュと栞葉の会話が聞こえてくる。

 ハッキリと言葉は聞き取れなかったが、それでも、うるさいという事だけは分かった。

「もしかして私たち邪魔しに来ただけ?」

「かもしれへん」

 苦笑いを浮かべ、二人はショーケースの中身を確認していった。

 残り半分というところで、ふと、見上げたショーケースの中にリゼは、ひと際輝くモノを見つけた。

「これって……」

「おいおい、マジかよ」

 後ろから、にゅっとアンジュの顔が生えてくる。

 リゼは小さく悲鳴を上げて、

「いきなり背後から現れるんじゃないよ! 心臓が口から飛び出るかと思ったわ!」

「だからって突き飛ばすことないじゃん……」

「びっくりさせたアンジュが悪いんだもん! 私、謝らないからね!」

 その横で、アハー、と笑う戍亥。

 アンジュは立ち上がると、再びショーケースに近づいた。

 じっと見つめて、

「やっぱりそうだ。これドラゴンの心臓で作られた大釜……まさか本物をこの目で見られる日がくるなんて……感動してます、あたし」

「へぇー、そうだんだ。なんだかすっごく大きいね」

「興味なさすぎじゃない?」

「そんなこと言われても……錬金術についてはさっぱりだし……」

 ショーケースには大釜の他にも、赤い宝石が飾り付けらえた杖とボロボロの本が一冊並べられていた。それぞれが古い歴史のにおいをさせていのは分かるが、それ以上のことはリゼには分からなかった。

「こちらはレオス・ヴィンセントっていう科学者が使っていたものです」

 後から来た栞葉が息を切らしながら言った。リゼは科学者という言葉が気になった。多種多様な種族が集まるヘルエスタ王国でもあまり聞かない職業だった。

「すごい人なの?」

「そうですね。語られている彼は、科学の歴史を千年進めたとされています」

「千年!?」

「まあ、天才というやつですね」

 その説明を受け、あらためて飾ってある道具を見つめる。すると、何でもないただの道具が光り輝く神器のように見えてきた。

「文献ではかなりの人格者だった、と語られています」

「天才なのに人格者って……。昔にはスゴイ人がいたんだね」

 感心するリゼの横で、栞葉は首を振って否定する。

「いいえ、リゼ様。彼はそこまで偉大な人間じゃありませんよ。このレオス・ヴィンセントとかいう男は、人間側ではカッコよく描かれていますけど、私たち獣人から言わせてもらえば、とんでもないクソ野郎です」

「栞葉さんって言うときは言うよね。もしかして興奮すると口が悪くなるタイプ?」

「あ、いえ……その……申し訳ありません。いつもは気をつけているんですけど……。もし不快な思いをさせてしまったのでしたら───」

 元気よく動いていた尻尾がしょんぼり落ちて、自分の気持ちを教えてくれる。リゼは彼女のそっと頭に手を置いた。

「り、リゼしゃま!?」

「落ち込んだ時はお母様にいつもこうしてもらってたの。イヤだった?」

 リゼの手が離れようとすると栞葉は、がっ! とその手を鷲掴み、また自分の頭の上に置いた。

「えへ、えへ、リゼしゃま……」

 耳の裏を撫でると栞葉は小さく身体を震わせ、聡明な顔を恍惚に溶かしていく。

「くぅーん……」

 と、犬は幸せそうに鼻を鳴らした。

 落ち込んでいた尻尾は栞葉の意思とは関係なく膨らみ、溢れんばかりの喜びを振り回すことで発散させる。

 時折、撫でるリゼの指が耳の裏を掻く。

 その瞬間。

 尻尾の付け根からハチミツと電流を混ぜ合わせたような震えが栞葉の脳を焼いた。口の端から涎を垂らし、まともな思考が出来なくなる。正直、立っていられなかった。あとほんの少しリゼが踏み込んでいたら、栞葉は自らの手で首輪を差し出していただろう。自身が敬愛するリゼ・へウエスタに飼ってもらえることを想像しただけで、それだけで幸せだった。これほどまでの多幸感は生まれて初めてだ。

「リゼ様、よろしければ指を……」

「指を?」

 ───舐めてもいいですか?

 栞葉はそんなセリフを吐こうとして、ギリギリもギリギリ、隅っこの端っこの方に残っていた僅かな理性でなんとか踏みとどまる。

 心配してもらって。

 撫でてもらって。

 それでも『服従』を求めてしまう自分がいて。

 それがいかに人の道を踏み外している行為なのか───私利私欲で犯罪に手を染めた者たちを私は見てきたハズなのに───今はそれを否定することが出来ない。末代まで続く失礼を働いてでも、目の前にいる女神に頭を下げたいと思ってしまう。

『ちょっとくらい舐めちゃえば?』と囁く悪魔。

 その横で天使は『ダメ。ダメですよ。絶対にダーメ』と甘い声を出した。

「ハァ……ハァ……」

「栞葉さん、ちょっと元気になりすぎ……あはは」

 リゼの手が離れる。

 残った余韻だけでも、理性を吹き飛ばすには十分だった。が、栞葉は両手で自分の身体を抱き締め、噴火寸前の火山に蓋をする。

 時間をかけ、その悦楽をゆっくりと消化した。

「ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」

「それならいいんだけど……」

 リゼの栞葉を見る目が少しだけ歪んだ。

 ───もしかしてこの子、見た目とは裏腹にヤバい奴なのでは?

「ここは問題ないみたいですし、次に行きましょう」

 リゼは頷き、栞葉のあとを追った。

 二人の後ろで胸に手を当てる戍亥。アンジュが近づいた。

「戍亥、どうしたの?」

「胸焼けした……」




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