ヘルエスタ王国物語(39)
正気に戻ったとはいっても、いまだにアンジュの意識はどこ吹く風。
右に左に走りだし、行方不明になっている。
「ねえ、アンジュ。悩みがあるなら聞くよ?」
リゼがアンジュと友達になる前、彼女の印象はちょっと変わった人物だな、ぐらいだった。錬金術師は変わり者が多いと事前に聞かされていたこともあって、アンジュの奇妙な行動を不思議に思ったことはなかったが……。
しかし、これは昔の話。
今じゃない。
彼女は時が経つにつれて、怪物になっていった。
親しくなったから自分を見せてくれるようになった、と前向きに捉えることもできる。
悪く言えば、節操が無くなったというか。
男らしくなったというか。
一体何が彼女を狂わせてしまったのだろう。
さっぱり分からない。
リゼが声を掛けると、朦朧としていたアンジュの意識は空を見上げる。
「人に、愛されてぇ」
しみじみ、と。
恋願う。
「ちょっと理解できないかも……」
───私の親友は本当になにを言ってるんだろう。
アンジュの意味不明な発言に対して、すぐ隣を歩く戍亥は肩を震わせ、声を噴き出さないよう必死に堪えていた。
リゼはさらにアンジュのことが心配になり、
「私もとこちゃんも、アンジュのことを大切に思ってるよ。それじゃダメかな?」
リゼにとって二人は掛け替えのない存在であり、お婆ちゃんになっても仲良くしていきたい相手だ。
もしも困っているなら助け合いたい。
「リゼ、結婚しよう」
「ごめんアンちゃん。その気持ちには答えられない……かな?」
「つまりワンチャンあるってこと?」
「うわ、疲れるなぁ……」
戍亥は堪えきれず、笑った。
魂の声が聞こえるケルベロスにとって、アンジュが言っていることのすべてが本心だと分かってしまったから。
アンジュの暴走は止まらない。
「……リゼ」
「な、なに?」
「愛されるってことは人が思っているより難しいことじゃないと思うんだよ。あたしが持っている愛を他人に分けてあげればいいだけなんだから。そしたら受け取った相手もさ、あたしにじゃなくても、別の誰かに愛をあげることが出来るじゃん? でも、あたしは愛を独り占めできるとも思うんだよね」
「言ってることが支離滅裂すぎてついていけないけど……。とりあえず、そうだね」
うんうん、と。
「もっと寄り添ってよ! そんな適当に頷いてないでさ!」
「めんどくさがらずに話を聞いてあげてるでしょうが!」
「ちゃう! もっとこう抱き締めてほしいんよ、あたしは。人の温もりに触れたい!」
「キモいわ!」
アンジュの絡みつく攻撃は、リゼの中に眠っていた本音を引き出した。というか、いくら親友とはいえ足にしがみついて腰の辺りで顔を押しつけてくるのは、それはもう牢屋にぶち込まれる前の変質者と変わらない。
「悩みを聞いてくれるって言ったのはリゼじゃん!」
「聞いてあげるとは言ったけど、触っていいとは言ってない! 助けてとこちゃん!」
「ウチは二人の仲が良くて幸せです」
「とこちゃんもなに言ってるの!?」
戍亥もリゼが本気で嫌がっているのであればアンジュを引っぺがすのに協力したのだが、今のところ絡まれている本人もそこまで嫌がっているわけではない。
ここは動物のじゃれ合いを眺めるような気持ちで見守っておくのが正解だろう。
そうこうしている間にも、アンジュはリゼの胸元を目指して登っていく。
「うおおおおおおおおお、リゼぇぇぇぇぇええええええええ!!!!!」
「コラ、離せ! もうセクハラとかそういう問題じゃなくなってきてるから!」
「奪ってやる! リゼの初めてはあたしのものだああああああああああああ!!!!!」
「ちょッ、やめ、やめろおおおおおおおお!!!!!!」
イヤよイヤよも好きのうち。
平和の叫びが終わるまで、のんびり、まったり待ちましょう。
「ウチはその辺で日向ぼっこしてくるから。それじゃ、バイバイ!」
「とこちゃん、待って! 行かないで! とこちゃん、とこちゃーん!!!!!」
△△△
時間を朝ご飯まで巻き戻して───地下の一室にてこんな会話があった。
「なあ、叶。このゲーム機そろそろ限界じゃね?」
葛葉からの問いに、モニターを見ていたアッシュとベージュを足して二で割ったような髪色をした少年が答える。
「でも仕方ないんじゃない。これって吸血鬼が文明を栄えさせた時代からずっと使ってるんでしょ? そんな何百年も昔の物なんだから壊れてもしょうがないよ。むしろ、よくもった方じゃない?」
「だからさ、新しいのにしねぇかって話よ」
「新しいのって……吸血鬼は滅んだって、葛葉が言ったんじゃないか」
「ちゃーんと当てがあるんだな、これが」
葛葉は立ち上がり、チラシを持って戻ってきた。
「なんと、なんと! この度、ヘルエスタ博物館にて俺たち吸血鬼が作ったゲーム機が展示されることになりました! しかも、次世代機の最新モデル!」
「それがどうしたの?」
「よく見ろって。このゲーム機どう見える?」
受け取ったチラシに写っている吸血鬼の遺産は、手元にあるものと瓜二つ。違いを見つけるほうが難しい。
叶はすぐに何か思いついた様子で、
「交換するってこと? 僕たちが今使ってるこいつと」
「ご名答!」
パチン、と葛葉は指を鳴らす。
「まあ、問題は色々あるだろうけどゲームが出来なくなる方がもっとヤバイからな。ちょっとくらい悪いことしてもバチは当たらねぇだろ。それに今使ってるやつも吸血鬼の遺産には変わりないんだし」
「面白そうだね」
「つーわけで。これから作戦会議だ。今夜は忙しくなるぞ」
△△△
「痛い」
頭に出来上がった小さな風船ほどのたんこぶを撫でるアンジュ。彼女の顔にはしょんぼりとした申し訳なさが薄っすらと浮かび上がっていた。
「自業自得でしょ。まったく」
リゼは突き放すように言う。
今回は身内だったから良かったものの、下手をすれば見ず知らずの他人に襲い掛かっていた可能性もある。
この際、しっかりと頭を冷やしてもらうとしよう。
「ほんで、リゼの来たかった場所ってここ?」
「そうだよ」
戍亥は立て掛けられた看板に目を向ける。
「あやかきメイド喫茶って書いてあるけど……なんでメイド喫茶?」
リゼはアンジュに体力を奪われながらも歩き続け、ようやく目的地に辿り着くことができた。
その理由のひとつが、
「それはですね」
勿体ぶった口調でリゼは続ける。
「なんと! ここにいる謎の生物を見てみたいからです!」
「謎の生物って……せっかくメイド喫茶に来たのにメイドさんに興味ないの?」
「だって私メイドさんがいる日常がデフォルトだったし。今更メイドさんに夢も希望も持ってないよ」
蘇るのは幼い頃の記憶。眉間にしわを寄せたメイドに叩き起こされ、毎朝着せ替え人形のような扱いをされてきた。
物語に登場する優しいメイドさんに憧れはあるものの、そんな理想はフィクションの中だけと相場は決まっている。
本物は色々とめんどくさいのだ。
「それじゃあ中に入るよ」
リゼはドアノブに手をかける。扉を開けると同時に鈴の音が鳴り、期待していた歓迎の挨拶とは違う、大勢の喝采が聞こえた。
ぽかん、と。
メイド服を着た少女たち四人───司賀りこ。珠乃井ナナ。綺沙良。梢桃音がステージの上で踊っている。
加えて、四人の少女たちの真ん中にはお目当ての謎の生物。
薄い青紫の尻尾ときゅるんとした可愛いらしい瞳。
そして、わたあめのような体毛を振り乱し、ルンルンは踊り狂っていた。
「お店……間違えちゃったかも……」
予想だにしなかった展開。
メイド喫茶に入り、リゼの思考は停止する。
視線を泳がせて理解を追いつかせようとしても、しかし、舞元啓介が光る棒を振り回していたり、その横にはピエロ顔のジョー・力一が合いの手を入れていたり、とますます理解の及ばない情報が頭に入ってくる。
さらに。
さらに。
ドスケベな格好をした魔女───ニュイ・ソシエールの姿もあった。普段はシスター服を魔改造した、子供の性癖を破壊するような格好をしているのだが、今日は三角帽子に黒衣装と魔女の名に相応しい格好をしている。
それでも強大な胸が強調されているところは変わりないのだが……ある意味、この場では適切な格好なのかもしれない。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
やや不満そうに声を掛けてきたのは赤いメイド服を着た少女。絹のような美しい髪を三つ編みツインテールにし、リゼに似た藤色の瞳が睨みつけてくる。
全然、歩き疲れたご主人様を歓迎するような態度じゃない。
そんな態度にリゼはすぐ少女のことを思い出した。が、それよりも先に少女が頭に載せているウサ耳カチューシャを処理しきれなかった。
「……───」
「リゼ、ちょっと話があるからついてきて」
一瞬、戍亥は毛を逆立てる。リゼを殺そうとしている誰かへの警戒。わずかに開いた口から八重歯をのぞかせる。
しかし、心の声を聞く限り、少女はリゼを殺そうなどとは考えていなかった。他の誰かと繋がりがあって、リゼを誘拐するような感じでもない。
本当にリゼと二人っきりで話をしたいだけのようだ。
───それにこの少女はリゼの……。
「後ろにいる二人は空いてる席を見つけて自由に座っていいですよ」
それだけ言うと、メイド服を着た少女はリゼの手を引っ張って店を出て行った。
「どないしよ」
アンジュが呟く。
「どうするって、ねえ。座って待つしかないでしょ」
と、空いている席を探そうとするそんな二人を、呼び止める声があった。
「おいおい。そこにいるのはアンちゃんと戍亥さんじゃあないか。こんなところで会うなんて奇遇だな。どうだい? 俺たちと一緒にあやかきを応援しないか?」
小野町亭でいつもお世話になっている舞元からの誘い。
ついでにピエロのメイクを施した力一もやってきて、
「楽しいことには参加しなきゃあ損ですよー! さあ、さあ、みんなで人生を豊かにしましょうじゃありませんか。ほっほっほほほほっほっ!」
そして二人の前に差し出される二色のペンライト。
これはもうやるしかない流れ。
「しゃおらぁ! 行くぞおらぁ!」
アンジュと戍亥は、舞元と力一に肩を組まれ、熱い濁流のなかに飛び込んでいった。




