ヘルエスタ王国物語(33)
リヴァネルの手によってリゼは死ぬ。
それがモアの王冠によって示された未来である。
フレンの覚醒という予期せぬ事態は起こったものの、リゼを殺すこの瞬間に辿り着くことさえできれば目的を達成したも同然と言えるだろう。ケルベロスという不安要素は残ってしまったが、それは世界の上書きを完了した後に処理すればいいだけの話だ。
自分が見てきた未来に、これ以上はない。
これは奇跡によって定められ、決して変えることの出来ない運命という一本道。
飲んで生きる。
食べて生きる。
心臓を動かして、生きる。
人々が当たり前にやっている事こそ運命であり、その道を踏み外し、世界を上書きする行為を奇跡と呼ぶ。加えて、これまでリヴァネルが歩んできた運命は『奇跡』によって作られたものだ。
どんなモノも味方に付ける、奇跡の道───だからこそリヴァネルは、自分の娘が起こした行動に戸惑いを隠せないでいた。
奇跡と運命とリヴァネルに異議を唱えた少女の存在。
いま、自分が見ている光景はなんだ?
「痛いな……」
リゼが言った。
「殴られて痛いって思うなら、それが生きてるってことだよ」
アンジュが言い放ったのはとんでもない暴論だった。
「人間は死んだって苦しみから逃げられるわけじゃない。もっと抗っておけば良かったって! もっと戦いたかったって後悔するだけだ!」
「そんなの死んでみなきゃ分かんないじゃん……」
「分かる! あたしは一度死んだから知ってる! いいか、リゼ。死んだ後に楽になれるのは頑張った魂だけだ。それ以外の魂は、地獄にも行けず、ただ苦しんで現世を彷徨うだけになる。アンタはまだ頑張ってない。死んだって苦しむだけなんだよ!」
いつか魂の帰る場所───この世の何処かにあるとされている魂の所在地。
それはリヴァネルでさえ掴むことの出来なかった沼だ。アンジュの今の発言は、それが何処にあるのか知っているという事だろうか?
リゼは歯を食いしばって、
「何を……何を言ってんだ、お前は! 私が頑張ってない!? それが今日まで玉座に座って王様やってきた親友に言うセリフか!?」
絶叫した。
「それはリゼの意思じゃない。アンタはこれから───」
「偉そうに言うな!」
リゼは入れ替わるようにして、アンジュを地面に叩きつける。
「じゃあ、アンジュには分かるの!? 操られている間に自分の家族を皆殺しにした私の気持ちが! 目が覚めたら王様になってて、誰にも助けてもらえない私の気持ちが……お前なんかに分かるのか!?」
「ごめん! それは分からない!」
リヴァネルは笑いそうなるのを、ぐっと堪える。
「今のリゼは加賀美さんが罪人だったとして、操られていた時と同じように殺すの?」
「殺さない! 私だったら絶対に加賀美さんを殺さない! 罪があるならその罪が赦されるまで生きてもらう!」
「それを言葉に出来るのに、どうして死ぬことを望むんだ!」
「結果を知ったからに決まってるでしょ。私が王様になった後には何も残らない。私はたくさんの人を殺す。そんな事になるくらいならここで死んでしまった方がいい!」
「逃げるな、リゼ! どんなに辛くても、苦しくても、アンタだけはこれから先もずっと頑張っていかなきゃいけない!」
「ふざけんな! 私はもう生きていたくない。休みたいの。分かる!?」
「分かんないって、言ってるだろ!」
それからはもう子供のケンカだった。
言いたい放題言い合って、相手の顔を引っ張って変形させたりしていた。
リヴァネルはそんな二人を見つめて、
「仲良くケンカしているところ申し訳ないんだけど。そろそろ、もう一人の子も仲間にいれてあげたら?」
アンジュとリゼは、もう一人の親友に顔を向けた。
「戍亥!?」
「とこちゃん!」
泣いていた。
号泣だった。
二人は急いで立ち上がり、戍亥のもとへ駆け寄る。
「ケンカ……ケンカしないでぇ……」
アンジュとリゼが戍亥を、ぎゅっ、と抱きしめる。三人で何かを話しているようだった。
これまで一度だって見たことがない光景。
その世界にリヴァネルは夢を見た。
人々を救う。世界を救う。
ウル・モアの脅威からすべてを守る。それらは奇跡に頼ったとしても簡単に成し遂げられる事じゃない。
リヴァネルは難関を乗り越えて、遂に目標達成まで歩いた。
だが同時に、自分の夢を叶える為だけに目の前の三人を塗り潰してしまっていいのだろうかと疑問に思う。彼女たち三人は、リヴァネルやレイナですら辿り着けなかった奇跡に手を伸ばしているというのに。
「最後の勝負をしましょうか」
リヴァネルの言葉で、三人の顔色が一気に変わる。
「そんなに怯えなくてもいいわよ。貴女たちじゃどう足掻いたって私には勝てないもの」
アンジュが二人を隠すように、一歩、瓦礫を踏む。赤と青の混ざった瞳がこちらを力強く睨みつけてくる。
諦めるよう説得したハズが、どうやら彼女たちの意思に火を付けてしまったらしい。
くすり、と意地悪くリヴァネルは笑った。
「さっきので実力差は十分に理解できたと思うけど。……まだ、分からされたいの?」
アンジュはごくり、と喉を鳴らした。
「幼女に分からされる。ふっ、悪くない」
「アンジュ……」
「ンジュさん……」
リゼと戍亥の二人から、呆れたような声と蔑むような瞳。
やっぱり母親として心配になってしまう───いや、我が子の方にも問題はあるか。
「ふふっ。そんなに警戒しなくても大丈夫よ。最後の勝負と言っても、ただ質問するだけだから。まあ、その返答次第では三人とも死んでもらう事になるだろうけど」
「その質問っていうのは……」リゼが言った。
リヴァネルは悠然とリゼに歩み寄って、
「もう一度、生きてみたいと思う?」
リゼは沈黙した。
彼女の考えが整理されるまでリヴァネルは待つ───。
「これから先の事を考えるなら……私は死んだほうがいいと思います」
それを聞いてアンジュは表情を曇らせる。戍亥も先ほどと同じように、泣きそうな顔でリゼの裾を引っ張った。
「だけど、もし……それを変えられるチャンスを貰えるなら、もう一度だけ、生きてみたいって。今ならそう思えます」
頭を下げて懇願するような素振りはない。
リヴァネルという絶対的な強者を前にしても、リゼ・ヘルエスタの瞳は真っ直ぐ自分の気持ちを伝えてくる。
とっても素直な子で、その純粋さが逆に怖い。
この子は他の誰よりも強く、責任感を感じてしまうだろうから。
「うん。合格」リヴァネルは頷いた。「じゃあ、次の質問。貴女は自分を犠牲にして誰かを救うことが出来る人かしら?」
「いいえ!」
リゼは迷わなかった。
即答され、きょとん、としてしまうリヴァネル。
「もしもの時は?」
「犠牲になります」リゼは断言する。「でも、そうならないよう、色んな人に助けてもらう予定です!」
「そっか」
リヴァネルはその事を少し残念に思うと同時に、人間らしい答えに安心する。
銀色の少女はウィスティリアによく似てはいるけれど、ウィスティリアとは違う。
エルフという種族は自分一人の力で問題を解決できるが故に、誰かに頼るということを知らない種族だ。それこそ、ウル・モアという脅威が現れなければダークエルフとの交流すらなかっただろう。
レイナは、えるやフレンに頼ったみたいだけれど、結局最後はモアの王冠の力を使い、自分の力で解決してしまった。
誰かに助けを求める、そんな簡単な事が強者たちには出来ない。
次で、最後だ。
「私が世界を上書きしなければ、次の脅威が必ずやって来る。それに立ち向かう勇気が、貴女にはある?」
「そ、その脅威っていうのは……アナタよりも強いですか……?」
「私より強いかって?」リヴァネルはうーん、と考えて。「……全然強いでしょうね」
目を逸らす。
認めてしまうのは不服だが、ウル・モアのことを考えればそれが当然。
強がっても仕方がない。
時間稼ぎぐらいならできるだろう。
その時間でどれだけ対策を練れるかが、勝負の鍵だった。
「どう? 勝てそう?」
「ムリです! 絶対ムリ! そんなヤベェ奴と戦いたくありません!」
リゼの言葉を耳にして、リヴァネルはまた笑ってしまう。ふと、この時間を楽しんでいる事に気づいた。もしくは、目の前の少女をウィスティリアと重ねて、懐かしい夢に浸っているだけなのかもしれない。
「あの!」リゼは言う。「その時はアナタも一緒に、戦ってくれますか……?」
「え?」
上目遣いで、恐る恐る質問された。
それはつまり、
「私を許してくれるの? これからヘルエスタ王国を滅ぼそうとしている私を?」
「ゆ、許すかどうかは置いておいて。私はただ、アナタが一緒に戦ってくれたら心強いなって……思っただけです。……駄目ですか?」
リヴァネルは目の前の三人を見た後に、周囲を見渡した。
フレンとチャイカとリヴァネルの手によって破壊しつくされた街並み。
そこにはナニもない。
ナニも生きていない。
閑古鳥すら鳴かなくなってしまった結末を無責任に投げ出して、ウル・モアとの戦いに身を投じる。以前の自分なら迷わずその選択をしただろう。しかし、今は違う。内側で眠る愛情を自覚してしまった。
その時点で、リヴァネルは負けている。
「リゼちゃん。こっちに来てくれる?」
「はい?」
不思議そうな顔をして近づいてくるリゼの頭にリヴァネルは、ぽん、と手を乗せた。
アンジュの警戒色が強くなる。いつでも攻撃できる体制。
戍亥の方は立ち上がろうとしているのだろう。どうやら手に力が入らないらしい。
リヴァネルはゆっくり、リゼの頭を撫でて、
「ふふっ。これで良し」
「あの……ゴミとか付いてましたか?」
こちらの行動の意図が分からないリゼは不安そうだった。
「心配しなくても大丈夫。プレゼントを贈っただけだから」リヴァネルは三人から距離を取る。「残念だけどリゼちゃんの素敵な申し出は受け入れられない」
「そう……です、か……」
「だけど、嬉しかった。ありがとう」
リヴァネルは笑う。
そして───。
「強者は強者なりに。責任を果たさないとね」
『星』の魔法が告げられる。
「───『転星』───」
『星』の魔法も『星』の錬金術同様に魂を削る。違いがあるとすればその代価だ。錬金術は未来の奇跡を支払うが、魔法は過去そのものを犠牲にしている。
リヴァネルがこの二つの奇跡を作るうえで、どうしても錬金術の代償が重くなってしまうのは仕方がない事だろう。だってリヴァネルには、魔法の才能に比べて、錬金術の才能がこれっぽっちも無かったのだから。
光の粒子が世界を包む。
リゼたちは壊れた街が修復されていく奇跡を見た。
「頑張りなさい」
優しく微笑む。
未来が無くなれば廃人となり、過去が無くなれば跡形もなく消滅する。例えそうなったとしても、リヴァネルは自分の手で作り上げた二千年という時間を使い潰し、ヘルエスタ王国を復元することに決めた。
後悔はない。
「お母さん───!」
アンジュが叫ぶ。
それとも『あの子』だろうか。
「「ありがとう!!!」」
「……───」
ああ、どうしよう。本当に未練の一つもない。
華奢な身体がひび割れる。そこに幸せを感じた。目には見えない何かに満たされていくような、不思議な感じ。
いつの日か、三人で幸せな夢を掴めますように───。
滅びの魔女は少女たちに願いを託し、ゆっくりとその瞼を閉じた。
△△△
ヘルエスタ王国の修復から数週間後───。
リゼたち三人がこの数週間何をしていたかというとリヴァネルとの戦いでボロボロになったアンジュと戍亥の治療を最優先事項とし、小野町亭でゆっくり、ぐったり、のんびりと温泉に浸かりながら穏やかな日常を過ごしていただけ。
軽いケガ程度で済んだアンジュはどうでもいいとして、戍亥の方は生きていることが不思議なほど深刻な状態だった。
体内へのダメージと無理を通して戦い続けた結果。その寿命を普通の人間と同じくらいまで縮めることになったのである。
「かっ、かっ、かっ。まさか生きて帰ってくるとは! お主も悪運つきぬのぅ」
「いいからさっさと治してやれ。酒ならある」
フミと尊の治療を受けることになった戍亥が回復するまでの間。
とくに目立った傷跡もなく、王の務めからも解放された銀髪の美少女はそんな二人を看病しながら、舞元に連れて行かれた地下で遊んだり、酒場で開かれる野球大会などに参加してホームランを打っていたりしたのだが、それも今日で終わり、リゼは楽しかった数週間に未練を残しながら、王城に向けて足を延ばす。
「そんなに嫌かね?」
アンジュの発言。リゼの足取りは重い。
「アンジュも経験してみれば分かるよ。一日中、監視されながら椅子に座っている私の気持ちが。憂鬱だ」
がっくりと肩を落とすリゼ。
そんな彼女の肩を優しく叩いたのは戍亥とこだった。
「まあまあ。今回はウチらもおるんやし。そんなに気を落とさんでも」
「戍亥の言う通り!」
「ありがたいけど……アンジュは絶対に、大事な書類には触れないでね?」
ここで引き返して、小野町亭に帰りたいのをぐっと堪えて三人は城門をくぐった。
見慣れた廊下を進み、王の間の入り口で立ち止まる。
ここには良い思い出が一つもない。
戦って。戦って。戦ってばかりいたような気がする。
「すぐに逃げられるようにしとかないと。また操られるかもしれない」
「うーん、えるが死んだから大丈夫やとは思うけど……」
「念のため確認してみようか?」
三人の意思とは関係なく、王の間の扉が開く。
そこには教会の重鎮たちが立っていた。
緑仙。
エクス・アルビオ。
ニュイ・ソシエール。
ベルモンド・バンデラス。
竜胆尊。
ローレン・イロアス。
ドーラ。
レヴィ・エリファ。
そして玉座の隣に立つ、シスター・クレア。
だが、リゼが問題視しているのはそこではない。一番の問題は自分の座るハズだった椅子になんかよく分かんねえ二頭身野郎が座っている事。
「では、国王様。三人にご挨拶を」
クレアに促され、リゼに似たナニかは三人に向かって手を振る。
そして一言。
「リゼダヨー」
ヘルエスタ王国の人口───残り、九〇万。
再会編 完
新生編につづく。




