ヘルエスタ王国物語(31)
運はまだ、リヴァネルに味方している。
「ごめんなさい、リゼちゃん。私は貴女を、殺さなきゃいけない」
チャイカを『極星』で焼いた後、なぜ二つ目のモアの王冠が手に入らなかったのか疑問だったが、なるほど、とリヴァネルは納得する。
彼は最後の最後で間に合ったのだ。
「貴女も運がいいみたいだけど。ここまでね」
放心状態のリゼに手を向ける。リヴァネルは魔法陣を赤く輝かせる。このまま吹き飛ばすだけで少女は死ぬ。
爆炎がリゼを飲み込こんだ。
大地は扇状に抉れた。
「本当に」リヴァネルは黒い影に問いかける。「どうしてそんなに執着するの?」
「そんなの……生きててほしいからに決まってるやろ!」
態勢を立て直しながら、戍亥はリヴァネルに吠える。戍亥の腕のなかで驚きの声を上げるリゼ。だが、今は再会を喜んでいる時じゃない。
「さっさと逃げるよ!」
「ちょ、ちょっと、とこちゃん!?」
いくらフレンとの戦いでリヴァネルが消耗しているとはいえ、戍亥はそこに活路を見出すようなバカではない。例え相手が消耗していて自分の状態が万全だったとしても、勝てるイメージが湧いてこなければ逃げるのが得策だ。
加えて、相手はフレンじゃない。
「逃げられると思わないで」
空間が歪み、逃げていたはずの戍亥は、リヴァネルに向かって直進させられる。ブレーキを踏むと同時に、魔法が放たれた。視界を覆い尽くすほどの巨大な氷塊。魔女は容赦なく、こちらを殺そうとしてくる。
戍亥は氷塊の上に乗り、リヴァネルの頭上を飛び越える。だがすぐに、風の魔法で叩き落された。
「くそ!」
悪態をつく。
目の前にはリヴァネルの手。
赤い魔法陣。
戍亥は右足で地面をめくり上げ、命綱を切られないよう抵抗するが、
「───ッ!」
死ななかった。
だけど、右足は持っていかれた。
妙に焦げ臭い。
痛みを感じないのは不幸中の幸いだろう。
まだ、走れる。
瓦礫を踏む。
今度は見えない壁にぶつかった。
「まだ、諦めないのね」
「諦めへん! 諦めてたまるか! 今度こそ必ず───!」
「無理よ。貴女にリゼは救えない」
「うるさいッ!」
何度も。
何度も。
何度も。
戍亥はリヴァネルの魔法に叩き潰される。
「リゼ、怪我してない?」
「う、うん。でも……とこちゃんが……」
「ウチなら大丈夫やから」
にっ、と笑う。
強がりだった。
「なあ、リゼ。走れる?」
「そ、そりゃ……ずっとお姫様抱っこされてたから、疲れてはないけど……」
「自分を囮にして、リゼちゃんを逃がすつもりでしょ?」
リヴァネルは続ける。
「そんなこと、貴方の親友は許すのかしら」
氷の雨が降ってきた。
なんとか雨の範囲から抜け出すことに成功し、
「とこちゃん、背中っ!」
心配するような声。
氷柱が何本か刺さているのだろう。感覚は無い……。
立ち止まっていられない。
次に、襲ってくるのは───とてつもない脱力感───がくり、と自分の意思とは関係なく、戍亥の身体は突然動かなくなる。
元々、寿命を削って無理矢理動かしていた身体だ。いつ限界がきてもおかしくはない。
それがこのタイミングで来た。
友達がいきなり家の呼び鈴を鳴らすように、散歩中に知らない人から頭を下げられるように、コントロールの出来ない理不尽な事象。
死の恐怖。
「これ以上、とこちゃんを傷つけさせない!」
動けなくなった戍亥の手からすり抜けて、リゼはリヴァネルの前に立つ。
モアの王冠を託されただけの一般人。
普通の少女。
震えていた。
指でつつくだけで殺せそうだ。
「貴女に何が出来るの?」
「命乞い!」
「聞かなくても良さそうね」
リヴァネルが二人に竜炎を放つ。
これで終わり。二つ目のモアの王冠が手に入れば、フレンとの戦いで失った、世界を上書きするための魔力を補うことが出来るだろう。
不安要素だった戍亥とこも排除することが出来た。
これでようやく。
すべてを始められる。
しかし、
「……───」
竜炎は、錬金術によって作られた壁に阻まれる。
歯を食いしばり、睨む。
壁が崩れると、その向こう側で赤い髪が揺れていた。
リゼと戍亥の前に現れた三人目の少女、
「おまたせ、待った?」
長い髪を一本に結んで、アンジュ・カトリーナが風のようにやってきた。
△△△
念願かなってリゼ、アンジュ、戍亥の三人は再会した。血まみれの戍亥と、眉間にしわを寄せて睨みをきかせているリゼ。二人にとっては、約一年ぶりの再会。そしてアンジュにとっては十六年ぶりの再会になった。
アンジュは感動を期待して、
「うるせぇ!」
リゼから放たれた一言は、とても辛辣だった。
その後を追うように、
「うるせぇ!」
とアンジュも空に向かって叫び返す。
「ど、どういう状況?」
戍亥は宇宙に取り残された犬。
植木鉢に埋められた花の種を、じっ、と見つめているような気分になった。
ぽかん、と。
この再会は美しい涙を愛でるよう時間ではなかったのか……唐突に叫び出した親友たちに習って、自分も叫んだほうが良いのだろうか? 色んな感情が混ざって頭の処理が追いつかない。
戍亥は笑うことしかできなかった。
ただ笑って。
ようやく日常が返ってきたことに瞳を潤ませるのだ。
「アンジュ、もっと丁寧に助けてくれる?」
「えっ……リゼ様、厳しすぎない? なんかさ、もっとこう……あるじゃん。もっと……なんかね。あたしってば二人の親友のピンチを救ったんだよ?」
「うるせぇ! 私は今、とっても頭が痛いんだ!」
「そんなことある!?」
「第一! 王様からそう簡単にお礼の言葉を貰えるなんてなんて思わないでよね!」
ふん、とリゼは鼻を鳴らし、
「とこちゃん大丈夫?」
すぐ後ろの戍亥に駆け寄る。
自分と戍亥の差はなんだろう、と疑問に思うアンジュ。
照れ隠しを越えて、傲慢。
誰でもいいからリゼのツンデレ論文を持ってきてほしい。
「アンちゃん」後ろから声を掛けられる。「あの子たちと本当に友達なの? かなり酷い扱いをされてるみたいけど……」
リヴァネルの言葉にアンジュは口を結ぶ。
確かに。
ここまで雑に扱われるのは、生まれ変わってから初めてのことだ。『あの子』が出会った人たちはみんな優しくて、ちゃんと『あの子』を一人の人間として接してくれていた。そのことを思い出そうとすると視界が滲む。
しかし、リゼはというと───せっかく生き返った親友を、上から目線で見下ろしてくる王族系幼馴染銀髪美少女といったところ。
あれ?
なんか間違えたような気がしてきたぞ。
「た、多分……親しみから来るものだから……。きっと大丈夫だから……。いつもはこうじゃないから」
「お母さんは心配です」
「同情しないで! 痛くなるでしょうが!」
アンジュの声が震える。
「ていうか、師匠のほうこそどうしたんですか!? すっかりロリになっちゃって。それにほとんど裸じゃないか!」
「服は着てるけど?」
「服とも呼べない薄い布をな! ほんま……けしからんでぇ、全く……」
「似合ってると思うんだけどなぁ……」
アンジュは声を大にして言いたい。似合っているからこそ、問題なのだ、と。
今のリヴァネルは幼女の魅力をそのままに、師匠としての厳しさと母親としての温かさを兼ね備えた、まさに究極生物。知らないオジサンに催眠術とか使われて、お持ち帰りされても何の疑問にも思わないだろう。
「ていうか、そんなこと話してる場合じゃなくない!? さっきまでバチバチに戦ってたじゃん! あのシリアスな雰囲気はどこにいちゃったの!?」
「仕込みなら終わってるわよ」
「えっ?」
空中に展開される魔法陣。
地上に設置された魔法陣。
「わ、わぁ……星みたい」
「頑張って、アンちゃん」
リヴァネルは、てへぺろ、と幼い少女さながらの愛敬を振りまいて応援する。
直後。
アンジュは四方八方から色んな魔法に襲われた。
「ちょ、ちょっと待って! まだ心の準備ってのもがですね……ギャアアアアアア! ……はぁ、はぁ。うおおおおおおおおおおおお、全力ダッシュで避け……! ぐはああああああああああ!!!!! ま、マジで……一回休憩を……んほおおおおおおおおおおお!!!! 今、ホゲってる! ホゲってるから!? ホゲェェェェェ!!!!!!!」
阿鼻叫喚。
そんなアンジュを、
「頑張れ、頑張れ、アンちゃん。フレー、フレー、アンちゃん。うぅー、おー!」
健気に応戦する師匠。
満面の笑みである。
「可愛く応援しても許されることじゃないからな!? グギャアアアアアアアアアア!!!! うぅ!? うっ!! オホっ。ぬわああああああああああ!!!!!! ぴぎゃあああああああああ!!!!! し、死ぬぅ……これ以上は、本当に死んじゃうから!!! あぎゃあああああああああああああ!!!!!! ビパァ? ビッ!?!? パあああああアアアアアアアああああ!!!!!!!!!」
すべての魔法を全身で受け止めて、ぐったり、と地面に倒れ伏すアンジュ。
リヴァネルはそんな彼女に杖を向けて、
「はい、回復魔法」
「癒されるぅ……。じゃ、ないわ! こっちは二回目の三途の川を渡りかけたちゅうに! 何をそんな平然としてんねん!?」
「うだうだ言わない。回復してあげたでしょ」
「話が違うだろうが! 話がぁ! それとこれとじゃあさ!」
「これも修行だと思って。お母さんの愛を受け入れなさい」
第二ラウンドが始まった。
「鬼! 鬼畜! 悪魔!」
再び、奔走するアンジュ。
何食わぬ顔でリヴァネルは言う。
「師匠はね。別にアンちゃんを殺したいわけじゃないの」
「ここまでしといて!?」
説得力がまるでないセリフ。ライオンは子供を谷につき落とすというが、それって実は虐待ですよね!? とアンジュの心境は複雑だ。
そして───そんな事に頭を使っている余裕はなく───地面から生えてきた突起物により、アンジュは空中に跳ね上げられる。
「アンちゃん。よく覚えておきなさい。人間を殺す方法はひとつじゃない」リヴァネルは続ける。「最初に言ったでしょ。仕込みはもう終わってる、ってね」




