ヘルエスタ王国物語(30)
リヴァネル・モア・スカーレットがフレンを殺すまで随分と時間が掛かってしまった。
最初から予定通りにことが進むとは思ってなかった。
まさかチャイカが途中参戦してくるとは。まあ、その辺は目立ちたがりである彼の愛敬とも言えるのだけれど。
しかし、最終的な目標、その着地点まで。
どうにかこうにか辿り着くことは出来た。
そう。
リヴァネルは、フレンを殺したのだ。
間違いなく───。
殺した。
倒した。
葬った。
あとはウル・モアがいなくなった過去に現実を上書きすればいいだけのところまで来たのに。それなのに。どうして。
……フレン・Eルスタリオは生きているのか。
「───っ!」
リヴァネルが死んだ。
フレンの聖剣に斬られて殺された。
滅びの魔女はそんな現実を分岐させて、再び、フレンを殺す。
その繰り返し。繰り返し。
同じことを繰り返す。
終わりの見えない殺し合い。人々が寝静まるまで同じ曲を演奏するピアニスト。そんな舞台を演じる彼女たちの結末は、鎖のように呪われた因縁しか存在しない世界。
拍手喝采、雨あられ。
この戦いは誰もいなくなるまで。
二人っきりになるまで続く晩餐会なのだ。他人の寝息など、聞こえない。聞こえない。
光の柱から出てきたフレンは言った───満足するまで付き合ってもらう、と。リヴァネルはその言葉の意味を殺されながら、殺しながら、思考する。
第一の考察───フレンが自分の死に満足するまでこの戦いは終わらない。
第二の考察───フレンはリヴァネルを殺すまで、因縁の相手を殺すまで死なない。
第三の考察───フレンの望む、満足のいく死に方を与えれば、フレンは死ぬ。
頭の中で思い浮かべて、どれも現実的ではない事にリヴァネルは笑ってしまう。もし仮に、自分がフレンに殺されてしまったとして。
それは因縁の相手がいなくなったことになるのか?
剣と、魔法が衝突し、キレイな音を奏でる。
魂を裂くような斬撃に耐えながら、リヴァネルはフレンを捉えて、竜炎が彼女の身を焼き焦がす。
フレンは何事もなかったように生き返り、リヴァネルの右腕を斬り落とした。
そこに小さな違和感があって、
「分岐できない……!?」
はっ、と息を呑む。
勘違いをしていた。同じように死なないのなら、相手にも打つ手はない、と。ただ同じ時間が繰り返されるだけだ、と。
しかし、終わりが見えない戦いに興じていたのはリヴァネルだけ。フレンの目的は最初から何も変わっちゃいない───因縁の相手を殺す方法を見つけるために───リヴァネルを殺す。その一点を見つめて、剣を振るう。
続いて、左腕が飛んだ。互いの視線が交差する。
「……───」
フレンは無言で空中を蹴り、リヴァネルに残された両足を切断。達磨のようになったリヴァネルはそのまま地上へと落ちていく。
「あっけないな。貴様はこんなにも弱かったのか?」
フレンは聖剣を向け、リヴァネルの顎を浮かせる。目の前には、歯を食いしばり、今にも泣き出しそうな少女の姿───リヴァネル・モア・スカーレットの情けない顔があった。両手両足を失い、二千年あった過去は、残り半分。
あとは大切な……キレイだった紅い髪。
それだけ。
他には何もない。
……なにも。
「貴女こそ。どうして死んでくれないの?」
さり気なく、リヴァネルは質問した。
質問を聞いたフレンは表情を動かさず、首を傾けて答える。
「貴様は私を、何度も殺しただろ」
「確かに。言われてみればその通りね……」
素直な返答にリヴァネルは笑みを浮かべる。彼女はきっと事実確認で言っただけだろう。それがなんだか面白かった。
「リヴァネル、私は感謝しているんだ」
「感謝? 故郷を滅ぼした相手になにを感謝する事があるのかしら?」
「分からない」
「分からないって……」
「何となく。何となくなんだ。胸の内が感謝の気持ちで溢れている」フレンは続けた。「貴様を殺したあとも、この気持ちは続いていくと思うか?」
「……それは一時的な感情に過ぎない。復讐が終われば虚しくなるだけよ」
そうか、とフレンは呟き、
「空っぽになるなら、次の相手を探さないとな」
リヴァネルは耳を疑った。
「貴女……何を言って……」
「私はな、リヴァネル。負けたくないんだよ。この世界のすべてに負けたくない。だから、その為にはどうすればいいのかを考えた」
「……どうするの?」
「簡単だ。強くなればいい。もっと、もっと、今よりも。もっと強く───」
そう話すフレンに、リヴァネルは得体の知れない恐怖を感じたまま、理解を示すように笑いかけた。
「私以上の相手なんて、そうそう現れるものじゃないでしょ……?」
「ああ、そのことなら心配していない」
「どういうこと?」
「どうしてだろうな……私にも分からない」フレンは言った。「何故だろう、直感しているんだ。世界は私のために次の相手を用意してくれると」
リヴァネルは、彼女の言葉を理解した。その直感こそ蛹が蝶になる前兆のようなものであり、フレンが望んだ世界の在り方なのだろう。
フレンにとってウル・モアの救済と同じようなものは……彼女との因縁。
ゾッとする。
リヴァネルが上書きする世界にウル・モアはいない。だが、例え世界を上書きしようともウル・モアが降臨しないとは限らないのだ。
アレは概念の存在なのだから。
当初の予定としては、フレンにウル・モアの代わりを務めさせ、現実世界と上書きした世界でのバランスを取る。それだけで十分なハズだった。
しかし、フレンの言葉で状況は一変した。
彼女は、殺さなければならない。
ここでリヴァネルが敗北すれば、世界はフレンが強くなるための実験場。『因縁』という鎖で結びついた生命で溢れかえる。
すべての生命に絶望を与え、それを救済し続けたウル・モアと何ら変わらない。
ウル・モアは『救済』という死を撒き散らし。
フレン・E・ルスタリオは『因縁』という死を与え続ける。
この二つにどんな違いがあるのだろう。
最後には絶対の終わりが待っているだけなのに。
「終わりだ」
フレンが剣を振り上げる。
「……まだッ、終わってない!」
倒れていた地面をありったけの魔力で噴火させる。リヴァネルは一気に飛び上がり、フレンとの距離を離したところで、両手両足を上書きした。
分岐できなくなったのなら、世界を上書きするために残しておいた魔力を使えばいい。例え、世界を上書きすることが出来なくなったとしても……それでも! 目の前の存在をこの世界に留めておくべきじゃない!
『───創星───』
リヴァネルが星の魔法を告げる。
そして世界に『ノイズ』が生まれた。
神でさえ、宇宙でさえ、彼女が生み出した『ノイズ』を正確な形で読み取ることは出来ない。この世に『ノイズ』を表現する言葉はないのだ。あえて、あえてだ。その意味を読み解くのであれば、それは剣であり、槍であり、矛である。
「決着をつけましょう」
リヴァネルの身体から煙が上がり、彼女の身体は幼女の姿にまで巻き戻る。
「……そうだな」
生き返ったフレンはそう呟くと、跳躍した。
同時に、リヴァネルは『ノイズ』を投擲する。それは───。
「……───」
必殺の一撃にしては遅すぎる、とフレンは思った。身体を捻って躱す。『ノイズ』は地上に向かって落ちていく。
フレンはそれをほんの気まぐれで目で追った。
───その先に。
リヴァネルの生み出した『ノイズ』は、結果的にフレンの心臓を貫いた。
「これが狙いだったのか?」
「いいえ。これはただの偶然よ」
「……そうか」
短い問答。
リヴァネルはフレンの胸に開いたトンネルの向こう側に、銀色の髪をした美しい少女を見つけた。へたり込んでいて、呆然と、かつての遊び相手が遠くに行ってしまうことを察して、何も出来ずにいる少女。
「フレン……?」
透き通った声が、騎士の名を呼ぶ。
久しぶりに名前を呼ばれて、嬉しいと、幸せだと、フレンは微笑む。
「ごめんなさい、リゼ様。負けてしまいました」
リゼがこの場所に現れたのは、決してモアの王冠による奇跡などではない。それは、この世界がリヴァネルに落とした蜘蛛の糸。あと少し。ほんの数秒でも違っていれば、リヴァネルの首がリゼの前に落ちていた。
それぐらいギリギリだった。
「貴女は負けてない。貴女は……私よりも強かった」
二人の勝敗を、生きているか、死んでいるかで旗を上げるなら、勝ったのは間違いなくリヴァネルである。
だが、フレンとリヴァネルの戦いは途中から勝利条件が変わっていた。
自分が満足するまで生き返る、という理不尽な『因縁』を手に入れたフレンを、リヴァネルはそれをどうやって満足させるのか。
勝敗の鍵はそこにある。
フレンは、自分が満足するまで生き返る。それを逆に考えろ。逆に、フレンが満足する死に方を用意する事ができれば、彼女は生き返らない。つまり、リヴァネルは空っぽになったコップに水を注ぐ奴隷になり下がり、フレンに全力で尽くさなければ、彼女を打倒することは出来なかったのだ。
だからこそリヴァネルは、フレンの言葉を拒絶する。
フレン・E・ルスタリオは負けてない。彼女はコーヴァス帝国の騎士としてリヴァネルを追い詰め、ヘルエスタ王国の騎士として姫を守った。
騎士として、これほどまで誉ある死様はないだろう。
「あぁ……楽しかったな……」
聖剣を手放し、天を仰ぎ見る。真っ赤な空を、美しいと思った。
「フレン───っ!」
膝をつこうとするフレンに、リゼが近づく。
しかし、抱き締めようと手を広げた瞬間───フレンの身体はその魂ごと、この世に一片の悔いも残さず、バラバラに砕け散った。




