ヘルエスタ王国物語(28)
地上に戻ってきたリゼとジョー・力一の目に映ったのは、魔物に踏み荒らされたヘルエスタ王国の惨状だった。しかし、魔物の姿はどこにも見当たらない。二人は互いに顔を見合わせる。タイミング良く魔物がいないことを不思議がったが、裏を返せば舞元を助けやすくなったということ。
二人は急いで舞元が閉じ込められているであろう場所に行こうとして、ふと、落下してくる奇妙な物体に目を引かれた。
「アレは?」
力一は空か落ちてくるナニかを目で追う。人の形をしているようだった。それはすぐ近くに落下し、土煙をあげる。
「ま、魔物ですか!?」
大きな音を聞いたリゼは警戒態勢を取る。が、頼りない。魔物に注意が向いているとはいえ、今の彼女を見ても魔物は逃げ出したりしないだろう。むしろ、エサが来たと思って突撃してくるに違いない。
「リゼ様、ここは二手に別れましょう」
「ええ!?」
自分でも聞いたことがないような声が喉から出て、リゼは驚く。
ピエロ顔の男は必死に冷静を装っている女王を前にして、丁寧な言葉遣いで説明する。
「突然の提案、失礼いたしました。驚かせてしまいましたね。大変申し訳ございません。ですが、今は人命救助を最優先としましょう。リゼ様は先ほど落ちてきた人のところへ。私は舞元のところに向かいます」
どうでしょう? と力一は言葉をくぎり、リゼに判断を委ねる。
「あ、あの……力一さん。魔物が襲ってくる心配はないんでしょうか?」
「大丈夫だと思います。気配はありませんので」
「でも、すべての魔物がいなくなったとは思えなくて。その……心細いといいますか。何といいますか。それに! 私だけじゃ誰も助けられないと思うんです。だから───」
一緒に行動しましょう、と。
「リゼ様。先ほども申し上げましたが、今は人命救助が最優先です」力一は言った。
「……はい」
「女王様がそんな弱気では救える命も救えない。地下にいる国民のことを思い出して。彼らは貴方に頼るしかないのです。であればこそ、貴方はその信頼に答えるべきだ。一人じゃ何もできないと甘えるのはおよしなさい」
ぐうの音も出ないほど厳しい言葉が返ってくる。
「ご心配なさらず。舞元を助けたら、私もすぐに戻ってきますので」
「わ、分かりました。やってみます」
うん、と力一は頷いて、
「待っていろ、舞元。すぐに助けに行くからな───っ! ほひょ、ほひょひょひょひょ」
変わった笑い声を上げて走り去っていく。そんな力一の背中を見送り、リゼは人が落ちた建物へと向かった。魔物の足跡が残る道はデコボコしていてちょっと歩きにくい。ドレスの裾を持ち上げ、瓦礫に引っ掛けないよう慎重に進む。途中、何度かつまずいて転びそうになったものの、大事なドレスが汚れないよう細心の注意を払う。
ようやく辿り着いた家には変態がいた───リゼが見たものをありのまま伝えるなら、ボロボロのメイド服を着た筋肉ムキムキのエルフが、全身傷だらけで倒れていたという、人生で一度出会うか出会わないかのような状況。
その傷は魔物との戦いで頑張ってくれた証である。が、リゼの中では彼の勇敢さを讃えるよりも、水の濁ったあとのような不気味さが勝ってしまう。
浅いと思っていた水溜まりが実は思ったより深くて、底の見えない暗闇から伸びてきた手に足首を掴まれ引きずり込まれていくような感じ。
恐怖でしかない。
「……あの、大丈夫ですか?」
正直、声を掛けるのも躊躇われる。
少し、後退。
腰が引けるのも仕方ないだろ! リゼの記憶にある限り、王室でもこんなメイドは見たことがないのだから。そもそもエルフ自体が珍しい。ヘルエスタ王国のエルフといえば、お母様の隣に立っていた、えるさんだけ。
それ以外でエルフを見たのは初めてのことである。
ていうか、初対面の人に話しかけるって怖くない?
急に心配したりして変な奴だと思われたらイヤだなぁ……。
会話デッキを───今日は天気がいいですね。うん、これなら無難だ。いや待って、今日の空なんだかめっちゃ赤黒い気がする。誰もが思うキレイな空って青空だよね。だけど、血が滲んでいる空もある意味キレイだと思うんだけどなぁ。晩ご飯、どうしよ。
リゼの思考があっちこっちに暴走する。
挙句の果てには、宇宙ってどんなところだろうなんて考えてしまう。
結局どうする、の答えが出ないまま───目が合った。リゼがアレコレ思い悩んでいるうちに目を覚ましたらしい。
「……───」
「……───」
頭の中が真っ白になる。
リゼは勇気を振り絞り、唇を震わせた。
「お、お元気ですか?」
見つめ合う二人の心境は、戸惑いから始まった。
チャイカ・モア・ヘルエスタは目を開けた先にリゼがいるなんて想定していなかったし、リゼの方は知らない人と目が合ったことで内側にある人見知りセンサーがぐるぐると回り出し、警告音を鳴らしている状態だ。
リゼは唇を結んで、視線を泳がせる。全身ボロボロの人に対して、自分はどうして「お元気ですか?」なんて口走ってしまったのだろう。
今からでも質問の撤回を───。
「どう見たって元気じゃねえだろ。死にそうだよ」
「そ、そうですよね! ごめんなさい!」
間に合わなかった。メイド服を着たエルフの顔が険しくなる。その表情の裏を読み取ればこの先の会話を上手く繋げることが出来るだろうか? それともケガの治療を先にすませるべきか?
そこで、あ、とリゼは思い至る。
自分の手元には治療道具どころか、回復ポーションすらないことに。
「まだ死にませんよね?」
「わぁ。死にそうな奴にかける言葉とは思えないねぇ……」
「誤解です! もうちょっとしたら助けが来るので。それまで生きていてくれたら助けられると思います!」
「それまで頑張って生きてろってこと? 回復ポーションもなしに? 女王様ってば、流石に鬼畜すぎない?」
「しょ、しょうがないじゃないですか! 忘れてきちゃったんですから……」
「なんも言えねえ」
リゼは内心びくびくしながら倒れているチャイカに近づき、その隣に座る。
「傷がひどい……。何か止血するものを」
そうは言ったもののこれといって使えそうな物は見当たらない。そこでリゼは自分の着ていたドレスの裾を掴んで、躊躇うことなく思いっ切り引き裂いた。
破いた布をチャイカの右腕に回し、きつく締めあげる。
「これで少しは楽になるハズ……」
「いいの? そんな事して。高そうなドレスが台無しだよ?」
「え? あっ、ホントだ! お母様から貰った大切なドレスなのに……」
うぅ、とリゼは泣きそうになっている。
バカなのかな? と思うチャイカ。しかし、これがリゼ・ヘルエスタの本来の姿なのだろう。えるに操られていた時は人形のような無機質な感じだったが、今の彼女はころころと表情が変わり、とても親しみやすい。
おっちょこちょいなのが、たまに傷だが。
「あとから弁償しろとか言われてもできないからね? お金持ってないし」
「言いませんよ!」
「ホントにー?」
リゼはむっとした表情を浮かべる。
その顔はチャイカに、ウィスティリアのことを思い出させた。
「似てるな」
不思議そうな顔でリゼが見つめてくる。
「似てるって、お母様にですか?」
「ううん。違う」
「えっ!? じゃあ、誰に……」
「そうだなぁ。……すんごい昔の人かな」
「歴史上の偉人とかですか?」
「……多分、そんな感じ」
へぇー、とリゼはエルフの知識に感心する一方で、会話が途切れてしまったことに恐怖した。気まずい空気。両手の人差し指が遊び始める。
「あの───!」
リゼが意を決して話そうとした瞬間、チャイカが言った。
「そういえば、どうしてこんな所にいるんだ?」
「えぇ!? えーっと、えーっとですね。……人命救助です!」
嘘はついていない。
「人命救助? 国民はもれなく地下に避難してるんじゃないのか?」
「ほとんどはそうです。でも、逃げ遅れた人もいます。アナタみたいに」
リゼは真っ直ぐな瞳でチャイカを見つめた。
心配しながらも、文句を言われているような、どっちつかずの視線。
「魔物もたくさいただろ。それなのに一人って」
「それも心配ないみたいで……」
「どういうこと?」
「私にも理由は分からないんですけど、気づいたら魔物たちがいなくなってた、みたいな。そんな感じなんです」
「……なんだろう、世界ってたまにテキトーだよね」
それは真理をついたような言葉だった。
偶然と必然。
イタズラの計画を立てて上手くいったこともあれば、逆にその計画が邪魔になって失敗したこともある。実際、自分たちの世界は何となく回っているし、そのことについて深く考える必要もない。
考えすぎて爆発する人は、ヘルエスタ王国に来ればいいのだ。
「よいしょ、っと」
チャイカは身体を動かし、胡坐をかく。
リゼは手を貸してサポートした。
「動いても平気なんですか?」
「全然」
「じゃあ、横になってて下さいよ!」
「時間がないんだ」
チャイカの緊迫した声が、リゼの心配を遮る。
「……───」
「急に黙ってどうした?」
「アナタが時間がないって言うから……。ちょっと悲しくなりました」
「そんなことで!?」
「そんなこと、じゃありません! だって───」
リゼは両手でスカートを握り、下を向く。
本当に素直な子だ。
「……そういう時は必ずやって来る。これは変えられない運命だ」
「分かってます。分かってますけど……」
彼女は今、自分の内側に抱えた豊富な感情に耐えているのだろう。崩れないよう、必死に。チャイカは一度深呼吸をして、リゼに王としての眼差しを向ける。
時間がない。
この先の未来。
時代の王がどうなるのか、見定めなければ───。
「リゼ・ヘルエスタ、お前はどんな国を作りたい?」
「……よく、分かりません」
リゼはかぶりを振る。
「そんなの急に言われても……想像できませんって」
「ダメだ。ちゃんと答えなさい」
うーん、とリゼは頭を悩ませて、
「頼れる国にしていきたいです」
「それってどんな国なんだ?」
答えを聞いたチャイカのほうが逆に頭を傾げてしまう。
「漠然としたイメージなんですけど……。辛い思いをした人、頑張って潰れてしまった人、何も出来ない自分を責めてしまう人、そんな人たちが最後の最後で頼れるような国にしていきたいです」
えへへ、とリゼは照れくさそうに頭を掻く。
チャイカは黙ってそれを飲み込んだ。
「種族関係なく、手を差し伸べるのか?」
「種族なんて関係ありません」
「魔物はどうする?」
「共存していければいいな、とは思っています……。同じ命ですから……」
「そうか」
チャイカは笑った。
「そうだな。その通りだ!」
この世界で生きている以上、すべてが尊い命だ。
そこに上下なんてない。
「ど、どうして笑うんですか! そっちから聞いて来たのに!?」
怒った顔も姉様によく似ている。
「いや、なに。嬉しかったんだよ。夢が叶ったような気がして」
「……はあ」
チャイカの思いなどつゆ知らず、目の前の少女はため息をつく。完全に度肝を抜かれた。リゼの語った夢は、聞けば誰もが笑ってしまう道化の美談だ。戦争の過去を知っている者たちならば尚のこと嘲笑し、彼女の夢を打ち砕いてしまうだろう。
ここにいるのが自分だけで良かった。
チャイカは頬杖をついて、
「その道は険しいぞ。ヘルエスタ王国の歴史上、誰も成し遂げられなかった事だ」
ニヤリ、と。
それでも進むのか? と。
「本当は分かりません」リゼは続ける。「だけど、ありがとうございます。アナタのおかげで、自分の進むべき道が見えたような気がします」
少女は不安を隠しもせず、震えながら笑っていた。
「病気で死んだ家族にも胸を張れるように。頑張っていい国を作っていきます」
「……病気で、か。それは辛かったな」
「はい。でも」
リゼは腕を組んで、頭を振る。
「私、その時のこと全然覚えてなくて。地下では私が家族を皆殺しにしたって言われたりもして。そんなことする訳ないのに……」
「……───」
「アナタも、私が家族を殺したと思いますか?」
チャイカはあらためて、世界の残酷さに恐怖する。リゼは知らないのだ。王様になった自分が何をしてきたか、どう生きてきたのか。すべてを知らない。そして彼女に訪れる最初の試練は、その真実を知るところから始まる。
ここで話してしまうのも一つの手だ。
受け入れられるかどうかは、別として───。
「いいや、思わない」
背筋をムカデが這い上がってくるような気がした。
ほんの少しでも触れてしまえば彼女の心が壊れてしまうような悪寒……。
「ですよね! ホント、みんなして私を人殺し扱いして。許せません」
「王様権限で処しちゃえばぁ?」
「そんな私利私欲のために権力は使いませんよ。私、立派な女王様になるんです!」
「……───」
「ふぇ!?」
リゼは突然頭を撫でられ、困惑の声を上げる。
「なあ、リゼ。幸せに生きろ。どんな理不尽が来ても負けるな。強くあれ」
王から、次の王へ花束を。
チャイカはリゼへ、モアの王冠を託す。
満足だ。
本当に。
何の後悔もない。
「……───」
「……───」
互いに見つめ合い、微笑み合う。
直後。
チャイカは自分の身体が内側から枯れていくような感覚に襲われた。だが、不思議とイヤな感じはしない。波の立たない、穏やかな水面を眺めているような気分だった。
長い旅が終わる。
本来ならとっくの昔に終わっているハズの命。それが今日の今日まで現世に繋ぎとめられていたのは、ウィステリアの『人間を信じろ』という願いによるところが大きい。
最初はどうやって信じればいいのか分からなかった。そもそも人間のせいでエルフの国は滅ぼされたのだ。信じろというほうが無理だろう。
恨みを晴らしてほしい、とかだったらウッキウキで人間を滅ぼしたのに───しかし、ギリギリのところで間に合ったとチャイカは思う───気の遠くなるような長い時間が掛かってしまったが、人間を、リゼを信じることが出来た。
それで十分だ。
突如として眩い光が二人の視界を白く塗りつぶす。
色彩が戻ってくるまで十秒ほど。
「なんでしょう、アレ」
地上から伸びる光の柱に顔を向け、リゼが聞いてくる。
チャイカは考えて、
「お前はあっちに行きなさい」
光の柱を指差す。
「……行かなきゃダメですか? めちゃくちゃ危なそうですけど」
「国民を見返してやるんだろ? だったら、女王様スゴイってところを見せなくちゃいけないよな? そうだろ? ん?」
「でも……」
「でもぉ……じゃ、ありません! 立派な王様になるんでしょ? だったら、しのごの言わず、頑張りなさいよ!」
チャイカの気迫に負けて、リゼはしぶしぶ頷いた。がっくりと肩を落とす。多分何を言っても、このエルフは尻を叩いてくるに違いない。
「覚悟が決まったところでオレからプレゼントをあげよう」
「覚悟は決まってませんけど、プレゼントは貰います」
リゼの身体を樹木が覆い隠す。
しばらくして解放されたリゼは、青と白を基調とした空色の服を着ていた。
「これって……」
「破れたドレスじゃカッコ付かないからな。どうだ? 気に入ったか?」
白のブーツに青色のニーハイをガーターベルトのついた金具が止めている。裾の大きな星型は半透明になっていて、所々にデザインされた羽の模様は、これから新しくなっていくヘルエスタ王国にピッタリのシンボルだろう。
「ステキな服ですね。本当に貰っていいんですか?」
「もちろん」
貰うもなにも、それはウィスティリアが自分の娘のためにと作っていた服だ。チャイカがレイナ・ヘルエスタに渡そうと思って、渡せなかったものでもある。
「似合ってますか?」
リゼは嬉しそうに笑みを浮かべ、その場で立ち上がり、くるくると回る。
「こんな所で暴れるんじゃありません。コケちゃったら危ないでしょう」
「大丈夫ですよ!」
チャイカは浮かれているリゼの背中を見つめる。
どうやら別れの時が来たようだ。
「そうだ、名前。私まだ、アナタの名前を───」
リゼが振り返ると、そこにはもうエルフの姿は無かった。
先ほどまでいた場所に戻っても、残っていたのは血の滲んだような枯れ葉だけ。その枯れ葉も、風に吹かれて何処かに飛んでいってしまう。
「さよならぐらい、言いたかったな……」
撫でられたことを思い出す。強くて、優しくて、暖かくて───そして今日まで頑張ってきた人の手だった。
手には傷がついていて、それが髪に引っかかって、少し痛くて。
「……───」
リゼは光の柱を見つめる。光は消えかかっていた。地上に向かってゆっくりと落ちていく。リゼは頬を叩いて、光の落ちた場所に向かって走り出した。




