ヘルエスタ王国物語(27)
ヘルエスタ王国、南門───貴族街。
魔物との戦いの最中、ローレン・イロアスはおよそ戦場には似つかわしくない、魂が震えるような異形の歌を聴いた。魔物たちもローレンと同じように響く歌声に聞き入っている。言葉の意味は理解できない。それでも殺伐としていた戦場の空気を、一瞬にして吹き飛ばしてしまうほどの風を感じた。
「どういう状況だ?」
全員が思っていたことを、ローレンが代表して呟く。
目の前の魔物たちは歌が聞こえる東側に首を向けて、それからピクリとも動かない。
「ローレン隊長! 先ほどレヴィさんがエクスさんを連れて、ヘルエスタ王国に戻ってきました」
息を切らした、栞葉るりが報告する。
「……そうか」
予想していた最悪の事態にはならなかった。そのことにローレンは安堵の息を漏らし、剣を納め、報告に来た栞葉へと歩み寄る。
「他に進展はあったか?」
「知りません」
「……───」
「急いできたんですよ? 色々聞き逃しても仕方ないと思いますけど」
それに、と栞葉は続ける。
「ローレンさんが言ったんじゃありませんか。二人が戻ってきたらすぐに報告しろって」
「そうだったな。じゃあせめて、この歌を歌っているのが誰なのか教えてくれ」
「知りません」
「……───」
ぷい、と顔を逸らす栞葉をローレンは笑顔で見つめた。
「なんですか、その顔」
「無能な報告係をクビにしようか迷っている顔だ」
しばらくにらみ合っていた彼らだが、そんな時、突如として巨大な地響きが二人を襲った。それは足を上って全身を揺らす。
栞葉は立っていることも出来ず、その場に尻餅をついた。
魔物がいなくなり、緊張の抜けた警備隊も続々と床に倒れていく。
「肝心な問題がまだ残ってたな……」
そうだ、とローレンは健屋に言われていたことを思い出す。
フレン・E・ルスタリオは何処にいるのか?
おそらく、地響きの元凶となっているのは彼女だろう。と、勝手に予想を立てて見たが、幸運なことにローレンにはそれを確かめる術がない。
───待てよ。
「おい、栞葉」
「なんでしょう?」
彼女は不思議そうな表情を浮かべ、隊長を見つめた。
ローレンは上がっていた口角をさらに、尖らせて、
「騎士団に入りたいなら、頑張って強くならないとな」
「……嫌味ですか?」
「いや、そうじゃない。東門から帰ってきたばかりで申し訳ないが、無駄口を叩く元気があるお前に新しい任務を与えようと思ってな。それに。これはとっても大事な任務だ。拒否することは認められない」
栞葉はその意味を、明晰な頭脳で察してしまう。
「ま、まさか!」
「そのまさかだよ、栞葉るり」
ヘルエスタ王国、西門───貧民街。
「魔物たちが森に向かって……」
「ホント不思議だよね。さっきまであんなに血の気が多かったのに」
津波のように引いていく魔物の背中を眺めながら、崩れかけた屋根の上に立ってドーラが答える。彼女の応答にベルモンドは周囲に残った魔物がいないか、注意深く首を回す。血の臭いと土煙が目立つが、どうやら倒した魔物以外は残っていないらしい。
「皆さん、戦いは終わりです。ここからはもっと忙しいですよ」
「クレアさん!?」
ベルモンドは声のした方を振り返り、驚いた。そこには瓦礫の上をウサギのようにぴょんぴょんと飛び渡って、ゆっくりと近づいてくるシスター・クレアの姿があった。
「歌の力っていうのはスゴイですね! 戦争をこんな簡単に止めてしまうんですから」
そう言って、クレアは二人に笑顔を向ける。
嬉しそうだった。
「まだ残った魔物がいるかもしれないんで。出来れば教会に戻ってくれると……」
「そんなに心配しなくても大丈夫じゃない? 近くにアタシらもいるんだし。それにさっき自分の目で確認してたじゃん。残った魔物はいないって」
ドーラに笑われて、ベルモンドは恥ずかしそうに頬を掻く。
クレアの言ったように戦いが終わったとあれば安心して拳の力を抜けるのだが、そう判断するには早計だろう。魔物の後退が次の進軍に備えてのものなら、余計気を抜くことは出来ない。
「見落としがあるかもしれない」
「ベルさんは心配性だね」
すかさず、クレアが二人の会話に入ってきた。
「いいえ。本当の本当に戦いは終わりです。お二人も先ほどの歌をお聞きになったでしょ? 魔物たちはこれ以上ヘルエスタ王国を襲ってきたりしません。むしろ、これからは友好的な関係を気づけると思いますよ」
「クレアはあの歌の意味を知ってるの? アタシでも分からなかったのに」
「もちろん知りません」
ドーラは慌てて、屋根から落ちそうになるのを堪えた。
たまに適当なところがあるシスター・クレアである。根拠はないが、自信はあるという困った状態。他の人が同じように発言すればぶん殴っていただろう。だが、残念なことに。彼女のこういった直感は当たるのだ。
「……じゃあ、他の所に応援に行きますか? さっきの地響きも気になるし」
「それはですね───」
クレアは途中で言葉を止めて、珍しく眉間にしわを寄せた。先ほどの嬉しそうな表情と違ってレモンを食べた直後のような酸っぱい顔をしている。
それからうーん、と悩み。
クレアはリヴァネルとフレンの戦いを伝えるべきではないと判断した。
「改めて。ベルさん、ドーラさん、本当にお疲れさまでした」
労いの言葉を贈る。
それから、
「ところで尊様を見ていませんか? どこに行ったのか分からなくて」
「アタシは見てないなー。ベルさんは?」
「俺も───」
三人は同時にとてつもなく大きなモノが爆発する音を聞いた。
「またか」
ベルモンドが音のした方角を見つめる。
「地響きの後からちょくちょく聞こえてくるようになったよね」
両手で耳を塞ぐドーラをよそ眼に、シスター・クレアは唇を噛む。
この物音の中心にいるのはフレンとリヴァネルで違いない。
二人の戦いがどんな結末になるのか予測できない現状、これから歩む未知の世界に怯えず、備えておく必要がある。
そして万が一、臆が一にでも、リヴァネルが負けるようなことがあればフレンの矛先はヘルエスタ王国へ向くだろう。
犠牲がなければ次の物語へ進まないとはいえ、誰も犠牲にならずに生きられる世界を夢見ている彼女にとって、それは残酷すぎる。
「尊様の捜索は後回しにしましょう。今は残っている魔物がいないか、速やかに確認をお願いします。死体の裏まできっちり探してください」
ドーラは面倒くさそうに返事をし、ベルモンドは快く頷いた。
ヘルエスタ王国、東門───娯楽街。
魔王と英雄は歓喜の声で迎えられ、魔王の歌声によって魔物たちは自分たちの住んでいた森に帰っていった。
しかし、東門を守っていた兵士たちの緊張は凍りついたまま解けないでいる。彼らは知っているのだ。すぐ隣の地区で繰り返されている地響きと爆発音が、誰の手によって作り出されているのかを。
「ボクたちも手伝いに行くべきかな?」
レヴィ・エリファの声は震えていた。それはこの世のモノとは思えない、膨大な魔力を感じとってのことだった。元の形に戻ったとはいえ、魔王として覚醒した彼女の角はこれまで以上に魔力に対して敏感になっている。
フレンと戦っている誰かの魔力に、レヴィは怯えているのだ。
「オレたちが行っても足手まといになるだけだろ」
城壁の上で横たわったエクスが言う。
それは謙遜でもなんでもなく、実力差があり過ぎて馬鹿らしい、と思っての発言だった。ヘルエスタ王国最強と名高いフレンと互角に戦っている怪物との間に割って入るなど論外だ。不可能だ。
好んで飛び込むようなヤツがいたなら、そいつは命の価値を知らない愚か者だろう。
「まあ、団長が本気で戦ってるところを見たいって気持ちはある」
「確かに。それは見て見たいかも。団長はボクたちが弱すぎて、本気で相手しれくれなかったし。……でも、あの場所に行くのは」
視線の先で魔力が渦巻いている。
「生きて帰って来れんのか、分かんねえよなー」
「うん、そうだね……」
レヴィは魔力に当てられ、倒れ込むようにしてエクスの隣に座った。
「大丈夫か?」
「ちょっと……魔力酔いが酷くて」
レヴィの額には汗が浮かび、よっぽど苦しいのか、肩で息をしている。
「いっそのこと、このまま寝ちまうか」
「急にどうしたの?」
「やることなくて暇でさ。だから、休んじゃおうかなって。それにほら、オレってば力尽きて全然動けないわけだし」
「自業自得だろ」
レヴィに睨まれて、エクスは笑う。
「心配しなくても団長は負けねえって」
「そりゃボクも団長が負けるなんて思ってないけどさ。って、アレ? 音が消えてる」
「地響きもだ」
戦いが終わったのだろう。だが、どちらの勝利で終わったのか分からない。
「……───」
「……───」
「「──────ッ!」」
不意に、異様な気配を感じた。
エクスは動けないはずの体を無理矢理にでも起こして、気配の正体を探る。
「……団長か?」
呟いて、違和感に気づく。
もっと違う。
この世界に新しい何かが生まれようとしている。
「なあ、レヴィ。少しだけオレのこと抱きしめてくんない?」
「嫌だよ。ボクだって怖いんだ……」




