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ヘルエスタ王国物語  作者: 十月 十陽
再会編(プロット)
26/75

ヘルエスタ王国物語(26)


「チャイカ様、朝ですよ。ほら、さっさと起きてください」

「……うるさい。オレは夜型なんだ」

 布団の中でもぞもぞと動きながら、まるでダークエルフのような事を言っている美少年───チャイカ・ヘルエスタの朝はこうして始まった。

えるは溜め息を落し、料理の乗ったトレイをテーブルに置く。

「せっかくウル・モアがいなくなって、世の中が平和に向かっていく大事な時期に……全く、どうしようもない王様ですね」

「それはそれ、これはこれだ」

「……───」

 えるは魔法で葉っぱのカーテンを開き、薄暗い部屋に朝日を呼び込む。

「おい。光を入れるのをやめろ。オレはまだ眠いんだ」

 布団から顔をひょっこり出した、その時だった。

 目の前にはえるが操っているであろう、樹木の触手。が、隙を見せたチャイカの頬を往復ビンタで叩き起こす。

「へぶぶぶぶ、へぶ───!」

 寝起きの頭でまとまった思考が出来ないチャイカは、なかば強制的に理不尽を受け入れるしかなかった。

「ようやく起きる気になってくださったんですね。えるはとっても嬉しいです。さぁ、今日もそのキレイなお顔を見せください」

 笛のような美しい声色でそう言い放つ、える。

 ほとんど暴力によって扉の前まで吹き飛ばされた王様を前にして、一体どうしてそんないけしゃあしゃあとした言葉が出てくるのだろう。

「お前なぁ! 仮にもオレは王様だぞ。もっと丁寧で優しい起こし方あるだろが!」

 チャイカはパンパンに膨れ上がった自分の顔を指差して、

「見ろよ、イケメンが台無しだぜ」

「ブサイクですね」

「お前がやったんだよ!」

 えるは可愛らしく顔を横に傾け、チャイカの言葉をひらりと躱す。

 それだけの仕草で許してあげようかな、と思っちゃうぐらいには可愛らしい。

「そんなことで許して貰おうなんて媚売ってもダメだからな」

「見惚れてたじゃありませんか」

「うるせぇ───ッ!」

 美男美女で知られるエルフの中でも、えるはずば抜けて整った顔立ちをしている。実際、顔だけで王族の側付きに選ばれた可能性もあるだろう。

 なんたって、選考員が美人好きのバカ親父だったのだから。

 欠点があるとすれば、スノー・ホワイト・パラダイス・エルサント・フロウ・ワスレナ・ピュア・プリンセス・リーブル・ラブ・ハイデルン・ドコドコ・ヤッタゼ・ヴァルキュリア・パッション・アールヴ・ノエル・チャコボシ・エルアリア・フロージア・メイドイン・ブルーム・エル───という長ったらしい名前だけだ。

 今は愛称の、えるで通している。

「えるは朝食を用意しておきますので、チャイカ様はその寝ぼけた顔を洗ってきてください」

「はい、はい」

 言い返すのも諦めて洗面台に向かう。

 しばらくして部屋に戻ってきたチャイカの鼻を、鶏肉と野菜のソテーが歓迎した。

「美味しいな」

「そうでしょう、そうでしょう。何たって今日は、ママの手料理ですからね。美味しいに決まっています」

 自信満々に鼻を鳴らす、える。

 どう答えるのが正解だろう。

 とりあえず、

「メイドなら自分の手料理を出すものじゃないのか? 主人のために───」

「チャイカ様はえるの料理の腕に期待しているのですか?」

「いや、まあ……うん」

 えるがチャイカの側付きになって最初に出てきた料理を思い出す。

 死んで調理されたはずの食材たちが何故か息を吹き返し、皿の上で踊っている光景。フォークで刺すと叫び声が聞こえたり、味も……腐敗臭を煮詰めたようなこの世のモノとは思えないものだった。

「努力しているなら……いつかは食べてやってもいいと思ってる……」

「そうですか」

 えるは、ぷい、と顔を反らす。と、紅茶の入ったガラスのティーポットを両手に持ち、それを美しい所作でチャイカの空いているティーカップに注いだ。

「聖樹の葉を乾燥させたものです。今回のは上々のものですよ」

「……何年ぶりだろうな」

 ゆっくり、味わう。

 虹の戦争が始まってからというもの、こういった至高品を楽しむ余裕などなかった。数百年にも及ぶウル・モアとの戦い。エルフ、ダークエルフは、多くの死傷者を出しながらこの戦争を終わらせた。

しかし、終わらせたといってもそれは倒すことを諦め、封印することにエルフのすべてを捧げることで決着したのだ。

 まだ戦いが終わって一ヶ月ほどだが、いずれ封印は破られる。

 それが百年後か……。

 二百年後か……。

 それとも明日か……。

 明後日か……。

「あの……お口に合いませんでしたか?」

「ん? そんなことないぞ。オレがこれまで飲んできた中でも最高の一品だ」

「それは良かったです」

 えるは、ほっと胸を撫でおろす。

「どうしてそんなことを聞くんだ?」

「チャイカ様が難しい顔をしていましたので。ちょっと不安になってしまいました」

 ああ、とチャイカは前置きをして、

「ウル・モアのことを考えていた」

「……───」

 暗くなっていくえるの表情に、チャイカは自分の無神経さを呪う。

 彼女もウル・モアとの戦いで傷を負ったのだ。

 深い、深い傷を。

「つまんない話だったな。そんなことより、今日の予定はどうなってる? オレが出て行くような行事はなかったと思うんだけど」

「夜王国から、グウェルが来ています」

「グウェルが?」

 ウル・モアとの戦いが終わったなら、いずれ来るだろうとは思っていたが。

「意外と早かったな」

 エルフやダークエルフといった長命種は時間の感覚が他の生物とは違う。デートの約束が百年後だったとしても別に驚くようなことじゃない。

「帰らせますか?」

えるは言った。

「どんぐりでも持たせてやれば、夜王国での面子は保てるでしょう」

「……どんぐりって、お前。前々から思ってたけど、お前はグウェルのことをなんだと思ってるんだ?」

 ダークエルフに関して、えるの当たりが強いのはいつものことだが、グウェルに対してはちょっと強すぎ気がする。

 どんぐりを持って帰らせるなんて、どんな嫌がらせだよ。

「うーん、おもちゃ的な感じですね」

 可哀想に。

「もしかして。チャイカ様は、えるがグウェルに付いて行くと思ったんですか?」

「想像力……豊かだな……」

「ふふ。心配しなくても大丈夫ですよ。えるはこの先もチャイカ様にお仕えしますので」

 えるが可憐に笑う。

 チャイカは思わず、その笑みに見惚れた。

「まあ、とにかく」一拍置いて。「グウェルに会ってみよう。もしかしたらリヴァネルに渡したモアの王冠の件かもしれない」



     △△△



「チャイカ様。お久しぶりです。える様も相変わらず、見目麗しく───」

 グウェル・オス・ガールは、玉座に座るチャイカとその隣に立つえるに深々と一礼をした。夜王国の外交を任されているだけあって、その立ち振る舞いは見事なものである。

「待たせて悪かったな。そっちの……魔使はどうしてここに来ているんだ? 今日はグウェルだけって話だったと思うんだが……」

 チャイカは横目で、えるに視線を送った。

 えるは顔を横に振る。

 どうやら知らされていなかったらしい。

「チャイカ様に会いたいと仰っていたので、ヘルエスタ王国に来る途中で、私が拾ってきました」

「拾ってきちゃったかぁ……」

 白髪のツインテールに薄く混ざったピンク色のメッシュが特徴的な少女。幼い体系をしているが、魔族である彼女の見た目を気にするのは意味のない事だろう。年齢だって、魔界感覚で計算しているハズだ。

 樹木で彩られた王の間に入れたことがよっぽど嬉しいのか。魔使は忙しなく身体を動かし、飾りつけられた花たちに興味津々である。

「いやぁ。チャイチャイが元気そうでボクは嬉しいよ!」

「チャイカ様はとても元気ですよ。昨晩は一人運動会をなさっていたくらいです」

「誤解しか生まないような発言をするんじゃない」

 頭が痛くなる。

 これ以上、えると魔使に付き合っていても疲れるだけだろう。

「それで、今日はどんな用があってきたんだ? 夜王国で何かあったのか?」

 チャイカの切り出しに、グウェルの反応は薄い。

「いえ、夜王国はチャイカ様の支援もあり、今は比較的に安定しております」

「そうなのか? じゃあ、どうして───」

「今日は私事で参った次第です」

 ん? とチャイカは訝しむ。

「自分の話をするために来たのか? リヴァネルに与えたモアの王冠の話をしに来た、とかじゃなくて?」

「はい」

 マイペース過ぎて何も言えなくなる。

 グウェルは続けた。

「この度、私の妻が第一子を身籠りましたので、その報告にと」

「そ、それは良かったな……。大事にしろよ……」

「ありがとうございます」

「まぁ、どんぐりにも子供が……。えるからも祝福を贈りましょう。どんぐりのケーキでいいですか?」

「おめでとう!」

 予想だにしなかった報告にチャイカは放心する。

しかし、本当に祝福するべきことだ。

 ウル・モアとの戦争中にエルフの子供が産まれた、という報告は受けていない。グウェルが掴んだ幸せに、チャイカは胸の内が熱くなるのを感じた。

 それから四人はいくつかの雑談を重ねた。

 国の復旧に人手を回していることもあり、王城には誰もいない。四人は庭園に移動し、運ばれてきたお菓子を食べながら、グウェルとチャイカは唐突な変顔バトルを始めたり、えると魔使はそんな彼らに軽蔑する一歩手前の視線を送る。

「いいなー、故郷があるって。魔界なんて何も残ってないよ」

 魔使の一言で、その場が凍りつく。

 本人に悪気はない。彼女は友達と笑い合っていることに目を潤ませて、安心しているようだった。

「同情しますよ、魔使さん」

 えるが魔使の頭を優しく撫でる。

「えへへ」

「そうですよ。元気出してください」

 グウェルが泣き出しそうな少女の背中を叩く。

 なんかちょっと犯罪者っぽいな、と思ったのはここだけの話だ。

「実際、魔王が時間稼ぎをしてくれなきゃオレたちも危なかったからな。今はヘルエスタ王国と夜王国に人員を割いてるから手伝えないが、それが終わったら魔界への支援を惜しむつもりはない」

「友達が……みんな優しい。泣いちゃうよ」

 瞳に浮き上がってきた涙を、魔使は両手で隠す。

 三人はそれを見守った。

「そういえば、ウィスティリア様はどちらに? 出来れば彼女にも報告をしておきたいのですが」

「ああ。姉様ならリヴァネルと一緒に人間の国に行ってるぞ。一週間くらい経つかな? 遊びに行った国の名前は……覚えてねえや」

「人間の国に? それは……大丈夫なのですか?」

 グウェルの言葉はウィスティリアの体調を心配してのものだろう。

「ずっと戦い続きだったからな。オレも休むよう言ったんだが……聞く耳を持ってくれなかった。人間の国でリラックスできるなら、それに越したことはないだろ?」

 呆れたように話すチャイカだが、心配の色は隠せない。

 ウィスティリア・モア・ヘルエスタ。銀色の髪と紫紺の瞳を宿した国宝とも称される存在。ヘルエスタ王国の女王にしてウル・モアとの戦争の最前列でエルフの軍を率いて戦った才女。少なくともエルフの間では伝説のように思われている。

 戦争が終わった今では、彼女の物語に尾ひれが付きすぎて、もはや訳が分からない面白ことになりつつあった。

「いえ、私の心配は人間のほうです」

「人間だと? 姉様が勢い余って、人間の国を滅ぼしてくるとでも言いたいのか?」

 ウィスティリアはモアの王冠を持っている。人間がどんな手段を用いても彼女に傷をつけることは出来ない。

 あるとすれば、手土産に人間の国をプレゼントされるぐらいだろう。

 これといって心配するような事はない。

 チャイカは笑い話のつもりだったが、グウェルの表情は先ほどまでの胡散臭い笑みとは違い、どんどん硬くなってきている。

 その表情はまるで、どんぐりのようだった。

「あっ、ボクも知ってる。今の人間界はあんまりいい噂聞かないよね」

「……───」

「教えていただけませんか?」

 えるが促す。

 グウェルは黙って頷いた。

「夜王国では人間に襲われた、というダークエルフが後を絶たないのです。事実確認を行っておりますが、その話の出どころも未だ掴めておらず……」

「どんぐりの皆さんは人間なんかに後れを取るのですか?」

「言葉もありません。ですが、襲われた者たちの話では魔法が使えなかったとのことでした。特殊な結界によって魔法の使用が阻害されていた、とだけ」

「魔法が使えないですって?」

 えるの顔が険しくなる。

 それはチャイカも同じだった。グウェルから与えられた情報を嚙み砕けば、それは人間の魔法技術が吸血鬼に追いついたということになる。

 何百年という時間はエルフや魔族にとって大した時間ではない。

 だが、人間だけは違う。

 彼等は短い人生の中で命を燃やし、ほんの数年で進化する。

 虹の聖戦で滅ぼされた極東の島国を除けば、人間の国はウル・モアとの戦争に参加していない。

 つまるところ、彼等には社会を発展させるだけの時間が十分にあったのだ。

「特殊な結界っていうのも気になるな。……もっと具体的な情報はないのか」

「申し訳ありません」

 グウェルが頭を下げる。チャイカは何も言わない。顎に手を当てて、思考を巡らせているようだった。

「人間共が攻めてきている可能性があるってのは分かった。しかし、目的が分からないな。戦争で荒れた夜王国に欲しいものなんて───」

「ヘルエスタ王国でも人間に襲われた者がいないか、妖精たちに調べさせましょう」

「頼む」

「妖精はやめておいた方がいいんじゃないかなぁ……」

 えるが立ち上がったところで、魔使の言葉が彼女を制する。

「魔使さん、それはどういう意味でしょう」

「うーん……上手く言えないんだけど。人間は妖精を探してるんじゃないかなと思って……」

「妖精ですか」グウェルが言った。

 続けて、チャイカが質問する。

「そう思った理由があるのか?」

「根拠はないんだけどね。……ただ、妖精たちはエルフの国がどこにあるのか知ってるでしょ? 妖精を捕まえて案内させればヘルエスタ王国に入れるんじゃないかって……うぅ、テキトーに言ってるだけだからあんまり気にしないでもらえると……」

「いいえ。案外、魔使さんの言う通りかもしれませんよ。人手の足りない今、私たちは妖精に頼りきっているところがあります。そこを狙われたとしたら……」

 自信無さそうに身を縮ませる魔使だったが、グウェルのほうは一考の余地ありと思ったらしい。

「卑劣な人間が考えそうなことだな……」

 捕獲された妖精たちがどんな扱いを受けるのか想像に難くない。

 使い捨てるか、観賞用のペットか。

 まだチャイカが誕生するより前の話だが、エルフを奴隷にしようとした過去もある。

 物珍しく、高価なモノ。

 そんなクソどうでもいいモノを持っていることが人間社会でのステータスになる、と以前リヴァネルから聞いたことがある。

「考えすぎではないでしょうか? 妖精を捕まえる。そんなことが人間に出来るとは思えません」

 えるが言った。

 チャイカは難しい顔をして質問に答える。

「グウェルが話してた魔法を使えなくするっていう結界を人間が作れるんだったら、妖精を捕獲する手段もあると考えるのが妥当だろ。こういった発想はオレたちエルフから生まれにくい。素直に、魔使に感謝だな」

「え? そう? なんだか照れるな」

 魔使は、恥ずかしそうに笑みを浮かべる。

 その横で、確かに、とえるが呟いた。

「……では、エルフ二人と妖精一匹。これを一組のチームとして行動するよう義務付けましょう」

「それでいいんじゃないか」

 えるは妖精に伝言を頼みに行き、しばらくして戻ってきた。

 そして一言。

「今日のチャイカ様はいつになく頭が回りますね。本当にチャイカ様なのか疑ってしまいそうです」

「ホントだよね。いつも馬鹿みたな発言してくるクセに」

「貴様ら……王様への不敬罪で処しちゃってもいいんだぞぉ?」

「まだモアの王冠を継承していないチャイカ様には、その権利はないではありませんか?」

「チッ!」

 グウェルの追い打ちに、チャイカは舌を打つ。

 えると魔使が笑う。釣られてチャイカとグウェルも笑った。

 戦争が終わり、数百年ぶりに帰ってきた日常。今はただ、このゆったりとした眩しい時間が続いていくのを願うばかりである。



     △△△



 エルフの森が燃えている。

 地上から伸びる黒いカーテンはヘルエスタ王国の星空を覆い隠し、生きる者たちを闇に引きずり込もうとする蛇のようにも見えた。

 これは退廃の夢。

 変えることの出来ない、死んでいく物語。

 悲鳴が聞こえる。

 それはエルフか、妖精か。

 終わっていく国に相応しい鎮魂の歌が、チャイカの耳に届いていた。

 チャイカが知らせを聞いたのは、半数以上のエルフが犠牲になった後のこと───後ろ髪を引かれる思いだが、玉座を預かる者として、このままヘルエスタ王国が滅んでいくのを黙って見過ごすことは出来ない。

 そんな時。

 妖精の知らせを聞いた。

「チャイカ様!? どちらに行かれるのです!?」

 えるの声を無視してチャイカが向かうのは、姉と一緒に遊んだ白百合の花畑である。

 二人にとっては思い出の深い場所。

 チャイカは炎によって照らされた森道を走り抜け、約一年ぶりにウィスティリアとの再会を果たす。

「姉様───ッ!」

 ウィスティリアから流れたおびただしい量の血が、周辺の花を赤く染めていた。服に血が付くのも構わず、チャイカは白百合に埋もれた姉の身体を抱き上げる。

「ああ……良かっ……た」

「喋らなくていい! 今は───」

 チャイカは触れた姉の肌の冷たさに、ゾッとする。

 手遅れだ。

 もう助からない。

 そんな言葉が喉の奥に詰まった。

「大丈夫。いつか……別れの日は来るものだから」

 細い声でウィスティリアは笑う。

 どこか満足そうに───幸せを噛みしめるように。

「笑うなよ。例えいつか死に別れるとしても、こんな別れ方は違うだろ!」

「……───」

 叫びを受け止められて、ウィスティリアにそっと頬を撫でられる。

 それだけで崩れてしまいそうになる。

 思えば、思うほど。

 必要のない感情が溢れ出そうとしていた。

「ねえ、チャイカ。人間ってスゴイの。色んなモノを発明しててね。それで───」

 どうだっていい。

 そんな事は、どうだって───。

「ここから逃げよう。生き延びて。そしていつか復讐するんだ。思い知らせてやる。オレたちエルフを敵に回したらどうなるか。あのクソ人間共に!」

 苦しみに悶えるチャイカの視線は真っ直ぐ、人間に向かって伸びている。

 その瞳に渦巻くものは戦争の火種。血をくべることでしか生きた実感を得られない破滅の道を歩もうとしている。

「最後に、お願いがあるの。聞いてくれる?」

「……いいよ」

 姉のお願いに、チャイカは頷く。

 悲鳴の聞こえない、静かな時間を過ごしたのち。ウィスティリアから聞かされた言葉は予想外のものだった。

「人間を信じて」

 何を。

 何を言ってるんだ?

「そんなの……出来るわけない。森を焼かれて……仲間を殺されて……姉様まで傷つけられて。ここまでされて、どうして人間なんかを信じることが出来る!?」

「そうね。だけど、信じてほしいの」

「ムリだ。オレには出来ない! あんなクズ共を信じるなんて」

 気が狂ってしまいそうだ。

「───ッ!」

 チャイカはそこで、はっ、とする。

 ウィスティリア・ヘルエスタから託された願い、その意味を───チャイカ・モア・ヘルエスタは知っている。

 モアの王冠の加護によって、辛うじて繋ぎとめられていた姉の命が消えていく。

「どうしてこんな───!」

「最後になるけど、チャイカにも旅のプレゼントを贈らないとね」

 待って。

 待ってくれ。

「人間には名字っていうものがあるらしいの。だから、そう───花畑。花畑チャイカっていう名前はどうかしら?」

「良い……名前だ、と思うよ……」

 ウィスティリアは笑った。

「いつか、私の娘に会う機会があったら。その時は……優しくしてあげてね。貴方は意外としっかり者のお兄ちゃんだから。心配はしてないけど」

 お願いね。

 ウィスティリアの身体が花となって散る。

 チャイカの手には何も残らなかった。

「チャイカ様」

「える、逃げてくれ」

「イヤです! えるは最後までチャイカ様にお仕えします!」

「───命令だ」

 チャイカは立ち上がり、ゆっくりと振り返る。

「もうこれ以上、何も失わせないでくれ……」



     △△△



 森を抜けた先───薄汚れた白衣を着て、その男は立っていた。

「ハッローーーーーー!!!!!!!!! 材料の皆さんは速やかにぶち殺しますので、早いとこ我々の前に姿を現して下さいねェーーーー!!!!!」

 不快な声がヘルエスタ王国全域に響き渡る。

 拡声魔法でも使っているのだろうか、しかし、魔力の流れは感じない。

「よォ、人間」

 憎しみを込めて、チャイカは低く唸る。

 白衣の男を今すぐにでも殺したい衝動を抑え、その激情に駆られることなく睨みつけるだけに留めたのは、むしろ褒められるべきことだろう。

 目の前に広がるのは美しい花畑。

 正確には、エルフの屍で作られた美しい花畑だが。

「釣れたのは一匹だけですか……」

 退屈そうなため息と一緒に、花びらを集めていた奇妙な兵士たちは手を止め、一斉にチャイカに襲い掛かる。

「……会話の邪魔するなよ」

 そう呟き。破壊する。

 赤い血が周囲に飛び散った。

「なるほど……姉様を傷つけたのはこのコイツらか」

 どういう理屈かは分からないが、どうやらこの兵士たちはモアの王冠の加護を通り抜けてダメージを与えてくるらしい。人間の辿り着いた『奇跡』の形がこんな……苦虫を嚙み潰したような味がするとは───おぞましい。

「おんや、おんや。貴方ってばもしかして、結構お強い感じ?」

「まずは、名乗れ。王の御前だぞ」

 白衣の男は顔を歪め、子供のような笑みを浮かべる。

「材料の王! これはとんだ失礼を致しました。ああ、では改めて自己紹介をさせていただきましょう」

 咳払いを一つ。

「ワタシの名前はレオス・ヴィンセント。世界一にして超一流。狂気の天才科学者にしてスーパーマッドサイエンティスト。最初で最後の挨拶になるかとは思いますが、是非ともこのワタシの名前を忘れないで、死んで下さい」

 長ったらしい自己紹介に続き、兵士たちがチャイカに向かう。

 命令らしい所作は無かった。

 チャイカは攻撃を躱しながら形の違う───人型と獣型───二つの兵士を見比べた。形が違う、というだけで二つの兵士に大した差はない。攻撃も単純で同じパターンを繰り返すだけの木偶の坊だ。

 あの人間の操り人形。それ以上でも、以下でもない。

 ───こんなモノが『奇跡』なのか?

戦士としての誇りも、恥もない。

その虚ろな眼差しが伝えてくるのは、熱を失った心臓の音だけだ。

「……気色悪りィ、な!」

 チャイカは腕を振り、すべての兵士を一掃する。

「王様ともなれば一筋縄ではいきませんね。うーん、これはレオス。困っちゃう」パンパン、と拍手をする。「お名前。お聞きしてもよろしいですか?」

「オレの名乗りを邪魔したのはそっちだろ」

「怒っちゃイヤですよ。あんなの戯れに過ぎないじゃありませんか」

「そうかよ」

 名乗るために口を開きかけて、チャイカは迷った。

 今の自分には二つの名前がある。エルフの王としてモアの王冠を継承した名と、ウィスティリアから貰った花畑という名が。

 どちらを選ぶ。

「オレは、花畑チャイカだ」

 民も、国も守れなかった。そんな自分には王を名乗る資格はない。なればこそ、ウィスティリアから託された願いを名乗ろう。

「花畑……ふふっ。花畑チャイカ。くくっ」

「なにが可笑しい」

「いやね。まさか、材料の王が人間に憧れているとは思わなくて。ふふっ。しかし、これを笑うなというほうが無理でしょう。フフフフ。傑作だ! 最高だ! アハ、アハ、アッハハハハハハ!!!!!!!!!」

 そのまま笑い死んでしまえばいい、とチャイカは思う。

「楽しませてくれたお礼に、貴方には良いことを教えてあげましょう」

「……───」

「エリクサーという薬をご存知でしょうか?」

「知らないな」

 レオスは勿体ぶって、懐から赤い液体の入った瓶を取り出した。

「この薬はワタシが創ったモノなんですがね。あらゆる病を癒し、どんな傷も瞬きの瞬間に完治させてしまう万能薬なんですよ。おまけに、死者の蘇生まで可能!」

「───なっ!?」

 チャイカの表情が苦痛に歪む。

「貴様ぁ……どうやってそんなモノを作った!?」

「決まってるだろ? お前たちからだよ」

 一瞬の静寂。

 二人の間を、風が通り過ぎていった。

「正確には、吸血鬼の『血』、人魚の『肉』、天使の『羽』、獣人の『皮』、そしてお前たちが死んだ後に残す『花』が必要なんだ。その素材をドラゴンの心臓で作った大釜で混ぜ合わせることによって、エリクサーの原液を創ることが出来る」

「貴様は人間の中でも救いようがないクズだな……」

「自覚はしている。だがな、クズはクズでも。ワタシは人間だけを救うクズだ。人間がこの世界で生きる為なら、他の命がどれだけ犠牲になろうと知った事じゃない」

 チャイカは唇を動かそうとして、やめた。

 姉の遺した人間を信じろという言葉が、頭の中でうるさく反響している。

「はっ! 所詮は錬金術のマネごとだろ。科学者が聞いて呆れるな」

「確かに。エリクサーの原液を創るまでの過程は錬金術と変わらない。だがしかし、錬金術ではエリクサーを創れないんだよ」

「どういう事だ?」

「錬金術はエリクサーの原液を創れたとしても、その原液を液体として保存することは出来ない。彼らにはエリクサーを固め、賢者の石にまで劣化させなければ使い道がなかったんだ。原液を液体として使用するためには科学の手が必要不可欠。ある意味───科学の集大成ともいえるモノがこのエリクサーなんだよ」

「それがどうした。結局は錬金術に甘えただけだろ」

「……勘の悪い奴だな。お前はその成果物をすぐ側で見ているだろうに」

「成果物だと? そんなものどこに……」

 まさか、とチャイカは先ほど破壊した兵士たちの残骸を見つめ、かぶりを振った。

「嘘だ。そんな訳ない」

 何故だろう。

 分からない。

 ただ───偶然見つめた兵士の顔が、どうしようもなくグウェル・オス・ガールと重なったような気がした。

「この、このォ……クソ人間共がああああああああ!!!!!!!!!!」

 ここまで耐えてきた感情が決壊する。

「そうまでして! 貴様は、人間は! 一体……何がしたいんだ!?」

「決まってるでしょう!」飄々とした口調に戻り、レオスは続ける。「人間の為の新しい国。エデン共和国を作るんですよ!」

 レオスの突拍子もない発言に、チャイカは歯を食いしばり、納得した。

 結局のところ、種族の違う者同士で分かり合うことなど不可能なのだ。手を繋ぎ、笑い合い、朝まで酒を飲み明かす。そんな物語を紡ぐために、どれだけの犠牲を払い、どれだけの歴史を変えればいい。

 最後にはたった一つの玉座を狙って戦争が起こるだろう。

 もう分からない。

 分からないよ───姉様。

「それにしてもこの国は良いですね。地脈に恵まれ、未知が溢れている」

 レオスは何かを思いつき、

「決めました。ここをエデン共和国の中心にしましょう。うん! それが良い」

「……させるわけねェだろ、クソ人間」

 チャイカがそれを否定する。

「分かるように説明したハズなんですけどね。バカにつける薬は無いと言いますし。どうしようもないですね」

 レオスは疲れたように息を吐き、エルフの森から兵士を呼び寄せる。

 蟻を数えるようなものだった。ざっと見渡しただけでも、その兵士の数は優に百をくだらない。たった一人で戦うには絶望的な数字だろう。

 それなのに、少年は───花畑チャイカは笑っていた。

「ああ、そうだ。オレはバカだから。バカだから、分かんねェんだ」



     △△△



 朦朧とする意識の中から、チャイカを現実に引き戻したのは痛みだった。

 しかし、その痛みがどちらの世界から贈られてきたモノなのかは、皆目見当がつかない。誰かに腕を引かれて目を覚ましたような気もする。が、それも勘違いだろう。魔物の侵攻が始まってからヘルエスタ王国の国民は我先にと地下に避難したのだから。

 騎士団や警備隊ならいざ知らず、自分の命を最優先に考える人間が戦場に残っているとは思えない。

 寝ぼけた視界がゆっくりと世界を捉える。他の感覚も徐々に戻りつつあった。

 焦げたような臭いが続く。

 銀河の熱に晒されて体の一部が炭になっているのだ。

 それでも生きているのはリヴァネルの魔法より、ウィスティリアから託された願いのほうが強かった結果だろう。

 全く───姉様は、人を疑うってことを知らないのか。

 そんな中、チャイカは自分を呼び覚ました人間の声を聞いた。

 長い耳で、ハッキリと。

「……あの、大丈夫ですか?」

 声のした方に視線を向ける。

 銀色の長髪に、菖蒲色の美しい瞳。

 ウィスティリア・ヘルエスタと瓜二つの特徴を持つ少女───リゼ・ヘルエスタが不安そうな顔をして、こちらを見つめていた。


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