ヘルエスタ王国物語(25)
ヘルエスタ王国───北東方面。
フレン、チャイカ、リヴァネルの戦いによってもたらされた災害は、ヘルエスタ王国に住むすべての人々にこの世の終わりを想像させた。魔法が嵐を呼び、樹木が大地を持ち上げ、振るわれた剣は空を裂く。
魔物の侵攻が始まって地下に避難した人々は繰り返し鐘を叩くような轟音に晒され、どこが安全なのかも分からないまま、狂気に魅入られてしまう者も多い。
しかし、それだけの暴力が北東方面で収まっているのには理由があった。もちろん、殺し合っている三名は個人で国を滅ぼすだけの力を持っている。が、その荒くれ者たちが一ヶ所に集まったことで力の相殺が起こり、奇跡的にヘルエスタ王国を滅亡させる脅威には至っていない。
現時点でもっとも危険な場所───因縁が絡み合った偶然───なればこそ、彼等が世界を滅ぼす権利を賭けて戦っているのは必然と言えるだろう。
情報的アドバンテージはリヴァネルにある。今日までリゼの影に隠れ潜み、最大の敵となるだろうフレンの行動パターンを分析し続けてきた。騎士団の訓練から得た情報を元に仮想戦闘を行い、自身の一番得意とする遠距離からの魔法攻撃で戦いを優位に進める。彼女に勝つ手段はそれしかない。
リヴァネルが問題視するのは、突然としてやってきた異分子。チャイカの方だった。彼のサポートによって、フレンがリヴァネルを両断するまでの道が形成される。
一足で距離を詰められ、リヴァネルは脳と心臓を斬り裂かれるが───間髪入れず、滅びの魔女は身体の再生よりも先にフレンを迎撃する選択を取った。
フレンは驚かない。
今の攻撃で滅びの魔女を殺せるなら十八年前に決着がついているだろう、と。
炎雲から首を伸ばす竜がフレンに牙を剥く。普段なら造作もないと斬り伏せているところだが、これを……樹木を足場にして回避する。
「攻めあぐねているようだな」チャイカは言った。「どうだ? いい加減、オレと友達になる決心はついたか?」
「……───」
チャイカの戯言を無視して、思考する。
フレンにとって攻撃を避ける、というのは久しぶりのことだった。忘れていたわけではなく、その機会がなかっただけ。
今回は相手が相手だ。油断する理由もない。
事実、戦いが始まってから今の今まで。リヴァネルの魔法に被弾するどころか、掠ってすらいない。フレンにその選択を徹底させているのは、自身の手足から伝わってくる緊張や恐怖。長年の経験からくる直感が囁いているのだ。
───普通の魔法とは、どこか違う。
「貴様は正しい。どういう理屈かは分からんが。リヴァネルの魔法には『奇跡』が込められている。今の貴様には打つ手がないだろう」
「どういう意味だ?」
「えーっと、説明するのが難しいな。簡単に言ってしまうと、奇跡が起こっているって話だ」
「……───」
並走するチャイカの言葉を頭に入れながら、魔法を避けつつ、フレンはリヴァネルの位置を探る。現状、植物と魔法によって塗り替えられた地形はどこにでも影を落とし、陰湿な魔法使いが有利に立ち回れるよう作られている。また───見晴らしを良くしようとフレンが地形を変えようものなら、相手はそこを狙い撃ちすればいい。それだけで決着がついてしまうのだから。
姿を現したリヴァネルをフレンは逃さず、今度は粉微塵に斬り裂いた。しかし、両断した時と同じ感触。魔女の血は一滴も流れない。
「……───」
カウンター。
魔法による波状攻撃。リヴァネルが影に隠れるための繋ぎとして放たれた雑な魔法だが、奇跡を宿した魔法に対して何の耐性も持たないフレンが当たれば即死、あるいは致命傷……斬った後の行動を回避に縛られてしまう。
チャイカが地面から発芽させた樹木で、リヴァネルの魔法を砕く。
フレンはチャイカの作り出した樹木を見つめた。リヴァネルの魔法と同じように、この樹木も斬ることは出来ない。それは奇跡に関係している───。
「今のところ奴に有効打を与えられるのはオレだけだ。不服だろうが、団長様はサポートに回ってくれ……」
「何を言ってる? それなら私が攻撃した後に追撃すればいいだけの話だ」
「……そう言われてもな」
問題なし、と言い切るフレンにチャイカは顔色を悪くする。
団長様の動きについて行けません、なんて口が裂けても言いたくない。男としての小さなプライドだが、とっても大事なプライドだ。
そもそも! この場で唯一、奇跡を宿していないフレンが、モアの王冠を持ったリヴァネルと戦えていることの方が異常なのだ。王冠を持たない一般人が、どうして自分よりも早く動けるのか。どうしてその動きについて行けないのか。因縁があるとは言っていたが、それだけで説明できるものではない。
フレンが再び、リヴァネルの身体を二つに両断した。
チャイカは常にこの瞬間を狙っている。しかし、フレンに襲われたリヴァネルは反撃と同時に姿を隠してしまう。そのせいで手持ち無沙汰になった樹木をフレンのサポートに回すしかなくなっている。追いつかないのだ。
別に戦っている三人の中で自分が一番弱いわけではない───実際、リヴァネルはフレンへの迎撃に魔法を向けつつも、オレから視線を外そうとはしない。
状況は変わらない。
時間だけが過ぎていく。
なれば、こそ───。
「おい、最強」
チャイカの考えはシンプルだった。
問題は、フレン・E・ルスタリオにその資格があるのかどうか。
「王になったら何をしたい? どうやって民を導く?」
「興味がない」
それだけだった。
きょとん、とした時間が続いた後。
「えっ、本当に何もないの!? 色々あるだろ。チヤホヤされたいとか! 暴君になって世界征服してみたい、とか。……そういうのもない?」
「ああ、興味がない」
「王様になれば毎日を休みにすることだって出来るんだよ!? 食って寝て、を繰り返すだけで自分のやりたいことは何でも出来る。人間の短い人生を考えればめちゃくちゃ好待遇の案件だと思いますけどね!?」
「……───」
どうでもいい、とフレンは切り捨てる。自分の目的はそんなところには無い。人生の最優先事項は、今、目の前にいるのだから。
「おい」
フレンがチャイカに声を掛ける。
「お前は、滅びの魔女が奇跡を操っていると言っていたな。それを破壊するためには同じように奇跡を宿していなければならない、と」
「その通りだ。正確にはモアの王冠を持っていればいいだけだが……」
「……───」
「場合によってはオレの持っている王冠を譲ってもいい。それだけで貴様はリヴァネルと戦うことが出来るようになる。かわりに───」
「王になり民を導け、ということか」
チャイカは頷く。
「私に向いていないな。他に方法はあるか?」
「……ある」
「それは?」
「奇跡を起こせ。それだけだ」
不意に───二人の足元から炎で形作られた竜が顔を出す。大きく開いた口は海を飲み込まんとするクジラのような恐怖があった。
「ちっ!」
チャイカは舌打ち混じりに、まだ砕けていない地面から樹木を伸ばし逃げ道を用意する。が、フレンは樹木を蹴り、竜の口に向かって身を投げる。
自殺行為。
無意味な蛮勇───挑戦だ。
奇跡を操ることの出来ない彼女に竜を打ち砕くすべはない。その行動に勝算などあるハズがないのだ。だからこそ、リヴァネルの思考は停止した。自身が放った魔法の役割を忘れて、この先どんな風に子供が成長するのか見守るように、フレンの行く末に魅せられている。嫌いなのに期待してしまう───ヘルエスタ王国最強の騎士───その名をほしいままにしてきた彼女がどう変わっていくのか。
フレンを飲み込もうと竜が口を閉じようとした瞬間。
光を斬るように剣が振るわれた。
「───っ!」
竜を両断し、炎の中でゆっくりと身体を起こすフレン。その姿を見たリヴァネルは自身の勝利が少しづつ崩れていくのを感じた。
汗が頬をつたう。
彼女の『剣』は間違いなくリヴァネルの使う『星』の魔法と同じ類のものへと変化している。『星』の魔法を斬ったことがその証拠だろう。モアの王冠に頼らず、今日までの努力を捨て、新しい境地を見出す。
それがどれほど難しいことか。
人間は一度極めたモノをそう簡単に手放すことは出来ない。捨てたと思っていても、必ずどこかでその時の経験が無意識から呼び起こされる。社会に貢献してきた自分のすべてを拒絶しなければ、新しい自分になることなど出来ないのだ。
身勝手だと思われるだろう。
しかし、その身勝手さこそが奇跡を手に入れる過程でもっとも重要なことである。
今のフレンは飢えたライオンそのもの。
そんな死神と目が合っている。
「……───」
ん?
目が合っている?
「見つけた」
「何を見つけたんだ? ……いや、その前に今のはどういうことだ。どうやってリヴァネルの魔法を斬った?」
チャイカの質問に答える間もなくフレンは跳躍する。
目指した場所は樹木の影でも、岩の影でもない。
フレンは何の変哲もない空中に向かって、ただ剣を振った。
「本当に……際限なく強くなっていくのね……」
「リヴァネル!?」
突如として現れたリヴァネルに驚愕の声を上げるチャイカ。
だが、フレンの関心はそこにはない。
「血を流したな」
ほんの僅か。
しかし、リヴァネルの頬から血が流れている。
「モブキャラの王様にも分かるように説明してくれない? ほったらかしにされてちょっと寂しい感じなんだよね、実は」
「……教えれたことをしただけだ」
つまり、奇跡を起こしただけ。
「わあ、すごーい。で! 納得できる訳ねえだろ。お前のやったことは確かに奇跡かもしれないが、下手したら死んでたぞ……」
「その時はその時だろう。お前に関係あるのか?」
「ああ、確かに」
ぽん、と手を叩く。
「言われてみればオレと貴様には何の繋がりもないや。……でもさ、もっと仲良くできると思うんだよね。情報交換とかあるじゃない? せめてリヴァネルの魔法を見破るコツとかさぁ。教えてくれてもいいんじゃないかな? かな?」
チャイカはフレンの肩にもたれ掛かり抗議するも、疲れを知らない団長様はリヴァネルにご執心である。
「オレはさぁ、優しいから教えたよ? 奇跡起こせばいいよって……教えたのに貴様ときたら……少しくらい返事してくれてもいいじゃん。このままだと、何の見せ場もなく終わっちゃうんだけど……」
「本当によく喋る奴だな」
「じゃあ、オレ様がリヴァネルに攻撃するの手伝ってよ」
「断る」
即答された。
チャイカはフランクな会話でフレンと仲良いですよ、アピールをしつつ、ため息を一つ落として、リヴァネルに視線を向ける。
距離はざっと二十メートルほどだろう。それぐらいなら地面を蹴るだけで詰められる。もちろん、位置を誤認させる魔法が使われていなければの話だが。
この戦場を支配しているのは間違いなく団長様だ。少し前までの彼女であれば、引き分けを続けるだけの木偶の坊にすぎなかったが、奇跡を斬る、という奇跡を起こして今では戦場の特異点となった。
そんな奇跡がそう何度も続くとは思えないが、しかし、リヴァネルの視点から見れば胡麻を擦ってでも媚を売りたい相手に違いない。
その牙が自分に向かないことをチャイカは祈るばかりだ。
「ところでさ。リヴァネルが準備してる、あの……でっかい魔方陣はなに?」
「黙れ」
「分かんないこと聞いて何が悪いんだよ!? ていうかさっきからオレ様への扱いが雑になってきてない?」
元がついてもチャイカは王様である。不敬な態度を取ったらリゼにお願いして打ち首獄門にすることだって出来るんだからね! と内心はツンデレっぽく上から目線で詰め寄りたいところだが、生憎、そんな猶予はないらしい。
リヴァネルが掲げた魔法陣が光を放つ。
光の先に現れたのは無限の質量とさえ思える、銀河だった。
「準備するのに時間は掛かったけど、満足してもらえるサービスじゃないかしら?」
「わあ。スッゴく、大きいですね……」
見上げた空の美しさを表現する言葉はない。
銀河とは神秘であり、宇宙の中に存在する奇跡の集合体だ。
あえて、あえて言葉にするなら───意思のない生命たち───ホムンクルスの空といったところだろうか。
「団長様。アレ、斬れる?」
意地悪く。チャイカは分かりきった質問をする。
奇跡を起こせるようになったとはいえ、まだまだヒヨっ子の赤ん坊。フレンが銀河を斬るにはまだまだ経験値が足りない。
フレンは因縁の終わりを悟り、答えなかった。
「オレ様なら跡形もなく破壊できるけど……どうしよっかな。お願いされたらなんとかしてあげなくもないんだけどなぁー?」
チャイカは構ってほしそうに、フレンをチラ見する。
返事は素直だった。
「ああ、頼む」
「……───」
言葉を失う。
友情?
信頼?
宇宙?
そのどれも違うような気がした。
チャイカは耳に手を当てて、
「え? ちょっとよく聞こえなかったから、もう一回言ってくれる?」
「この国を守ってくれ」
鎧越しに、チャイカは笑った。
「ようやく可愛げが出てきたじゃないか」
「頼めるか?」
「ああ、任せろ!」
モアの王冠に込められた願いを右拳に集め、チャイカは飛び立つ。
同時に、リヴァネルは『星』の魔法を告げた。
「───『極星』───」
空に浮かぶ銀河は内部で破壊と創造を繰り返し、その質量を増していく。落ちればヘルエスタ王国などこの星の歴史から消え失せてしまうだろう。しかし、そんな危機的状況だからこそ花畑チャイカは笑うのだ。
ニヤリ、と。
これほどまでに自分に相応しい舞台は存在しないのだから。
二つの奇跡───モアの王冠と『星』の魔法がぶつかる。
硬くなった餅を思いっきり殴ったような感触。
銀河に触れた途端、チャイカの纏っていた聖樹の鎧は木っ端みじんに破壊された。
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!」
拳を内部に潜り込ませ、銀河の熱を植物で喰らい尽くす。リヴァネルの魔法を無力化するにはそれしかない。
だが、植物の成長よりも早く、銀河は幾度となく内部爆発を繰り返し、その質量を増大させていく。
「もっとだ。もっと───! もっと、強く。輝けえええええええ!!!!!!!!」
チャイカの命令通り、モアの王冠は樹木の成長速度を光の速さにまで加速させた。それでも、間に合うかどうか。
いいや、間に合わせる。
最強の騎士に啖呵を切っておいて、今さら出来ませんでした、とカッコ悪く頭を下げるつもりはない。
限界が来ても、その限界を超えて───ただ次の未来へ。
「砕け散れえええええええええぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!」
瞬間───ガラスが割れるような音がした。
拳に触れていた感覚は消え失せ、気持ちのいい疲労感に包まれる。
酷く、眠い。
落ちていく最中、チャイカは夢を見る。
かつて暮らしていた、エルフの国───旧ヘルエスタ王国の夢を。




