ヘルエスタ王国物語(24)
魔王の雷は視界に入るすべてものを灰燼へと帰す。
空も、陸も、海も。レヴィ・エリファの前ではどれも無価値。詩人がどれだけ自然の美しさを語ろうとも意味はない。感動という感情はとっくに消え失せているのだ。彼女の前に立つものは何であろうと紫電に消える。
だというのに、その圧倒的な力を持ってしてもヘルエスタ王国の英雄───エクス・アルビオの笑みは消せない。
レヴィの角から撃ち放たれた超電磁砲を盾で受け止め、大地を抉り狩る爪を手に持った剣で弾く。自身の磨き上げてきた剣技を慎重に選びながら、レヴィを出来るだけ傷つけないよう立ち回る英雄。
近づき、呼びかける。
爪に弾き飛ばされ、着地点には超電磁砲が撃ち込まれる。
防ぎながら、前に進む。
「本気のレヴィってこんなに強かったんだな」
極限の死地に置かれたエクスは、それでもレヴィを諦めない。
騎士団の実践訓練で何度も手を合わせてきたからこそ知っている。彼女が騎士団の練習でずっと手加減して戦っていたことを。そのことにムカついたのも一度や二度じゃない。だから、理由を聞いた。
「わ、笑わないって約束してくれるなら教える……」
「笑わない!」
「うぅ……み、みんなと友達になりたいんだ」
だから、レヴィはいつも負けていた。彼女は自分が友達だと認めた相手を傷つけることが出来ない。誰と戦っても勝ちを譲り、朗らかに笑って握手をする。舐めた態度を取った奴に限ってボコボコにしていた。
エクスが思っている以上に彼女は強い女の子だった。
「……っ!」
迫りくる魔王の爪を剣で受け、流す。態勢が崩れたところにすかさず剣を振る。出来れば気絶に留めたいが、そんな悠長なことを言ってる場合じゃない。
真っ直ぐ、首を落とす勢いで───。
「あっ、ぶねっ!」
勢いを殺して、剣は地面を叩く。
見ず知らずの相手だったら今のチャンスで首を斬っていたかもしれない。
でも、相手は騎士団に入ってから今日までずっと一緒に笑ってきた友達なんだ。そう簡単に断ずることはできない。
エクスの足に尻尾が絡みついてきた、と思えば今度は彼方に投げ飛ばされる。
上手く着地できたが、レヴィの姿が見当たらない。
どこだ?
「……───」
戦士としての直感が、エクスに空を見上げさせた。
瞬間、レヴィが降ってくる。
大地に亀裂が走り、全体重を乗せた一撃は大気をも震わせた。エクスは意識と身体を切り離さないよう血を噛むので精一杯。さて、この後どうするか。魂が抜けるような感覚に襲われてもエクスは、レヴィから目を離さない。
「レヴィ、泣いてんのか」
人としての理性を捨て、魔物の淵に立っている少女から溢れた涙。エクスがその意味を理解する前にレヴィは再び跳躍し、また振り出しに戻る。
どこで間違えた───戦いは続いている───小さな違和感がノイズのようになってエクスの足を遅らせる。モヤモヤとした気持ちの正体がハッキリとしない。何かが違う。不自然だ。だけど答えは出ない。
またレヴィが襲い掛かってくる。盾を使って魔王の身体を弾き返す。
ずきり、と胸が痛んだ。
「Grrr……」
この状況で思い出すのは、幼い頃に読んだ魔王を倒す英雄の物語。
悪者を倒して、人に感謝されて、国中のみんなから慕われる。そんな物語を眠くなるまで読み耽った。
憧れだった。
だってカッコいいじゃないか。
だけど、コレは違う。
レヴィは瞳に涙を抱えたまま巻角に雷を集約させる。
撃ち放たれた紫色の怒りを、エクスは真正面から受け止めた。
「……くッ!」
魔物を操って人間の国を侵略する。
物語に登場する魔王はいつもそんな感じで、自分勝手に世界を滅ぼそうとしてた。
そんな魔王を打ち倒すべく、英雄は仲間を集める。
最後には仲間と魔王を倒して大団円。
世界は平和になりました───終。
「相手がレヴィじゃなかったら、オレも魔王を倒す旅をしてたのかな……」
軽く笑う。
自分が旅に出るより先にフレン団長が倒していそうだな、と。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!」
「ヘルエスタ王国に来た時は言葉が分からなくて苦労したんだよな?」
魔王の咆哮にエクスは耳を澄ました。
魔物と一緒に暮らしていたレヴィは、最初は人間の言葉が分からず、上手くコミュニケーションが取れなかった。だから、今みたいに叫んで必死に何かを伝えようとして、失敗して、広場のベンチに座って泣いてたんだ、って。
戦いが続く───戦い?
オレは戦ってるのか?
「なんか……閃いた気がするぞ」
岩山に叩きつけられ、エクスの全身に甘い痺れが広がる。
その中でナニかを掴んだ。
これが戦いというなら、英雄は魔王を殺すために死力を尽くす。
暴走するレヴィに負ければヘルエスタ王国に住む多くの人々が危険に晒され、昼も夜も、安心して暮らせない。国を守るってことは、外からの脅威を排除するってことだ。分かってる。分かってるんだ。物語の英雄が間違っていないことぐらい。
英雄の始まりは騎士だ。自分も同じように騎士だ。副団長という立場にある。エクス・アルビオが真の英雄になるために、魔王を───相棒を殺す。
レヴィの暴走を止めるにはそうするしかない。
「戦うって考えがそもそも間違ってたんだ」
剣を手放す。
「他人の思い描いた英雄にならなくてもいいじゃないか」
盾を外す。
「物語のカッコよさに憧れるな。カッコ悪くても、レヴィを助けたほうが、この先……何百倍も楽しいことが待ってんだ」
立てよ、エクス。
立ち直せ!
オレは英雄じゃないだろ。
「もう二度と『かかってこい』なんて言わない」
その言葉のせいでレヴィのことを無意識に敵だと思いこんだ。
「オレってば……本当にバカだったよ……」
素直になればこんなにも簡単なことだった。
「これは魔王と英雄の物語なんかじゃない。泣いている友達を助けようって話なんだ」
言葉が通じないながらも一生懸命に人の役に立とうとしていた少女を見捨てて、逃げるほうがずっとカッコ悪い。
魔王を助けて、英雄になるのか?
「その為になら英雄になれる」それに。「最初っから! 諦めるつもりないんだよ」
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!」
剣も盾もいらない。
気持ちだけ持っていこう。
「好きなだけ甘えてこい。今日は二人っきりで遊ぼうぜ!」
勢い新たに大地を蹴る。
その足は確かに、英雄としての道を歩み始めた。
レヴィの暴走をどうやって止めるのか、という単純な問題に対して、エクスは全くの無策で突っ込んでいく。爪の攻撃は鎧で防ぐとして、盾を持たない状態で超電磁砲が抜き放たれれば、しゃがんで避けるか、全速力で反対方向に逃げるしかない。
誰もが笑ってしまうような行為だが、心の迷いを振り払うにはそうするしかなかった。
しかし、剣と盾を捨てたことで身軽になったのも事実。
「来たぞ、レヴィ!」
エクスは満面の笑みで、レヴィに近づく。
涎を垂らし、歯を食いしばって怒りの表情を浮かべる少女。その瞳には以前、涙が溢れ続けている。
その理由に思い当たるまで随分と時間が掛かってしまった。
「レヴィは優しいから自分が友達を傷つけるなんて耐えられないんだろ? だったら大丈夫だ。オレはもう傷つかない。いいか、レヴィ。この勝負は───」
殺意のこもった爪によって、エクスの顔に赤い三本線が刻まれる。すぐに前言撤回を余儀なくされるも、エクスの表情は変わらない。
拒絶だった。
魔王からの拒絶。
人間の言葉などハエの羽音よりも耳障りだというように。
「お前まで悪役を演じなくていいだぞ」
「Grrr……」
何となく呟いた言葉が響いたのか、レヴィの動きが止まる。
隙を逃さず、エクスはレヴィの両腕を掴んだ。なんとか押さえ込もうとしたが……ダメだった。数秒と持たない。横に回転する遊園地のアトラクションを体験した後、エクスの身体は何度も地面に叩きつけられ、全身の鎧が砕け散る。
「……負け……る、かぁ」
そう吐き捨てた瞬間。
レヴィの蹴りがエクスの腹筋を貫く。内臓をミキサーされたような感覚に襲われても、意識は手放さない。日常的に今の感覚を例えるなら酒を浴びるほど飲んだ翌日の気分といったところか。最悪である。
だが、脳みそが一回転しても諦めるつもりはない。
「はは、容赦ねえな……」
空中に投げ出されたエクスの目に映ったのは、稲妻が地上を焼き、紫色の光がレヴィの巻角に走っていく光景だった。
こちらに狙いを定めている。
「上等だ!」
腹が捻じれ痛むのもお構いなしに、思いっ切り空気を吸い込む。
そして、
「レヴィ───ッ!!!!」エクスが絶叫した。「この勝負は! お前を笑顔にさせたらオレの勝ちだからなぁぁぁ───!!!!!!」
泣いている顔なんて見たくない。レヴィには笑って、ギザ歯を見せてほしいんだ。
巻角に雷が集約するのを最後に、エクスはレヴィから目を離し、着地点を見定める。自分がどれくらいの高さから落ちれば死ぬのか分からないが、少なくとも、このまま着地して無事でいられる保証はない。
「心配するなよ。一緒に笑うんだ。俺が先に死ぬわけにはいかねえだろ」
地上を目と鼻の先にして、衝撃に備える。
運が良ければ死なないだろう。
足を下に向け、着地しようと気持ちを固めた、時だった。
「───ん!?」
これまで身体に蓄積されていたダメージが一気に噴火する。
いきなり暗闇しかない空間に放り込まれ、エクスは死を覚悟した。が、その覚悟とは裏腹に。地面から伝わってくる衝撃はやんわりとしたものだった。まるでお気に入りの枕をクッションにして眠るような───目を開けるのが怖い。
オレ、死んだ?
「エグズの負け───ッ!」
聞き馴染みのある相棒の声が暗闇を切り裂く。
「かはっ!」
ありえないほどの怪力で抱きしめられ、肋骨の何本かとさようなら。しかし、そんなことがどうでも良く感じるほど、嬉しい知らせだった。
落ちてくるエクスを受け止めてくれたのは魔王じゃない。騎士団のレヴィ・エリファ。彼女はエクスの胸にぽろぽろと涙を落としながら自分の勝利を訴えている。
「うぅ……うぅ……僕の勝ぢぃ……」
「ホントだ。全然、笑顔じゃねえ……ははっ」
「なんで笑うの!? 僕はこんなに怒ってるのに!」
「それは───」
宣言をした手前、言い訳もできない。
二人の勝負はエクスの完全敗北で決着したのだ。
「なんかいつも通りのレヴィが帰ってきたなー、と思って」
「その言い方だと、僕がいつも泣き虫みたいじゃん。謝れ。謝らないと許さない」
「謝れば許してくれんの?」
「うん……」
エクスは一拍置いて、笑った。
「だから何で笑うんだよ!」
「ごめん、ごめん。嬉しくって、ついな」
「うぅ……頭撫でるなぁ。そんなことしても許してあげないぞ……」
レヴィは機嫌が悪いのを隠そうともせず、猫みたいに顔をぺちゃんこにしてギザ歯ジト目で睨みつけてくる。
「ねえ……どうして僕を殺さなかったの?」
うーん、答えるのが難しい。
「殺す理由がなかったから……かな?」
「僕を殺せば魔物たちの暴走がおさまって、ヘルエスタ王国を襲わなくなったかもしれない。それで十分な理由になると思うけど?」
「あくまで可能性の話だろ? そんなの選択肢に入らねえって」
「僕が意識を取り戻すのだって可能性の話だったじゃないか」
「それは違う。オレはレヴィが意識を取り戻すまで諦めるつもりはなかった。これは可能性の話じゃなくて、オレが命を懸ければ済む話だろ?」
「屁理屈だ! それでエクスを殺しちゃったら僕は一生後悔するんだぞ。その責任はどうやって取るつもりなんだ!」
そう言って尻尾をブンブン振る。レヴィは抗議しているつもりなのだろうが、エクスからすれば喜んでいるように見えて、また面白い。
「レヴィは友達を殺さない」
「そんなの……分からないじゃないか……」
「分かるさ。今のレヴィはオレよりもずっと強い。殺そうと思えばすぐにでも殺せたハズだ。なのに、オレはこうして生きてる」
レヴィは黙って、言葉を待つ。
途中、エクスに頭を撫でられてムカついた。
「レヴィは優しいよ」
ふん、とレヴィは顔を逸らして起き上がる。
それからケガで動けなくなったエクスをちょっと乱暴に背負った。
「……ちょっとは優しくしてくれよ」
「ヘルエスタ王国に帰ったらお説教だから。覚悟しといてね」
「ああ、楽しみにしとく」




