ヘルエスタ王国物語(20)
「寒っ!」
戍亥は身体を震わせ、黒炎で暖をとる。この極寒の空間において温度を感じていることは驚くべきことだが、それよりも援軍に来てくれたことが嬉しい。
「戍亥、手出して」
アンジュは戍亥の手を取り、自分のために使っていた『木星』の腕輪を彼女に渡す。身体能力が元に戻り、身体のだるさが一気にアンジュに襲い掛かる。
「なにコレ? なんかエネルギッシュって気持ちになってくる」
「少し、時間を稼いでほしい」
「それでリゼは助けられんの?」
アンジュは黙って頷く。
自信はない。けれど、可能性はある。
「分かった。それだけで十分や」
柱を飛び出した戍亥に続いて、『太陽』の魔人が追従する。
アンジュからの説明だと、リゼの王命が告げられた後の光に注意すること───そん時はこの魔人を犠牲にすればいい、と。こればっかりは信じるしかない。
振り返れば、アンジュは所定の位置についてしゃがんでいた。
彼女はもう『星』を重ねる準備に入っている。
戍亥の役目は、攻撃のすべてを引き受けること。ほんのわずかな休憩時間で伝えられた作戦はそれだけだった。
向かってくる槍を黒炎で蒸発させる。
足元に伸びるバラも同様に。
『木星』の力の真髄は全能力の強化。アンジュはその能力のリソースをすべて身体強化に使っていた。そうしなければリゼの攻撃を避けられなかったからだ。しかし、戍亥は違う。ケルベロスの元々の身体能力はホムンクルスの非じゃない。故に、『木星』の力をバランスよく振り分けることが出来る。
「───こっち、こっち!」
戍亥は縦横無尽に動き回り、リゼに近づくチャンスを伺っていた。
アンジュに教えられた、可能性の話───あのクリスタルはもしかすると、意識的にリゼを守っているのではないか。
確証はない。
だが、戍亥がリゼに近づこうと踏み込んだ瞬間、これまでとは違った速度と威力の槍が飛んで来る。そしてバラは女王を守るようにして動きを止める。
そして、リゼの口が動いた。
「───っ!」
戍亥は思考に向いていた意識を、回避に切り替える。
魔人の後ろに隠れ、魔人はその命を氷に変えることで戍亥を死守する。
「今のがアンジュの言ってた……」
呟いて、地獄の番犬は歯を鳴らす。
寒さからではない。怒りが彼女の全身を震わせていた。
魔人が目の前で氷漬けにされたことで理解できた。あれは命を殺す光なんかじゃない。魂を凍らせる光だ。この世に未練を残させないための脱出装置みたいなもの。光を浴びたものは決して地獄には行かず、その場で消滅する。
「こんなものが、奇跡?」
戍亥は襲い掛かってくる槍を、軽い跳躍で避ける。
続くバラの攻撃を避けながら、戍亥は地獄の門を守っていた頃に教わった、母の言葉を思い出していた。
命あるモノが死ねばその魂は地獄を目指し、次の命と身体を求める。ケルベロスはその中から有害となる魂を選び出し、弾くのが役目だと。
門番を辞めた戍亥にとっては今更関係ない話かもしれないが、その過程で、たくさんの魂を見てきたことも事実だ。
獣として徳を積んだ魂が人になり、人として悪事を働いた魂が獣に堕ちる。
歓喜と悲鳴のどちらかしかない地獄。
そんな当たり前の日常は尊く、美しいものだった。
しかし、あれは違う。
あの光は世界そのものを脅かしている。
認めるわけにはいかない。
「レタ・セ・モア」
王命が告げられる。
放たれた光は真っ直ぐ───戍亥に向かった。
アンジュは扉の前に陣取ると手を床について、片膝をついた。
リゼを正面に捉え、二つの『星』を重ねる準備に入る。
しかし、目の前のリゼと戍亥の戦いを見ていれば、奥の手なんてものは必要ないんじゃないかとさえ思えてくる。
拮抗した戦いを演じていたアンジュでさえ、氷の槍とバラに阻まれてリゼに近づくことは諦めていた。戍亥はそれをものともせず進み、アンジュへ攻撃が向かないよう立ち回ってくれている。
不安要素もあった。
戍亥がどうしてここに来たのか、その理由を聞いていない。正門ではろくな会話もせず、ほとんどクレアに任せっきりで抜けてきてしまったから。
最初に助けられた時、本当は殺されるかもしれないと内心ひやひやしていた。
……杞憂だったけど。
アンジュは両手に異なる二つの『星』を広げる。『星』の魔法陣と『星』の錬成陣。これを重ねることが出来れば、奇跡を打ち砕く魔弾を創造することができる。
「レタ・セ・モア」
一度目の奇跡。
顔を上げ、戍亥の状況を確認する。彼女は魔人の後ろに隠れ、奇跡の魔法をやり過ごしていた。ほっとする思いも束の間、戍亥の視線はアンジュに向けられる。
何かを訴えるように。
霧状になった氷が再び槍を造形する。戍亥はそれを飛び避けて、再び、アンジュにターゲットが向かないよう、リゼの攻撃を一身に引き受ける。
彼女の視線はおそらく現状確認だろう。次の王命が告げられれば戍亥は確実に死ぬ。それまでにアンジュの切り札がいつ完成するか、それを見極めるために。
魔弾を創るのに面倒な手順はない。
二つの『星の陣』を重ねればいいだけ。
しかしまだ、右手と左手の親指がキスをするぐらいしか重なっていない。これだけでも創造することは可能だが、その程度ではクリスタルを破壊できない。
あとの問題は、魔弾をどうやって当てるか。
「戍亥……まさか」
さっきの視線がアンジュの思った通りなら、魔弾を当てる方法が一つだけある。
アンジュは『木星』のゴーレムを呼び出し、右手に魔弾を創造する。
残った左手で『水星』のゲートを開ければ───あとはリゼの気分次第。
戍亥の爪がクリスタルに触れ、甲高い音を立てる。
アンジュはゴーレムをゲートに潜らせ、戍亥の目の前に移動させた。
「この瞬間───!」
王命の光とゴーレムがぶつかる。このタイミングなら槍も茨も関係ない。絶対に回避できない代わりに、絶好のチャンスとなった。
邪魔は入らない。
アンジュの手から離れた魔弾は音速を越えて、クリスタルに小さな傷をつけた。
「切り札しょぼない?」
アンジュの隣に着地した戍亥が、煽るように言う。
「自分なりに頑張ったんです……」
「頑張りは認めるけど。時間を稼いでいた身としてはもうちょっと期待してました」
「なんか厳しくない?」
「ううん。厳しくない」
がっくり、と肩を落とすアンジュを無視して、戍亥は顔をクリスタルに向ける。
「まあ、でも。傷はついた。そこは褒めてもいいと思う」
「ありがとう? ……褒めてくれたんだよね?」
「いや、褒めてへん」
今の会話はどう受け取るのが正解なのだろう。
アンジュは頭を捻り、納得のいく答えがでないまま、戍亥の視線を追った。
「ほんで、あと何回ぐらい当てればええの?」
「……うーん」
「ハッキリしなさい!」
「あ、あと五、六回ぐらいだと思います!」
アンジュの手から飛び出した魔弾は万全とは程遠いものだった。『星の陣』で出力できたものは一割にも満たない。そんな簡易的なものでも、モアの王冠にダメージを与えられたことは十分な成果といえるだろう。
あとは今の攻撃を繰り返していけば確実にリゼを助けられる。
ふと、
「あれ? 見間違いかな……」
「目にゴミでも入ったん?」
くしくし、と目を擦るアンジュ。
「今……。クリスタルと目が合ったような気がして」
「なに訳わからんこと言うてんの。もしかして若年性の老眼? ちょっとアンジュさん、闘いの最中にいきなりぎっくり腰とかやめてくださいよ」
「そこまで歳とってないよ!? それにあの傷のところ、ほら! 今も瞬きした! 戍亥も見てみなよ。ていうか今、あたしのことアンジュって呼んだ!?」
「クリスタルが瞬きするって、そんな訳……ほんまや」
クリスタルの中央───ちょうどアンジュが傷をつけた位置。小さな穴から女子更衣室を覗く不審者のようにして、藤色の瞳が王の間を見渡している。
刹那、音を立てて。
「アンジュ……あと五、六回もチャンスは作れへん」
「じゃあ、一発勝負ってことで覚悟を決めよう」
モアの王冠は形を変える。レイナ・ヘルエスタによって込められた願いを成就するべく、クリスタルはその身を、より強く、より強靭に。
その奇跡は、次代の王───リゼ・ヘルエスタを守るべくして、誕生した。
「なんかミミズみたいになった」
「ミミズって……そんな可愛いものじゃないと思うよ、あれ」
「アンジュはミミズを可愛いと思ってんの?」
「まずは、どうしてそこを掘り下げようと思ったのか聞いても?」
雑談に花を咲かせる二人だが、その意識は現実逃避に傾いている。
実際、このまま終わってほしかった。
同じことを繰り返して解決するならそれに越したことはない。
だが、それはモアの王冠に挑戦する異常者の思考じゃない。コツコツ積み上げてきた努力がいつか実を結ぶ……なんて甘い凡人のような想像力はこの場に不必要だ。今すぐ捨ててしまおう。
奇跡を破壊するとは、レイナの願いを完膚なきまでに打ち砕くこと。
「あのクネクネした蛇を倒せば、今度こそリゼを助けられる。間違いない?」
「うん」
「そんで、アイツを倒す方法はアンジュしか持ってない、と」
そう尋ねる戍亥に、アンジュは虚勢を張って力強く頷いた。
「チャンスがあれば間違いなく」
「問題はあの動き回る相手をどう足止めするかやけど……」
「ねえ」
王の間に落ちた、ひと声。
二人は身体を凍らせ、玉座を見上げる。
「作戦会議はまだ終わらないの? 時間は十分あげたと思うけど」
リゼの口から紡がれる言葉。
微笑みは冷たい。
「貴方たちはリゼを助けに来た。そうでしょう? もし違ったらごめんなさい。でも、今のヘルエスタ王国の現状を思えば、作戦なんて立ててる暇ないでしょ。悠長にしてたら誰も救えずに終わってしまう」
氷の茨はレイピアの形を取ってリゼの手に収まる。
「娘の身体を使うのは少し気が引けるけど……死んじゃってるんだもんね、私。それにしてもずっと椅子に座りっぱなしだったから腰が痛い」
うーん、と背伸びをするリゼ。
龍は顔を近づけ、主人の運動不足を心配する。
「娘、娘って……それに死んでる?」アンジュが言った。
「……アンタまさか、レイナ・ヘルエスタか?」
「あれ? もうバレちゃった。まあ、とこちゃんなら分かって当然か」
レイナは隠すこともせず、何食わぬ顔で続ける。
「本当はね。私の願いを打ち砕く相手はフレンが担うハズだったの。だけど、それは叶わなかった。彼女はリゼの友達っていうより遊び相手みたいな感じだったし、仕方ないんだけどさ。
えるにもちょっと期待してた……過去のしがらみを忘れてリゼと友達になってくれたらいいなって。でもあの子、めちゃくちゃリゼのこと嫌ってたみたい……世の中、計画通りにいかないものね」
「リゼを返してもらえへんやろか?」
「ダメでーす。返してあげませーん」
戍亥の問いかけにレイナは子供っぽく笑って、胸の前でバツを作る。
「「……───」」
「まだ怒らないで。理由はきちんと説明するから、ね?」
透き通る声が二人の鼓膜を刺激する。
「もう一つの計画は、フレンがリゼの騎士として役割を果たすこと。彼女を倒せるってことは、それだけで私の願いを越えた証明になる。……これも失敗。だってフレン、肝心なところでどっか行っちゃうんだもん。
だ・か・ら、お母さんに出番が回ってきたってわけ」
「簡単な話。アンタを倒せばリゼは救えるちゅうことか」
「そうよ」
戍亥が笑う。
「おレン相手なら勝ち目はなかったやろうけど。レイナ様やったら───」
「あれ、知らないの? 私ってフレンより強いのよ」




