ヘルエスタ王国物語(2)
ヘルエスタ王国───城内、修練場。
修練場の壁に叩きつけられたレヴィによって小さなクレーターが出来上がっていた。それは彼女が受けた一撃の重さを表している。修練場ではよく見られる光景ではあるが、腹から血を流して動かなくなったレヴィを見て誰も生きていると思わないだろう。
蜘蛛の糸のような意識を何とか保ちつつ、レヴィは内臓から溢れた血を地面に吐き出す。
「レヴィ、魔法を使うならもっと工夫しろといつも言ってるだろ」
「すみません、フレン団長」
血反吐を吐きながらも笑みを作るレヴィ。
工夫しなかったわけではない。二人の戦いを外から眺めていた団員たちは、レヴィが一ヶ月前とは違うことを肌で感じていた。魔法によって以前よりも長くフレンから生き延びていることに加えて、魔法の練度も格段に上がっている。
しかし、それでも弱すぎるのだ。
どれだけ積み上げても覆せない生物としての差。レヴィがいくら魔物と人間のハーフとはいえ、蟻に一ヶ月足らずでドラゴンを倒してこいという無茶、無理、無謀の不可能三銃士もびっくりな難問をどうクリアしろと?
むしろ、わずか一ヶ月でフレンの攻撃に十秒耐えられるまでに成長したことを褒めるべきだ。エクスはともかく他の団員なら一秒立っていられるかも怪しい。
「もう終わりか。誰かレヴィを医務室に運んでやれ」
意識を手放したレヴィを二人の女騎士が担架に乗せて運ぶ。生きているのか? もう手遅れなんじゃないか? という気持ちになりつつも二人の女騎士は戦ったレヴィに心からの称賛と拍手を贈った。
「よし! 次はオレの番だな。同期の仇でも取ってやりますかね」
準備運動を済ませたエクスが修練用の剣と盾を装備して入場する。仇を取るとは息まいたもののそれが出来るかは運頼みだ。
本気を出していないフレン団長になら可能性があるというだけ。
騎士団に入団したばかりの頃、エクスは調子に乗ってフレンに挑みボコボコにされたあげく、右腕を破壊された。今ではもう両手で剣を握ることすらかなわない。
「私はレヴィを殺していない。それにちゃんと手加減もしたぞ」
こいつは何を言っているんだ、というような顔で団員たちは団長を見つめる。
当の本人はというと不思議そうに首を傾げていた。
「オレが勝ったら団長の椅子はいただきますからね」
「エクスお前、ついてこれるのか?」
フレンは右手を開いて、剣を呼ぶ。
壁に飾られた一本の剣がフレンに向かって飛んでいき、掴む。
「始めよう」
「……───」
エクスはその光景を見ただけで先ほどの自分の発言を後悔した。
おそらく、多分、ちょっとだけ、フレン・E・ルスタリオを本気にさせてしまった。
フレンが踏み込む。
距離を詰められ、振り下ろされる一撃。
エクスは間一髪のところで右腕に装備した盾で受ける。が、ぺきゃ、という木の板が折れたような音が続く。
防御したことで右腕の骨と肉が飛び散ったのだ。
しかし、そんな事は気にも留めない。気にしている余裕なんかない。フレンはもう目の前から消えてエクスの背後に回り込んでいる。
「あっっっぶっね!」
今度はちゃんといなしたぞ。
一秒にも満たない攻防。息をする暇を探すほうが難しい。
それでも俺ってばちょっとは強くなってるな、とエクスは思う───昔はクッソ手加減していた団長を目で捉えることもできなかったっけ。あの時はホント笑えたな。自分より強い奴がいるなんて思いもしなかったんだから。
エクスはいうなれば、ドラゴンを殺した蟻んこである。故に英雄と呼ばれ、後世に残すだけの偉業を成し遂げてきた。
生まれる時代を間違いさえしなければ、ハーレムでも城でも騎士団の団長でも、その持ち前の腕っぷしで手に入れることができただろう。
ただ、生まれる時代が悪かった───あらためて剣を握る。わずかな痺れはあるものの、辛うじて感覚は残っていた。大丈夫、まだ戦える。
「医務室に行くか、エクス?」
「はっ、冗談! まだまだこれからっスよ、団長」
フレンは気遣ったつもりだったが、エクスからすれば強めの煽りだ。
今度はエクスから仕掛ける。
いくつかのフェイントを混ぜて、フレンへと突進する。
「少し選択肢が増えたな」
攻撃を受けてフレンの持っていた剣が砕け散る。だが、それはエクスの攻撃によるものではない。きっかけにはなったかもしれないが、原因はもっと別のところにある。フレンがエクスに一撃をくらわせた時点でとっくに限界を迎えていたのだ。
フレンが少しでも本気を出せば、並みの剣なら砕け散るのが道理。
エクスは知ってか知らずか、奇跡をたぐり寄せたのである。
「オレの勝───」
薙ぎ払うような遅い攻撃。避けることすら選択肢に入らない。
フレンは一歩踏み込んでエクスの顔面に、手加減した拳を叩き込んだ。
修練場を何度かバウンドし、レヴィが作ったクレーターの横にエクスは頭から突き刺さる。団員たちはその光景を一生忘れることが出来ないだろう。
そして次は自分たちが壁に突き刺さる番なのだ。
「フレン団長へ伝令です」突如として修練場に入ってきた兵士が言う。「王の間へ、急ぎ集まるようにと、える様が」
「了解した。では、今日の修練はここまでとする。各自、研鑽を忘れず、精進するように」
フレンは汗ひとつかかず、涼しい顔でエクスを引き抜く。
地面に無造作に投げ捨てられる英雄。
団員たちは王宮に入るフレンの背中を見送った。
目を回して動かなくなったエクス───ちょっとだけ本気を出したフレン相手に三秒弱生き残った───その雄姿を胸の内に刻みながら。
「「「ありがとう、エクス。お前はよくやった」」」
△△△
「何でこんなことになっているんだ」
王の間の前でそうぼやくのはヘルエスタ王国警備隊ローレン・イロアスである。彼は自分がどうしてここにいるか全く知らされていない。雪のなかで百二十日振りの眠りについていたところをいきなり兵士に叩き起こされ、寝癖を直す時間ももらえず、巨大な扉の前に連れてこられた。
「何か知ってる?」
王の間で警備をする二人の兵士に声を掛ける。
「我々も知らされておりません」
「そっかー」
遠い目をしながら、覚悟を決める。
明日の今頃にはきっと胃に穴が開いている、と。
扉が開きローレンは重い足取りでなかに入る。
そこにはヘルエスタ王国を代表する者たちが勢ぞろいしていた。
「ローレン、遅かったやないの」
はじめにローレンに声を掛けたのはリゼ・ヘルエスタの番犬。ケルベロスの戍亥とこだった。その隣に並んでいるのはローレンの苦手な女。騎士団の団長、フレン・E・ルスタリオ。もうこの時点でローレンは自分の首にさよならを言いたくなる。
「あんまりローレンさんをイジメてはいけませんよ」
玉座に座るリゼのすぐ隣に立っているメイド。
名前は───スノー・ホワイト・パラダイス・エルサント・フロウ・ワスレナ・ピュア・プリンセス・リーブル・ラブ・ハイデルン・ドコドコ・ヤッタゼ・ヴァルキュリア・パッション・アールヴ・ノエル・チャコボシ・エルアリア・フロージア・メイドイン・ブルーム・エル───仮名、える。
代々王家に仕えてきたエルフであり、リゼ王女の次に権力を持っている女。彼女がいつからこの国に膝をついたかは知らないが、少なくともローレンが子供の頃に見た姿とあまり変わっていない。
ローレンは周りを見渡した。
「あれ? シスター・クレアは来てないんですか」
「彼女は来ませんよ。なんでも……久しぶりに友人と会うらしく。今日はお休みです」
えるの表情には微塵も悪意は見られない。他の二人もシスター・クレアがいなくても問題ないと思っているのだろう。が、唯一ローレンは違った。
この場の癒し枠であらせられるシスター・クレアがいないとなれば、自分の精神はゲシュタルト崩壊してしまう確信があった。彼女はヘルエスタ王国で聖女様と呼ばれ、東西南北、四つの教会をまとめ四教同盟を結んだ人格者でもある。
それは彼女の優しさからくるものだった。分け隔てなく微笑みかけ、救えるものには手を差し伸べる。ローレンもその優しさに何度も救われ、ヘルエスタ王国の警備隊を任されるぐらいには出世した。おかげで睡眠時間はなくなってしまったけれど……。
「皆さんが集まったところで本題に入りましょう」
全員の視線がえるに集まる。
「昨晩、裏口を警備していた二人が何者かによって殺されていました。私の情報網でも犯人はまだ見つかっていません。ですので、ここにいる皆さんにも犯人逮捕の協力をしていただきたいなと思った次第です」
「えるさーん」と戍亥が手をあげる。「この城のなかに犯人がいるんじゃないの? 知らんけど」
「うーん、そうとも限らないんですよ。えるも最初はそう考えました。ですが侵入したかどうかも分からないんです。もちろん城内はくまなく捜索しました。しかしどこを探しても犯人の手掛かりになるようなものは見つからなかったんです」
「では、私がここに呼ばれた理由は外での見回りの数を減らし、内側に回せということですか」
「その通りです。これからフレンさん率いる騎士団はローレンさんの指示に従って動いてもらいます。あと出来るだけ目立ってもらえれば……。犯人の目的が見えてこない現状は受け身に回るしかありません」
女子会に投げ込まれたような気分になりながらも、ローレンはここまでの会話と自分の持っている情報を重ね合わせていた。
最初の疑問は、警備隊をまとめている自分にその情報が入ってきていないこと。
ヘルエスタ王国の内部で起こった事件なら例えどんな状況でも真っ先に連絡が来るはずだ。快適な睡眠を堪能していたとしても容赦なく叩き起こされる。それで何度キレそうになったことか───チッ、脱線しそうだな。今は感情なんかどうでもいい。他の奴らだけが情報を持っている。その状況で、何も知らない俺がこの事件をどう見るか……。
「える様、質問しても?」
「構いませんよ」
「殺された二人は警備隊に所属していた者で間違いありませんか?」
「そのハズです」えるは笑みを浮かべる。「見落としがない……とも、言い切れませんが。えるの調べた限りでは、警備隊に所属する兵士二人で間違いありません。ローレンさんも確認しているでしょう。まさか、警備隊長ともあろうお方が自分の部下が死んだことを知らなかった。なーんて薄情なこと言いませんよね?」
顔も声もキレイなのに、人の心を抉るのはプロ並みだ。ローレンの返す言葉にも思わず棘が入る。
「あのなぁ、える様。昨日、今日で警備隊が死んだなんて報告は受けてないんだよ」
「それはどういう意味です? えるが間違っているとでも……」
えるは眉をひそめた。
何か思うところがあったらしい。
「ちょっと待ってな。じゃあ、警備してた人は誰なん? あの二人を最初に見つけたのはアタシですけど」
「戍亥さんだったのかよ」
「せやせや。美味しそうなにおいがするおもて裏口に行ったら死んでたんよ」
アハー! と戍亥は楽しそうにしている。
「あたしが見つけたんは朝やったし。死体にはまだ新鮮さが残ってたと思いますー」
「……朝」
ローレンは寝起きの頭で思考するも、ぼやけた霧しか浮かんでこない。
さらにその思考はフレンからの情報によって乱される。
「私が報告を受けたときは昼過ぎだったハズだ。朝じゃない」
「おレンの勘違いとかじゃないの?」
「ちょっと待ってください。えるは深夜に二人を見つけましたよ。すぐに調査を始めましたから間違いありません。死体もその時に処理しました。絶対に朝と昼に死体が残っていることはありません」
ローレン以外の全員が死体を見つけている。
警備隊であるローレン自身はそのことを知らされていない。
一方、えるは深夜に死体を見つけて処理したと言い、戍亥は朝に見つけ、フレンは昼に報告があったという。
「考えられるとすれば魔法による幻覚だろうけど……」
ローレンは思ったことを声に出してみたが、
「ありえへんよ。魔力の残り香もないし」と戍亥。
「私は普段から魔法が効かないからな」とフレン。
「魔法に精通したエルフのことをバカにしないでもらえます? このキモオタ」とえる。
三人の相手をするのにさえ神経を使うのに、弁解の余地もなく否定されると心が折れそうになる。
しょんぼり、とローレンは肩を落とす。正論であることを受け止めるしかない。フレンはともかく、エルフとケルベロスの感知能力を掻いくぐれる魔術師などそこら辺に落ちているわけがないのだ。
世界中を探してもおそらく二人いるか、どうか……。オーバーヒート寸前であるローレンの頭のなかで宇宙猫が踊りはじめる。胃が捻じれるようなボディブローにここまで耐えてきたがそろそろ限界が近い。
結論は出ないまま時間だけが過ぎてく。
「やっぱり現状維持が正解みたいですね。教会に所属するニュイさんにも相談してみましょう。それではみなさん今日は解散、ということで」
えるが、ぱん、と手を叩く。
王の間を出たローレンはお腹を抱えて、医務室に直行した。




