ヘルエスタ王国物語(18)
独りになって苦しんでいる少女がいた。
独りになって救いを求める少女がいた。
独りになって絶望している少女がいた。
───プロローグが終わる。
世界はようやくあるべき姿を取り戻す。
逃げることは許されない。
戸惑うことは許されない。
さあ戦え、抗え。
命は尊く、美しいと証明しろ。
人形は拳を握りしめる。
───この物語の主人公たちへ、手紙を届けるために。
△△△
地下から這い出たアンジュは、目の前の正門を眺めた。
渡会の意見を完全に無視して、強引にヘルエスタ城近くの出口を教えてもらった結果だ。問題はどうやって会いに行くのか。
覚悟を決めたアンジュだったが、肝心の要の彼女が、どこにいるのか分からない。計画の無さを笑われても仕方ないが、どこにいるか分からないのでは話し合いもクソもない。しかし、それも大した問題にはならなかった。
戍亥の居場所は渡会に教えてもらった。
というか、ヘルエスタ王国に住んでいるなら全員が知っているのだ。彼女がどこにいるかなんて考える必要はない。
戍亥とこは、正門を守っている。
「久しぶり」
飛来した黒い影にアンジュは挨拶をする。
着地すると同時に稲妻のような亀裂が入り、射抜くような視線がアンジュをとらえる。
戦いになれば手も足も出ず蹂躙されるのが関の山だろう。が、今日の目的はそんな事じゃない。
影はゆっくりと身体を起こし、目の前の人形に敵意を向ける。
「見逃してやったのに。わざわざ殺されに来てん? 物好きなやっちゃな」
「違う。話をしたいだけ。あたしのこと、ちゃんと知ってもらおうと思って」
「聞きとうない」
「……それでも話を聞いてもらう」
アンジュが一歩だけ足を前に出す。と、戍亥は毛を逆立てて、臨戦態勢に入った。
話し合いそのものを拒絶するような構え。これ以上進めば埋まっている地雷をわざわざ踏みに行くようなものだろう。
「戍亥、あたしはね───」
言い終える前に、黒炎がアンジュを焼く。
これでおしまい。
戍亥はそう思った。
しかし、
「まだ何も言ってないのに攻撃してくるって……戍亥、あたしのこと嫌いすぎるでしょ!」
煙を抜けて、あっけらかんとした声が返ってくる。
手加減はした。戦闘不能になるレベルで。
黒炎をガードしたであろう、両腕が焼け爛れている。なのに、アンジュは平気そうな顔で、なんなら笑顔で、歩いてくる。
「あたしはね、リゼを助けに来たんだ」
「───っ!」
反射的に黒炎を投げる。
防御する間もなく、直撃。
しかし、また、
「リゼだけじゃない。戍亥のことも、アンジュのことも助ける。それがあたしの一番やりたい事だから」
人形の足は止まらない。
「リゼを助ける、ウチを助ける、アンジュを助ける。全っっっ然ッ! 言ってる意味が分からへんなぁ。お前は結局、何が……何がしたい!?」
憤る双眸をアンジュは見つめ返す。
間違ったことは言っていない。
本当に自分がやりたいと思った事を口にしただけ。
「今言ったこと全部したい。全部やりたい。出来るかどうかは……わからないけど……それでも挑戦してみたい」
「口だけは達者のバカなん? そんな奴がリゼを助けられるわけないやろ」
三度、戍亥の手から黒炎が解放される。
アンジュは身体を捻り、辛うじてこれを避ける。が、黒炎が着弾した瞬間、めくり上げるような爆風が発生し、彼女を最初の位置にまで吹き飛ばした。
「ぐぅ!」
地面に叩きつけられ、アンジュは苦悶の声を上げる。
しかし、避けて正解だった。爆心地を見れば、その一撃は間違いなく必殺のものだ。受けていれば粉々に砕け散っていただろう。
敵意が無いと証明するために、戍亥の攻撃を受け続けてきたが限界はある。
そして今の攻撃───明らかに『月』の錬金術の許容範囲を超えていた。
あと何回『月』が使えるか分からない現状、ここから先はただの言葉だけで戍亥を納得させなければならない。
「そろそろ、わたしの出番ですか?」
「クレアさん!?」
物陰から顔を出したのは、シスター・クレア。
今日はバニー服を着ていない。
「どうしてここに……ていうか、いつから?」
「アンジュさんが最初の攻撃を受けたあたりからです。ずっとここでスタンバってました」
「そんなに前から」
だったらもっと早くに出てきてほしかった、とも思う。
「……クレア。アンタは偽物の味方ってことでええんか?」
低い声で戍亥が呟く。
クレアはそれを聖女のような微笑みで包み込んだ。
「難しい質問ですね。わたしはどちらの味方、というわけではありません。ただ、折角のチャンスですし、戍亥さんにはそこをどいて貰えないかと思ってはいます」
「アンタじゃ、ウチには勝てへんよ」
「話し合いは出来ます」
───取引をしましょう。
取引、という言葉に戍亥の耳がピクリと反応する。
「戍亥さん、アンジュさんの言っていることを信じて頂けませんか? 彼女なら間違いなくリゼ様を救うことが出来る。それはシスター・クレアが保証します。ですが、このままあなたが邪魔をしてしまうとリゼ様は一生縛り付けられたままです」
「そんなことを保証されても意味ないやろ。アタシには何のメリットもない」
「メリット? リゼ様が帰ってくる。戍亥さんにとっては、それだけで嬉しいことではありませんか?」
「知った風な口を───」
「知っていますよ。あなたがどれだけリゼ様を大切に想っているのか。どれだけアンジュさんを大切にしているか。それと、最大の懸念点もね」
「……───」
ニヤリ、と笑うクレアの視線から強迫じみたものを感じる。
これは取引じゃない。
戍亥は表には出さなかったものの、裏ではクレアに対する不信感があった。城にいた頃から、クレアがどこを目指しているのか分からない。
彼女は常に一歩引いた場所で見守っている。
それに、いつもクレアとは様子が違うのも気掛かりだ。
クレアはただずっと焦っている───この機会を逃せば次はない───そんな声が戍亥の耳に届いていた。
今までの会話なんてどうでもいい建前みたいなもの。
彼女の本音はおそらく、
「戍亥さん、時間がありません。アンジュさんを通すか、邪魔をするか、選んでください」
「……わかった」
戍亥が殺気を消すと同時に、アンジュが横を走り抜けていく。
「ありがとう!」
通り抜け様にアンジュは、心から感謝した。
そして門の前まで来ると一度振り返り、戍亥に向かって声を投げる。
「貧民街の人たちはみんな地下で元気に暮らしてるって。だから、心配しなくてもいいよ」
「ウチは人を焼き殺した。その事実は変わらへん」
「畑を守ろうとした人は死んじゃった。けど、大勢の人も生き残った。それだけは伝えておかなきゃいけないと思って」
アンジュは最後に、
「それじゃあ、いってきます!」
そう笑いかけてくる偽物。
気に食わない顔だ。
「お前に……お前なんかに……」
理解されたくない。
そう突っぱねようとしても、聞こえてくるのは耳障りな親友の声。心の奥のどこかでアンジュ・カトリーナの影がちらつく。
しかし、それが何だというのだろう。
今日まで耐えて、耐えて、耐えてきたのに。
「戍亥さんが人を殺したくないって、アンジュさんは見抜いていましたね」
「……───」
「戍亥さん、さっきはすみませんでした。ろくに理由も説明せず、無理を言ってしまって。ここからは本音で話し合いましょう。アンジュさんがどうしてリゼ様を救えるのか、どうして時間がないのか。戍亥さんも知りたいハズです」
「アンタは最初からウソはついてへん。あの偽物がリゼを助けられるって本気で信じてるみたいやから。アタシが知りたいんは……」
「……分かりました。まずは、そちらから話しましょう」




