ヘルエスタ王国物語(17)
異常とも思える魔物たちの侵攻によって、騎士団は徐々に押し込まれつつあった。それには団長であるフレン・E・ルスタリオの戦線離脱も関係しているだろう。彼女はヘルエスタ王国からの緊急連絡を受け取ると、その場をエクスとレビィに任せてヘルエスタ王国に帰還した。
日頃からフレンに鍛えられている騎士団が魔物の軍勢などに後れを取ることはありえない。それを前提においての離脱。知性のない魔物たちがいくら徒党を組んで攻めてこようが、騎士団の守りを突破することはできないのだ。
しかし現状は、最悪の最悪。
いつ均衡が破れてもおかしくない状況。
ほんの少しでも考えるべきだった。魔物たちが活発になるのには何かしらの理由があるのかもしれない、と。
圧倒的な暴力が渦を作り、騎士団を嵐が襲う。
すべては、一人の───あるいは一匹の───魔王によってこの状況は覆った。魔物たちは新しい王の誕生に歓喜の声を震わせ、タガが外れたように凶暴性を増していく。
彼等の向かう先はヘルエスタ王国で間違いない。どうしてヘルエスタ王国を目指すのか……考えられる可能性は、王に国を献上するといったところだろう。
「ある意味……団長がいなくて良かったかもな……」
凄惨な光景を目にしながら、エクス・アルビオは安堵の声を漏らす。
それは平静を装うための強がりだった。少しでも口角を上げていないと目の前の存在に心を押しつぶされそうになる。
「ちょっと! どうするのよエクス!?」
健屋花那がそう尋ねる。彼女もまた、医療チームとして騎士団に同行していた。
「放っておくわけにはいかないでしょ……だって、アレは」
英雄は魔王を見つめる。
王の誕生にフレンを除く騎士団全員が立ち会った。見間違えるわけがない。その魔王は今日までずっとエクスたちと一緒に戦ってきた仲間なのだから。
魔物たちは祝福しろ、喝采しろ、と咆哮を繰り返す。
二千年の時を経て、我らが魔王は復活した。
それに応えるようにして……魔王は産声を上げる。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!」
レヴィ・エリファ───それは、人間と魔物が仲良くなれますようにと夢を見てきた少女。いつか手を取り合えると信じて試行錯誤の日々を重ねてきた彼女こそ、魔物たちの救世主であり、新しい魔王である。
「……レヴィちゃん」
信じられない、と健屋もレヴィを見つめた。
涎を垂らす彼女の顔に理性は見受けられない。捻じれた角が牛のように先端に飛び出し、紫電を纏って大地を焼いている。
魔物を統べるその姿は、魔王と呼ぶに相応しいものだった。
「レヴィとオレを残して騎士団は直ちにヘルエスタ王国に帰還。この事を警備隊に伝えるんだ! いいな!?」
エクスの号令に、騎士団は一斉に動き出す。
「エクスはどうすんのよ!?」
「ここで殿を務めます。それに……」
「ふざけたこと言わないで! ……気持ちは分かるけど。今はレヴィちゃんを置いて行くしか……まずは生き延びて対策を───」
「それは健屋さんに任せます。おい、誰か!」
騎士団の一人が健屋を捕まえる。
「ちょっと!」
「彼女をローレンの所に連れて行け。アイツなら全部飲み込んでくれる。あと! フレン団長に会ってもレヴィのことは話すな。レヴィが殺されるかもしれない」
健屋には冗談のように聞こえるかもしれないが、団員たちはそれが冗談ではないことを知っている。フレン・E・ルスタリオは自己の判断で、有害と決めたものを殺す。今のレヴィはフレンのセンサーに引っかかる可能性があった。
「そっちもレヴィちゃんを連れて帰れよ」
騎士はそれだけ言うと、ヘルエスタ王国に向かって走る。
その背中を狙って魔物たちが襲い掛かった。
「行かせねえって!」
エクスは間に入り、盾を構える。
だが……襲ってきた魔物たちは一瞬の光によって蒸発した。
「───っ!」
紫色に輝くそれは、魔物たちを消し飛ばしてなお、生きている。
エクスは盾に聖紋を浮かび上がらせ、絶対に倒れないという覚悟を持ってその光を受け止めた。射線上にはまだ健屋と団員がいる。ここで引くわけにはいかない。
「うおおおおおおおおおおお──────!」
光が止み、視界が開ける。
地面を抉るようにして、一本の道が出来ていた。その道はレヴィに向かって真っ直ぐ伸びている。彼女の憂さ晴らしに付き合った魔物たちは見る影もない。
「はは……マジかよ」
地形を変えるほどの威力に、汗が頬をつたう。
しかし、一番の問題だと思っていた魔物たちがキレイさっぱり一掃されたことはラッキーだった。これでレヴィに集中できる。
英雄が笑う。
「安心しろよ、レヴィ。オレ以外の誰も……お前に傷つけさせたりしねえから。だから! 全力でかかってこい!!!」
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!」
△△△
ヘルエスタ王国、地下街───酒場。
流行り病から回復したアンジュは手紙の指示通り、渡会が来るのを待っていた。
昼間の酒場には以前のような賑やかさはない。酔った熱も冷めるような閑散とした空気が積もりに積もっている。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
ドリンクを差し入れる、カラフルな髪色とピエロのようなメイクを顔全体に施した男───ジョー・力一はアンジュに優しく微笑んだ。
向けられた笑顔に思わずドキッとしてしまう。
恋の始まりという意味ではなく、単純な不気味さという意味で。
「もうすぐ到着するって連絡あったから。渡会くんが来るまで俺とゆっくりお話でもしてようか」
彼なりにアンジュの緊張を解きほぐそうと思っての発言だった。
しかし、それは逆効果だったようで───アンジュの顔は次第に強張っていく。
「俺の顔……そんなに怖い?」
「いやいや、そんなことないですよ! ただベルさんじゃないのが意外で」
「ベルさん人気あるもんね。うんうん、分かる。俺も好きだよ、ベルさん。漢らしいし、カッコいいよね。でも、僕とも仲良くしてほしいな」
「……───」
「私こう見えて友達少ないんですよ。もちろん! 酒場の連中とは友達だけどね。でも独りな感じがするんだー。難しい年頃ってやつなのかな? 遅めの思春期? アンちゃんはどう思う?」
力一の表情は変わらない。笑っているのか、へそを曲げているのか。急に踊りだしそうでもあるし、歌いだしそうな気もする。
「手品でも見せようか? 得意なんだよ、僕」
ポケットからトランプを取り出し、アンジュにカードを一枚選ばせる。
手札は……ジョーカーだった。
アンジュはそれを山札に戻し、力一は手際よくシャッフルしていく。
「じゃあ、キミが選んだカードをこの中から見つけてあげよう。───これだ!」
開かれたカードはスペードのクイーン。
違った。
「合ってるでしょ?」
「……えーっと」
「もしかして違った?」
アンジュが頷く。
「ガッデム、シット! ワンモア・チャンスだ」
次は……ハートのジャックがめくれた。
「これも違うみたいだね。どうやら私には手品の才能がないらしい……ふふ、笑える」
「そんなに落ち込まなくても……た、楽しかったですよ?」
「ホントにー?」
「本当です、本当です!」
入り口の鈴が鳴り、入院服を着た男が松葉杖をついて入ってきた。
紫色の髪が特徴的だ。
彼はカウンター席まで来るとアンジュと椅子ひとつ分離れた場所に座る。
「ジョーさん、飲み物ほしい」
「すぐにお持ちします」
運ばれてきたジュースを一口飲む。
男は息を整えて、
「加賀美さんから俺のこと聞いてる?」
そう尋ねてきた。
「じゃあ、あなたが渡会さん……」
「そうだよ」
意外だった。加賀美が信頼しているというからもっと口の堅そうな極道のようなイメージをしていたが、隣に座る彼はどこからどう見ても普通の一般人だった。
「先に聞いておきたいんだけど、あの化物に俺のこと教えたか?」
渡会はアンジュに見向きもせず、くたびれた表情を浮かべている。
「化物って……」
「戍亥とこだよ。アイツが俺のことを知ってたから気になってたんだ。もしかしたらアンタが俺のことを売ったんじゃないかって」
「そんなことしてません。でも、渡会さんのことは加賀美さんから聞いて名前だけ知ってました。合流地点で待ってるハズだって……」
戍亥と一緒にいる間、アンジュは彼の名前を一度たりとも口にした覚えはない。彼に助けを求めようと南側に近づいたのは事実だが、それ以上の事はしていない。
渡会は落ち着いた様子で続ける。
「終わったことを別に責めようとは思ってない。アンタも必死に時間稼ぎしてくれたみたいだしな。加賀美さんを助けられなかったのは俺の落ち度だ。だけど……それでもハッキリさせときたかったんだ」
「……───」
アンジュはうな垂れたままの渡会を見た。
入院服の隙間から包帯が覗いている。それは全身を絞めあげる蛇のよう。彼もアンジュと同じく戍亥と対峙したのならば間違いなくあの暴力にさらされている。
加賀美ほどケガの状態は悪くないにしろ、自分より重症なのは間違いなかった。
沈黙が続く。
しばらくして、渡会が歯を割るようにして言った。
「悪い」
「……え?」
「オリバーさんは俺のことを知らない。万が一に備えて、知らない人間が必要だったから。だから、加賀美さんと俺の関係を知っているのはアンタだけだ」
「……───」
「加賀美さんが俺のことを売ったとも考えた。けど、それは一番ありえない。加賀美さんは他人を売るような人じゃないし……第一あの人は、底抜けのお人好しだったから。はは、知ってるだろ?」
「はい。短い時間でしたけど加賀美さんには良くしてもらいました。貧民街の人たちにも慕われていて……。あと畑を自慢されましたね」
「人に恵まれたって言ってたろ?」
加賀美に会った当時のことを思い出す。
アンジュが待ち合わせ場所に行ったら誰もいなくて、ボロボロの扉だけがあった。最初は騙されたとも思って、悔しくて、泣きそうになったのを覚えてる。その後ひょっこり現れた加賀美を見て、本気でぶん殴ってやろうと思ったのも今ではいい思い出だ。
「まあ、お尋ね者のくせにカッコいいなんて羨ましいよ。俺もいつかそうなりたい」
「そこは見習わないほうがいいんじゃ……」
はは、と渡会は笑う。
傷に響いたのか、すぐに脇腹を押さえた。
「教えてなかったな。俺の家は代々怪盗をやってるんだ。俺はその跡取り。あ、誤解しないように言っとくけど、ちゃんと正義の怪盗だから。そこんとこ間違えないでくれ」
誇らしげにする渡会の表情は酒場に来た時よりも明るい。しかし、人から物を盗んでる時点で正義とは程遠いような気もする。
が、アンジュは口に出さなかった。
「応援していいのか分かりません」
「そりゃそうだ」
渡会は飲み物を一気にあおると、
「忘れてた。アンタに渡すモノがあったんだ」
「あたしにですか?」
「俺が助けた子供の中に、アンジュお兄ちゃんに伝えたいことがあるって子がいてな。手紙を預かってきたんだ」
「お兄ちゃんじゃありません。お姉ちゃんです」
「そこは子供だから許してやれよ。まあ……」
渡会はアンジュの身体を上から下まで舐めるように観察する。
そして、
「勘違いするのも無理ないんじゃないか?」
「どいつもこいつも! デリカシーってものが無さすぎるよ!」
渡されたのは一通の手紙と地図のようなものだった。
「地図のほうは俺が加賀美さんに頼まれた城への侵入経路だ。自分にもしものことがあったら、アンタに渡すよう言われてた」
「そうだったんですか。ありがとうございます。手紙のほうは……」
手紙を開く。
まだ慣れてない手で、不器用な文字が描かれていた。
『アンジュお兄ちゃんへ。
お兄ちゃんのくれたお薬のおかげでママはとっても元気になりました。
ありがりとうございます。
あと社長が新しいお家をくれました。
前のお家は寒かったけど今のお家はとっても温かいです。
家も畑も燃えちゃってちょっと寂しいです。
でも、みんなで楽しく暮らしています。
辛いことばっかりじゃありません。
ママと一緒にいれて嬉しいです。
お兄ちゃん、ママの風邪を治してくれてありがとう。
お兄ちゃんも風邪を引かないようにしてください。
元気でね。
またね』
読み終わった。
「だから、お兄ちゃんじゃないって」
ぽつぽつ、と涙が落ちた。
誰かに感謝されるようなことは思っている以上に簡単で、実感することは難しい。
役に立っていると自分勝手に思い込んで空回りしたあげく、後になって上手くいかないことがほとんどだ。
だけど今日、初めて。
「良かったなぁ」
初めて、誰かを助けられた。
不安だったけど、間違ってなかったんだ。
「畑を守ろうとした連中以外は比較的軽症で済んでる。その子も軽いやけどはあるものの、命に別状はない。母親の方も毒はすっかり抜けてる」
「そうですか」
あの火事で大勢の人が亡くなったと思っていた。
が、渡会の話を聞く限りそこまでじゃないらしい。
逃げ回った自分を責めたことは一度や二度じゃない。それこそ目が覚めてからずっと彼らの死は自分のせいだと思っていた。
「アンタ、もしかして加賀美さんと同じタイプか?」
唐突な質問。
「それってどういう……」
意味ですか? と言う前に渡会が笑った。
「底抜けのお人好しってこと」
渡会にそう言われ、アンジュは首を傾げる。
加賀美に似ているというのは少し違う。彼はずっと自分の意思で誰かを助けていた。似ているのはむしろ渡会のほうだろう。
ふと思い返せば、自分は自分の意思で行動したことがないような気がする。ヘルエスタ王国に来てからはいつも誰かに手を引いてもらっていた。
「決めた」
「ん? 何を決めたんだ?」
「あたし戍亥と話してきます」
それを聞いた渡会がジュースを吹き出し、咽る。
「お前、頭オカシイのか!? わざわざ城への裏道を教えてやったのに、どうしてそうなるんだ!? ……敵討ちとか、そういうのならやめとけ。殺されるだけだぞ」
アンジュも自分がバカなことを言っている自覚はあった。
今の自分がしようとしている事は、加賀美の努力、渡会の努力を無下にする行為だ。当然、許容できるものではない。
彼の言ったように敵討ちというのも的外れだ。
最初から抵抗するつもりはない。
「友達に会いに行くだけですから」
「それは良いことです。友達は大切にしなければなりません」
ジョーがグラスを拭きながら、アンジュにウインクを贈る。
「ジョーさん、背中押すところじゃないから。俺も今日知り合ったばっかだけど、見捨てるのは気持ち悪りぃ。アンタも考え直した方がいいって」
「でも、決めたんです。自分のやりたいようにやる。それが一番、楽しいんだって」
加賀美も、バニー・クレアも、サロメも自分勝手に生きて、その道の途中で誰かを助けていた。彼らはもしかすると自分が誰かを救っている、なんて思いもしなかっただろう。自分に出来る事をして喜んでいる人たちだったから。
出来ることなら自分もそういう道を選びたい───アンジュ・スカーレットはそういう風に生きてみたいのだ。
「渡会くん、覚悟を決めた人の邪魔をしてはいけません。ここは送り出してあげないと」
「自殺しようとしている奴をどう送り出せと? そんな覚悟なら足を引っ張ったほうがいいに決まってる。……それにあの化物に言葉が通じるわけ」
「彼女は戍亥さんのことを友達、と呼んでいましたよ」
「痛い妄想かもしれない」
「戍亥とあたしが友達じゃないって言いたいんですか!?」
「お前、殺されかけてんだぞ。友達だったらそんなことしねえよ!」
「きっと照れ隠しだったんですよ。今なら腹を割って話せる気がします」
「頭ハッピーセットになっちまったのか?」
「素晴らしきかな、ポジティブ! 及ばずながら、私は応援させて頂きますよ。仲直りが上手くいった暁には、是非この店にいらしてください。サービスしますから」
「ありがとうございます!」
「もう勝手にしろ。俺は帰る」
渡会が松葉杖をついて席を立つ。
「おい、背中になんかくっ付いてるぞ。なんだこれ? トランプのジョーカー?」
「え!?」
アンジュの驚きの声を無視して、渡会は店を出る。
残ったジョーカーはひらひらと風に吹かれ、ジョー・力一の手元に戻った。
「手品って面白いでしょ?」
「ジョーさん、スゲー!」




