ヘルエスタ王国物語(16)
「まあ! 見てくださいテーブルの上にこんなにたくさん」
応接室に入ったサロメが広げているのは、ナース服だった。他にも───ミニスカポリス、メイド服、チャイナドレス、スクール水着、ミニスカサンタ、妖精、サキュバス、着物、サーカス、セーラー服、天使、シスター服───各種オプションパーツ。
しかし、紹介できたのもごく一部に過ぎない。アンジュの理解が追いつかなかっただけで本当にこれは服なのか? と疑わしいものがいくつもある。
今の応接室はまさに、古今東西ありとあらゆる場所から性癖を集めたような空間といえるだろう。
もちろんテーブルに置かれた衣装はすべて試着済みであり、最高級の物を揃えてある。
魔法の糸で作られた服にサイズは関係ない。必ずその人の体型に合うよう、自由自在に伸び縮みする。
最初は興味本位で集めはじめたものだった。
シスター服しか着たことのないクレアにとって、自分に似合う服など分かるわけもなく、ただ闇雲に自分が可愛いと思ったものだけを集めていった───しかし、クレアほどの美少女に似合わない服など存在するわけもなく───結果。気づけばたくさんのコレクションで彼女のクローゼットは埋め尽くされていたのである。
そしてもう一つ。
クレアが趣味を隠そうとしているのには理由があった。
それは教会の品位を下げないため。教会で一番偉い人がなんかスッゴイいやらしい服を着ている! というのはイメージ的に良くない。ある層にはたいへん喜ばれる可能性が無きにしもあらずだが、きっとそれはごく少数だろう。
「アンジュ様は……メイド服なんてどうでしょう? きっとお似合いになりますわ」
暖炉の横で膝を抱えるクレアをよそに、ナース服に着替えたサロメ。
アンジュも勧められるまま、メイド服に着替える。
もちろん、クレアの許可を取ってのことだった。
「サロメさんは分かりますけど、どうしてアンジュさんまでここに……」
バニー服を着たままクレアは言った。
どうやら着替える気はないらしい。
「あたしのこと知ってるんですか?」
「戍亥さんから少しだけ。それにわたしたち似た者同士ですから」
「?」
クレアのうさ耳がぴょこぴょこ動く。
お気になさらず、と。
「戍亥は、その……なにか言ってましたか? あたしのこと……」
アンジュの声が小さくなる。緊張でのどを塞がれているような感じだ。
「特になかったような気がします」
クレアは少し考えて、
「ただ、戍亥さんはアンジュさんのことを殺したと、えるに報告していました。それには驚きましたね」
アンジュより先に、サロメが声を上げる。
「えぇ!? アンジュ様死んでらっしゃいますの。ということは、わたくしの目の前にいるアンジュ様は一体……まさか幽霊!? ちょっと確認させていただきますわ」
「ちょっ、サロメさん!?」
サロメは抱きつくとアンジュの胸に耳を押しつけた。
心臓の音を聞き逃さないよう、集中する。
アンジュは少しくすぐったいような、恥ずかしい気持になった。
「ちゃんと動いてますわね」
「そりゃあ生きてますから」
「でもクレア様は死んでいると……」
不安そうな顔でクレアを見つめる。
「ふふ。わたしが聞いた話ではそうなっている、というだけです。心配しなくてもアンジュさんはちゃんと生きていますよ」
「良かったですわー!」
「それに幽霊だったらどうやって手を繋いでここまで来るんです?」
そう呟いたアンジュの言葉に、確かに、とサロメは笑顔で答える。
つられてアンジュも笑った。
「だけど戍亥はどうしてそんな嘘を?」
「分かりません。でも……」
「でも?」
「城に戻ってきた彼女はとても辛そうにしていました。いつもより尻尾に元気がなかったといいますか……耳も垂れていたような気がします」
「なんだか犬みたいですわね」
不思議そうにするサロメを見てアンジュは苦笑いを浮かべる。確かに、ケルベロスは地獄の番犬とも呼ばれる手前、彼女の犬という解釈もあながち間違っていないだろう。しかし、戍亥の爪を全身で味わったアンジュからすれば、その恐ろしさは月とすっぽん、比較対象にならない。
「あとサロメさん、教会に来てもらった理由なのですが───」
「ああ! 楽しくてすっかり忘れてましたわ」サロメは首を傾げる。「……それで話というのはなんでしょう? また資金の援助ですか?」
「いえ、その……簡単に言えばそうなのですが……」
クレアは指先と指先を合わせ、申し訳なさそうに下を向く。
サロメはすかさず、
「悪いことしようとしてます?」
「してません!」
食い気味に否定するクレアを見て、サロメは冗談ですわよ、と手を振った。
「ですが教会を運営していくにあたって、わたくしは十分な金額をクレア様に渡していますよね? そのお金で孤児院や貧民街への援助をしていると聞き及んでおります。もし他に理由があるのでしたらお聞かせください。お話はそれからですわ」
優雅に紅茶を飲むサロメ───おそらく貧民街の火事。そのせいでお金を使い果たしてしまったのだろう、と予想する。
しかし、クレアから聞かされた話は彼女の想像を越えたものだった。
思わず紅茶を噴き出しそうになる。
「つ、つまり……その新しく雇った人が優秀過ぎて、報酬に払える分のお金がなくなったと? ついでに教会のほうのお金も底をつきそう? ちょっと何言ってるか分からないですわー」
「そうですよね……分からないですよね。わたしもそう思います」
「ソフィアさんでしたっけ? その方は本当に存在してらっしゃいますの? クレア様の妄想とかではなく?」
「はい。彼女……すごく人気で……おかげで指名依頼もあとを絶たず……トホホ」
徐々に萎れていく彼女の声を聞きながら、サロメはそれが噓ではないことを察知する。
「この際、納得できるかは置いておいて。教会側の理由は分かりました。ですが、わくしはてっきり貧民街の件でお金を使い切ってしまったとばかり……」
「あちらのほうは問題ありません」クレアは続ける。「貧民街で起こった大規模な火事については、すでに対応しています。生き残った方々も教会のほうで保護する予定です」
アンジュはホッと胸を撫でおろす。
正直なところ、貧民街の人たちがどうなったのか気になっていた。戍亥の炎が原因とはいえ、いたずらに逃げ回った自分にも非はある。
不意に、アンジュはバニーガールと目が合った。
「しかし、教会の人手が足りないのも事実。もしもの事があれば、お二人にも協力して頂けたら良いなと思っています」
丁寧に笑うクレア。
サロメも満天の笑みで答える。
「もちろんですわ! そういうことなら協力は惜しみません。……お金のほうはどうしましょう? とりあえず、南の教会に預けておけばいいですか?」
「助かります」
クレアが頭を下げる。
アンジュは少し躊躇って、
「あたしにも出来ること……あるのかな……って」
そう口にした途端、不安に心を揺さぶられ、アンジュは俯いてしまう。
もちろん協力を惜しむつもりはない。だけど、手伝いに行ったところで自分になにが出来るのだろうと考えてしまう。
いまだにこの手は、誰の手も助けたことがないのに。
「アンジュ様なら大丈夫ですわ!」
その言葉に根拠はない。
ただ、何とかなると勝手に思っている。
「サロメさんにそう言われると本当に大丈夫な気がしてくるから不思議です」
「そうでしょう、そうでしょう。わたくしって元気だけが取り柄ですわー!」
「それじゃあ、お話はここまでにして。そろそろ───」
服を返してください、とクレアが立ち上がったところで、再び、応接室の扉は勢いよく、それこそ飛ぶ鳥を落とす勢いで開かれた。
「クレアー! わらわが遊びに来てやったぞー!」
「尊様、そんなに強く開けないで。今の教会にドアを修理する余裕なんてないんだから。ごめんね、二人とも。尊様の相手してたら遅くなっちゃって」
竜胆尊に続いて、緑仙が二人分のシスター服を持って入って来る。
メイド服を着たアンジュ。
ナース服を着たサロメ。
バニーガール・クレア。
二人が応接室にいるこの三人を見れば、ここがハロウィンのコスプレ会場と勘違いしてもおかしくはない。
「ズルいぞ! わらわ抜きで楽しみおって!」
「……クレアはなんか、スゴイね。色々と」
「はぅ!」
恥ずかしさでクレアは鳴いた。
「緑仙! わらわ達も着替えるぞ!」
「僕も着替えるの!?」
「そうですよ。せっかくたくさんの衣裳があるんですから。二人にも楽しんでもらわないといけませんよね」
限界突破したバニー・クレアに怖いものはない。クレアは二人のために、あるいは自分のために───スクール水着とセーラー服を持って彼等に近づいた。
かくして、尊はスクール水着を、緑仙はセーラー服を着せられ、クレアが主催する第一回コスプレ大会は幕を上げたのである。
△△△
帰り道。雨が止んですっかり夜になってしまった。原因はサロメたちとの会話が弾んだせいもあるのだが、小野町亭に帰りづらいという気まずさからアンジュの足は遅れている。いっそのこと元気よく飛び込んでみようか、とも考える。
そしたらきっと、
「ああん? 人を散々心配させておいて勝手に元気になりましただぁ? いい度胸ですね。アンジュさんには今後、小野町亭の敷居は跨がせません。出禁です! さっさと荷物をまとめて、出て行ってください」
と小野町さんに怒られるところまで想像して、アンジュは小野町亭の入り口で足を止める。まだ閉館時間外のはずなのに小野町亭の明かりが消えていた。
これはかなり怒っている。
一度教会にもどって態勢を立て直すのはどうだろう。サロメやクレアに事情を説明してもらえば、何とかなるかもしれない。
いや……これ以上帰りが遅くなれば雷が落ちてくるのは必至。
そうなってしまうと先ほどの想像が現実のものになってしまう。つまり、残された選択肢は一つしかなかった。
アンジュは変な汗をかきながら、意を決して小野町亭のドアを開ける。
室内は薄暗かった。
アンジュは恐る恐る、食堂に向かう。
入り口に立ったところで、
「「「「アンジュさん、おかえりなさーい」」」」
パン、と賑やかな声と一緒に紙吹雪が舞った。
声もでないまま、アンジュは圧倒されながらも、全員から向けられた笑顔に胸が熱くなる。雷が落ちてくることを覚悟していたが、どうやらその必要はなかったらしい。
「ていうか、アンジュはなんでメイド服着てるんだ?」
舞元のもっともな感想をよそに、小野町、凛月、七瀬が厨房に入り、作り置きしていた料理を温め直している。
「そのメイド服とっても似合ってますよ!」と凛月の声。
「舞元さん、テーブルのほうお願いしまーす」
「オッケー」
七瀬の一声で、舞元も料理を置くためのテーブルを一つにまとめていく。
「あのー、みなさん。これは一体……」
「みんなでアンジュさんが帰ってくるのを待ってたんです。アンジュさんに元気がないから、パーティーでも開いて元気になってもらおうって。舞元さんが」
「そうだったんですか……」
呆然としたまま、テーブルに並べられていく料理を見つめる。
その視界はどんどん霞んでいった。ここにいる人たちにどう答えていいのか分からなかった。ありがとう、を言いたくて、でも上手く言葉にできなくて。
昨日まで感じていた苦しさとは違う。
もっと別の、締め上げるようなもどかしさがアンジュを襲った。
喉の奥に住み着いているものを今すぐに吐き出してしまいたい。
それなのに言葉は出ず、感情として溢れてくるのは涙ばかり。
ここにいる人たちはアンジュが人形であることを知らない。自分はホムンクルス。それ以下でもそれ以上でもない。そんな人形が人の優しさに触れて、ぽろぽろ泣いている。たかだか、人形がこんなに恵まれてもいいのだろうか。
「……───」
いいわけがない。
人の優しさは、同じ人間にこそ向けられるべきだ。
人形なんかが独り占めしていいわけがない。
いいわけがないんだ!
「いいんですよ」
小野町が言った。
「辛かったり、苦しかったり、嬉しかったり……そういう時は泣いてもいいんです。一人で抱え込まず、思いっ切り吐き出しちゃいましょう」
「女将の言う通りじゃぞ、紅髪の娘。人間の器は本来、自身の感じるすべてを抱え込めるように出来てはおらん。この前、妾が保証してやってであろう? 卑下するな。もっと胸を張れ。おぬしはちゃんと生きておる」
フミは小さな瓢箪を持ってアンジュの横を抜ける。
何食わぬ顔で食堂に入っていくフミに雷が落ちたのはその後のことだった。
「フミ様!? 今までどこに行ってたんですか。みんな探してたんですよ!」
「そう怒るな。ちょっとした話し合いをしてきただけじゃ。それに宴には顔を出すと凛月に伝えておいたじゃろう」
「いいえ。そんな話聞いてません」
テーブルに料理を運んできた凛月がハッと声を上げる。
「ごめんなさい、フミ様。すっかり忘れてました!」
「ほう、神の言伝を忘れるとは、おぬしも偉くなったものよ。……凛月、おぬしには後でお灸を据えてやる。覚悟しておくんじゃな」
「そんなぁ……あんまりです……」
「お、フミ様が今日は珍しく酒を持ってきてる」
「ああ。宴と聞いてな。小僧も飲んでみるか?」
「いいんですか。それじゃあ、お言葉に甘えて」
「二人ともまだ準備が終わってないのに……もう」
さっそく椅子に座り、飲み比べを始めるフミと舞元。
七瀬は厨房を行ったり来たりしながら、ようやく最後の料理を空いているスペースに置くとようやく一息ついた。
その隣にはぺしゃりとした様子で凛月が座る。
「みなさん、お腹ペコペコみたいです。アンジュさん私たちも───」
「あの!」
アンジュが声を上げる。
全員の視線が入り口に立つアンジュに集まった。
それから少し戸惑って、
「ただいま」
と、喜びに満ちあふれた表情で、声で、みんなに感謝を伝える。
それを見た全員は、彼女の帰りを祝福した。
「「「「「おかえりなさい!!!!!」」」」」
後日、チャイカからの手紙が届いた。
中身は渡会雲雀がお前に会いたがっている、というもの。
手紙の内容を確認したアンジュはすぐにでも指定された地下の酒場に行きたがった。が、それは叶わない。残念なことに今のアンジュ絶対安静。息も絶え絶えに、まあ、死にかけているといっても過言ではない状況に置かれていた。
「昨日ははしゃぎ過ぎましたね」
呆れた声の主は、小野町亭の女将───小野町春香。
昨日までアンジュの衣食住を支えてきた彼女だが、今度は本当の意味で看病している。
「ごほ! ごほ! ……すいません小野町さん。また迷惑かけちゃって」
「昨日までの疲れが一気に出たんでしょう。今はゆっくり休んでください」
「ありがとうござ……ゲホ、ゲホ!」
咳をしすぎてあばらが痛い。
心配に心配を重ねた上で、さらに心配をかける女───アンジュ・スカーレット。
かくしてアンジュは問答無用で風邪を引いたのであった。




