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ヘルエスタ王国物語  作者: 十月 十陽
再会編(プロット)
15/75

ヘルエスタ王国物語(15)

 アンジュが目を覚ましてから一週間がたった。

 陰鬱な部屋に入ってくる灰色の風がアンジュの頬を撫でる。

 優しく耳元で囁いてくるその風は、今のアンジュにとって天敵だ。軽く触れられただけで全身を針で刺されたような痛みが襲ってくる。

 戍亥と戦った時の傷はもう完治しているのに。

 残った傷跡が彼女の心を休ませない。

 アンジュは緩慢とした動作でベッドから起き上がると、鏡の前で足を止めた。

 映ったのはパジャマ姿の自分。

 頑張った少女。

 しかし、蛇のように巻きついた火傷跡はアンジュが生きていることを煽っている。

 難しい事を考えないで終わってしまえばいい。

 たったそれだけであなたの荷物は少なくなる。

 楽になる道が分からないのなら私が教えてあげますよ。

アンジュは手招きする猫を無視して着替えをすませると、足早に部屋を出た。

「あ」

 一階に下りる階段の前で、アンジュは小野町春香と鉢合わせる。

「これ今日の朝ごはんです。良かったら食べてください。一口でもいいので」

「部屋に置いといてください。帰ってきたら食べます」

「……分かりました」

 アンジュは小野町に作り笑いを浮かべ、左側を抜ける。

「あの! 今日はどこに行くんですか?」

「どこって……」

 不意に呼び止められたアンジュは、確かにと頭を傾げた。

 彼女の質問にどう答えればいいのか分からない。

 歩けるようになってからリハビリという名目でヘルエスタの街をぐるぐる回っていたが、目的を持ってどこかに行こうした事はなかった。錬金術の依頼を受けようにもアンジュ・スカーレットでは合法的な依頼を受けることも出来ず、店の前で弾かれてしまう。

 本当にやることがない。

 ただ無意味に毎日を消費するだけの人形───ホムンクルス。

 アンジュは思う。

 ある意味自分らしいな、と。

 しばらく黙っていると小野町が不安そうに、

「ちゃんと帰ってきてくださいね。みんな待ってますから」

 微笑んで、彼女は続ける。

「いってらっしゃい、アンジュさん!」

 アンジュは驚いたが、すぐに頷いた。

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ちゃんと帰ってきますから」

「はい!」

 多分……私が伝えたかったことは、アンジュさんに伝わってない。

 だけど、それでもいいんだ。

 聞きたかった言葉はちゃんと聞けたから。

 ───小野町は一階に消えていくアンジュの背中を、笑顔で見送った。



 食堂はいつもより活気に溢れていた。

 右も左も動き回るような状況。しかし、そんな注文が鳴りやまないような状態でも舞元啓介は食堂に入ってきた重苦しい空気を見逃さない。

「アンジュの奴、今日も下向いてるんだな」

「仕方ないと思いますよ。色々あったわけですから」

 舞元の呟きに答えるのは、味噌汁をお椀についでいる七瀬すず菜。

「今はそっとしてあげといた方がいいですよ」

「うーん、でもいい加減前を向いてほしいというか。立ち直ってほしいよな。加賀美が処刑されたのはお前のせいじゃないって言ったんだけど」

「そういうのって逆に言わない方がいいんじゃ……」

「え? どうして?」

「自分が関わった人が死んじゃうと、理由もないのに自分のせいだと思い込んで必要以上に抱え込んじゃう人もいるんです。だから───」

「なるほど。アンちゃんはそのタイプってことね!」

「注文です!」

 凛月が注文票を持って厨房に入ってくる。

「カツ丼定食を三つ。カレーとカツ丼のセットが一つ。あとはから揚げたくさん作ってください!」

 猫の手も借りたい状況だが、舞元と七瀬は快諾する。

「頭が禿げあがりそうなくらい忙しいぜ!」

「カツ丼定食できました。凛月さん、持って行ってください」

「了解です!」

 舞元は食堂のほうを横目で見る。

 ちょうどアンジュが玄関から出ていくところだった。

「よし決めたぞ!」

「ん? 決めたって、何をです?」

 七瀬の疑問に舞元は意気揚々と答える。

「決まってるだろ、すず菜ちゃん。オジサンがアンちゃんを天国に連れて行ってあげようって話さ!」

 舞元のスーパー可愛いいウインク、笑顔を添えて。

「それ大丈夫なやつですか?」

「大丈夫って……おい、ちょっと待て」

 七瀬が距離を取ったことで、舞元は既視感に襲われる。

 少し前にアンジュと似たようなやり取りをしたような気が───。

「別に変なことはしないよ?」

「犯罪者は決まってそう言います」

 七瀬から軽蔑の眼差しを向けられながらも、舞元は「それは違うよ!」と弁解しない。

 何故なら経験しているから。この勘違いはどう足掻いても解くことはできない。舞元は胸の中でわだかまりを抱えたまま行動で証明するしかないのだ───いいだろう、オジサンが優しいって所を見せてやる。

 惚れ直しても知らないんだからね!

「次の注文持ってきました! って、あれ? 二人ともどうしたんですか? なんかさっきより空気が重いような」

「気にするな凛月。どんどん持ってこい!!!!!」



     △△△



 散歩するといってもアンジュの行先はいつも決まっていた。

 毎日違う道を歩いているのに最後は必ず同じ場所に足が向く。

 ヘルエスタ王国、広場───処刑台が置かれていたであろう場所には、木片どころか血の一滴すら落ちていない。本当にここで人が殺されたのかと疑ってしまうほうどキレイさっぱり片付いている。

 アンジュが広場に来る理由は、特にない。

 疲れたからベンチで休もうと立ち寄っただけ。

 喉も渇いたからその辺で飲み物でも買おうかな。

 そういう風に本心を隠さなければ、加賀美さんへのお墓参りもできない。

 アンジュは広場の中央に立つと、目を閉じ、耳を澄ました。

「本当にリゼ様はわたしたち国民のことを何も考えていないのかしら」

「とんでもない暴君になるって話だよな」

「噂でしょ。リゼ様がアタシたちのことを見捨てるわけないわ」

「でも、知ってるか? またリゼ様の機嫌を損ねて殺された奴がいるらしいぞ」

「その話聞いたことある……。けど、本当なの?」

「王城を警備している奴から聞いたんだ。なんでも最近える様の姿が見えないって。きっとリゼ様に殺されちまったんだろうぜ」

「やだ、怖い!」

「奇麗な人だったのに。勿体ねえなー」

「そんなの嘘よ! リゼ様は心優しい方だもの。そんなこと絶対にしない! アンタ、自分が目立ちたいからって適当なこと言ってんじゃないの!?」

「いてて! 急に突っかかってくんなよ。オレだって人づてに聞いたんだ。本当かどうかなんて知らねえって」

 リゼのことを信じている者もいれば、おもちゃにする者もいる。

 最近では根も葉もない噂を流し、一儲けしようとする輩も増えてきた。

 これは広場に限った話じゃない。ヘルエスタ王国のどこにいても、リゼに対する疑念と不満は毒のように沁み込んでいる。

 国民がリゼを疑う理由は確かにある。

 リゼが王位についてからというもの、国民の日常は何も変わっていない。

 先代女王、レイナ・ヘルエスタと比べればその差は圧倒的だ。レイナは即位してすぐ国民すべてに恵みを与え、貧民街の人たちが暮らせるよう積極的に支援を行っていた。

 フレンを見つけてきたことも彼女の功績に入れなければならない。レイナがフレンを連れてきたことで国民たちは魔物の脅威に怯えることなく、平和に暮らすことが出来るようになった。

 しかし、リゼは───加賀美ハヤトの遺言───貧民街に毒を撒き、力のない者たちを徹底的に処分しようとしている。リゼ・ヘルエスタは暴君だ。彼女が王でいる限り、この国に明るい未来などやってこない。この先には何もないんだ。

 もし、可能性があるとすれば、それは───。

「リゼを……誰かが───」

 顔を上げ、唇を結ぶ。

 空から落ちてきた涙は、アンジュの頬を流れた。

 やがて本格的に雨が降りはじめる。

 世間話をしていた大人たちは雨宿りできる場所を探して近くの店に駆け込んでいく。

 広場にはへたり込んだ……自分の身体が冷たくなっていくのを楽しんでいるアンジュだけが取り残された。

 しばらくして、アンジュの周りだけ雨が止む。

「もしもーし。あなた、こんな所で何をしてらっしゃいますの?」

 声を掛けてきたのは薄紫色の髪をした少女だった。

 この辺りではあまり見かけない真っ赤なドレスを着ている。

「傘もささずに、こんな場所にいたら風邪を引いてしまいますよ。ほら、早く。近くのお店で雨宿りさせてもらいましょう」

「いえ、あたしは……」

「どうかしました?」

 きょとん、とする少女。

 アンジュは顔をまじまじと見つめられ少し戸惑う。

「よく見たら顔色が悪いですわね。体調が良くないようでしたら腕のいいお医者様も紹介できましてよ?」

「えーっと……病気というわけじゃなくて。何というか。その……」

 そう呟いた途端、見ず知らずの少女はハッとした表情を浮かべ、目と鼻がくっつきそうなくらいアンジュに顔を近づける。

「もしかして心の病ですの!?」

「あ? え? あ、はい」

「それはいけません!」

 少女は有無を言わさず、言葉に詰まったアンジュの腕を引いて走り始める。不思議とイヤな気持ちにはならなかった。迷惑だとも思わない。何故なら少女の行動は純粋にアンジュを心配してのものだったからだ。

 すぐに広場を抜けて、ドレスが汚れることもお構いなしに水溜まりを踏む。

 街に出た当たりでアンジュはようやく塞いでいた口を開いた。

「す、すいません。せめて目的地だけでも教えてもらえませんか?」

 前を進む少女が振り返る。

「心が苦しい時に行く場所なんてひとつしかないじゃありませんか」

「それって?」

 少女は雨を吹き飛ばすほど満天の笑みを浮かべて、

「教会にレッツゴーですわ!」



     △△△



 教会に到着する頃には、雨はますますひどくなっていた。

 その中を楽しそうに走ってきた壱百満天原サロメとアンジュがずぶ濡れになったことは言うまでもない。教会の扉を勢いよく開けたことで、多少……シスターたちを驚かせてしまったものの、嬉しそうにするサロメ嬢を見た彼女たちもまた、笑顔になった。

「今日はいつもより遅かったね。そっちの人はサロメさんの知り合い?」

 シスター服に身を包んだ緑仙が二人分のタオルを持って、少女たちを歓迎する。

「緑仙様。遅れてしまって大変申し訳ございません。こちらの方はアンジュ様です。暗い顔をしていたので拾ってまいりました!」

「拾ってきたって……そんな野良猫じゃないんだから」

 呆れた顔で笑う緑仙。

 サロメはいつだって教会に人を連れてくる。それは困っている人を見過ごせないという彼女の性格からくるものだ。が、教会にも出来る事と出来ない事はある。

 さて、今日はどっちかな。

「ところで緑仙さん。シスター・クレアはどちらに?」

「クレアなら奥の応接室にいるよ」

「では、お先に行ってますわ。アンジュ様も行きましょう」

「え? アンジュさんも連れて行くの?」

「そうですよ。なにか問題がありまして?」

「内緒の話だから他の人に聞かれるのはちょっと……」

 緑仙がアンジュに視線を向ける。

「あのー、サロメさん。あたしは別にここに残っても───」

「大丈夫です!」

 アンジュの声を遮って、サロメが根拠もなしに断言する。

「大丈夫って……」

「アンジュ様は他の人にむやみやたらに言いふらす様な人じゃありません。わたくしが保証します。だから大丈夫です!」

 緑仙は頭が痛そうにして───クレアなら大丈夫か、と自分を納得させる。

 こうなったサロメ嬢を、誰も説得することはできない。身勝手に自分の意見を通そうとしているようにも見えるが、貴族社会で生きる彼女にとって身を引くという行為は、すなわち死を意味する。

 少しでも隙を見せれば骨の髄までしゃぶられる。

 そんな世界で生きている彼女だからこそ信頼できるのだが、たまにはこっちの意見に耳を傾けて欲しいとも思う。

「……分かった。じゃあ先に行ってて。僕は二人の着替えを持ってくるから」

「了解ですわー! 行きますわよ、アンジュ様」

 サロメはアンジュと手を掴むと、子供が遊びに出かけるようなワクワクとした足取りで廊下を進んでいく。

「やっぱりお邪魔だったんじゃ……」

「何をおっしゃいますか。お邪魔だなんてとんでもない。それに悩んでいるのでしょう? なら、教会で一番お優しいシスターに話を聞いてもらうのがいいに決まってますわ」

 そこでふと、アンジュが呟く。

「あたしが……ここで聞いた話を誰かに言うかもしれませんよ?」

「その時はその時ですわ。わたくしに人を見る目が無かったというだけの話。アンジュ様には何の罪もありません。まあでも……アンジュ様はそんなことしないでしょけど」

 振り返ったサロメから信愛の笑顔を向けられる。

 初対面のハズなのにどうして彼女は見ず知らずの自分にここまでしてくれるのだろう。アンジュはますます分からなくなった。

 もしも自分が彼女だったら、彼女と同じように雨に濡れている猫を見捨てずに助けただろうか。

 分からない。

 どうしても自分の手で誰かを助けているイメージが湧いてこないのだ。

「アンジュ様、ここが応接室ですわ」

 自問自答の答えは出ないまま、サロメの声でアンジュは現実に引き戻される。

「それでは失礼して。コホン。お久しぶりですわー!!!!」

 扉を開ける。

 そして二人の目の前には、

「ぴょん、ぴょん。ぴょん、ぴょん」

 と、ウサ耳カチューシャを頭につけた、完全無欠、最凶最狂のバニーガール───亜麻色の髪に、きわどいハイレグ姿のシスター・クレアが応接室を幸せそうに飛び回っている光景に出くわしたのである。

 シスター・クレア?

 いいえ。バニー・クレアです。

 さて、どうしたものかとアンジュは先ほどまで悩んでいたこともすっかり忘れ、恥ずかしさで瞳を震えさせているクレアを見つめた。

「に、似合ってますよ」

「───っ!」

 アンジュのちょっとした気遣いが、クレアをさらなる羞恥へと誘う。

 当の本人は何とかしてこの場を乗り切ろうと必死になっているのに。

 しかしバニー服を着ている手前、何の言い訳もできない彼女は入り口に立っている二人のアクションを待つしかないのだ。

 生殺し。

 ライオンはウサギを狩るときも全力を尽くすというが、このしらけ切った時間でクレアに出来ることは限られている。

 それこそ頬を赤らめて、もう一度ぴょんぴょんするぐらいしか思いつかない。

 そんなところに救いの手を差し伸べるのがサロメ嬢の役割だった。

 サロメは弱みを握ったといわんばかりにバニー服を着た彼女を見つめ、

「まあ、お可愛いこと」

 と、不敵に笑ってみせたのである。


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