ヘルエスタ王国物語(14)
「まさかもう一度会えるなんて思ってもいませんでしたよ。滅びの魔女さん」
降り注ぐ炎の雨を避けつつ、えるは上空に浮遊するリヴァネルに向かって声を投げる。
えるの防御魔法をまるで紙を破くように貫通してくる彼女の攻撃は一発でも当たれば致命傷だ。体勢を立て直そうにも、俯瞰する彼女の視野から逃げきることは不可能。一瞬でも背中を見せれば彼女はそれを見逃さない。
───ここは無理にでも。
えるが森の木々たちに命令する。
それは一斉に……生き物ように動き出す。リヴァネルを拘束する、たったそれだけの簡単な命令だがエルフである彼女が命じれば、その威力は並ではない。
えるに撃ち込んでいたすべての炎を、リヴァネルは自信に襲い掛かる樹木に集中する。
超高速で飛行する彼女を捕えられると思っていない。
しかし、隙はできた。
えるは焼け落ちる樹木に身を隠し、なんとか森の中へ飛び込む。
「まさかレイナがあなたを見つけているなんて思いもしなかった」
魔女の声に、えるは身を引き締める。
死線から外れたとはいえ、首に鎌が当てられている事実を認めなければならない。彼女がその気になればこの森と一緒にえるを吹き飛ばすことも可能なのだから。
「死んだ、と思っていましたか? まあ、あなた達クソ人間ならそう考えても仕方がないでしょうね。しぶとく生きててごめんなさーい」
えるが煽るも、相手からの返事はない。
攻撃が止んだことで僅かながらの余裕はできた。が、それでも十分とは言えない。
できるだけ会話を引き延ばしてドレスの完成を待ちたいところだ。
「レイナ様から話を聞いてあなたが生きていることは知っていました……けれど、これが千年前の友人に対してやることですか? 挨拶にしては過酷すぎると思いますけど」
「そうね」リヴァネルは続ける。「それじゃあ、私の質問に答えてもらえるかしら」
───釣れた。
「いいですよ。なんなりと」
二人の間に沈黙が落ちる。
お互いを敵と認識し、神経を高ぶらせている状況だからこそ悪戯に言葉を重ねるべきではない。
それは両者ともに理解している。
だが、
「まずは、そうね。どうして加賀美くんを殺す必要があったのか聞かせてもらっても?」
「……そんなこと決まっているでしょ。あの男がリゼ様の暗殺を企て、警備隊二名を殺害したからです」
「国民に聞かせた嘘で誤魔化せるとでも? 私はずっとリゼちゃんの影に隠れていたのよ。───私が聞きたいのは、加賀美ハヤトを何のために利用していたのかってこと」
「最初からそういう風に聞いてくれば……えるも嘘をつかずに済んだんですけどね。意地の悪いこと」
「答えなさい」
えるが隠れている場所に上空から巨大な岩が落とされる。
それは逃げ道を塞ぐように───えるを誘導するように何度も落とされた。
「……相変わらずの理不尽ですね」
開けた場所まで走るとえるは視線先にリヴァネルを見つける。
紅い髪を風になびかせ、白百合の花畑に我が物顔で立つ彼女のニヤついた表情───ああ、千年ぶりでもムカつく顔ですね。
「さて。質問に答えてもらえるかしら? どうして加賀美くんを殺す必要があったのか」
「いいですよ。教えてあげます」えるは言った。「どこから話しましょうか。そうですね……まずは、えるの計画から話しましょう」
「あなたの計画?」
「そうです。リヴァネル様も興味あるでしょ?」
えるがニヤリと笑う。
「教えてくれるって言うなら、お願いしようかしら」
「でも、その前に───」
足元に咲いた花たちがえるの身体にいくつもの螺旋を描いて絡みつく。
蔓の渦から出てきた彼女は先ほどとは打って変わって、エルフの特性そのものを体現していた。
白百合のように美しいドレスに身を包んだ彼女こそ、森に愛されるエルフたちの代表者。素敵で、可憐で、美しい。この世の愛おしさの頂点であり、まるで楽園から飛び出してきた妖精のよう。
その姿にリヴァネルは思わず感嘆の息をもらす。
「その鎧を見るのは何年ぶりかしら。本当にキレイね」
嘘偽りのない本音。
しかし、
「それを身につけたということは話し合いはできないのでしょう?」
「出会ってすぐに殺そうとしてきた人の発言と思えませんね」
「ちゃんと手加減してたじゃない」
炎が苦手なエルフに開幕から容赦のない火の雨を浴びせたのはどこのどいつだ、とえるはキレそうになる。
もう少し悪びれてもよさそうなものだが……。
「話は殺し合いながらするとしましょう」
えるが聖樹の根で作られた剣をリヴァネルに向ける。
「……そうね」
風が止み。花びらが落ちる。
一切の音が消え、静寂に飲み込まれた瞬間───戦いの幕は上がった。
「どうして加賀美くんを殺したの?」
リヴァネルは巨人の腕のように太い木の根から距離を取り、小さな隕石をえるの立つ地上に向けて落とす。
「そんなの決まっているでしょ。リゼ・ヘルエスタの信頼を地に落とすためですよ」
えるは落ちてくる隕石を叩き落とし、リヴァネルの周囲を巨大な花で囲む。
花が開くと同時にリヴァネルの身体を極光が焼いた。
「……本当にそれだけ?」
「もちろん」えるは言った。「それだけじゃありませんよ!」
えるは左目に咲かせた花で、相手の位置を特定───巨大な大木が蛇のように口を開け、リヴァネルに襲い掛かる。
「あの加賀美ハヤトという男はリゼ様を苦しめるために本当にちょうどいい人材だった。彼はフレンと同様にリゼ様を幼少の頃から支えてきた家臣の一人なんですからね」
リヴァネルは言葉を失う。
「リゼを苦しめるですって……」
そこにどんな意味があるのか分からない。
防御魔法で全身を守ったリヴァネルに、えるは溜め息を吐く。
「涼しい顔で捌いてくれちゃって……はぁ、クソ萎えます」
周囲は焦土となり、巨大な花と落された隕石によって先程まで美しく咲きほこっていた花畑は見る影もない。
しかし、そんな凄惨な光景を二人は当然と受け入れていた。
それが日常だというように。
「リゼに自分の家族を全員殺させたのも彼女を苦しめるためだった、と? ますます意味が分からないわね。あなたそんなにリゼのことが嫌いなの?」
「嫌い? いいえ、大好きですよ。リゼ様はえるにとって替えのきかない大切なおもちゃなんですから」
「でも、それだけじゃないでしょ」リヴァネルは続ける。「私の予想だけど、あなたが加賀美くんを殺した理由は他にある。ただリゼを苦しめるだけじゃない。もっと別の───」
えるは不思議そうに人差し指を唇に当てた。
「そんなの国民に聞けば一発で分かると思いますけど? ……ああ、ずっとリゼ様の影に引きこもっていた魔女さんには分かりませんよね。失礼、失礼」
「国民から見た加賀美くんの死に意味があるってことかしら?」
「その通り。彼はリゼ様だけじゃない。えるにとっても都合のいい人間でしてね。平民からも貴族からも、あれほど信頼された人間は他にいないでしょう」
リヴァネルは蔓で編まれたゴーレムを破壊しつつ、納得する。
「あなたが最初に言っていたリゼの信頼を地に落とす、の意味がようやく理解できたわ。ずいぶんと性格がねじ曲がったものね」
「褒めても何も出ませんよ」
リヴァネルの目の前まで迫ったえるは、聖樹の剣で防御魔法を斬りつける。
しかし、剣は魔法陣に触れた瞬間、消失した。
「───なッ!」
えるは身をひるがえし、聖樹の剣を見つめる。消えたはずの部分は傷一つなく元の形に戻っていた。
そして手に残る、キモチワルイ違和感。
まるで野球のバッターが空振り三振した時のような虚しさ───なるほど。
「……流石、と褒めるべきでしょうか。すっかり騙されましたよ、滅びの魔女さん。まさか転移魔法で全身を防御してるなんてね」
「私も驚いているわ。まさかコーヴァス帝国の騎士以外にも、私に近づける人がいるなんて思わなかった」
「えるは……千年間、努力してきた頑張り屋さんなんです」
「そうなの?」リヴァネルは空に杖を向ける。「なら、その努力を見せてもらおうかしら」
浮かぶ月を覆い隠すほどの炎雲がリヴァネルの手によって生み出される。
完成した炎雲の隙間から九つの竜が召喚され、蛇の瞳がえるを囲んだ。
「ちなみに聞きたいんだけど、私のことは好き?」
「ふふふ」えるは溜めて。「大っ嫌いですよ!」
魔法での戦いにおいてエルフの右に出るものはいない。
それが人間という劣等種ならなおの事、その差は圧倒的といえるだろう。
しかし、時にはその常識を捨てなければならない。魔法という力は平等な世界などではなく、才能の世界だと。
実際、えるはリヴァネルの猛攻についていくので精一杯だった。
ひとつひとつに込められた魔力の量が違う。加えて炎というエルフがもっとも苦手とする属性での攻撃。
勝ち目を探すほうが難しい。
どれだけ努力しようと相性というものは覆らない現実だ。
しかし、この戦いが始まった時点で平等な戦いなど一度たりともなかった。すべてが一方的な蹂躙。炎の竜一匹に対して、えるは三体のゴーレムで守りを固めなければ、避けることすらできない。
ひたすらに後手を踏まされ続ける。
「次はえるの番です。リヴァネル、あなたは一体……いつから……」
リゼの影に隠れていたのか、とえるは質問しようとした。
だが、その問いは張り詰めた戦場で一瞬の隙になる。
「───っ!」
思考の隙間を埋めるように彼女の全身を巨大な竜炎が飲み込む。
えるの意識が数秒途絶えた。
それをリヴァネルは見逃さない。
軽く杖を動かし、三匹の竜に命令する───殺せ。
竜は主人の命令を実行しようと行動する。その刹那……そのすべてを爆炎の中から伸びてきた巨大な腕が握りつぶす。
「……まだ。最終回には早すぎるでしょ」
六本の腕を生やした聖樹の巨人が大地に立つ。それぞれの腕に武具を持ち、襲い掛かる竜を赤子の手をひねるように粉砕する。
それはエルフ族に伝わる正真正銘の奥の手。
呼び出したえるですらコントロールする術を持たない。完全自立型の暴走機関車。
「聖樹の剣を使って召喚したのね」
リヴァネルはアレがどういうモノか知っている。
千年前、天帝ウル・モアとの戦いで唯一、ウル・モアの顔に泥をつけた存在───王族にしか使役することを許されず、かつての戦友ウィスティリア・ヘルエスタがウル・モアを倒すために呼び出した聖樹のゴーレム。
しかし、リヴァネルの見たウィスティリアのゴーレムとは決定的に違う部分があった。
「……小さいわね」
森全体を俯瞰できるほど巨大な聖樹のゴーレムを小さいと、リヴァネルは一蹴する。
「大きさで強さが決まるわけじゃありませんよ」
「そうね。その通りだわ」
えるの言葉にリヴァネルは考えを改める。
確かに、大きさはウル・モアと戦った時の十分の一にも満たない。だが、それが何だというのか。小さくなったからといって、その強さが変わるわけではない。
むしろ小さくなった事で素早さも昔とはケタが違うだろう。
そして最大の懸念点は、アレが『剣』から呼び出されたということ。
「リアは『杖』から召喚していたけど。違いはあるのかしら?」
「それはご自身の体で確かめてみればよろしいかと───」
「GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!」
ゴーレムは咆哮すると同時に、大地をめくり上げ、リヴァネルに向かって突進する。
リヴァネルは即座に杖を振り上げ、九つの竜を動かす。が、竜にその身を喰われながらも巨人の足は止まらない。
目の前───防御魔法を展開する。
しかし振り上げられた拳はいともたやすく、リヴァネルの転移防御を打ち砕いた。
「いいですよ。そのまま殺してしまいなさい!」
えるは高らかに笑う。
ゴーレムは今もリヴァネルの落ちた場所を殴り続けている。いかに滅びの魔女といえど最初の一撃は予想外のものだっただろう。
杖から呼び出された聖樹のゴーレムを知っていれば尚のこと、その特性が守護に偏っていると考えてもおかしくはない。
だが、違う。
剣のゴーレムは絶対的な破壊の化身───敵対する者すべてを否定する最強の矛。
「なるほど。理解したわ」土煙の向こうから声がした。「『剣』と『杖』でこうも特性が違うなんてね」
氷の槍が巨人の腹を穿つ。
その魔法にえるは絶望した。
「どういうことです……?」
懐かしい感情が湯水のように湧き上がってくる。
えるはゴーレムの腹に穴を開けられたことを驚いているわけではない。そんな傷はすぐに再生する。問題は……彼女が信じられないのは、リヴァネルの使った魔法のほうだった。
それは間違いなく、
「お前が持っていたモアの王冠はリゼ・ヘルエスタが持っている……そのハズだ。なのに……なのにどうして……」
拒絶したい。
拒絶したいのに。
「どうしてお前が奇跡の魔法を使っているんだ!?」
理性では抑えきれない感情が爆発する。
リヴァネルは冷たく、
「そんなの決まってるじゃない」あざ笑うように。「あなたが千年ものあいだ努力してきたように。私も二千年間努力したのよ」
「二千年……」
何を言っている?
「言っている意味が分からないって顔してるわね。それじゃあヒントを上げる。白百合の花畑───あなた達エルフなら見覚えがあるんじゃない?」
竜とゴーレムがお互いを破壊し合うかたわらで、二人の会話は続く。
「見覚えがある……ですって? えるの思い出に花畑なんて───」
「この場所にあなたは来たことがある。あの二人と一緒にね」
えるは周囲を見渡し、死にかけていた脳細胞が一斉に走り出す。
「まさか……ウソだ、ウソだウソだウソだウソだウソだ。ウソだああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「嘘じゃない。あなたはヘルエスタ王国から遠く離れた場所に転移してきたと思っていたでしょうけど、私たちはずっとヘルエスタ王国内にいたの」
「じゃあここは千年前の……この場所が、わたし達の国だとでも言いたいのか!?」
「そうよ」
リヴァネルは断言する。
オカシイとは思っていた───えるがどれだけ声を投げかけても森の木々たちは何も言わなかったから。
それだけじゃない。
鳥の声も、虫の声も、誰の声も聞こえない。
リヴァネルと自分の二人だけしかこの世にいないような───しかし、気づきたくなかった。
「私たちが最初に転移してきた場所。あの場所はリゼちゃんが座っていた位置と同じなの。受け入れなさい。私達はどこにも行ってなんかない」
ふざけている。
「ハハ、いいでしょう……魔女様が言うようにわたし達は過去に転移してきた。それを信じるとして、この何の命もない張りぼてのような世界をどう説明するおつもりで」
なんて馬鹿げた質問だろう。
えるは自分の口から出た言葉に思わず笑いそうになる。
聖樹のゴーレムも竜に焼かれ、膝をついた。
もう動くことはない。
「それも少し違う。ここは私が創った過去なのよ」
「過去を創る? モアの王冠を持たないあなたに、そんなこと出来るわけ───」
「不可能でもやるしかなかった。どうしてもウル・モアが降臨しなかったという歴史が必要だったの。もう二度とウル・モアが復活しないよう、二千年分の歴史がね」
それに、とリヴァネルは続けた。
「エルフの国を売ったあなたをこのまま見逃すことはできない。ここで終わりにしましょう、える」
「えるが……エルフの国を売った? 魔女様は最後の最後に意味の分からないことを言いやがりますね。わたし達を裏切ったのはあなたの方でしょ?」
リヴァネルは言葉に詰まる。
それはやがて驚きの表情に変わった。
「まさかあなた、ウル・モアに救ってもらおうなんて考えてないでしょうね」
───えるは声を震わせる。
「もう分かりません。えるにもう、何も……自分が一体いつから絶望していたのか。どこで間違えたのか。もうずっと前に分からなくなっていたんですよ!」
「……───」
「ウル・モアを封印したあと、誰が敵で、誰が味方なのか分からなくなった。調子に乗った人間共は理不尽に襲ってくる。えるは誰に助けを求めれば良かったんですか!? どこに隠れていれば平和に暮らすことが出来たんですか!?」
「……───」
「誰でもいいから……えるを幸せにしてください。怖がらなくてもいいって……頭を撫でてください。誰でも、誰でもいいからぁ……」
涙に濡れた言葉が途切れる。
この千年間、誰も彼女の隣に立つことはできなかった。える自身も誰かに助けを求めることはできなかった。唯一、彼女の孤独を理解したレイナでさえも、えるを闇から救い出すことはできなかった。
レイナが彼女を見つけた時には手遅れだったのだ。
しかしだからといって───彼女がこれまでしてきたことを許すことはできない。
「人間を信じれば良かったのよ」
リヴァネルは慰めるように杖を向ける。
えるは顔を上げ、笑った。
「そんなの死んでもごめんですね」
そして、自分の人生を呪うように───聖樹の剣で心臓を貫いた。
「あなたの創った世界で死ぬのは心底イヤですけど……あなたに殺されるよりはずっとマシです。残念でしたね! わたしを殺せなくて!」
「最後くらいもっと素直になりなさいよ」
「えるの性格は生まれ変わっても治りません。これがわたしです」
リヴァネルは苦笑いを浮かべる。
「散る前に……言い残すことはある?」
「そうですね」
それじゃあ、と。
「ウル・モアの絶望を知らない子供たちに祝福でもしましょう。それと魔女様の計画が失敗することを願って」
えるの身体は花びらとなり、夜風に攫われていく。
エルフの死……それはすべての生物の中でもっとも美しい死だと言われている。長い時間を生きる彼らだからこそ身体を残していく必要がないのだ。
そもそも相手がいない。
友人たちはとっくの昔に死んでいるのだから。
エルフが過去に残していくのは思い出だけ。
未来に新しい命が芽生えますよう、祈りを込めて───自然に帰るのだ。




