ヘルエスタ王国物語(13)
「リヴァネルさんが動きましたか。意外と早かったですね」
そう呟くのは東の教会で紅茶をたしなんでいるシスター・クレア。ヘルエスタ王国に存在するすべて教会の全権を握っている少女である。
落ち着きはらった声で話す彼女だが、その声には多少なりとも痛みが含まれているようだった。
前もって計画していた作戦を実行するにあたって一番の脅威。
えるの排除。
それは間違いなく必要なことだ。
だが分かっていても、クレアはそう簡単に割り切ることはできない。
教会のシスターだから、という立場からの話ではなく。底抜けに優しい彼女だからこそ感じる痛み。出来ることなら彼女にもこれからの作戦に協力して欲しかったというのがクレアの本音だ。
しかし、何の力もない自分の言葉をえるが素直に聞いてくれれば……それだけで手を取り合えたハズなのに。
クレアに出来ることは───ただ彼女に悟られぬよう───時期が来るまでいつも通り生きていくことぐらいだ。
今日だってニュイ・ソシエールの作ってくれたクッキーを片手にぽやぽやとした時間をのんびり過ごすぐらいしかやることがない。
「ニュイさんはまた一段とクッキーを焼くのが上手になりましたね」
「え、そう? クレアさんにそう言ってもらえるとなんか照れるな」
えへへ、と暖炉のそばで笑うニュイ。
「……───」
いつ見てもスゴイ衣装にクレアは言葉を失う。
教会から支給された服を自己流にアレンジするシスターは少なからずいる。が、ニュイはその中でも群を抜いてハレンチである。
豊満な胸を隠すようにぶら下がっているカーテンはもはや隠す気力をなくし、彼女の身体をより魅力的に魅せるためのアクセサリーになっている。首からぶら下げているネックレスに至っては谷の闇に吸い込まれ、クレアにブラックホールを連想させた。
ニュイが魔女をやっていた頃もそうだったが、彼女が着る服はある意味で個性的というか、吹っ切れているというか……肌の露出もさることながら、そもそもシスターとしての品位を根っこの部分から遥か彼方に脱ぎ去ってしまったような人なので、クレアも特に注意することはしない。ただ、同じ女性であるハズなのにどうしてこうも発育に差が出てしまったのだろう、と疑問には思う。
「ところでクレアさん」
「どうしましたか?」
ニュイはクレアの前に座り、皿の上に山と積まれたクッキーをひとつ食べる。
「さっきお城の方で何か光ったような気がするんですけど。何か催しとかあったんですかね?」
「いえ、その……わたしは何も聞いていませんけど」
「そうですか」
言葉に詰まるクレアからニュイは何かを察し、
「もしかしてクレアさん……いじめられてるんじゃ……」
予想の斜め上からパンチを浴びせる。
クレアは紅茶を噴き出しかけるも、ギリギリで耐える。
耐えた!
「にゅ、ニュイさん……ど、どうしてそんな感想になるんですか」
「なんとなくパーティーに呼ばれなかったクレアさんを想像してしまって」
ニュイが笑う。
当のクレアはというとちょっぴり泣きそうになっていた。
「最近はヘルエスタ王国近辺の魔物たちが活発になっていてそれに手を焼かれている状況です。わたしは暇そうに見えるかもしれませんけど……わたし以外のみなさんはちゃんと仕事をしてるんですよ」
ふん、と鼻を鳴らすクレア。
お叱りを受けて、若干嬉しそうにするニュイ。
「冗談だって、冗談。そんな怒んないでよ」
「怒ってません」
「怒ったクレアさんも可愛いなー。でへへ」
じゃれ合う二人。
そんな二人の時間を叩くように、部屋のドアが開く。
「りゅーちゃんじゃん。久しぶりー」
「うん……久しぶり。クレアに会いたいって人が来てるんだけど……ていうか、二人は何やってるの?」
仙河緑───緑仙はニュイの胸に吸い込まれているクレアを見つめた。
「スキンシップ!」
即答するニュイ・ソシエール。
「それは後にしてもらったら助かるかも」
「ちぇ」
緑仙にそう言われ、ニュイはしぶしぶ抱きしめていたクレアを胸から離す。
「ぷはっ。助かりました緑仙さん。もう少しで……危なかった。それでわたしに会いたい人っていうのは」
「あ、ちょっと待てて」緑仙は扉の向こうに声を投げる。「入ってきていいよー」
ソフィア・ヴァレンタインが落ち着かないようすで部屋に入って来た。
「こ、ここ、こんばんは」
続いて、
「私も来た!」とソフィアの周りにふわふわと浮いている……生物? 妖精? みたいなナニかがクレアに挨拶する。
「ソフィアさんと上官さん? どうしたんですか、こんな夜中に」
「ほら、ソフィ。キミの頑張りを彼女に見せてあげなさい」
「クレアさんに頼まれていた資料が出来上がったので。も、持ってきました」
「え?」
「すいません。こんな夜中に失礼ですよね! でも、早い方がいいと思って。その……出直してきます! また明日!」
「ソフィアさん!?」
驚く緑仙の横を通り抜けて、足早に部屋を出ていくソフィア。
「緑仙さん! すぐに彼女を追いかけてください」
「え? うん。……え?」
ほどなくして緑仙と一緒にソフィアが戻ってくる。
「すぐに捕まってしまうとは。まだまだ修行が足りないな、ソフィ」
「うぅ……ごめんなさい」
上官と呼ばれた、うさ耳を頭に生やした丸っこいナニかが残念そうにしている。
「あれ何? 使い魔? りゅーちゃん知ってる?」
「いや僕も分かんない」
二人が暖炉のそばで頭を抱えているのをよそに、クレアは空いている、先ほどまでニュイが座っていた椅子にソフィアを案内した。
上官もテーブルに着地する。
「それで……もう調べ終わったんですか? 依頼してからまだ半日ほどですけど」
「はい! 調べ終わりました。初任務だったの緊張したんですけど。なんとか無事に。あと、割と簡単だったので。次はもっと難しい任務でもいいですよ!」
そう意気込むソフィアは胸の前で小さくガッツポーズをした。
「それでは失礼して───」
クレアはテーブルに置かれた資料を拾い上げ、ページをめくる。
ベルモンドに紹介され、物は試しにとスカウトしてみた彼女だったが、あまり期待はしていない。今回はあくまでもソフィア・ヴァレンタインのテスト。彼女がどこまで出来るのかを推し量るためのもの。
だからこそクレアは、自分が一番難しいと思う仕事を彼女に依頼した。
クレアの依頼はヘルエスタ王国のどこかに存在するホムンクルスの実験記録。その詳細───この任務は失敗前提のものだ。ソフィアにも身の危険を感じたらすぐ逃げられるよう、ニュイ特製の転移結晶を支給した。
しかし、結果は火を見るよりも明らか。
半日で仕事を切り上げたということは、目の前の資料はおそらく失敗の報告書だろう。
クレアはそのことに少し安堵する。任務よりも自分の命を大切にしてくれるなら、今後も彼女に依頼を回しても良いかもしれない。
当のソフィアはというと、品定めされていることにも気づかず、テーブルに置かれたクッキーの山をあれよあれよと上官の口に放り込んでいる。
「ソ、ソフィ……私にも限界というものが……」
「大丈夫ですよー。まだいけます」
せっかく用意してもらったクッキーを残すわけにはいかない、という謎の使命感がソフィアを支配していた。残せば失礼になるだろうし、もしかしたらそのことが原因で次の仕事が貰えないかもしれない。そのことが頭の片隅に浮かんだ時点で彼女の不安を誰も打ち消すことはできないだろう。
冒険者をやめた今、懐事情が寂しいソフィアにとってこの仕事はなんとしても勝ち取りたい大きな魚。逃すわけにはいかない。
「頑張ってください上官。いま山の中腹に差し掛かったところです!」
ソフィアはまさか最後にこんな試練が用意されているとは思いもしなかった。だが、やり遂げなければならない。
自分一人ではどうにもならないだろうが、上官に手伝って貰えば何とかなる。
多分。きっと。
「た、たしゅ……たしゅけて、く……れ……」
ソフィアと上官が戦わなくてもいい相手と戦っている最中、クレアは驚きに目を見開いていた。
彼女が受け取った資料にはクレアが注文した通り、ホムンクルスの実験記録が詳細に記載されていたからだ。
「ソフィアさん」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれ、ソフィアは姿勢を正す。
そんなに緊張しなくてもいいのに、と思う一方。口をついて出たのは、
「この資料を作るのに……誰かに手伝ってもらいましたか?」
「?」ソフィアは首を傾げる。「調査はわたし一人でやりました。資料の作成は……その……上官にちょっとだけ手伝ってもらって」
クレアはクッキー責めされた上官に視線を向ける。
「手伝ってもらったと言っても上官には資料を読みやすくするめにアドバイスをもらったくらいで。資料の内容は全部自分で書きました! おかしなところがあったでしょうか……」
うぅ、と萎縮するソフィア。
「とても読みやすかったです」
「本当ですか!? 良かったぁー」
「ただ……」
「ただ?」
「どうやって見つけたのか気になってしまって。教えていただけませんか?」
資料にはこれまで発見されていなかった研究所の位置まで記載されている。
それだけでも十分な成果だが、そう簡単に納得できるような仕事ではない。ハッキリ言って彼女の斥候としての才能に恐怖すら感じる。
「研究所はクレアさんから頂いた地図を頼りに歩いていたら偶然見つけて。中に誰もいなかったので調べるのも楽でしたよ?」
「……そうですか」
沈黙するクレアをソフィアが不安そうに見つめる。
「あの……それで次の任務は……」
「そうですね」クレアは考える。「特にありません」
「そんなぁ!?」
がっくりと肩を落とすソフィアを横目に、クレアは緑仙を呼ぶ。
「緑仙さん。ソフィアさんに報酬を払ってください」
「どれくらい持ってくればいいの?」
「袋三つくらいです」
「オッケー」
緑仙とクレアの会話が終わるのを待って、ソフィアが声を掛ける。
「あのー、クレアさん」
「どうしました?」
「もしかして任務失敗ですか?」
「そんなことはありません。ソフィアさんはちゃんと任務をやり遂げましたよ」
「じゃ、じゃあどうして次の任務がもらえないのでしょうか……」
答えづらい質問だった。
教会にある依頼は民間のものから貴族のものまでたくさんある。が、その中にソフィアの実力にあったものは今のところ思いつかない。
「どんな仕事でもいいんですか?」
クレアの問いに、ソフィアの表情は明るくなる。
「何でも言ってください! 必ず成功させてみせます!」
「じゃあ、民間の人たちのお手伝いをお願いします」
「民間の依頼? それはどんな?」
「えー、クレアさん自分だけずるーい。アタシもソフィアちゃんと遊びたいなー」
暇になったニュイが割って入る。
「ニュイさんはこれから忙しくなるのでダメです」
「拙者、働きたくないでござる! 働きたくないでござるううぅぅぅぅ!!!!」
「わたしは働きたいでござる!!!」
ニュイとソフィア───美人と美少女に腕を引っ張られるクレア。
こういう時どうしていいのか分からない。
とりあえず、
「ニュイさんはホムンクルスの研究。ソフィアさんは民間のパン屋を手伝ってください。それで今日の話はお終いです! ソフィアさんは帰りに緑仙さんから報酬を受け取るのを忘れないでください」
「イヤだあああああああああああああ!!!!!!」
絶叫するニュイ。
一方、ソフィアは上官を持ってくるくる回っている。
「やった! 初任務成功だ! 嬉しいよぉ……」
「待ってくれ……ソフィ。クッキー、クッキー出ちゃうから」
この後、金貨の入った袋を持って戻ってきた緑仙が見たのは、疲れ切って燃え尽きたクレアと仕事がイヤだと泣き叫ぶおニュイ。そして暖炉の前で喜ぶソフィアと白眼を剥いた上官という混沌で埋め尽くされたような光景だった。




